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関係性

関係性の構築などで自動的に動く場合にもあるとかなんとか

2012年8月 7日 (火)

[報告]「坂道のアポロン」「Sugar」「RIN」とりあえず読み終えました(そして気づいたら半分くらいがおおかみこどものはなしだった・・・)

まぁ、読み終えたぞってことだけでも書いておこうかなと思ってあげました。

坂道のアポロンは @sajiki さんから以前おすすめされたもので、Sugarはアッシュさんに勧められたものです。

どちらもマンガが上手いのはわかるのだけれど、ぼくの趣味ではなかったですね(苦笑)

なのであまり書くことが思いつかないのですが、所感だけでも書き留めておこうかと。

坂道のアポロンは、少年たちが自立していくモノガタリとして読みました。時代背景が戦後(Wikipediaによると1966年なのか)に設定してあるのは、今の時代を背景にすると作者が描きたい成長物語を書きづらいからなのかな?(まぁ、その次代が好きだからなのかもしれないけれど)

そこで少年同士の友情と痛み、そして成長を軸に展開されていると感じました。

ああ、ちなみにふと思い出したのですが、坂道のアポロンのはなしをするならばこの時代背景が描く「昔語り」という舞台装置について言及できるのでした。

えっと、これは以前の昭和元禄落語心中とコクリコ坂のはなし、そして先日の「おおかみこどものあめとゆき」にもつながる話だと思います。

こういう「過ぎ去ってしまった時代」、あるいは「終わってしまった物語」には視聴者と物語に乖離を起こさせる側面があります。

どういう物語も作り手が作り終えた瞬間、ぼくたちが目にし始める瞬間には「結末が決定している」ものです。

しかしおもしろいことに、そういう物語をみているぼくたちは結末がきまっている物語を見ながらドキドキしたり、ワクワクしたりする。ハリー・ポッターとかなどはいい例だと思うのですが、子どもとハリーがシンクロし、物語中の行動とぼくたちの感覚が同時になっているような体感を与える。

「昔語り」という装置は、そういう一体感をぶった切る道具だとも言えます。

「おおかみこどものあめとゆき」という作品はそのあたりをうまく利用した作品で、ちょっと自分のなかでうまく言葉にならなくてもやもやしていた部分があったのですが、今日の朝ペトロニウスさんの記事を見て、なるほどと思ったところでもあります。ちょっと引用させてもらうと以下の部分

・・・・そして、にもかかわらず、全然僕の心を動かさなかった、凄い作品でもある(笑)。でも、それは、僕の主観的文脈からの視点なので、大多数の人には、「芸」としては意味があっても、普遍性のある文脈で問えるものではないと思うけどねぇ。

普遍性のある文脈で問うならばこの作品の良さを、

その叙情性の演出のレベルの高さ、

動機を過剰演出する視点を喪失した3人称的な視線(娘の過去の回想等形で、事実上の主人公である花と狼男の内面の動機や意識が完全に消去されている)による神の視点の構築(=主観のキャンセル)

類型化したキャラクターを動機の演出なしに外から動かすことによる「神話性」というか、そこまではいかないんだけど、『おとぎ話的』な中距離の視点獲得

それらに付随する、内面の強度の無さを埋める風景や空間の強度によって埋めてしまうリアル感の演出

というものがあって、いやーいまって凄いなぁ、たぶん90-00年代の20年間くらいのやっぱり行きついた演出なんだよね。それまで強調されていた演出手法とまったく逆の方向。

中略

だから、僕が物語を問うのならば、主人公(=ここでは花ですね)の動機とその解決にフォーカスするのが、僕の批評の芸になるんですが、、、、もともと、細田守さんってのは、僕は個人の内面が全く書けない人だと思っています。どの作品も、さっぱり主人公の動機は不明だし、魅力的ではない。・・・と、ばっさり切ってしまいたいところなのですが、実は、そういう言い方をすると、細田守という人の価値を見誤る、と思っています。彼は、そもそもそういうものを書こうと意識していないと僕は思えるからです。彼の目指した演出技術は、そこではない。『サマーウォーズ』が地方の名家の家族の関係性をベースに置いていたように、この人の視線は、キャラクターを内面から問うという視点が全然ありません。すべてを「外面から見ている視点」で捉えようとしています。だから、『サマーウォーズ』の主人公クラスの個々のキャラクターの持つ実存や内面はあいまいでさっぱりわからないですが、、、えっと意味が伝わるでしょうが?

