2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト

ウェブページ

無料ブログはココログ

書籍・雑誌

2010年3月26日 (金)

なんで君はそんなに信頼されるんだい?

この記事はもともと以前の記事『作品のレベルを高める要素(2)』のために用意した内容です。ただ前回の(1)からずいぶん間隔が空いてしまったことと昨日の記事との関連が見えたため独立した記事として改編しました。

作品のレベルを高める要素(1)→http://uzumoreta-nitijyou.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/1-f3d9.html

さて。とはいえアクセルワールド4巻の感想にはかかわってきます。だからここでアクセルワールドを知らない人用の解説を以下に用意しておきます。知ってる人は読まなくてもいいですよ。基本的にはwikiから引用しておくだけなので。

  • アクセル・ワールド』は、川原礫による日本のライトノベル。イラストはHIMAが担当。電撃文庫(アスキー・メディアワークス)より、2009年2月から刊行されている。
  • あらすじ:
    ニューロリンカーという携帯端末を用いることにより、生活の半分が仮想ネットワークで行われる近未来。
    太ったいじめられっ子ハルユキは、現実を呪いながら学内ローカルネットの片隅でスカッシュゲームのスコアを伸ばすだけの日々を送っていた。 そんなある日、ハルユキは美貌の上級生黒雪姫から謎めいた言葉を告げられる。
    「もっと先へ――『加速』したくはないか」
    黒雪姫の誘いに応じたハルユキは、有線直結通信で「ブレイン・バースト」というプログラムを受け取る。それは、ニューロリンカーの量子接続に作用して思考を一千倍に加速するという驚くべきアプリケーションだった。これを用いて仮想世界で自分の化身(アバター)を用いてデュエルをするものたちを「バーストリンカー」という。こうして「バーストリンカー」になったハルユキは、デュエルアバターを操り戦いに身を投じていく。(ぶっちゃけ、アバターを用いたレベル制の対戦格闘ゲーム(ドラゴンボールのゲームで似たのあったよね))。ちなみに「バーストリンカー」というゲームの(基本的な)最終目的は「敵を倒して経験値をかせぎレベル10に到達する」こと。

わたしはこの作品が好きなんですね。エンターテイメントとしての質も高いし、主人公が「太ったいじめられっ子」というところに可能性を感じているからです。(ラノベ・マンガの主人公は「平凡」が平凡ではないから幅が狭くなりがちという話題もしたいけど、いつか別の機会にします)。今回話題となる4巻は3巻からの続編となっています。以下は1~4巻までのネタばれを含んだあらすじ。(今回のはなしに関わる部分だけ凝縮します)

  • ここで重要なのは「バーストリンカー」の世界では「空を飛べる」アバターがいなかったということ。「バーストリンカー」世界を統べる7人の「王」たちですらそういう能力を有する者はいない。1巻の後半では主人公のアバターは世界で「唯一」の「空を飛べるアバター」であることが判明する。
  • 3・4巻では物語の根幹にかかわる心意システムというものが明かされるが今回は省略。物語の概要としては3巻で主人公に新たな敵が登場する。その敵(能美誠二)は主人公を卑劣なわなに陥れ、主人公から空を飛ぶ能力をうばってしまう。(敵の能力をドレインする能力を有している)。4巻ではその敵を新たに身に付けた心意システム等を用いて倒す。

概要としてはこれだけわかれば次のはなしについていけるでしょう。はい。あらすじ終了。

そこでわたしはこの作品が好きだけど気になる部分もある。それはこの作品の端々に「もしかしたらあなたならこの閉塞的な世界を変えられるかも知れない」という話題がでるところなんです。

記憶が確かならばこのセリフを言ったのはメインヒロインの黒姫が最初だったと思う。この世界のアバターというのは、キャラクターの心の傷の表れとして描かれます。たとえば物語キャラのチユという少女のアバターは「時間操作」(4巻ラストに明かされる。当初は回復能力者と思われてた)なんだけど、これは彼女の心に秘められた「昔にもどりたい」という願いの表出と見ることができます。

そこで主人公のアバターの持つ能力「飛行」というのも主人公のトラウマに根ざしているのね。つまり「能力」をしれば相手のこころがある程度、わかるということ。

それらを把握したヒロイン黒姫は主人公に言うわけなんです「君ならもしかして・・・」って。この話題は4巻でも繰り返されている。「飛行」能力を失った主人公をきたえてくれる人も「きみならば・・・」という話題を繰り返すんです。

そこが個人的にはここがよく分からないんです。理性的に整合性をつけようと思えばつけられるんだけど、納得がいかないんです。わたしなりの言い方をするならばそう言われる「必然性」が分からないんです。

おそらく物語の筋としては「(トラウマを抱えながらもまっすぐ前へ進む少年)かれならばもしかしてこの世界を変えられるのではないか?」という筋立てだと思うんです。

でもこれはそれほど特別なことではないと思うんですね。いじめられていたという経験とか、心折れてもう一度立ち上がるというイベントは確かに人を成長させると思います。

でもね。それが一つの世界を改編可能にする説得力とはなりえないと思うんですよ。

きつい言い方をするならば、彼がトラウマをのりこえていく行為そのものは「尊い」んだけど、それでも多かれ少なかれみんなが経験していくものの一つという見方もできるんですね。かれは「当たり前」の成長をしているだけと見えるんです。

これは「強い」人間の理屈で弱さを理解していないとかの各人の反発はもちろんあるとは思うんですけどね。で、その反応自体は正しいとは思います。「当たり前」の成長をすること自体は難しいんです。とくにこういう時代では。でもだからと言ってそれが「外部」を変えてしまう理由には直結していくかどうかというと疑問をさしはさみたいということ。

それならば「主人公」が「特別視」される理由はないじゃん!

