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2015年4月

2015年4月29日 (水)

寄生獣 完結編 みてきました

体力がなくて記事書く根性がないので、見ました〜ってだけご報告。

あまり語ることがないんですよね。語ることなら原作のほうが明らかに多い。しかし原作とは全然違う構成なのに見応えにそれほど違和感がない。やはり才能ある監督なんだろうなとは思います。

大傑作というわけではないけど、それなりに楽しめたかな。まあ、ぼくとしては前編のほうが好きかも。良くも悪くも後編はわかりやすいのが辛いですね。寄生獣との最期の戦いを放射物廃棄施設にしたのも良いような悪いような…。

原作読んでいって違いを楽しむのがベターだと思います。

(4/28 てれびん著)

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2015年4月27日 (月)

超会議から帰って思うこと

はふー

身体が怠いです。ニコニコ超会議楽しかったけど、割とハードだったらしい。

月曜にこの状態は辛いです。

土曜日の朝7時に出て、日曜日の夜7時に帰ってきたんだからハードといえばハードですね。

しかも間に映画『セッション』をみて記事をあげて、さらに深夜まで海燕さんとこの戦場感覚LINEで遊んでた。しかも泊まったところは鍵のかからないタイプのカプセルホテル。なんかあるかもと気疲れありました。

……あ、書いてて気づいた。これは疲れるわ。

さて、何かきましょうか。

当日のルポでも書いたら良いんでしょうが、別に語りたいことがあるわけでもないですしねぇ……

歌ってみたとか有名コンテンツに詳しければよかったんだけど。こういう所にくると、もうちょっと彼方此方の分野に友達がいればなぁって思います。最近自分の知らない分野に飛び込む努を力してこなかった後悔がありますね。

残念。

刀剣乱舞とかも面白そうなことやってたみたい。ゲーム以外にどんな広がり方をしてるのは知らないんだけど。知ってれば見に行けたのにな。

他にもAI関連とかコスプレとか相撲とかいろいろあった。

こういうときに内気な自分が出ますね。もっとアクティブに行ければ面白いのか……(悩み)

とは言っても出会いがなかったわけではない。

15年ぶりに会った友達が企業サイドで参加してた。いやあ、驚いた。まさかニコニコ超会議で会うとは。

ぼくにはぼくの人生があって、彼には彼の人生があったのだなぁ。シミジミ。

ちなみに超会議の生放送が終わった後は、みんなでごはん食べて早々にお別れしましたよ。ぼくは山梨のバスが5時くらいだったからね。ほかのみんなも案外遠いし。

全体的にみると終わるのが残念なくらい楽しかった。

今回は感想というより今徒然なるままに書いてしまった。まとまりない。まあ、仕方がない。

そして最後に、感謝をば。

今回ラジオを聞きに来てくださった皆様ありがとうございます。聞きに来たかったけど無理だったという皆様は次の機会(何時かはわからないけど)によろしくお願い申し上げます。

ぼくは偶に東京とか静岡とか山梨以外にちょこちょこいます。気が向いたら声でもかけてください。

あと、また今回みたいな後悔を抱かないためにてれびんの知らなそうな分野を暇なときに教えてやるという方。是非教えてくださいな。コミケもニコニコも知らない分野は楽しみ方わかりません。

メールなり@terebinnにご連絡くだされば幸いです(そんな人いないかもしれないけど言ってみるスタンス)

ちなみに、ぼくは5/5も東京行く予定らしいですね。夜に東京からバスに乗って何処かに行くらしい。昼間とか暇になりそう。

ではでは。また次の記事で。(書いてる途中だけど完成するかわからないので、なんの記事書いてるかは言わないよ)

2015年4月25日 (土)

映画『セッション』はテニプリと同じありえへん音楽映画である。しかし、テニプリはテニス人口を増やしたがセッションはジャズ人口を減らすのかもしれない。セッションとは何だったのか

セッション

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ノラネコさんの批評raneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-824.htmlを見て、映画『セッション』をみてきました。

折角東京に来たのだから山梨ではやっていない映画を見たいというのが人情でしょう。空き時間を如何に過ごすかで人生のクオリティオブライフは変わって来るのですよ。戯言なんですが。

