[報告]「坂道のアポロン」「Sugar」「RIN」とりあえず読み終えました(そして気づいたら半分くらいがおおかみこどものはなしだった・・・)
まぁ、読み終えたぞってことだけでも書いておこうかなと思ってあげました。
坂道のアポロンは @sajiki さんから以前おすすめされたもので、Sugarはアッシュさんに勧められたものです。
どちらもマンガが上手いのはわかるのだけれど、ぼくの趣味ではなかったですね(苦笑)
なのであまり書くことが思いつかないのですが、所感だけでも書き留めておこうかと。
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坂道のアポロンは、少年たちが自立していくモノガタリとして読みました。時代背景が戦後(Wikipediaによると1966年なのか)に設定してあるのは、今の時代を背景にすると作者が描きたい成長物語を書きづらいからなのかな?(まぁ、その次代が好きだからなのかもしれないけれど)
そこで少年同士の友情と痛み、そして成長を軸に展開されていると感じました。
ああ、ちなみにふと思い出したのですが、坂道のアポロンのはなしをするならばこの時代背景が描く「昔語り」という舞台装置について言及できるのでした。
えっと、これは以前の昭和元禄落語心中とコクリコ坂のはなし、そして先日の「おおかみこどものあめとゆき」にもつながる話だと思います。
こういう「過ぎ去ってしまった時代」、あるいは「終わってしまった物語」には視聴者と物語に乖離を起こさせる側面があります。
どういう物語も作り手が作り終えた瞬間、ぼくたちが目にし始める瞬間には「結末が決定している」ものです。
しかしおもしろいことに、そういう物語をみているぼくたちは結末がきまっている物語を見ながらドキドキしたり、ワクワクしたりする。ハリー・ポッターとかなどはいい例だと思うのですが、子どもとハリーがシンクロし、物語中の行動とぼくたちの感覚が同時になっているような体感を与える。
「昔語り」という装置は、そういう一体感をぶった切る道具だとも言えます。
「おおかみこどものあめとゆき」という作品はそのあたりをうまく利用した作品で、ちょっと自分のなかでうまく言葉にならなくてもやもやしていた部分があったのですが、今日の朝ペトロニウスさんの記事を見て、なるほどと思ったところでもあります。ちょっと引用させてもらうと以下の部分
・・・・そして、にもかかわらず、全然僕の心を動かさなかった、凄い作品でもある(笑)。でも、それは、僕の主観的文脈からの視点なので、大多数の人には、「芸」としては意味があっても、普遍性のある文脈で問えるものではないと思うけどねぇ。
普遍性のある文脈で問うならばこの作品の良さを、
その叙情性の演出のレベルの高さ、
動機を過剰演出する視点を喪失した3人称的な視線(娘の過去の回想等形で、事実上の主人公である花と狼男の内面の動機や意識が完全に消去されている)による神の視点の構築(=主観のキャンセル)
類型化したキャラクターを動機の演出なしに外から動かすことによる「神話性」というか、そこまではいかないんだけど、『おとぎ話的』な中距離の視点獲得
それらに付随する、内面の強度の無さを埋める風景や空間の強度によって埋めてしまうリアル感の演出
というものがあって、いやーいまって凄いなぁ、たぶん90-00年代の20年間くらいのやっぱり行きついた演出なんだよね。それまで強調されていた演出手法とまったく逆の方向。
中略
だから、僕が物語を問うのならば、主人公(=ここでは花ですね)の動機とその解決にフォーカスするのが、僕の批評の芸になるんですが、、、、もともと、細田守さんってのは、僕は個人の内面が全く書けない人だと思っています。どの作品も、さっぱり主人公の動機は不明だし、魅力的ではない。・・・と、ばっさり切ってしまいたいところなのですが、実は、そういう言い方をすると、細田守という人の価値を見誤る、と思っています。彼は、そもそもそういうものを書こうと意識していないと僕は思えるからです。彼の目指した演出技術は、そこではない。『サマーウォーズ』が地方の名家の家族の関係性をベースに置いていたように、この人の視線は、キャラクターを内面から問うという視点が全然ありません。すべてを「外面から見ている視点」で捉えようとしています。だから、『サマーウォーズ』の主人公クラスの個々のキャラクターの持つ実存や内面はあいまいでさっぱりわからないですが、、、えっと意味が伝わるでしょうが?