ってそういうはなしをしたいんですよ。

で、次に出てくる可能性は「主人公が空を飛べるから」なんです。世界で唯一の飛行能力を有した主人公というまぎれもない「特別性」。

ただ。これにも「能美」というファクターを考えると反論可能なんです。

能美の能力は「他者の能力を自分のものにする」こと。これは出てくる登場キャラがかなり驚いていることを見ると、「バーストリンカー」世界で「唯一」の能力なんですね。

「じゃあなんで他のキャラは能美に、「お前ならばもしかして…」とか思わないんだよ!」って疑問が当然出てきます。

そうはいってもわたしも能美に可能性を感じているわけではないんですけどね(汗)

その理由に「能美が自分の格を下げていた」というのがあるんですね。ひとを陥れて(女子更衣室に監視カメラとかしかけて主人公を覗きの犯人に仕立てる)、踏みにじって(そのネタを脅しにして主人公を意のままにする)、高笑いする。これは明らかに「ダメ」だろうということですね。これには未来を感じさせない。

でも条件が同じならば別のだれかでも主人公を代替可能であることを否定はできません。

それこそ「時間操作」なんてトンデモ能力をもつチユが主人公の代わりに世界を変えてもおかしくないわけです。

だからね。この世界はある意味でチート世界なんですよ。ほんとうに「主人公に優しい世界」なんですね。同じことを成したなら称賛はすべて主人公のものなんです。

そう考えていくと前回の「残念」を語った記事と同じなんですね。

http://uzumoreta-nitijyou.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-846f.html

このアクセルワールドは明らかに、面白い。作品の質とかもじゅうぶんに、高い。

でも。それでも、「残念」という部分は出てしまうんですね。

主人公の主人公たる所以がでてくればさらにおもしろくなることが分かってしまうと残念に感じられてしまうんです。

前回の記事で、作品の質が高いとか低いとか「関係なく」残念なものは残念になるという例の一つとなると思うんです。

とはいえまだ未完の作品ですからね。さらに飛躍する可能性は十分にあるとは思うんですね。応援してます。

追記

能美が3・4巻で出てきたのは「特別でも志が低ければ未来を感じられない」という、主人公との対比で出た可能性はあるんですね。そうはいっても、チユの志が高ければ代替は可能なんですが・・・

アクセル・ワールド 1
どんなに時代が進んでも、この世から「いじめられっ子」は無くならない。デブな中学生・ハルユキもその一人だった。彼が唯一心を安らげる時間は、学内ローカルネットに設置されたスカッシュゲームをプレイしているときだけ。仮想の自分を使って“速さ”を競うその地味なゲームが、ハルユキは好きだった。季節は秋。相変わらずの日常を過ごしていたハルユキだが、校内一の美貌と気品を持つ少女“黒雪姫”との出会いによって、彼の人生は一変する。少女が転送してきた謎のソフトウェアを介し、ハルユキは“加速世界”の存在を知る。それは、中学内格差の最底辺である彼が、姫を護る騎士“バーストリンカー”となった瞬間だった。ウェブ上でカリスマ的人気を誇る作家が、ついに電撃大賞「大賞」受賞しデビュー!実力派が描く未来系青春エンタテイメント登場。
599円

アクセル・ワールド(4) 蒼空への飛翔 590円 (税込 620 円) 送料無料

2010年2月24日 (水)

PSYRENの構造がおもしろい。

PSYREN?サイレン? (1)
410円

 今日の夜のラジオのためにマンガ喫茶でPSYREN(週刊少年ジャンプ連載中 現在9巻まででている)を読んできた。面白いのだが、これが週刊連載(特にジャンプ)向けかと言うと、正直う~んと唸るような内容である。個人的には雑誌連載より単行本でまとめて読んだ方が面白いのではないかと感じた。それはこの作品がそれなりにややこしい構造を内包しているからだ。これを分解していくとおおまかに2つの要素に分けられる。(じっさいには不可分なまでに結び付いているので明確に2つとはいえないのだが……)
 一つは異世界設定である。類型としては『マブラブ・オルタ』*1や『時空のクロスロード』*2を思い起こしてもらえればよい(じつはてれびんはマブラブをやったことはないのだが)。突然異世界(荒廃した世界)に飛ばされてしまった主人公たちがの物語だ。
 もう一つがタイムワープ。主人公たちの行っていた荒廃した世界がじつは未来だったことがのちに明かされる。それをどうにかできたら主人公たちの物語は完結する。未来の危機を救う物語(予知された絶望の回避)としては、CLAMPの『聖伝』や『カードキャプタ―さくら』『X』*3が思い起こされる。(じつはもうひとつ思い当たるものはあるのだが、タイトルと内容を微妙に思い起こせないため書けなかった)
 物語の序盤(1巻から2巻)主人公たちはわけのわからない怪物の跋扈する世界に飛ばされる。どのような世界かもほとんど分からない中で、手探りで進んでいく物語は『漂流教室』や『コープスパーティ』*4を思わせる。容赦なく人が死んでいく中で主人公たちは元の世界に戻るために全力を尽くす。
 その内容がシフトするのは、その世界がじつは未来の日本であることが明かされてからである。未来の日本が荒廃することを知った主人公たちは、物語の目的が徐々にシフトしていく。つまり元々の目的「わけのわからない世界に飛ばされるゲームをクリアする」から「未来の荒廃を食い止める」に変化する。そうすることで物語の舞台が『異世界』から『現代』と『未来(異世界)』へと変化する*5。個人的にはこのシフト(正確には、10週打ち切りを免れられたから、当初予定の物語に戻したのではないかと予測している)がじつに興味深かった。
 わたしはこの世界がじつにゲーム的(とくにPCのノベルゲーム的)であると感じた。その一因の一つにこの『現代』と『未来』の相互干渉という要素がある。これがどういう事かと言うと、この世界はらせん構造を備えているということだ。このような要素は扱いが難しいのでマンガよりゲームなどで見受けられる(あくまで印象だが)。
 最初現代にいた少年は『未来A』へと飛ばされる。そこで得た情報をもとに『現代を改変』、同時に彼らは『未来B』へと行くこととなる。この構図が螺旋的に連なりあって『荒廃した未来』を『危機が訪れなかった未来』へとたどり着くように作られている。(このような相互干渉の要素もゲーム的な要素であることを思わせる)
 しょうじき、このような作品がジャンプで連載しているとは思わなかった。
 自分としてはもうそろそろ物語後半に差し掛かってきたような気もする。とにかく、きっちり物語を構成していることにひどく好感を持てる作品だった。