さて映画『セッション』ですが、僕としては「コ、コメントしづれ〜」というのが正直なところ。

まず、大前提としてこの映画が「面白い」というのは確かです。全く見たことのない映画だ。戸塚ヨットスクール式熱血音楽指導とでも言えばいい。

異常なまでの熱が潜んでいる作品なんです。

しかし、その熱に対してコメントする言葉がない。何故コメントする言葉がないかというと、この映画を作られた理由が個人的経験の昇華にあるからだとぼくはみている。

本作では、過剰と言われるようなシゴキが行われる。音楽大学の教授フレッチャーは全米一のジャズチームを指導してる人物だ。そして、その指導は苛烈を極める。才能を感じられる若者を連れてきては偏執的とも言えるハートマン軍曹式熱血指導を行う。

相手の人格攻撃は基本だ。ミスがなくても怒鳴る。ミスがあれば更に怒鳴る。ありとあらゆる手段で若者の精神を削っていく。狂的なまでの人格矯正指導に耐え兼ねて自殺するものもいるほどだ。

そのフレッチャーが新たに選ぶのが主役のニーマンというドラマーだ。フレッチャーはニーマンを抜擢し、ひたすら厳しく指導をする。愛はない。ひたすら厳しく指導するだけだ。

フレッチャーの目指すのは見果てぬ夢だ。

本作において、フレッチャーはニーマンに自分は天才を産み出したいのだと語る。ありとあらゆる理不尽に耐え自らの限界を超えて後世までに語られる天才を産み出したいという趣旨を語るのだ。

フレッチャーの、そして後にニーマンの目指すのは第二のチャーリー・バード・パーカーである。ありとあらゆる理不尽を超えて音楽を後世に残していく大天才だ。

確かに見果てぬ夢だ。

幾つかの映画批評ブログでは、本作は音楽映画というよりボクシング映画に近いと語られている。ぼくもそこに同意する部分はある。理不尽こそが強い人間性を作り上げる不合理のメソッドがそこにはある。

これをもって音楽世界において一流となるのは如何に過酷なのかと語ることはできる。この厳しい姿勢にたいして尊敬をもって見ようということもできる。

しかし僕はそこには反論したい。

騙されるな。勘違いするなと言いたい。

繰り返すが、本作は面白い。しかしこの面白さは現実の過酷さにあるからではない。理不尽を乗り越えて超人になるから面白いのでもない。

本作が面白い理由は作り手の内面の吐露と激情がマッチしたから面白いのだ。

今回は面白さを議論する場ではないので面白さとは何なのかを議論するのは置いておこう。もし気になるなら明日4/26のニコニコ超会議の海燕さんのニコ生がそのテーマらしいので見てみると良いかもしれない。

今回は面白さには様々な要素があること。そして内面を吐露されることは「面白さを含有している」ことだけ語れれば良いと思う。

その観点からいうなら、今回の面白さは個人的体験を前提にしてるのだろう。シゴキに耐えきって成功を掴んだ人は共感しやすい部分もあるかもしれない。

しかし、本作はそれだけではないと思う。成功体験を語ってるわけでもないのだ。ぼくは先ほどこの作品は見果てぬ夢を描いてると語った。本作の理不尽体験は作り手の経験に依るものだとは思う。しかしその理不尽体験は実を結ばなかったのだろう。

シゴキに耐えることと成功は本質的には関係がない。ぼくは努力を否定しているわけではない。努力は大いにしたら良い。努力は確かに成功する確率をあげるだろう。しかし努力しても報われないこともある。理不尽だ。

そういう理不尽な体験をした時に人に出来るのはその無駄を受け入れることと昇華することのどちらかである。

本作は作品を作ることで昇華をしようとしたのだろう。そして、作っているうちに自分がもし諦めなかったら何処に辿り着けたのかが見えてしまったのかもしれない。

作り手の見えた果てはニーマンとフレッチャーの対幻想の果てと同じだ。ニーマンとフレッチャーは最終的にカーネギーホールで一流の演奏家と演奏する。しかし、作品をみている僕たちにはその場がカーネギーホールには見えない。そして演奏している者も一流の演奏家と見ることはできない。

作り手の体験を無意味にしないための儀式と現実がコラボレーションした結果の姿である。

別の観点からも似たようなものがみてとれる。

先ほど、騙されるな。勘違いするなと語った。

本作のすべてを信用してはいけないとぼくは言いたい。

フレッチャーは天才を作り上げたい教師ではない。口ではそう言っているが、実は違う。彼の本質は自己を偏愛し肯定を求める器の小ささだ。物語ラストで自身を告発したニーマンへの復讐心は純粋なものだ。自己を偽り後付けで肯定していく器の小さい男なのだと思う。ニーマンがラストでフレッチャーに反旗を翻したとき彼はその9分19秒に自己肯定を再構成していく。

