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2013年7月

2013年7月30日 (火)

魅力的な女性キャラとはなんなのか。

魅力的な女性キャラとは何なのであろう。現在かんで(@kandetakuma)さんと海燕(@kaien)さんと話をしている。三人で話をしていると様々なキャラクターがでてくる。たとえば『Fate/stay night』のセイバーや凛であったり、『3月のライオン』のひなちゃん、ぼくは『神風怪盗ジャンヌ』のまろんをあげた。
彼女たちはいったいなにが魅力なのだろうか。
そこに迫る前に、いくつか確認しなければならないことがある。まず『魅力』とはなんであろうか。魅力とはこころに訴えかけるものであるので、一概に定義できるものではない。
たとえば『神風怪盗ジャンヌ』のまろんに魅力を感じるのは、彼女の精神性に所以がある。世界をつくりあげた神に選ばれた少女は否応なしに神へと反逆する魔王と戦うことを強いられる。まろんは神の力を宿した『ジャンヌ・ダルク』の魂をもっており、その力をもって悪魔と戦い続ける。物語のヒーローであることを強いられた少女が『神風怪盗ジャンヌ』の主人公まろんである。まろんはギフト(=天から与えられた才能)をもっているが、その精神性はただの少女だ。孤独に涙し、雷に怯え慄く。普通の少女に宿る超常の力というアンバランスがこの物語の魅力の一つである。これは物語全編で重要な部分だ。まろんは自分の孤独を見出してくれた千秋(=ヒーロー)に恋をし、フィン(=まろんを支える天使。物語後半で裏切る)を親友とする。巻が進むごとに抑圧され続けた少女はその抑圧に反逆をしていく。孤独は愛で癒される。弱さは受け入れる。印象的なシーンにはまろんの処女喪失がある。物語中でジャンヌに変身できるのは穢れなき乙女のみである。だからこそ性交渉は許されていない。しかしそのタブーをまろんは最後に破る。彼女はそのとき魂の輝きこそが穢れなき乙女の条件であり、処女を失う程度のことはジャンヌに変身できないことにはならないと悟る(ちなみにその前の巻で処女を喪うことで変身できなくなった聖女ジャンヌ・ダルクがでている)。ここでまろんはひとつの到達点に辿り着く。まろんは世界が彼女に強要するものすべてに反逆してみせる。ぼくはそういう『神風怪盗ジャンヌ』が好きなんです。
この観点からいえば、ジャンヌの魅力とは「乗り越える」ところにある。
これはひとつ重要な示唆であるかもしれない。ぼくにとってはキャラクターの魅力とは『困難を乗り越える』ことがひとつのポイントにあげられる。(『マクロス7』のバサラなどはそこから外れるので、べつのポイントもある)
幻想を打ち破る「上条当麻」(とある魔術の禁書目録)、ヴィンランドを目指す「トルフィン」(ヴィンランド・サガ)、ゲームの世界を限界以上に楽しもうとする「キリオ」(BREAK-AGE)、まだ見ぬ理想の飛行機を創りあげる「堀越二郎」(風立ちぬ)
ここからひとつ考えてみよう。