  *1マブラブ・オルタ=アダルトゲームメーカーageのアドベンチャーゲーム『マブラブオルタネイティブ』のこと。並列世界をタイムループしていく構造。http://ja.wikipedia.org/wiki/マブラヴ_オルタネイティヴ
*2時空のクロスロード=自称雑家の鷹見一幸のデビュー作。現代に生きる少年たちが並行世界の未来に飛ばされ、将来起こることが予測される世界崩壊の危機を救う物語。http://ja.wikipedia.org/wiki/時空のクロス・ロード
*3『カードキャプタ―さくら』では、クロウリード。『聖伝』『X』では夢見と呼ばれる夢を通して未来視する者たちが描かれる。『X』が完結していないから確定的なことは言えないが、これらの作品では『運命は変えられない』『いや変えられる』というテーマが物語の両方の手綱を握っている。ちなみに『さくら』と『聖伝』では『未来は変えられる』という結論に至っている。(『さくら』ではギミックとして用いられているだけなので、このテーマを背負っているのはむしろ『聖伝』や『X』ではないかと思われる。『X』では『未来は決まっている』というセリフが出ているが、現在連載が中止になっているので保留せざる負えない)
*4『コープスパーティ』=夜の学校に忍び込んだ少年少女たちが魑魅魍魎が跋扈する荒廃した学校に巻き込まれてしまうPC用のホラーRPG。現在リメイクされている。
*5このようなシフト変化が行われるため、雑誌には向かない題材なのではないかと思ったというのもある。シフト変化についていけない読者(シフト変化に気付かないため「急に面白くなくなった」と感じるものが出るなど)や、後から入ってくるのがつらい読者がいるのではないかと感じたため。

放送URL:http://std1.ladio.net:8010/mangaRadio.m3u

2010年2月10日 (水)

作品のレベルを高める要素(1):『アクセルワールド』4巻感想

やっぱりレベルが高いですね。この作品は。

何がこの作品のレベルを支えているのかは分からないのですが。うん、おもしろかった。

ただ「わからない」というのもなんです。せっかくなのでこの「レベルを支えるもの」をもう少し考えてみましょう。

この作品を見ていて思うのは、ひどく「王道」な道筋をたどっている作品だということ。いじめられっ子の少年の成長物語。マイナスからプラスへの旅路と言ってもかまわないでしょう。

わたしは恩師の先生に「小説ってのは変化を追うものだ」と教えられて国語という科目を解いていました(あくまで大学受験という枠組みではなんですがね)。これがどういうことか。ちょっと具体的に話をしてみましょう。物語において2人の人間が出たとしますね。すると物語の結末ではこの2人が「仲良くなるか、別れてしまうか」のどちらかになるということなんです。もちろん例外はあるんですが、「王道」と呼ばれる作品はこの形式に乗っていることが多いのは確かでしょう。いわゆる、ボーイミーツガールものは「仲良くなる」形式です。仮に小説を「情景・人物の行動などを通して登場人物の心の変化を追うもの」と定義するならば、この作品は「少年の成長物語」として見ることができます。

『アクセルワールド』の場合は、「主人公のこころの変化がマイナスからプラスへ転化する」作品でしょう。さまざまな人や出来事、考え方、それら多くの物を経験して主人公の内面が成長する(たぶん外見は変わらないと思うんで)。その結果なにをなすかを楽しむ作品と言えます。(あくまでこの作品の楽しみ方の王道の一つとして)

言い方を変えれば、「主人公の成長の結果が『何かをなしたという事象』のあらわれ」として物語を読めます。マイナスからスタートした主人公(レベル1)は、成長してプラスになりました(レベル10)。という見方です。

さて(閑話休題)。ここから何が言いたいのか。

それはこの作品がそういう「変化」の要素を多々含んでいるということです。それも一つ一つの要素がそれなりに「深く」描かれているんですね。心の傷というのを物語のギミックに組み込んでいるせいで、各個人の物語が比較的描かれやすいようになっています。そして「バトル」という要素を盛り込むことで「個人」の物語で完結しないようにもしているんですね。