物語三昧~できればより深く物語を楽しむために(一部こちらの判断で拡大してあったりします)

『おおかみこどもの雨と雪』 細田守監督 細田守ブランドの確立~失われていたファミリー層を吸収するアニメーションブランドの登場

この太字のところをみて、やっと腑に落ちました。(そして今気づく、タイトルに漢字使われていたんだ・・・!?あとでタイトルそっと直しておこう・・・)

この映画の批判に対してヒロインの花の動機や行動の見積の甘さなど、さまざまな意見が出ているのですが、それらの意見にはけっこう賛同できる点も多く、その一方で、でもそれはこの作品に対する適正なツッコミどころなのだろうかという疑問が自分の中にあったんですね。

ぼく個人の感想は記事にも書いたようにこういう「起こってしまった出来事」に対して苦言を呈するのは、この作品にたいしてはなにかが違うという思いがありました。

そしてそれは何故なのか、というならば演出がそういうツッコミをするようになっていないのではないか、という意見だったわけです。

それが「昔語り」であったり、外面からの記述だったりする。

外面からの記述というとわかりにくいかもしれないけれど、関係性を描く、ということだと思います。

ぼくたちは相手の内面を見ることによって他者を判断している「だけ」ではないですよね。むしろそのひとがどういう関係性を構築しており、その関係性のなかでどういう行動をとっているのかをみている。

だからこそ関係性に着目すればその人物がどのような動きををするのかをある程度は推測が可能です。

もちろん内部の人間は悩み、思考する。でも関係性のみから見ていくと自動的に浮かび上がってくる答え、行動がある。

こういう自動人形的な考えを用いた作品ってのは他にもあって、たとえば「うみねこのなく頃に」であったり「まどか☆マギカ」「Fate/zero」だったりする。

・・・えっと、なにが言いたいんだったっけか?

そうそう、昔語りです。昔語りの引き起こす作用。

とにかくこういう昔語りというのは物語をお伽話化させてしまい、「むかしむかし・・・」というそれ以外に答えの可能性を潰す役割を果たしている。

これが同時代を生きているものになると「いや、こういう方法がある」とか「こういう選択をするといいんだ」という選択の可能性が生まれてくることになります。

だからこういう「昔語り」装置を用いられた「おおかみこどもの雨と雪」は内面の見えなさや、とりえなかった選択肢がクリティカルな批判となり得ないのではないか(なんとかまとまった?・・・ムリ?)

などということを言えるのじゃないかと。

そういう点で「坂道のアポロン」も過ぎ去ってしまった時代の成長ドラマとしてけっこうフラットな視点で見ていた気がします。

それで(まだ終わりじゃなかった・・・)、Sugarなのですが、これを見ていて思ったのは「ああ、新井英樹という作家はぼくの趣味ではないのだろうな」ということでした。

これどっかで書いたかもしれないけれど、新井英樹という作家はホントに社会のなかで生きづらいのだろうな、と思います。

ちょっとそのはなしをするまえにボクシングの動きのシーンだけに言及しておくと、うん、コレはすごかった

これだけで新井英樹という作家の非凡さは窺い知れるだろうと思う。

で、それは漫画的な魅せ方や演出のはなしだと思います。

逆に精神性でいうならば、やはり「生きづらいだろう」という感想が湧いてくる。

ぼくは新井英樹さんと会ったこともないし、インタビューも読んだことないからマンガを読んだ中からの判断なのですが、かれは社会の中のマイノリティな感覚をつねにもって生きているのじゃないかと思います。

そしてそこにたいして、自分がマイノリティであらなければならない、あるいは他者がそうでなければならないことにたいして、告発の動機を背負っているのではないかと思います。

だからこそSugarやキーチなどのマンガを書いているのでしょう。

そういえば風邪で倒れているときに、あるプロボクサーがテレビでこんなはなしをしていました。

ウチの会長(元世界チャンピオンか何か)ね、練習中の子ども(小中学生だっけか)のところに行って「おじさん日本で最年少のチャンピオンになったんだよ。君もそういうの目指しているの?」ってはなしをするんだ。すると子どもが「はいっ、ぼくもその記録を抜けるように頑張りますっ!」って返すんだ。するとニコッとわらって「お前なんかがなれるか、ヴァーーカ!」って怒鳴るんですよ。

いや、ふと思い出したので書いただけなのですけれどね。

こういうひとって、おそらく「才能」だけでいろいろなものを獲得してきた人間で、社会的にいえば圧倒的なマイノリティなんだろうと思います。

うーーーんと、正確に言えば「社会で生きていくための能力が足りていない」のだと思います。

そういうハンデ(?)を才能によってねじ伏せて、社会的な地位を手に入れ、社会にコミットする。

おそらく新井英樹さんもそういう方向に近いのだと思います。

まぁ、新井英樹さんに関してはこんなところでいいや。

ちなみにシュガーとRINに関して言えば、やはりSugarのほうが完成度が高いことは否めない。RINではシュガー時代からずーっと描いてきた結実が見えないまま、それこそ現実そのままにスレ違い、ドラマなどなかった形で集結していく。

