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2012年12月

2012年12月31日 (月)

年越し蕎麦です

昼に蕎麦くうぞー

本年もお世話になりました

本年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

いや、ホントに。

アニメ『K』からみる現代の変遷について

スタイリッシュ抜刀アニメ『K』の最終回を見終えました。これが素晴らしかった。『K』には「抜刀」「ホモのテーマ」「あんこ」「先が見えない」・・・さまざまなフックがあります。ぼくたちはこれをネタとして楽しむのですが、そこから『K』が何故たのしいのかについて思いつきを書いてみます。

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仮定:この話で前提として仮定される出来事

1.現在せかいは並列化へとシフトしている

2.従来の作品は「物語」が優先された

今回から思考の前提となる仮定をおいた上で文章を書くこととします。研究的な意味では前提知識を証明したうえで「ただしく」考えなければいけないのですが、これは研究ではなく思考実験(っぽい遊び)なので、数学的な意味での「定義」に近い事象として「仮定」をたててはなしを進めていくとします。

結論:『K』はとても現代的な作品である

ここでは『K』が現代の申し子なのではないか、という思いを連ねてみます。

さて、13話を見た時に『K』のコメントに面白い言葉がありました。曰く「結局どうなったの?」「最後までよくわからなかった」「ミュージカル~完~」。ぼくが気になったのは「ミュージカル」という言葉です。おそらくここでの『K』への「ミュージカル」表現は、「はなしの中身が無いオサレアニメ」という揶揄かと思われます。※2

引っかかるものがありました。そして用いる意味は違いますが、「『K』がミュージカル」というのは正しい指摘だとぼくは同意します。

『K』のさまざまなフックについて

冒頭でも書きましたが、『K』はさまざまな「ネタ」を持っています。毎週毎週さまざまなネタでぼくたちを翻弄してきました。それは同時期に流れていたアニメ『イクシオンサーガDT』にも通じるものがあります。

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13話ではこれを揶揄して「ミュージカル~完~」と書いたのでしょう。ところで、こういう「ミュージカル」と揶揄される作品は今までどれくらいあったのでしょうか。

ぼくの所感では、あまりなかったように思われます。

例外もあるので仮定2で定めたのですが、従来の作品では「物語」が「音楽」や「小ネタ」より尊重される傾向があったと思います。

だから物語を終わらした(ように見える)『カブトボーグ』などが話題になる。

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つまり「物語」はそれ以外の要素より高い位置を占めていた。これは作品の核(テーマ)がそこにあったからこその、決まるべくして決まった「地位」だと思います。

だからこそ話を前にすすめない「ギャグ」は「シリアス」な話より低い地位として扱われた。こういう「無意識の圧力(序列意識)」があったのではないか。

そしてその意識が『ブリーチ』や『テニプリ』『K』をオサレマンガ(アニメ)と揶揄させるに至った一因ではないかと考えます。※3

しかし時代が下ると、そういう意識もシフトしてきます。仮定1で示したのですが、「価値が並列」の時代がやってくる(フリーとかワークシフトとか・・・いろいろ説明している)

すると何が起こるか。

それが「エンターテインメントのシンプル化現象」である。

「ラノベは女の子がかわいければいい」は、その一例だと思う。その流れの中にいるのが「小説家になろう」や「ニコニコ動画」であると思う。エンターテインメントがシンプルになったからこれらが生まれたのか、これらが生まれたからシンプル化が促進されたのか。これは単純にはなしを出来ることではないと思う。おそらく相互に作用しているのだろう。

そして、現代での最先端に『戦国コレクション』『モバマス』がある※4

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戦国武将を女の子にして「お米大好き!=羽柴秀吉」としたり「あるアイドル=ドーナツ好き!」という単純な一点に焦点を絞る。その一点だけを軸にして数千人がキャラクターを共有するようになる。

かつては「物語の共有」だったのが、「キャラクターの共有」となり、「ポイントの共有」へとシフトしたことになる。どんどんシンプルになっている。ちなみに「小説家になろう」「ニコニコ動画」は「場に存在する空気(前提知識)の共有」ということになるだろう。

このようにして共有するものはシンプルになってきた。

さて、『K』のはなしに戻ろう。

いままで「エンターテイメントがシンプルになってきた」ことを話題にしていた。この流れで見ると「作画廚」「設定厨」などがでてくることは、納得が行くと思う。

そして製作者側もそれに対応してきた。

ちなみにこの流れのおかげ(というのか、責任というのか)で「従来ならばエンターテイメントではなかった作品も、エンターテイメントの範疇に落としこむことができるようになってきた」とかんがえられる。