先ほどの変化のはなしに戻ると。一人には一人の変化、二人には二人の変化、多数なら多数の変化があります。2人の人がいればそこには三通りの変化を見ることができます。すなわち「Aの心の変化」「Bの心の変化」「AとBの関係の変化」です。人が増えれば「関係」も増えるので、いろいろな「変化」が増えるということです。「心の傷」が可視化するので、よりコアな関係の物語を書くことができます。それが物語の「深み」に一役をかっているのでしょう。というはなし。

とりあえず中途ですが、時間の都合で今日の記事はここまでにします。(だって、4巻の感想まだ書いてないしね。「お前ならもしかして…」とかのはなしの思いつきを書くつもり。)

アクセル・ワールド(4) 蒼空への飛翔 590円 (税込 620 円) 送料無料

2010年1月31日 (日)

まぁ、キャラが可愛いからいいんだけどね。『なのは The movie 1st』と比較検証してみる。―『魔法少女リリカルなのは vivid』

魔法少女リリカルなのはViVid(1)

じつはこれ、劇場版みた当日に買いました。だらだらしているうちに、感想がこんなに遅れてしまった(笑)

結論から言うと。全体的にはおもしろかったです。出てくるおんなのこたちの姿はみんなかわいいし、キャラの立ちも十分だと思います。

前作までのさくひんを知らない人がどれくらい楽しめるのかは分からないけど。前作まで一通り見た人なら十分楽しめる仕上がりになっております。

ちょっと書き込みが過剰かな、と思う部分はあるのですが。これはエース系の作品の色だからしょうがない気もします。

ほかにもいろいろ楽しめる作品だからファンの人には是非見てほしい作品だとはおもいます。ですが、個人的に気になる部分がいくつかあることも事実です。

けっして、批難とかいうつもりではありません(まぁ、やってくれたらうれしいけど)。

それが何かというと、一つは『ユーノの不在』です。

うん。あきらかにユーノがいないんですね。

見落としているのかもしれないんですけど。一話の『お世話になった人たち』のシーンにすら登場しないとは如何なものなんでしょう?高町家の人々ですら出ているのに(笑)

あくまで私的な思いを言えば、「ユーノはどこいったぁ!」「なのはとの関係は進展してるのかぁ?というか、しててよっ」という思いはあるんですね。

ただそこらへんの感想を差し引いても、ちょぉっと、出てきてなさすぎです。2巻以降にでるのかもしれないのですが、すくなくとも、1巻に関しては「ユーノがいない」と言ってもかまわないでしょう。

で、わたしとしてはこれは、わざとかなという気もしているんです。

どういうことかというと。劇場版の『なのは』を思い出してもらえればわかるかと思います(見てない人はすみません。ネタばれはしないんで、基本的には)。劇場の感想を見ても『ユーノが空気』という発言はちょこちょこ見られます。しょうじき『空気』は言いすぎな気もするんですが、それでも、テレビ版に比べれば活躍をしていないのは事実でしょう。

もちろん、尺の都合、というものもあるでしょう。「なのは」と「フェイト」の物語をやるので精いっぱいだった。それもあるのかもしれません。

ただ、それを考慮しても、ユーノの行動は割愛されています。具体的にいうと、テレビ版にあった「なのは」とのフラグが立てられていない。そう、見ることができるんですね。

こういう「誤差」とも言えない「誤差」。しかし、見方によってはとても大きい「誤差」が『劇場版』と『テレビ版』に横たわっていると思います。

これがどういうことか?ちょっと紙面(?)を割いてみましょう。

まず「フラグ」というものを考えてみればいいでしょう。有名な死亡フラグに「おれ、この戦争が終わったら彼女と結婚するんだ」というものがあります。また「登場初回は『いやな奴』だった異性がどんどん気になっていく」という、『彼氏彼女の事情』『姫ちゃんのリボン』タイプの恋愛フラグというものもあります。

ここで、重要なのは、「フラグ」とは実現されなくてもいいものである。ということです。もちろんそれが作品のテーマにかかわるフラグであるならば、実現するなり、へし折るなり、何らかの回答を出さなくてはいけません。そうしなければ話が進まないのだから仕方がありません。

しかし、「匂わせる」だけで終わるタイプのフラグというものも確かに存在します。主人公の脇役のフラグなどは好例の一つです。「脇役とわき役がくっつく」というのは、マンガ、テレビ問わずにちょこちょこ見ることではないかと思います。小説でもあるでしょう。

そしてその、多くの場合、彼らの恋愛は描かれないんですね(とくに主人公キャラをおう作品だと)。ふとしたポイントで「おれ、君が傷ついていないか。心配で」とか「ばかっ!なんて、あぶないことをするんだ」などといった「フラグ」をだして。「あいつらくっつくんじゃないのか?」という思いを読者に抱かせる。

しかし、その後描かれるのは主人公たちの物語のみ。場合によってはまったく描かれません。

そして、エピローグあたりで「くっついている二人」をだす。こういうタイプが「実現されなくてもいいフラグ」の一つです(いや、実現はしているけど、ラストまでにちょいと回収すればいい。過程を描かなくていいフラグとも言える)。