こういうことを描きたかったのだ、ともしかしたら言うのかもしれないが、もう少しドラマティカルに描かれていた方がRINは面白く追われただろうな、というのが感想です。

2012年7月31日 (火)

『おおかみこどもの雨と雪』 語ることはあるけれど語ることへの情熱が沸かない作品でした(決して悪い意味ではないが)

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※ ちょこちょこ子どもの名前を間違えているみたいです(笑)

先生の跡を継いだのは雨で、人間なのは雪です。

個人的評価 2

客観的評価 5

この記事の続き、というか補足についてがここに書いてあります。内容としてはおおかみこどもの演出の巧さやそれによって批判が批判でなくなることについてとかです。

いやー、すごかった。こういう作品に出会ったのは久しぶりですね。

なんといっても物語のストーリーにまっったく興味が起こらなのがすごかった!

じゃあ、この作品が駄作なのかというとそういうわけではないんですよね。きっと。

間違いなくこの映画は日本の映画の最前線にある。

なんていうのかな、

何処がどうすごいってちょっっと言いづらい部分はある。たしかに映像は凄いし、いろいろな突っ込みどころに対するカウンターも用意してある。

でも、それがこの物語の評価を決定づける要因には思えないんですよね。

たしかに重要な要素なんだけれど、それが絶対必要なものであるとはいえないと思う。

それはこの物語が群像劇?であることが大きな理由でしょう。

この物語はずっとキャラクターに寄り添いながら同時に俯瞰して描いている。だから花にも感情移入しづらいし、相手の父親にも感情移入しづらい。

話の冒頭から「これは~~」というように、成長した雪がナレーションをしており、この物語は過ぎ去った過去の、いわば思いでとか昔語りであることように作られている。

こういうギミックを用いることでぼくたちはせかいの中のキャラクターに寄り添わなくていいようにサれている(逆に言うなら、はじき出されていると感じる人もいるかもしれない)

とはいえ実感を伴って見れる人は感情移入できる程度のよわい弾き方である。

だから感情移入した結果「なんでこうするんだよっ!」とか「否定された!」「そんなことになるわけがない!」という反応が出てくることもあるかもしれない。

しかしそういう反応はこの映画に対しては見当はずれな批判であると考える。

それは先述の通りこの物語がキャラクターをちょっと離れた外から俯瞰したものであるからである。

だからこそ個々の出来事に対してその理由は敢えて描かれることは少ない。同時にキャラクターが客観的に知り得ない事実は、ぼくたちも知ることは出来ない。

また同時に外から見ているのでその心情は推し量るしかない。内面描写などもないので、キャラの心情は外面から、ぼくたちが普段相手と相対するように外から見てエられた情報から判断するしかない。

父親がなぜ死んだのか。それは、キャラクターが知らないから僕たちも知ることは出来ない。

韮崎のおじいちゃんがなぜ花を気に入ったのか。それは内面を描かれないからぼくたちには知り得ない。ただ僕たちが知ることのできるのは、花が聞き得た情報である「おじいちゃんが周りに面倒を見てやれ」といった情報とかだけである。

また花の心情。それも推測である。

しかし物語冒頭で「常に笑っている」というはなしを恋人にし、父親の葬儀のときにも笑っていたとある。

常識に言って悲しくないわけない。花が笑う時ってのは、つまり「嬉しい」とき「悲しい」時である。

笑っているからといって「悲しくない」とはならない。だから花の感情はそういう情報から「推測」するしかない。

作物が枯れたとき。夫が死んだ時。

花は笑っている。しかしその笑みは弱々しいものであり、そういう情報を読み取ることをぼくたちは要求される。

そういう意味でこの物語はとても「わかりづらい」ともいえる。

少なくともエンターテイメントか、と問われると うーん としかならない。

でもそういう側面がこの完成度を生んでいるとも言える。

ちなみに物語ラストで雪が先生の跡を継ぐ決意をしているとき、「あなたはっ・・・・!!」といって言葉をなくすシーンがある。

これは物語序盤で、引っ越すときに「この子達が狼と人間のどちらの道も選べるように」と言っていることときちんと符合する。

だから、彼女は「あなたは人間なんだから」ということが出来ず、ただ雪に対して請い願うしかなかった。

こういう彼女の心情をたどることによって、ラストの雪に「生きてっ!」という言葉の意味を感じることができるんだと思います。これは物語のあちらこちらに散りばめられているヒントを用いないと「わからない」ことでしょう。