難解だとして先細りを続けるSFの系譜に『魔法少女まどか☆マギカ』があることや新本格の流れの傍流に『西尾維新』がいるのは、その一例だろう。

さまざまな要素が分解され、再結合されて現代のエンターテイメントがある。

そこで『K』である。「『K』がミュージカル」というのは、そういうエンターテイメントの要素が分解され、連続的に並べられた結果がミュージカルと同じだと思ったからである。

ぼくたちは「物語」を楽しんだつぎの瞬間に「音楽」を、「あんこ」を与えられる。

料理に例えてみると、『魔法少女まどか☆マギカ』が「既存のものを組み合わせた新料理」とするなら、『K』は「いままでより精密に組まれたコース料理」のようなものである。

ひとつの料理の味に飽きる前に、新たな味を与えられているようなものである。

そうして「瞬間的な快楽」を楽しみ続けているうちに時間が過ぎ去り、劇が終わる。

このような理由から、『K』はとても現代的である、と考えた。※5、6

ラスト

ぼくは『K』を見ていて、毎回満足を覚えていた。昔『鉄鍋ジャン』というマンガで、「おたま一杯のコース料理」という話があったのだが、あれを味わっているようだった。毎週毎週「あれ、すっげぇ満足」というのが不思議だったのだが、こういう考えをまとめるとかなり納得がいった。楽しかったわ~

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※1 『K』の最終回みるのが遅かったな〜(遠い目

※2 ブリーチへの言及と同様の意味合い

※3 「褒め言葉」としてオサレ(それに類する言葉)を用いる人もいるだろうが、「ネタ」として扱われ易い傾向の要因がそういう「選別意識」にあったのでは、と

※4 『戦国パラダイス』ぼくは数話しか見ていない『モバマス』やってない

※5 同様に『DOG DAYS 2期』も扱えると思う。

※6 また、この話はエンターテイメントに限ったことではなく現代社会で重要な話だと思うのだが・・・まぁ、そのはなしはいいや

2012年12月20日 (木)

「熱い」松岡修造の作り方教えます

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感想(0件)

松岡修造さんの著作「挫折を愛する」をよみました。

素晴らしかったです。

普段は熱さをネタにされている松岡さんですが、本書でかれは「自分の仕事でのテーマは冷静さと論理性です」と語っている。

松岡修造さんをネタにしているひとからすると「ウソだ~(笑)」と言うかもしれない。

しかし、本書を読んだひとは松岡修造さんの言葉に説得力を感じることが出来るだろう。

かれが本来はどういう性質の人間なのか。それをぼくたちは知ることができない。

かれを内面から見ることが出来るのは、本来的には彼だけである。

僕たちが眺めることが出来るのは、あくまで松岡修造が行った行動や発言、ガワ(外側)だけである。

ぼくたちはこの本を読むことで松岡修造が自身をどのように捉えているのか。それにたいしてどういうアプローチをとっているのか。その結果どうのような行動をとっているのかを知ることが出来る。

普段「熱い」とネタにされている彼がそのような行動をとるにはどういう理由があったのか。諸君は考えたことがあるだろうか。普段ネタにされている松岡修造のウラというやつを。

彼が熱くあるのは天然か?それとも本能か?

いや違う。かれは目的があってそういう行動をとっていたんだ。

松岡修造をネタとして愛するひとには、是非一読してもらいたい。かれの行動には透徹した理念がある。

彼は常にトライ&エラーを繰り返している。

マンガが好きな人なら「ベイビーステップ」を読んだことはあるだろうか。マンガの主人公エーちゃんと松岡修造にはどこか通じ合うものがある。

それは彼らがともに自分の成功を見つめ、失敗を見つめる姿が似通っているからだ。

その結果生まれたのが「クレバー」丸尾栄一郎であり、「熱血」松岡修造なのだ。

本書をよんだひとはきっとこの言葉に納得を覚えてくれるに違いない。

それは確かに「冷静さと論理性」を兼ね備えた結果なのだから。

追記

本書のなかでは松岡修造さんがかつてインタビューしてきたスポーツ選手たちが無数に取り上げられている。本書を読むと松岡さんが彼らを生身の人間として、一個の個人として大切にしているのが見て取れて、それがとても良かった。