とはいえ、これは「くっつく」ということは作品で提示されるんですね。しかしそれをさらに突き進め。「作品中でくっつかなくてもいい」フラグというのが確かにあります。

それが「年齢」です。

「幼い恋のものがたり」みたいな感じで、読者が「あの子たち大きくなったら一緒になるんだろうな~」と思うように作るということです。(ちょっとわたしは見ていないんですが)「北の国から」もそんな感じではないでしょうか(紆余曲折はあるけど)。

この場合。物語終了時までに「子どもが大人になる」ことはあまりありません。だから、「くっつくとは思う」けど「くっつくところは出ない」というパターンになるわけですね。

で、このことを延々と語ってなにが言いたいかというと。

これ、なのはテレビ版も同様だよね。ということを言いたいんですね。

もちろん「ちがーうっ!「なのは」は「フェイト」とくっつくんだー」とか「「なのは」は誰とも一緒にならないっ!」という意見もあるでしょう。

しかし、フラグ的に見れば、1期と2期のかんじでは「ユーノとなのは」はそのパターンにはまっているとは言えるんです。

しかし、3期、4期と行くごとにユーノは登場しなくなってくる。たいして「なのは」の横には「フェイト」が登場してくるんですね。歪んだ見方をすると、フェイトは「男性役」を兼ねているという見方もできるんじゃないかと思います(すくなくとも同人誌のかんじからすると、そう見ている人は相当数いるのではないか)。

とにかく。ここで言いたいのは、「フラグ」は「描かれない未来を規定する」(あくまで仮ではあるけど)。そのさいに重要なのは「フラグが立つ」ということ、そのものである。そういうことなんです。

テレビ版を見る限りでは「「なのは」と「ユーノ」はくっつく」(少なくともそうなってもおかしくないほどの信頼関係、つながりがあることを示す)そういうフラグが立っています。しかし映画版ではそれが「ない」んですね。

もちろん物語的にはそれほど重要ではありません。あくまで「映画」の中では。

しかし、物語のそとの「未来」を見てみるとそれは一変します。

「なのは」の「ユーノ」とくっつくという物語は、白紙になってしまっているんですね。

これが、ある意味での、「大きな誤差」です。

一人のキャラの未来が一変してしまっているんですね。しかもこの場合は主人公です。これが小さいはずはありません。

この影響は「未来」に響きます。そうです。3期と4期に響きうるんです。

テレビ版の「未来」なら、「「なのは」と「ユーノ」はくっつく確率が高い」。たいして劇場版の「未来」なら、「どうなるかわからない」んです。

わたしは、これを原作者の都築さんが意図的にやった可能性があると思っています。

なのはテレビ版の時ですら「ネットの反響を見ながら物語のさきを決めていた」方です。いまの「なのは」と「フェイト」のカップリングの反応を見て、「はじまり」を作り変えた可能性はあるのではないかという気はするんですね。

「同じ」だけど「違う」。すると、そういう物語を作ったのではないかという、そんな邪推ができるんですね(笑)

追記

それにしても4期の感想では、なかったようなぁ・・・

2010年1月29日 (金)

一杯の紅茶に、おいしいスコーン。そして安らぎを。

一杯のお茶のおともにふさわしい一冊だ。タイトルの通り『お茶が運ばれてくるまでに』、ちょっといい。

オープンテラスのカフェに、おいしい紅茶。ホイップクリームを添えた焼きたてのスコーンを待ちながら、静かに、この本を読むのも乙だろう。

一本一本の短編は長くなく。本を読みなれていない人でもさらりと読めるに違いない。

まるでおとぎ話のような、ファンタジーのような、説話の、寓話のようなお話がいっぱい詰まっている。何度でも読めるし、誰でも読める。

あさに読んでも、ひるに読んでも、よるに読むのもいい。その時その時の気分、天気、一緒にいるひと。すこぉし、条件が異なるだけで違う読みができるだろう。

あなたはこの本をどう読むだろう?

ファンタジーだろうか。童話だろうか。寓話だろうか。警句だろうか。

くすりと笑い。おだやかにぞっ、として。少しだけ考え込む。

18編の小さな掌編があなたをまっている。

おいしい紅茶に焼きたてのスコーン。ジャムにホイップのある、午後のひと時。

そこに、ちょっといつもと違う、アクセントを加えてみるのはどうだろうか。本のあるひと時も、わるくはない。

2010年1月20日 (水)

みんな、よめよめ!―『神さまのいない日曜日』

本日1月20日に入江さんの新作『神さまのいない日曜日』が発売されました。

そして現在1月20日22:50に無事読み終りました。

よかった!おもしろかった!!

うん。これは面白いね。

おすすめできる。みんな、よめよめ!

2010年1月 7日 (木)

私はずっとあなたに支えられていた―『花とゆめ』チムアポートレビュー

花とゆめが発売して2日になるので、そろそろチムアポートのレビューでもしてみようかと思います。(チムアポートを読んだ人は下の文をザーッと読み飛ばしてください。かなり下の方にレビューがあります)

舞台は戦争が絶えやまないある邦(くに)での世界。この邦には人間とチムア、という人間とは異なる生き物が暮らしている。人間はチムア=人間とは異なるものを、不思議な力が使えるということで迫害していた。この物語の主人公は2人、一人はポートというチムアの薬師、その姿はウサギの、愛らしい姿をしている。もう一人はジャバ・ウー。ザーザ村の戦士で、徴兵されて戦場にいる。ポートの親友であり、よき理解者。