彼女にはいろいろな葛藤があり、それを押しつぶしながら生きている。だから外からみていると彼女の苦しみってのは「よくわからない」

でも、10年間育ててきた息子との別れの瞬間、彼女の人間としての「別れたくない」「そばに居てほしい」という感情と「自由に生きて欲しい」という複雑な、人間らしい「矛盾した」感情がそこに見て取れる。

そして片方の感情に流されない、狼も人間も自由に選べるようにという、賢明な人間としての花をそこに見ることができる。

一方この物語の群像劇としてのはなしとして、同時進行の物語に「雪の物語」がある。

しかしこの物語もやはり俯瞰して描かれている。

キャラクターの内面に深く踏み込みすぎず、そして淡々と進む。

転校生の少年の家族は雪の知り得る範囲でしか知り得ない。これらの物語は基本的に「終わってしまった」物語であり、どうしようもすることが出来ないものである。。

このどうしようもなさに、むかつく人もいるだろうし、分からないでもない。だからボク個人も評価はそこまで高くはない。だって物語に興味が持てないのだから仕方ない。

あ、ちなみにカーテンを用いての「おおかみこども」をばらすシーンは素晴らしかったですね。

カーテンが雪を包むシーンは3度あり。

1度目は狼

2度目に人間に戻り。

3度目に、狼にも慣れる状況で人間のままである。

これは狼を選んだ雨と対比的である。

また、家の前の道、学校に行く(=人間を選ぶ)のは左、森(=狼を選ぶ)のは右になるようになっている。

こういう描写を繰り返したあと、雨と雪のケンカによって「狼」としての差を明確にしている。

人間を選ぶ雪が雨に勝てるわけはないんですよね。風呂場に逃げて鍵をかける文明をもちいた逃げが良かったです。

逆に学校のシーンでは学校に適応できる雪とできない雨が対比的に描かれている。一枚綴りでシーンをつないでいるのは、凄いと思いました。

もうひとつだけオマケを書くなら、この物語で「雨」ってのは別れの描写であるんですよね。夫との別離、雨との別れ。これらは雨のシーンに起こります。

うん。感情的には興味がないので、まったく熱がこもらない文章です。

しかし、一度は見ておくと言い映画ではあると思います。なんか、数年後にはトトロのように金曜ロードショーで定期的に放映されるようになりそうな気がします。

いや、子どもはおもしろくないだろうなぁ。見てみてよくわかった。

また細田監督の小説版と見比べると、映像のうむ効果がわかっていいと思います。

ちなみにぼくは、小説でのストーリーにはまぁぁったく興味がわきませんでした笑

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時をかける少女 や サマーウォーズ をみていると、ああ、こういうところを延ばしたのか。。。すっごいなぁ、と監督の変化に興味が持てるのも面白かった。

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追記

ちなみにぼくが感情的に嫌だな、と思うところはシナリオ的に旦那さんが「殺される」ところですね。

これはね、ちょっと嫌なんですけれどね。

でもそれを批判するのは「意味が無い」んでしょう。

そしてこの物語で「こうではなかったIFの物語」というのは、語ることの意味があまりないだろうと思えるし、そうでなかった物語というのは「ありえない」話なんでしょうね。

見てて、そういうのがわかりました。その作品を嫌だと思うところは、その作品への突っ込むところではない。。。というか評価を下げるものではない部分や、評価をうむために用いられた部分だと思われます

2012年2月20日 (月)

自分メモ~よりよい選択をするためにはなにが必要なのか~

どのようにモチベーションの確保するか

これが近年のぼくのテーマのひとつなのはブログをみてくださっている方々にはご存知のことかもしれません。これは言い換えるなら「どのように自分をコントロールしていくのか」ということです。

さきほど読み終えた「BE  BLUES」最新4巻ではこれについてのヒントがいくつも載っています。この漫画はかつて天才と呼ばれた少年がどのように成長していくか、サッカーをどうやって取り戻すのかということを題材にしているのですが、そこで繰り返し言われているのが「計画(プラン)」です。自分のプランを確実に実行するためにはなにをすればいいのか。どういうものが必要なのか。今回のテーマに沿っていうなら「自分を予定通りに動かすには何が必要なのか」を問うていることになります。予定を予定通り動かすというのは存外難しいものです。モチベーションはそういう「ちょっといいかな」という心の揺らぎに抗するための要因になるでしょう。

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また、コレに関してさいきん気にしてみているのが「コロンビア 白熱授業」というNHKの番組。この番組は日曜6時からやっているので、5時半からの『ファイ・ブレイン神のパズル』から続けて流していることが多いですね。