【仮定】限界を乗り越えていこうとするものには(たとえそれが叶わなかったとしても)魅力が生まれる。

しかしここにはまだ問題点がある。ここで話をしたいのは魅力的な『女性キャラ』である。なんらかの限界を乗り越えるものが『魅力的』であるとしても、それは『存在としての魅力』であり『魅力的な女性キャラ』とはいえない。女性であることが魅力とは、一体何であるのか。
思うに、女性特有の困難がポイントになるのではないだろうか。すなわち肉体的限界、社会的抑圧、性的・生理的被害などのことだ。
男性では起こり得ない(意識されづらい)女性特有の困難の克服が『女性キャラの魅力』を引き出す。
それは裏を返せば、『男性キャラの魅力』を定義づけることにもなる。
ここで思うのは、魅力というのは複数の領域にまたがって作られる。『存在(人間)としての魅力』『男性としての魅力』『女性としての魅力』の3領域は相当数に共通の領域を持っているのではないかということ。
そのうえで『3月のライオン』のひなちゃんはその多くが『人間としての魅力』で構成されているように見える。『神風怪盗ジャンヌ』のまろんは、どちらかといえば『女性としての魅力』に比重が偏っているかもしれない。
このあたりの区分は難しい。区分けに主観的な影響が強くなるからだろう。
改めて『女性としての魅力』とはなんであろうか。それは壁を乗り越えようとする魅力だけではないだろう。なぜなら、それのみだと『人間としての魅力』に区分されてしまうからである。容姿、社会的制限、努力、忍耐・・・それらの要素が加味されることで『女性としての魅力』へとつながっていくのではないだろうか。
そう考えると、『魅力的な女性キャラ』を作るのは存外難しい。精神的要素のみでは『女性』としての条件を満たさないかもしれないからである。
魅力的かつ女性であるキャラクターは、複雑な配分の果てに存在している。女性分を盛りすぎても興ざめになる。しかし減らしすぎると女性である必要が無くなる。
今日も作家は『魅力的な女性キャラクター』を求めて理想のバランスを求め続けるのであろうか。芸術家が果てなき美の極比を求め続けるように、女性としての最適な美を追い求める日が続いているのかもしれない。

2013年7月28日 (日)

シンフォギアG 第4話

戦姫絶唱シンフォギアG 第4話「あたしの帰る場所」視聴終了。
一期で語られることのなかった雪音・クリスの日常を描いてくれたのが、とても嬉しかったです。ぼくが見ていて4話は1パートで1つずつ楽しむポイントがありました。まず前半パート。前回の続きで、研究所攻略の後半です。マリアと翼の戦闘がメインです。ここはマリアと翼の会話に興味惹かれました。翼が「甘く見ないでもらおうか」というとマリアは「甘くなど見ていない」と返すんですよね。続いて「だからこうしてわたしは全力で戦っている」とつなぐ。ここから翼とマリアの戦闘が描かれるのですが、これが互角なんですね。ここがポイントだと思います。状況的には圧倒的に有利なはずなのに、マリアは翼を倒しきる事ができない。フィーネという組織が物語中では弱者なんだなぁと実感させられる場面でした。対して1期を経験したメンバーは、フィーネ側とはそれこそ自力が違う。見ていてガンダムSEED DESTINYのシンとキラを思い出しました。闇に潜み準備をし、アドバンテージを隠して敵を弱体化して尚「互角」。2話で響たちを指して「怪物」と呼んだのもわかります。
一方後半は日常編。クリスが歌とともに自分の居場所を再発見する話ですね。ここでは「歌による情報圧縮」が用いられてて、面白かったです。シンフォギアは作中で歌を組み込みやすい作品なので、ぜひ利用して欲しいです。ミュージカル化による情報の圧縮を活用すると一つの物語で複数のテーマを自然に埋め込むことができます。最近見たなかでは「きっと、うまくいく」が好例ですね。寝たきりになってしまった物語の主人公のひとりであるラージュを目覚めさせるシーンは、本来なら映画一本はかかる大イベントです。しかし、それをミュージカル仕立てにすることで5分に圧縮するのが「きっと、うまくいく」です。それを何度となく繰り返すことで「きっと、うまくいく」は10年の物語を3時間半に収めきっています。シンフォギアも歌を題材にしているのでそういうことが可能な作品です。もしかすると1クールでかなり遠いところに着地できるかもしれないと思ってワクワクしていました。シンフォギアが何処に着地するのか、非常に楽しみです。

追記
クリスの歌のシーンは見ているだけで短編1つ分の物語が込められていて楽しかったですね。1期で局長に優しくされて素直になれなかったのと同様に、転校初日に食事に誘われたのに素直になれなかったクリス。彼女と仲良くしたい三人娘はその後も何度となくクリスに声をかけるが、クリスは素直になれない。笑顔を魅せることもなく、怯えた瞳をしているクリスを三人は気にかけるが、クリスの緊張が解けることはない。しかしとある音楽の時間に少女たちの見たいものをみることができる。それは笑顔で歌を歌うクリスの姿。それが嬉しくて覗き見る少女たち、気づいて照れるクリス。・・・そして心を通わしていく。(書いてはないですがおそらくこんな感じの出来事があったのだろう。うん、楽しかった)

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