今回の物語は、北の郡へ難民救済のため出兵されたジャバ・ウーが主人を失ったチムアのピノと出会うことから物語が始まる。幼いころから『力』が使えたピノは、ずっと迫害されていた。それを救ったのが、彼女の(名目上の)主人となるジニー・ウォン。ジニーはピノを我が子のように愛し、育てた。しかしその彼女もよる年並みに勝てず他界してしまう。そしてピノはまた一人ぼっちとなってしまい、迫害されてたところをジャバ・ウーに救われる。そしてピノをこのままにしておけないジャバ・ウーはピノをポートのいる村、ザーザ村に送り届ける決意をする。ただ一度しか使えない『恩賞』を用いて、ピノとジャバ・ウーのポートへの旅路が始まる。

大まかなあらすじはこんなところ。ジャバ・ウーとピノの旅には多くの困難が待ち構えている。「チムアはダメ」「チムアがいるからより多く払え」など、チムアというせいで旅の為に必要な物資が手に入らなかったりする。

そんな中、人間に憎しみを抱いているピノはジャバ・ウーとともに旅を続ける。そして徐々にジャバ・ウーを知っていく。

彼女はこの旅の中で大きな2つの出会いをする。一つはジャバ・ウーとの出会い。供にあるうち、チムアだから、人間だからという狭い垣根で相手をみないジャバ・ウーを大切に思うようになる。

もうひとつがポートとの出会い。しかし、このたびにおいて、ポートとピノが直接出会うのは最後だけである。ポートはピノのことを知らない、しかしピノはポートのことを知っている。ピノがポートを知るのは、ジャバ・ウーを守る『念』を感じ取ったときからだ。ジャバ・ウーはポートによりある石を持たされている。それはポートが『念』を込めた石で、ジャバ・ウーを守っている。この石の念をピノは何度となく感じ取る。ポートは石を通してジャバ・ウーに何度となく語りかける。「ジャバ・ウーくん、どぉしたの?」「だいじょおぶ?」と。

それらの思いをピノは感じ取り、その思いの清らかさをチムア特有のちからで知っていく。

そうして、ピノは徐々に、徐々に暖かな感情をとりもどしていく。

物語の終盤において、ピノとジャバ・ウーはオオカミに襲われる。そのオオカミはチムア同様に人間に迫害されていた者たちだった。憎しみのままにジャバ・ウーを襲おうとするオオカミたち。

そこにピノは炎を投げかけながら語りかける。「捕食者のあなたたちが獲物を捕まえて喰らうのは自然の摂理!!」「でも、憎しみだけでこの人を喰らうのはダメ!!」

「この人は、ダメ!!」

と。

そして、さらに語りかける。「私たちはここを通りたいだけだ」と。

そのとき、オオカミたちに『念』が伝わる。純粋で、キレイな念がオオカミたちに届く。それを感じてオオカミたちは去っていく。

ピノは涙を流しながらジャバ・ウーに伝える。「あなたを守っている『念』が純粋でキレイだからオオカミたちは受け入れてくれた」「あたしの『念』ではダメなの!あたしの念は汚れているから、一歩間違えると、彼らの憎しみと交わってしまう」

そして、胸の思いを吐露していく。「ちからを隠していけと、みんなは言う!しかし、あなたは歩くことを隠す?喋ることを隠す?私にとってはこれがふつうなのにっ!」「人間は、ちからを、魔術と言うっ」「人間の方がひどいのにっ!」

そしてちからを暴走させ、悲しみを振りまくピノを抱きしめながらジャバ・ウーは問いかける。「人間が嫌いか?」それにたいしてピノはそっと答える「そんな虚しい思い、とうに失せたわ」

それを聴いて、ジャバ・ウーは悟る。ピノの『念』は汚れているのではなく、「絶望」しているのだ、ということに。

同時期、ポートはピノの悲しみの念に当てられていた。吹き飛ばされ、痛い思いをしながらも、ポートは石の向こうの相手に念を送り続ける。

そして、ピノは、ジャバ・ウーとポートの念の2人に抱きしめられる。

全ての感情を吐露し、あるがままの思いになったピノ。彼女はそうなってはじめて、せかいの温かさを感じる。

このしばらくのち、ピノとジャバ・ウーは別れることとなる。ジャバ・ウーがピノを送り届けるために手に入れた時間は5日間。残る行程をわずかに残したまま期限切れになってしまう。

ジャバ・ウーは別れ際、自身の恩賞の章(しるし)をピノに渡す。大切なものではないかと戸惑うピノにジャバ・ウーは、この中のチップが、おまえが俺の元にいると証明してくれると告げる。つまり、恩賞が、ピノの身柄はジャバ・ウーのものであることを保証する旨を告げる。

だが、そうジャバ・ウーは言葉を続ける「だがお前は俺の物じゃ、ない」「一人のチムアだ」「これはお前を束縛するものではなく、おまえを守ってくれるものだ」

このとき、ピノはなぜポートと言うチムアがこれほどまでの強い思いをジャバ・ウーにこめるか理解する。

そしてジャバ・ウーをつよく、つよく抱きしめながらピノはジャバ・ウーに告げる

「ジャバ・ウーさん、しなないでね」

「それは、運命に任せる」柔らかく微笑みながらこたえるジャバ・ウー。

ときを同じくしてポートは、ジャバ・ウーの石に新たな「思い」が宿ったことを感じ取る。

赤く、鮮やかな思いを感じ取る。

そしてぽつりとつぶやく。「なんて崇高な、紫紺の気(aura)」

ピノは自身の呪縛を解く。「汚れた」『念』を自分で浄化していくこととなる。

具体的なことはじぶんで読んでもらえるとうれしい。

そして最後にピノはポートのところにたどり着く。

緑の美しさ、花のあでやかさ、リスのあたたかさ、自然の見事さを感じながらピノはポートの元へと向かう。

そして出会う、ピノとポート。誰だかわからないポートに飛びつきながらピノはポートに告げる

「わたしの名前はピノ」

「あなたは私を知らなくても」

「私は、ずっとあなたに支えられていた」

そしてラストページ。最後の一文は

今、ザーザ村には、二匹のチムアがいる

 