ちょっとその話をする前にぼくがなぜ「モチベーション」にこだわっているのかを話しておきましょう。大枠には2つの理由があります。ひとつは自分の成長のためですね。もうひとつは現在ぼくたちが生きている世界がある変化の途上にあるから

ひとつ目の理由はいいでしょう。どのようにして自分を律してどこに辿りゆこうとするのかというのは、6年間という学習時間を与えられた自分の必須科目だと思っています。それにそれ以降にも確実に必要になってくる能力です。いまのうちにみにつけておかないとならない技術の一つです。

問題はふたつ目。げんざいの世界というのは多かれ少なかれ相対化の流れに向かっているのだとぼくは考えています。これはデジタルデバイスがより発達したのがおおきな理由にあげられることでしょう。かつて大澤真幸さんが言っていた「第三者の審級の失墜」あるいは東浩紀さんの「大きな物語の消失」したせかい。「シュミラークル」になってしまったせかいです。代表される作品としては「攻殻機動隊」のオリジナルなき模倣者「笑い男事件」。うそういうせかいではオリジナルの価値が相対化されてしまってどんな物事も比較の対象になってしまうせかい。そういう世界で「成長する」というのはいかなる方法で行えばいいのかというのが大きなテーマたる所以です。

このあたりに関しては「コクリコ坂の伝えたかったことと現代の若者に伝わらないジレンマ」について以前書いた記事があるので参考になるでしょう。絶対的な価値判断の基準がないということは、じぶんの拠って立つしるべがないということです。「ドラゴン桜」というのはそこを明確にすることを受験生に求る。現代からすればステレオタイプで古典的な意見なのですが、早く確実に目的を達成するためにはいまだ優秀な方法だと思っています。あのものがたりは受験テクニックなどよりそういう「意識」についてキチンと書かれているからしっかりしてます。多少誇張されているにせよ「きちんとした方針で効率よくやれば競争に勝てる」「人に先んじることができる」ということが示された作品だとおもいます。

さてここでやっと『戦略』についての話題がでてきました。現在「選択とは何か」ということを題材に放送している「白熱授業」では

「選択とは直観と理性の融合でありその選択というのは『戦略』より生まれる」

ということをテーマに語っています。ぼく個人の理解でいうならば「意識的な理性の結論を積み重ねた結果が直観であり、選択とはそういう規範のうえで選ばれている」ということになります。もうちょっと詳しく話をしてみるとある出来事Aにたいして「こうする」と決めBにたいして「こうする」と決めて行動していくと、ひとつの「結果」を得ることができます。「なにもしない」というのですら選択の結果であるので人間は「選択しないことを選択できない」存在である。

こういう「結果」の積み重ねに対してぼくたちの多くは意識するにせよ無意識にせよ「どうしてこういう結果を手に入れたのだろうか」と思考します。そうした無数の具体例を手に入れ分析の結果ぼくたちは「直観」、すなわち思考のバイパス(ショートカット)を手に入れることになります。これが「速度」を生みひとに先んじる結果を生み出すことになる。まあこのあたりの話も先ほどの記事の「昭和落語心中にみる動機の仮託と成長」について書いたところで話していると思います。

あるいはこういうはなしについてもっと理論的に語っているのが現在マガジンで連載中の「BABY STEP」です。この漫画もつい先日最新20巻が発売したばかり。この主人公丸尾くんは勉強はできるけれど運動はそこそこ。テニスの才能はあまりないタイプの人間なんですよね。そういう人間が才能のある人間とやりあっていくためにはどうしたらいいのか。それがこの漫画の大きなテーマとなっています。彼が練習でノートをとって、何が成功してなにが失敗したのかを勉強するのも「理性の積み重ね」を期待しての出来事です。「白熱授業」で15年間チェスの王者に君臨した「ガルリ・カスパロフ」が「じぶんは才能が特別あるとか頭がいいとかそういう訳ではない。あるとするならば日々の積み重ねである。そういう選択の積み重ねがチェスのつよさにつながるのだ」いうことを語っていると言っていました。丸尾君の成長の源もまさにそういうところに在るのでしょう。そういう選択肢の結果が骨子を生み『戦略』につながっていく。

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日常をどのように過ごすかが自分の選択に影響するというのは昔から意識していましたが、それをもっと推し進めてくれる物事が増えているのはとても嬉しいことですね。

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2012年1月30日 (月)

一年ぶりくらいにまともな記事書いた。結果的に評価は低くなったけれど、幼い少年少女が小さな世界で歪んでいく物語『校舎のうらには天使が埋められている』感想の記事といじめについて描かれたおはなしたちについて

