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2017年5月14日 (日)

複数の視点で見てみる:『東京ウインドオーケストラ』

お久しぶりです~ みなさんお元気でしたか?てれびんです。 無事に医者の免許を取れ、最近は病院で毎日働いております。 知らないことが毎日襲ってくる楽しい職場です。ホウレンソウは実に大切。よくよく実感が欠かせない日々となっております 。


さて、本日は高田世界館にて『東京ウインドオーケストラ』の初回講演(中西美帆さん舞台挨拶つき)を見てきましたので、 文章を書くリハビリを兼ねて感想を挙げていきたいと思います。


じゃ、始めましょう。


『東京ウインドオーケストラ』を見てきた。
東京ウィンドオーケストラと勘違いして、カルチャースクール「東京ウインドオ ーケストラ」を屋久島まで呼んでしまった役所職員の話だ。 途中で勘違いに気づくも、周りが大熱狂しているので言うに言えず偽物を本物として舞台に立たせてしまおうとするとんでも ない話である。


呼ばれた楽団員も楽団員で、オファーのときにもらったお金はすべて楽器につかってしまっている。返せと言 われても無い袖は振れない。では逃げ出そうと逃げ出してしまう。


まるで森見登希彦の小説に出てくるかの決断をするものだと感心してしまう。だいたいにしてお金がないから逃げ出そうなんて普通では出来る発想ではない。いや、ちらっとくらいは考えるかもしれないが、実際に行えるものではない。


そういうちらっと考えてしまうけれど、普通ならやらないことをついやってしまった人たちの物語が、この『東京ウインドオ ーケストラ』だった。


実はこの物語は結末はどうしようもないものである。
間違えて呼ばれた楽団員は、ラストで演奏がうまくなるわけではない。中学生より下手な彼らの演奏は、最後の舞台まで改善 されることはない。奇跡など起きない。

それではこの映画は奇跡など起きないペシミスティックな話なのかというと、そういうわけでもない。どこか明るくユーモラ スに描かれる。

下手な演奏をしたものたちは、ヘタなりに大舞台に立てて楽しかったと島を去る。島民は東京でしか聞けない 名演奏を聞けたと満足をした。間違いを犯した職員は始末書を書く羽目になったものの日常に帰ることができた。


どこを見てもダメな人たちしか出ていない映画なのだが、なんでここまで明るく描かれているのか。


実はこの映画を上映した高田世界館に主演女優の中西美帆さんたちが来られてたので、その場で質問をしてみた。その時はう まく言葉に纏められていなかったけれど、要は「ダメな人間たちを演じる時に何に注意したんですか。演出意図などの指示を 受けたならば教えてください」という内容を言いたかのだ。


拙い質問に対して、皆さん真摯に答えてくださった。特に印象に残っているのは、中西さんの「愛すべき人々」というセリフ である。


これをぼくなりに解釈すると、この映画はひとはみんなダメな部分を抱えているということを言いたいのだと思う。
ひとには どうしてもだめな部分というのがある。そこを許しの視点でみよう。なぜならみんなダメだから。


映画はそういう視点でみているからこそ彼らを愛すべき人々として捉えて描いているの だろう。


そういう意味ではとてもいい映画だったと思う。


・・・でも。


でも、それでいいのだろうか。 そう思う。


映画を見ていて自分なりに思うところはいくつもあった。


来島人数をなぜ確認していないのか。当日のスケジュールをなぜ伝 えていないのか。どんな演奏をするのか演奏時間も含めてなぜ確認しないのか。なにより、実務を職員の1人に任せっきりで 上司は部下のスケジューリングをしないのか。


なぜ。なぜ。なぜ。


見れば見るほどにだめな部分が際立つので、正直みていて辛い部分も多数にあった。


この視点は、上述の優しいまなざしからしたら、厳しい眼差しということになるのだろうと思う。


第三者が外から正義面でも のを語っていやがるな、と思う向きが自分でもある。


しかし、ぼくは次のようにも思うのだ。 この物語の一番の被害者は、島民の皆さんだろう、と。


物語の構造を考えるならば、上述のテーマ(仮に正しいとするなら)を体現するには情報が足りていない。


少なくとも島民の許しが必要だったのではないだろうか。島民が偽物に気づか なかったからそれで良しとしてしまっていいものであろうか。


映画には描かれていないが、事態を収拾するために奔走した人 々もかなりいるのではないだろうか。おそらく始末書一枚で済む問題ではない。


その意味では、厳しい言い方をするなら、被害者を除け者にして加害者たちが互いに許し合っている映画と見ることもできる 。


モノの見方は多面的なものだろう。

一方の視点から見たら美しくみえ、他方から見たら醜悪にも見える。 そんなことを考えさせてくれる映画だった。


映像は綺麗で、実際に良い映画だったと思う。


ただ、この映画を見てると、どうしても自分の弱さが見えてくる。大なり小なり自身にも振り返る部分が多数あった。


弱い心は自分にもある。 もし魔が差したらやるかもしれない。

一瞬でもそう思わせられると非常にヒヤッとする。


まるで自分の弱さを写されているようで見ているときはつらかった。しかし見終えたら良かったと思える映画だった。



これを読んでくれたかたのなかで、じぶんは合うかもと思ったら見てみてもいいんじゃないかなと思う。 面白かったですよ。


追記


被害者が島民の下りだが、被害者が気付いていないんだから、わざわざ教えてショックを与えることもないという見方もでき る。

どれが正解ということではない。
個人的異見からしたら、状況によって答えは変動するものだろう。

ちなみに今回ぼくが久しぶりに記事を書いてみたのは、1:文章を書くリハビリのため、2:複数の視点から物事が見えるという指摘 のため、3:この記事を読んだ人にとって自分なりの正解は何なんだろうな。もし意見があるなら教えてもらいたい。、そん な意図があってのことです。


もしご意見質問などがあれば、以下に気軽にメールください。 terebinn2@gmail.com

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