…アレ?気づいたら、本編の内容の多くをタイプしてしまってた。

まぁ、それでも本編の感動は伝えきれないんだけどね。できればマンガを読んでもらいたいな。羅川さんの新作がいつ出るかわからない以上、この話がいつ単行本化するかわからないしね。

で、ここで特に語りたかったことは「あなたは私を知らなくても」「私は、ずっとあなたに支えられていた」というセリフ。

このことばがホントに良くってね~。涙が出そうになっちゃう。

どうしてこれほど感動したかのか考えてみると、これはこの物語に限ったことではないんですね。

自分の身近なものを考えてみればそういうものはありふれているよねってはなし。

たとえば物語なんかもそうです。

「一冊の本が人生を変える」

よく聞くはなしだけど、多かれ少なかれ現実にある話です。

小説にせよ、自伝にせよ、評論にせよ、本の書き手はその本を読む多くの読み手のことを知りません。しかし、その人がそこで書いたこと、どこかで言ったこと、やったことに支えられている人はいるんです。

それは有名人に限った事ではありません。あなたが悲しい目に会った時、やさしい言葉をかけてくれた友人の言葉は、その人が、どこかで出会った言葉のリアレンジかもしれません。それは親の言葉だったり、友人の言葉だったり、もしかしたらテレビのバラエティ番組やドラマでみた言葉かもしれません。

同様に自分のいった何気ない一言が自分にめぐってきて、じぶんを助けてくれるかもしれない。

「あなたが知らなくても、わたしはあなたに支えられていた」という言葉は、そういうつながりを感じさせてくれる、とても素晴らしい言葉ですね。

そんな今日のはなし。

2010年1月 3日 (日)

ひたすら共感しにくい、けど読めるんだよなぁ―『僕は友達が少ない』

いや読みにくかった!文体とがどうというのではなく、共感ポイントが少ないからこそ生じる読みにくさです。ただこれはわたし個人の問題であって中身自体はいつも通りの平坂読さんです。

前作の『ラノベ部』が非常に面白かったのに対して(わたし的に)微妙な『僕は友達が少ない』ですがその作品的対比はじつに面白いと思います。作者があとがきで言っているように前作『ラノベ部』と読みくらべてみるとその差がはっきりします。

僕は友達が少ない
学校で浮いている羽瀬川小鷹は、ある時いつも不機嫌そうな美少女の三日月夜空が一人で楽しげに喋っているのを目撃する。「もしかして幽霊とか見える人?」「友達と話していただけだ。エア友達と!」「(駄目だこいつ…)」小鷹は夜空とどうすれば友達が出来るか話し合うのだが、夜空は無駄な行動力で友達作りを目指す残念な部まで作ってしまう。しかも何を間違ったか続々と残念な美少女達が入部してきて?。みんなでギャルゲーをやったりプールに行ったり演劇をやったり色々と迷走気味な彼らは本当に友達を作れるのか?アレげだけどやけに楽しい残念系青春ラブコメディ誕生。
609円

作者さんが同一なので当たり前のことですが、この作品と『ラノベ部』はテイストが同じなんですね。文体、話の作りや構成、いわゆる骨子がおなじです。でもそれらの素材や組み合わせ方がおなじでもテーマやキャラクターでかなり違う話になっています。

作者曰く『自分にとってもっとも読みやすいスタイルで、もっとも書きやすいスタイルで、もっとも好きなキャラ造形で、もっとも面白いと思うノリで、もっとも心地よい物語を書きました』とのことです。でもこれはほとんどラノベ部も近いとは思うんですね。だけど『ラノベ部』の印象が違うのはキャラ造形やノリをいじっているからなのかな、と思うんですよね。この辺を意識しながら両者をみくらべるとラノベ部のほうが意図的な構成をかんじます。

まぁ、これから2巻を読んでいきます。

追記

  • マリア先生が出てこなくってかなしかった!
  • 子鳩がかわいいなぁ。とくに事件のない話ってのがとくにいいね。ほんとうに日常があるだけだから。
  • これで読みにくいと思うのは、やはり、平坂さんのキャラがもともと独特だからなんだなぁ。その点ラノベ部は意図的に変えていた部分があるように思う。
  • 主人公がやっぱりリア充な気はするなぁ
  • でも2巻から面白くなってきそうな気がして…

2010年1月 1日 (金)

極上ですね―『生徒会の七光』

はいみなさん改めまして、あけましておめでとうございます。新年開始1時間半でパソコンをクラッシュさせたてれびんです。現在予備用に持ってきたパソコンでブログを書いています。