…優 ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん優 俺、『あっちがわ』には絶対行きたくない…

(校舎のうらには天使が埋められている 1巻123ページ)

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評価 (もうちょい詳しく言うなら2.4くらいかな)

個人的評価 (2.8くらい)

『校舎のうらには天使が埋められている』の感想です。お久しぶり てれびんです。この本はこの土日に東京に行ったついでに買った本のひとつですね。メロンブックスで平積みされていたから気になってかいました。

後堂理花(うしろどうりか)は赤々瀬小学校4年2組に転校してきたおんなのこ。引っ込み思案で前の学校でのたった一人の親友からは新しい学校ではたくさん友達を作りなと言われて、新しい学校ではともだちをいっぱいつくろうとします。はじめはうまく行かなかったけれどクラスの中の美しい少女蜂屋あいと仲良くなってこれから変わるぞというところで…

いやぁひどい話ですね。僕個人はこういうはなしはきらいじゃないんですが、評価は5段階のうちの2くらいですかね(あ、今回から点数評価入れることにしました個人的な好みの点数も入れてみようかと お試しなので今後がどうなるかわからないけれど試してみます)

冒頭のセリフはクラス内カーストで最下位『ソラ』にされてしまった主人公を助けようとした少年少女の片方が叫んだセリフです。なかなかに衝撃的なシーンなのでこういう閉鎖空間で歪んでいく物語の経験がない人は一度は見てみてもいいシーンかと思います。こんなかんじでぼく個人の印象は「まぁまぁかな」って本作なのですがその評価はです。

これはねー、べつにこの作品が悪いってわけではなくて比較対象にあげられる作品がすごすぎて結果低くなってしまったんですよ。このブログを見てくださってた方(一年間くらい休止していたので過去形です。いまでも見てくれている人がいたらありがとう)や、ぼく個人の知り合いの方なら知っているかもしれませんが、こういういわゆるイジメのはなしでぼくがさいこうかなと思うのが、いまはなき瀬戸口廉也さんが残された『CARNIVAL』(あ、ゆっておきますが死んでませんからね現在ゲーム業界から文筆業に移られています。このあいだ星海社から発表された『死体泥棒

あいしたこいびとのなきがらをぬすんでともにくらすせいねんのものがたり

はすばらしくかんどうしました。

とても、いいはなしなので興味のある方はぜひお買い求め下さい。濃厚な文章に耐えた先で得られるカタルシスは大きいです。個人的評価では4くらいになりますね!(ならこっちのレビューしろよと、言われそうな気がするがなんかテストだなんだかんだで機会逸してしまってね。いつか機会があれば書きます))

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それに乙一の傑作『死にぞこないの青』があります。これはとても感動的なはなしなのですよ。

CARNIVALはアマゾンなどでは手に入らないと思いますがDMMでダウンロード販売をしているので、やってないひとはぜひともやってほしいけっさくですね。

CARNIVAL 

CARNIVAL ダウンロード料金 2800円

両者はじつは似たところのある物語でして 『どうしようもならないクソッタレなセカイ』 のおはなしです。ある意味救いのあるのは『死にぞこないの青』なのですが、本質的に人間の深さを魅せつけてくれるのは『CARNIVAL』ですね。

CARNIVALはそのはじまりから衝撃的で、殺人犯として捕まっている主人公が逃げ出すところからスタートします。そこで???となっているわれわれプレイヤーはかれの、そしてかれのまわりのにんげんの過去と現在を透して『どうしようもなくそうならざるおえなかったセカイ』を目撃しそういう現実たいしてただひとりで立っていくにんげんを見ることができます。ここで主人公がだしていく決意にたいしてうつくしいとか、すばらしいとかいうことはできるのですが、そうするとどうやったって大事な何かが零れおちていく気がします。敢えていうならにんげんの精神の極限のひとつ、すなわち生身の人間自身をさらけ出してもらったというかんじですね。

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たいして『死にぞこないの青』も『構造的にどうしても虐げられざるえない小世界』が題材となっています。さきほど『CARNIVAL』と『死にぞこないの青』がにているというはなしをしたように、これらの物語はこういうふうになったらそりゃこうならざるえないよねというところが際立った作品です。ちなみに個人評価だとCARNIVAL(あるいはそれ以上)死にぞこないの青は4(そうとう5にちかい4)となっています。

そこで『校舎のうらには天使が埋められている』に戻りましょうかいままで挙げた2作品に比べるとこの作品は「どうしようもなくそうならざる得ない」という点がたりないかな、と思うんですね。