はじめは自分の復讐に反旗を翻したニーマンへの怒りがあった。しかし自分では止めることの出来なくなったニーマンを見て考え方を変える。俺はこの反発をこそ待っていたのだと後天的に自己を偽るのだ。偽りの信念はいつの間にか本物と入れ替わり、ニーマンこそが自分の作り上げたかった超人なのだと思い込むようになる。

この自己を後天的に肯定してしまう姿勢は一見すると天才を生み出そうとする狂気にみえる。しかし違うのだ。これはフレッチャーのミニマムな王国を作ってしまう自己顕示欲と、フレッチャーの狂気に感化されて自己を肥大化させてしまったニーマンの狂気が並列に存在してるだけの現象に過ぎない。この天才を生み出そうとした狂気は、自分に制御できない怪物をフレッチャーが見たときに後天的に自己肯定をしてしまったが故に産まれた錯覚だ。

フレッチャーは作り手のエゴを体現した存在だ。もし自分が諦めなかったら音楽の極地に辿り着けたのではないかという無念を体現している。しかし同時に器の小ささ故に理想に身をさらけ出すことを許さない。フレッチャーは他者への指導にテンポの追求を求める一方、自身のピアノ演奏は非常にリリカルになっている。同時に自分の王国を自分の小さな手の中に置いておきたいのだ。

そこにはエゴしかない。自己のみを見ている。肥大化した自己は自分の小さな王国を作りだす。自分の小さな王国を完成させたなら、次は自分の創り出した天才を産みたいという偽りの欲求を充実させる番となる。

グロテスクで醜悪にして器の小さなモルモット実験である。

この姿こそがセッションという映画の一つの真実なのかもしれない、とぼくは思ってる。

とても珍しい映画を観た。通常では見れないものだろう。観て後悔はない

(4/25 てれびん 著)

ニコニコ超会議に出ます

明日の日曜日のニコニコ超会議の言論ブースにて海燕さんのニコ生の片隅に存在しています。

出演者は海燕さん、LDさん、やる気なしの津田さんです。

物語論についてお話しをされるようです。

僕は和菓子でも食べながらお茶をすすってる予定らしいです。


……あ、ちなみに僕は土曜日の午前中から都内にいる予定です、ではでは

2015年4月23日 (木)

『しらたまくん』の善性に満ちた世界

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毎週ヤングジャンプのしらたまくんを楽しみにしています。

これ何で面白いのか今迄わからなかったんですけど、やっとちょっとわかりました。

どうやらぼくは善性に満ちた世界を楽しんでいるようです。

善性に満ちた世界というのは、人と人が姿形関係なく繋がれる世界のことを指しています。

しらたまくんでいうなら、今週のお母さんとしらたまくんの関係とかですね。姿形は明らかに猫のしらたまくんを息子として育て上げた母親が今週のハイライト。しらたまくんが普通の少年のように母親に相対している話です。

これが僕には少しセンスオブワンダーがあった。

しらたまくんはギャグファンタジーだから掘り下げないかもしれないけど、このお母さんとしらたまくんの関係は掘り下げていくと面白みがありそう。

会話が通じれば姿形は人でも動物でもそれ以外でも『ひと』であると、ぼくは思っています。しかし現実はそうあることは難しい。

それを猫という人々に愛される存在の姿を用いてクリアしているのがこの観点のキモじゃないかと、思ってます。

ちなみに、この系統で一番有名なのは『E.T.』かな。

人類と人類外の精神的交流という観点には、相手の存在を知性のみで認める前提が必要です。

それってなんてファンタジー。

ガッチャマンクラウズやガンダム ダブルオーを思い出しますね。

しらたまくんのギャグファンタジーは、そのようなSFな香りが面白みを産んでるんだろうなと思った次第です。

以上

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2015年4月22日 (水)

ドラゴンボール 復活のFが物凄いことになってた

レイトショーにはたまに行きます。特に精神的にストレスのある時とかは時間や体力を削っても観に行く。

面白くないと辛いけど、面白いと肩に載ってるストレスが少し降りる気もします。人生楽になるんだよね。

そんなわけで、平日火曜日の夜に『ドラゴンボール 復活のF』を突如観に行ってきました。

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はじめは今更ドラゴンボールなんて観なくていいと思ってたんですよ。復活のF自体はめちゃくちゃ気になってたけど、中身がそんなに面白いことは期待してなかった。