もうね、新年一発目がこれだと逆に、今年はいい年になる気がします。

というわけで新年最初に読み終えたラノベの感想です。

じつは実家にかえる途中にも読んでいたものなので、2009最後に読んでたラノベにして、2010はじめに読んだラノベとなります。

そしてこの作品やはりに面白いですね。連作短編にして一つのつながりを持っているのでとても読みやすいんです。

基本はギャグなんだけど、絶妙に話をすすめる要素をくわえているから見ていてあきないんです。今回でいうならば、杉崎の妹の林檎ちゃんのはなしとか、この先のはなしとかですね。

もちろんそれだけではなく、キャラクターの掛け合いがやっぱり最高です。マテリアルゴーストのギャグ部分がほんとに好きでね、その流れからこの生徒会シリーズは大好きなんですよ。これをあえて短編集でやらず、長編(?)扱いにしたのは正解だったな~。微妙に見え隠れする短編とは一線をかくす要素が、もうっ、て感じでいいです。

ただこのおもしろさをわかってもらうにはやっぱり生徒会の一存を読んでもらわないと伝えきれない気がします。

これはうみねこでも感じるはなしで、ストーリーがいいとか目のつけどころやテーマがいいとか色々あるんだけどそれらを内包して作り上げられた『作品』がいい場合はやっぱり、読んでもらうしかない気がしますね。

それで合わなきゃ「勧めてごめんね」としかいえないわけでね。生徒会の一存シリーズはまず1巻読んでもらえばコンセプトは感じてもらえると思うんだけど、うみねこは、ゲームでしかも2話までやってもらって初めて、あうか合わないかがわかるものですね。

ちなみにこの巻で好きなのは≪定められた一言≫コーナーです。あれでひとを傷つけられるようストーリーを作成できるのがすごいよね。キャッチボールのはなしも好きだけどね。あの会長のことばがすべてひらがなで、句点の取り方があたえる無垢のイメージが大好きなんです。

2009年12月 5日 (土)

みんな、読もうよ!(1) ―はらったま きよったま―

いや~、今さっきやっと昨日手に入れた中貫えりさんの『最強の天使ニシテ最愛の悪魔』を読み終えた。この本欲しかったんだけどどこも売ってないのね。秋葉原でも探したけど、わたしの行動するところでは売ってなくてそのままだった。

もちろんネットで探すって手もあったんだけど、それをやったらなんか負けかなって…。だからずっと足を使って探していた作品。

ちなみに画像は下ね。

最強の天使ニシテ最愛の悪魔(4) 580円 (税込 609 円) 送料無料

内容を知らない人の為に一文で説明すると『霊能力者が繰り広げるラブコメ』です。ちなみに前作に『はらったま きよったま』『ジャンクジャングル』『魔界紳士録』ってのがあります。作者曰く「前作を知らなくてもわかるように作りました」とのことなんですが……

……タブンワカリマス。

正直この作品をある程度以上楽しむには最低でも『はらったま きよったま』か『魔界紳士録』を読んでいることを勧めますね、わたしとしては。

この作品『魔界紳士録』以外は一応コメディ分野で活躍しているんですが、それだけでは収まりきらないダークさがあるんですよ。(まぁ、主人公の麦子って女の子がパワフルで明るいんで全体としてはコメディ分野に落ち着いているんですけど)

大体最初の作品の『はらきよ』(はらったま きよったまの略)からただのラブコメとは違う暗さが漂っていました。(『はらきよ』は麦子が小学六年生の頃の話)

この作品には主人公の麦子以外に神楽坂輝(ひかる)ってキャラが出ているんですがね(彼も麦子と同い年)、彼が凄いんですよ。当初は金に汚く、意地が悪く、生意気ってキャラだったんですよ。いわゆる天才児です。完全に主人公麦子の当て馬(もしくは真逆)的なキャラだったんです。邂逅当初で主人公麦子とは口げんかしています。で、そうやってみていると「…あれ!?」ってな場面に出くわす。

子供なのに出てくる言葉は大人な言葉。考え方もビジネスマンな考え方。で、その一言一言がなんか「黒い」。もちろん主人公たちは小学生だから大したことは言ってないんですけど、それに「物語」が加わると妙な圧力を備えたものになるんですよね。

後に神楽坂輝は半主役的な扱いになってくるんですが、彼の過去編を終えた時点からそれは加速します。具体的な内容は敢えて伏せるんですが、正直かなりダークでスプラッタな話となっています。

要はオカルトにつきものの「黒い」話を神楽坂輝が、それに対する明るい話を麦子が請け負う形になっています。

輝の「黒さ」があるから麦子の「明るさ」が際立つ構成になっています。これは大なり小なり先ほどあげた全シリーズに共通した形ですね。(年をとるごとに輝の活躍はアップする=魔術の闇の話が増える)

まぁ、だからどうだって話ではないんですが、こういう作品もあるから機会があったら立ち読みでもいいから触れてみてくださいってことです。で、後半から面白くなるから数巻付き合ってみてくれると嬉しいな、って話。

マンガって掲載誌や年代が違うと驚くほど知られてなかったりしますからね。これからも機会があれば紹介してみたいと思います。

…まぁ、わたしの文章力がもっとあれば「読みたい!」って思わせることもできるんだろうが……しばらくは、難しいかと……

はらったまきよったま(1)新版 571円 (税込 600 円) 送料無料

ジャンク×ジャングル(1) 麦子&輝シリーズ 600円 (税込 630 円) 送料無料

魔界紳士録(1) 新書館ウィングス文庫 650円 (税込 683 円) 送料無料

より以前の記事一覧

カウンター

カテゴリー

楽天アニメ

楽天コミック

ブログパーツ

  • いいねボタン