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2013年10月21日 (月)

『のんのんびより』が事件も起こらないくせにめちゃくちゃ面白い、たったひとつのワケ

『のんのんびより』が素晴らしかったので、簡単に言いたいことを箇条書きにしてみます

  • 背景が綺麗!田舎の美しさをみごとに描き出している。しかも近くのものは詳細に描いて、遠くのものはぼやかして描いている。
  • テンポがいい!

ほぼこれだけ。これだけしかないアニメなんですが、これが素晴らしい。

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認識の風景を描くということ

このアニメでぼくが一番感動したのは、ラストの次回予告が居間のテレビに映っているところです。これをみて、「この監督はわかっている!」と感動をしました。この感動がうまく言語化出来なかったのですが、土曜日にいずみの(id:izumino)さんの米澤嘉博記念図書館『相田裕「GUNSLINGER GIRL」 改造と再生の10年展』でのトークイベント「変わりゆく『GUNSINGER GIRL』の描写を読む」を聴いて、やっと理解出来ました。

ぼくは、この作品のキャラクターたちが「単なる萌えキャラ」の枠からちょっとずれていると感じていました。

それはラストの居間のテレビに映る次回予告からも感じる出来事でした。しかし、どうしてそのような感覚を得るのかがよくわからなかった。で、ずっと考えていたのですが、さっきやっとわかった気がします。

つまり、このアニメの本質は「背景」にあるのです!

このアニメで背景の果たしている役割は大きい。それはいずみのさんがGUNSLINGER GIRLのキャラクターは背景によってキャラクターの多様性を得たのだというお話と同じなのです(これはいずみのさんのトークを聴いてのぼくなりの理解です)。

先ほどこのアニメは、近くのものは詳細に、遠くのものはぼやかして書いてると書きました。友達のかんで(@kande-takuma)さんの指摘によれば、「キャラクターも若干ぼやかしている」とのことです。

これって、つまり、「ぼくたちがみている(認識している)光景」を描いているってことですよね。カメラで見る風景と記憶の風景は違うじゃないですか。アニメでは「記憶(認識)の風景」をえがいているのです。

 

キャラクターが人間になる(唯一性を得る)

ぼくたちは、僕たち自身がみる日常の光景の延長としてキャラクターを見て理解する。それこそ、近所の子どもを見るかのように蛍ちゃんたちを理解するってことです。

この認識の差は、大きいのではないかと思っています。

ただの「萌えキャラ」は消費されて終わります。でも、人間は消費しきれるものではないでしょう。

なんなら横の友達やご近所さんを見てみるといい。ひとは彼らを消費すべき「モノ」としては扱っていないだろうし、仮に消費しようとしても消費しきれない「背景」をその人達は背負っている。

この点が物語的な「キャラクター」(=シンプル)と「人間」(=複雑)の違いだと思う。

『まおゆう』などは、それを「コンテクストの積み重ね」で補っているのでしょう。「テンプレ」から外れるのはどれも、初期からの登場人物たちです。物語が進むほどに「結果をだしてきた」積み重ねが彼らを、単一の存在にしていきます。

そういう意味ではチャンピオン連載のマンガ『ANGEL VOICE』も同型です。「サッカー版ROOKIES」と思われた本作品も、34巻の積み重ねがあります。それにより、彼らは唯一性を手に入れています。今週の一話は、『ANGEL VOICE』のなかでも屈指の名シーンだと思うのですが、物語的にはありふれたシーンなのですよ。でも、そのありふれたものがなぜ僕たちに感動を与えるのかといえば、そのシーンを繰り広げている皆が積み重ねによって得られた唯一性をもっているからです。知らない誰かが苦しんでいても、大変だな、ですます一方、知っている誰かが苦しんでいるのを見れば涙するのが人間です。

そのような唯一性を得る手法として、『のんのんびより』や『GUNSLINGER GIRL』は背景を用いたということです。

 

なにも起こらないけれど、面白い。それは事件がなくても人間が面白いのと同じ理由

『のんのんびより』は「ぼくたちの認識の世界」を描いています。だからこそ、アニメで流れた(あるいは、アニメを見ている)時間というのは、「彼らと過ごした(対話)した時間」に等しい。

アニメで一日がすぎれば、圧縮されたにせよ、ぼくたちは彼らと一日を過ごしたという認識を得る。

それは彼らを「消費される(=何処にでもいる)存在」から「唯一の存在」へと変容させる。

ぼくはこの世界でもっとも面白いのもののひとつに「人間」があると思う。人間を眺めていると、そこに特別な事件がなくても、面白い。『のんのんびより』のキャラクターは人間性を獲得した。だからこそ、『のんのんびより』のアニメは「なにも起こらないのに楽しい」。これはフィクションというより、ドキュメンタリーに近い。

ぼくたちの日常の延長に「かれらがいる」ことを感じさせるのだ。

それを象徴するのが、「居間に映る次回予告」だと思っている。最終話では、皆でお茶でも飲みながら次回予告見ているのではないだろうか。

わー、わたしうつったー。あたいもー・・・

そんな光景が目に浮かぶようだ。

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