物語三昧~できればより深く物語を楽しむために(一部こちらの判断で拡大してあったりします)
『おおかみこどもの雨と雪』 細田守監督 細田守ブランドの確立~失われていたファミリー層を吸収するアニメーションブランドの登場
この太字のところをみて、やっと腑に落ちました。(そして今気づく、タイトルに漢字使われていたんだ・・・!?あとでタイトルそっと直しておこう・・・)
この映画の批判に対してヒロインの花の動機や行動の見積の甘さなど、さまざまな意見が出ているのですが、それらの意見にはけっこう賛同できる点も多く、その一方で、でもそれはこの作品に対する適正なツッコミどころなのだろうかという疑問が自分の中にあったんですね。
ぼく個人の感想は記事にも書いたようにこういう「起こってしまった出来事」に対して苦言を呈するのは、この作品にたいしてはなにかが違うという思いがありました。
そしてそれは何故なのか、というならば演出がそういうツッコミをするようになっていないのではないか、という意見だったわけです。
それが「昔語り」であったり、外面からの記述だったりする。
外面からの記述というとわかりにくいかもしれないけれど、関係性を描く、ということだと思います。
ぼくたちは相手の内面を見ることによって他者を判断している「だけ」ではないですよね。むしろそのひとがどういう関係性を構築しており、その関係性のなかでどういう行動をとっているのかをみている。
だからこそ関係性に着目すればその人物がどのような動きををするのかをある程度は推測が可能です。
もちろん内部の人間は悩み、思考する。でも関係性のみから見ていくと自動的に浮かび上がってくる答え、行動がある。
こういう自動人形的な考えを用いた作品ってのは他にもあって、たとえば「うみねこのなく頃に」であったり「まどか☆マギカ」「Fate/zero」だったりする。
・・・えっと、なにが言いたいんだったっけか?
そうそう、昔語りです。昔語りの引き起こす作用。
とにかくこういう昔語りというのは物語をお伽話化させてしまい、「むかしむかし・・・」というそれ以外に答えの可能性を潰す役割を果たしている。
これが同時代を生きているものになると「いや、こういう方法がある」とか「こういう選択をするといいんだ」という選択の可能性が生まれてくることになります。
だからこういう「昔語り」装置を用いられた「おおかみこどもの雨と雪」は内面の見えなさや、とりえなかった選択肢がクリティカルな批判となり得ないのではないか(なんとかまとまった?・・・ムリ?)
などということを言えるのじゃないかと。
そういう点で「坂道のアポロン」も過ぎ去ってしまった時代の成長ドラマとしてけっこうフラットな視点で見ていた気がします。
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それで(まだ終わりじゃなかった・・・)、Sugarなのですが、これを見ていて思ったのは「ああ、新井英樹という作家はぼくの趣味ではないのだろうな」ということでした。
これどっかで書いたかもしれないけれど、新井英樹という作家はホントに社会のなかで生きづらいのだろうな、と思います。
ちょっとそのはなしをするまえにボクシングの動きのシーンだけに言及しておくと、うん、コレはすごかった!
これだけで新井英樹という作家の非凡さは窺い知れるだろうと思う。
で、それは漫画的な魅せ方や演出のはなしだと思います。
逆に精神性でいうならば、やはり「生きづらいだろう」という感想が湧いてくる。
ぼくは新井英樹さんと会ったこともないし、インタビューも読んだことないからマンガを読んだ中からの判断なのですが、かれは社会の中のマイノリティな感覚をつねにもって生きているのじゃないかと思います。
そしてそこにたいして、自分がマイノリティであらなければならない、あるいは他者がそうでなければならないことにたいして、告発の動機を背負っているのではないかと思います。
だからこそSugarやキーチなどのマンガを書いているのでしょう。
そういえば風邪で倒れているときに、あるプロボクサーがテレビでこんなはなしをしていました。
ウチの会長(元世界チャンピオンか何か)ね、練習中の子ども(小中学生だっけか)のところに行って「おじさん日本で最年少のチャンピオンになったんだよ。君もそういうの目指しているの?」ってはなしをするんだ。すると子どもが「はいっ、ぼくもその記録を抜けるように頑張りますっ!」って返すんだ。するとニコッとわらって「お前なんかがなれるか、ヴァーーカ!」って怒鳴るんですよ。
いや、ふと思い出したので書いただけなのですけれどね。
こういうひとって、おそらく「才能」だけでいろいろなものを獲得してきた人間で、社会的にいえば圧倒的なマイノリティなんだろうと思います。
うーーーんと、正確に言えば「社会で生きていくための能力が足りていない」のだと思います。
そういうハンデ(?)を才能によってねじ伏せて、社会的な地位を手に入れ、社会にコミットする。
おそらく新井英樹さんもそういう方向に近いのだと思います。
まぁ、新井英樹さんに関してはこんなところでいいや。
ちなみにシュガーとRINに関して言えば、やはりSugarのほうが完成度が高いことは否めない。RINではシュガー時代からずーっと描いてきた結実が見えないまま、それこそ現実そのままにスレ違い、ドラマなどなかった形で集結していく。
こういうことを描きたかったのだ、ともしかしたら言うのかもしれないが、もう少しドラマティカルに描かれていた方がRINは面白く追われただろうな、というのが感想です。
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