たとえばCARNIVALや死にぞこないの青では主人公たちの精神が刻命に描かれているので学校という空間から「逃げられない」あるいは「逃げるわけがない」ということがよくわかるんですね。でもこの作品では少女が引っ込み思案だから親とかには言えないんだろうなぁ、という想像はできるのですがそれは想像の範疇であって、仮にそうであったとしても「ほんとうにいわないかな?」「逃げないのかな?」という一抹の疑問が残ってしまう(思わされてしまう)。

(ちなみに視点を変えると「でも虐められている子ってのはあなたたちが『そんなこと?』って思うこともできないで耐えてしまうんだよ実際はこんなものなんだよ」って意見も勿論あると思いますしリアルに近いのはこちらで正しいと思います。さきの2作品はともに主人公の精神が『尊すぎる』ので… だから繰り返して言いますが評価は2ですが、いい作品だと思いますよ。

個人的には『3月のライオン』と比較しながら見るのがおすすめです。

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いじめという現実に「屈してしまう」校舎の主人公「立ち向かってしまった」3月のひなちゃんの対比は、ぼくたち一般人のリアルに近いでしょう。(虐げられても屈したくない 屈せられない思いを抱くこともあれば、そういう思いを持っても屈してしまう精神というのは、まさにぼくたちリアルなにんげんだと思います)

ちなみにいじめに対して立ち向かえとかてれびんは言いませんよ。正直そういう状況になったら「逃げる」のがいいかなぁと思います。少なくともアドバイスを求められたら「逃げろ」といいます。それはラヴァーズ・キスで、母親のくるった精神に立ち向かえない少年にたいして先輩が「逃げろそれでいいんだ別に立ち向かうことはない」というのとおなじです。

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じぶんにとっての毒に打ち勝つものは賞賛されるべきかもしれませんがそれは逃げて、べつのところで生きる選択肢を非難するものではないでしょうからね。たとえば乙武洋匡さんに関連する問題というのはそこに関連することなのでしょう(わかっているだろうけれどこれは「乙武さんの問題では『ない』」(関連しているけれど)ということは強調しておきます))

だからあえて作品として『評価』するなら「すごいもの」が描いてある前2作品の評価が高くなって、相対的に低くなってしまっただけなのですよ。

ちょっと取っ散らかっちゃったのですが結論

絵も綺麗ですしミニチュアな狭い世界が描いてあるという点では見る価値のある作品だと思います。ここで挙げた『CARNIVAL』『死にぞこないの青』『3月のライオン』に比べれば凄みは少ないですしそれを見ている人からすれば物足りない部分もある作品ですが、はっとさせられるところはある作品でしょう。個人的には2巻かそこらで綺麗におわるとちょうどいい印象ですね。

追記

えっと、ここで挙げ忘れたのですが荻上チキさん著『ネットいじめ』や内藤朝雄さん著『いじめの構造』はこういういじめというものを分析するうえでいろいろヒントとなる作品だと思います。

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また『どうしようにもぬけ出せない輪廻』というのは現実に在るものでして。それを実感するには鬼頭莫広さん著の『ぼくらの』やケン・ローチ監督作品『この自由な世界で』というのがおすすめです。ぼく個人で言うなら後者のほうがコンパクトでいいなという印象ですね。どちらにしてもレベルが高い作品なのでこれらは一見の価値くらいはあります。

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2011年9月 7日 (水)

コクリコ坂からがわからなかった世代に見てもらいたい「昭和元禄 落語心中」について(殴り書き)

これはホントに素晴らしい作品ですね。別のところで、コクリコ坂が上からの物語で、これが下からの物語だってかいたんだけれど、これは一人の人間が一人前になっていく物語なんですね。

これの素晴らしさは昭和のノスタルジーをうまく利用しながら、動機の調達や真摯に目の前の物事に向き合うということを、やれている点にあるんじゃないかと思います。

もちろんキャラクターが魅力的であるのは勿論ではある。しかしそれだけではなくて、昭和という時代を反映させた、今の時代に足りないところをきちんと示してくれているのだろうなと思うんですよね。

個人的にはコクリコ坂からと、これは同時に見てほしい作品。

コクリコ坂からという作品は、登場人物がみんな大人だったんですね。みんながみんな自分の足でたって、相対する人に敬意をもって接している。

尊敬スべき大人がいて、導いてやろうと思えるくらいに自立したこどもがいる。べつにできないことは恥ではないけれど、彼らには彼らなりの矜持があって、そういうプライドを保ちながら前へ進んでいる。

ぼくはコクリコ坂からの話題をする時に、年令によって差が出るのですよ、という話をするんですが、個人的な感覚からすると20代前半がコクリコ坂からを理解出来ない世代だったりするように想えます。