勿論面白くないと思っていくわけじゃありません。そこそこは面白くて、そこそこ不満のある内容なんじゃないかと予想してた。驚きは少ないだろうという予想がありました。

そして、観た結果……

……

……

ゴメン。センスオブワンダーあったわ……

……

みなくて良いって言っちゃってすみません。これは観てもいいと思います。

歴史に残る傑作とかではないけど、ドラゴンボールを追いかけてきた人は観てもいいと思います。

ポップにして軽快。ストレスフリーで気軽に観れるドラゴンボール。

これがぼく的には非常に新しかった。

なるほど、ドラゴンボールというのはこんな側面も持っていたのだなと驚かされる。

特に印象的なのはフリーザ様が蘇って地球を襲ってくるとき。

千人のフリーザ軍に迎え撃つのは悟飯・ピッコロ・クリリン・天津飯・ジャコ(宇宙警察)・無天老師の6人。

この6人で千人を無双していくのが非常に楽しい。

しかもメンバーの一人がアノ無天老師様!これが強い強い。一人頭170人ほどじゃな、と言いながらバッタバッタとフリーザ軍をなぎ倒していくのだ。

映画を観ながら「これはドラゴンボール無双がでるな」と思ったほどだ。

ヤムチャやチャオズは足手まといになるからかvsフリーザ軍に連れてきてもらえないのに……

一方、人類最大戦力の悟飯はそこまで過剰な活躍はしない。数の暴力に多少圧倒されるところもみて取れる。

ぼくはこの戦闘シーンが今回のドラゴンボールの映画の重要なテーマを表してるように見えた。

少しずつ話をしてみよう。

今回のドラゴンボールの映画の最大の特徴はなんだろう。

ぼくは、力のインフレに慎重な立場をとったところにあると思う。

例えば冒頭で悟空にたいしてウィスがどんなに強くても油断をしたら終わりだと説教をするシーンがある。この説教が伏線となってラストで悟空がピンチに陥るのだが、ぼくの注目したいのはそこではない。

注目したいのは悟空をピンチに陥れたのが、雑魚の放った光線銃だということだ。進化したフリーザをも圧倒した悟空は流れ弾にやられる。

ここに力のインフレ調整がみてとれる。

それだけではない。

先ほどの無天老師様の活躍もそうだ。過去作なら役に立たぬはずの無天老師様も敵を圧倒している。

無天老師様がいきなり強くなったのだろうか。

ぼくは違うとおもう。そうではなくて、力の調整が行われ、よりリアルな力関係に物語をシフトさせたのではないだろうか。

先ほどの千人のフリーザ軍の戦いを見直してみよう。

6人のZ戦士は大活躍をするのだが、同時に所々苦戦をしている。それは決まって数の暴力が襲ってきたときか、戦い続けて疲労したときに起こっている。

一騎当千のZ戦士にたいして戦略的な波状攻撃が有効な証だ。

数の暴力に苦しめられたZ戦士たちは、最終的に各々が連携してフリーザ軍を全滅させていく。

そこに全てを圧倒する個の暴力はない。

それだけではない。フリーザ様との闘いのときの悟空とベジータもそうである。

悟空がフリーザ様の奇策にハマること。ベジータがフリーザ様に出し抜かれ地球がなくなってしまうこと。ここには、ただ一人が強ければ事件を解決できる物語はない。

今まで個の暴力で解決していたドラゴンボールが新たな変革の時を迎えたのだ。

今までの圧倒的な敵の強さによりピンチに陥ってから覚醒しての逆転の物語もいい。しかしその物語構造はドラゴンボールは飽きるほどにやり尽くした側面があるように見える。

力のインフレ勝負の輪廻から降り、もっと冷静に彼我の戦力を測る物語が始まったのだ。今までの熱いドラゴンボールもいいが、今回のようにクールなドラゴンボールもいい。

終始どこかに余裕が残り、Z戦士は常時敵を圧倒している。

そのせいか勝利のカタルシスは昔に比べると少ない。しかし全編安心してみれる。手に汗握ることなくエンターテイメントを楽しみ続けられる。

ぼくはこれなら繰り返しの視聴を余裕でできる。

非常に現代的になってると思う。このようなドラゴンボールはどこからきたのだろう。ぼくはゲームから来てるのではないかと思う。ぼくはゲームをあまりしないので、そのうち誰かに教えてもらいたいくらいだ。

そのようなワケで、ぼくは今回のドラゴンボールに大きなセンスオブワンダーを感じた。

新たなドラゴンボールがみんなに受け入れられ、また毎年みれるようになったらいいなぁ

(てれびん 4/21著)

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