もちろんそれも生まれ育った環境とか地域によって差異が出るので、一概に言えることではないけれど。

ぼくの周辺で言わせてもらうと、その傾向が如実に現れていた。

この話については、海燕さんといろいろしたのですが、語っていいかわからないところもあるのでちょいと割愛。

ただ、なんでコクリコ坂からがわからないかというと、それは登場人物が「大人すぎる」ところにあるのではないかと思う部分が大きいです。

この辺については「踊るピングドラム」がいいともうのですが、あそこで出てくることばに

「きっと 何者にもなれないおまえたちに告げる」

というセリフがある。

これはホントに現代の状態を現しているのではないかと思っていて、コクリコ坂からでは「何者かになれる」のだけれど、そういう相手にたいして「何者にもなれない」ものたちは理解が及ばないんだと思います。

ここで海燕さんの「ブレイクスルー」を話題に出してみる。あそこでは主人公たる少年は「きみはエヴァに乗りますか?」という問をつきつけられるんですね。

昔だったら「当たり前じゃん。のるよっ」となるんですが、それが時代が下って行くのに連れて、「乗らなきゃいけないけれど、乗りたくない」とか「ノリません」とかになっていく。現代の30ちょい前の世代だとそれは「自分がエヴァにのるなんて話が来るとは思ってもみない」という世代で、おそらく20に行くかどうかという世代は「エヴァ?なにそれ」という世代なのかな、という印象があります。

現代というのは非常に鋭敏で、選択肢の多い時代なのですが、それゆえに迷いや停滞が多くなってしまう。(じつはそんなに多くはないと思うのだけれど、出だしはめちゃくちゃ多いのである一定のラインまでたどり着きヅライ)

ぼくはこれをイメージするときは、崖の上の町にある塔に登っていくイメージがあります。

むかしはその崖を登る手段が限られていたんだけれど、(まあ良くてはしごくらいかな)、現代はそれこそ無数にある。道が整備されているかもしれないし、電車があるかもしれない、ヘリやエレベータもあるかもしれない。

で、多少頭のいい僕らっていうのは、どれが効率的かじっくり考えようとするんですよ。

それがね、少なければそれでもいい。でも、現代はその選択肢が多すぎるんじゃないかと。

だからどのルートを選べばいいか考え始めた時点でもうタイムロス何ですよ。本当は早く崖を登り切って、町の中にある限られた(数本かなぁ)塔に登り始めないといけない。

そうして初めて「何者かになれる」

でも大半の人間は考え続けて、崖すら登れなくて終わるんじゃないかな。

ぼくが「ピングドラム」で素晴らしいと感じたのは。その言葉に「きっと」というワードがあることです。

「きっと」何者にもなれないかもしれない、というのは、何者かになれるかもしれないということの裏返しではある。

で、何者可になるためには何でもいいから、さっさと崖を登り始めないといけない。遠回りでもいいから始めないと到達できないんじゃないかと。

ここで「動機」がなければ、「なんで登らなければいけないの?」とか訳のわからないことを言い始めるので、動機の調達がポイントになると思うのですが、今回の話題は底にはないから省略。

で、繰り返していくと、コクリコ坂からを分かるためには「何者可になる」資格を持っていないとわからないんじゃないかと思います。そういう意味ではコクリコ坂からはスタート時点で「大人過ぎた」。

ただ、ノスタルジーを利用できるようにしたのは素晴らしいことで、それは、かれらが過去の幻想に守られて現代のわれわれの泥のついた手に汚されづらいからです。(ま、そのへんも機会があったら書きたいかな)

で、かれらはスタート時点で「大人過ぎた」ので現代の若者には受け入れられづらいのではないか。

そこでこの「昭和元禄 落語心中」という作品は、ノスタルジーの中にあって、立派なオトナに導かれて成長していく若者の物語をやっている。

これがほんとうに素晴らしいことで、もしコクリコ坂からがわからないならば、これを読むべきじゃないかと思います。

この作品の主役は22歳のダメな子どもです。元ヤクザだったり、頭も使えない、愛嬌だけのあるダメな子ども。簡単にいうならばてんで「子ども」なんですね。

でも彼が成長していくと、コクリコ坂の彼らに近い次元を通り過ぎていくのだろうと思います(矜持の問題があるから完全に同じとは言えないけれどね)

そう考えるとこの話っていうのは現代の若者に対してとても良い教科書になり得る作品じゃないかと期待しているんですよね。

追記

さっき読んだ「将国のアルタイル」もこの流れで受け入れられやすいと思うのだけれどね

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これはできれば8巻まで読んでもらいたい。(せめて5巻)

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