2012年12月16日 (日)

ご主人様は山猫姫11 ~作者の成長?が感じられる1冊でした~

ご主人様は山猫姫を読了しました。

ぼくはこの鷹見一幸という作家をずっと読み続けているのですが、まあ、良い点も悪い点もある作家だと思っています。

この作家の本の特徴はある種の道徳本になってしまうところがあります。これは子どもへの教育という側面では効力を発揮する一方、物語的な制約を常に抱えることとなります。

鷹見さんが小説をどういう目的で書いているのか判断できないのですが、ぼくのなかでこの作家の小説へのスタンスってのは

  • 仕事としてある程度売れるものを書く
  • 自らの経験を通じて次の世代を教育する

というところにあると思ってます。

「当たり前のことをあたりまえにやるやつってすごいんだ」という作家の主張は素晴らしいのですが、そこを重点的に取り上げるせいで狭い価値観に陥るデメリットがありました。

これはこのものがたりのスタンスを考えればあたりまえなのですが、主人公たちに超人はいないでもいいという世界を目指しているところからきます。

主人公たちと敵側には大きな差などなく、彼らが勝つか負けるのかというのは「あたりまえのことをどれだけできたか」という点に集約されます。

極論で言えば、鷹見一幸作品では敵側がまっとうなことをできないから主人公が勝てるように作られているということです。

もちろんこの見方も一面的なのですが、そういう世界観であることはテーマから考えれば仕方ないことだったと思います。

ただ、読み手としてはそこに歯がゆいものを感じないでもありません。

それは作者による圧力によって、敵側は常に負ける運命を課されているということだからです。この残酷なシステムが、正直ちょっと気に入らない。

仕方ないことだとは思うんですけれどねぇ。

で、今回すこし良かったなと思うのは、敵側の軍師沢木園名に救いが残されたことでした。

かつて鷹見一幸氏は「でたまか」で、成長して主人公のまえに帰ってきた敵役を「でも成長しきれないので自滅しました」という形で潰したことがありました。ここに対してやっぱり疑問が沸くんですよね。

ひとは立場や環境で敵になることもあれば、見方になることもあるでしょう。いろいろ背負ってきた過去も在ると思います。そういう諸々を込めて敵の立ち位置にあるということもある。また、主人公が成長するってことは、敵が成長してもおかしくない。

このシステムでは「主人公側は人間的に成長するが、敵側は(まぁ)しない」という形式になっている。

その辺りが残念だったんですが、今回はかれの奴隷の子がそういうフォローをして、未来に繋がりそうな状態だったので良かったぁと思いました。

2012年12月15日 (土)

ワンピース フィルムZ見てきたよー

24時公開ということで、15日に切り替わって一番の映画を見てきました。

まぁ、以下はネタバレとか気にしないでいきたいと思います。

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面白かった?

面白かったか、面白くなかったかで言えば面白かったんですが、なにより難しいなぁってのが印象でしたね。これはぼく自身がワンピースの分析を仕切れていないことなどにも原因があるのですが、この物語は「なにを伝える物語なのか」ということに頭を悩ませました。

どういうシーンが印象に残りましたか?

これは箇条書きでランダムに書くんですが

  • ちびナミのすがたと服装がマッチしてて可愛かった。
  • う~みはし~っている~・・・って唄
  • 最後の戦いに赴くルフィにたいして少年が「ヒーローになりたい。海賊と大将どっちがいいかな?」って聞くシーン
  • 海賊が自由に生きることによって悲しみが生まれることへの疑問を抱く青キジとZ
  • 男が一本筋を通したんだ。かっこいいじゃねぇか!

まだ在ると思いますが、ぱっと思いつくのはこんな感じ。

なにを考えながら見ていましたか?

この物語はどういうテーマを抱えているのかを、考えながらみてました。こうやって適当にブログ記事におこしているぼくですが、いまだ結論が出ない部分が相当あります。これはワンピースの文脈よみをしているひととかに教えてもらわないといけないかな~、とか思いながら見ていました。

どういうテーマだと思ってるの(現時点)

はじめは「善悪を超えていく話をしようとしているのかなぁ」と思ってみていました。しかし途中からそれはメインテーマに付随して描かれてしまった話なのかなぁという印象に変わりました。

(ちなみにはじめはルフィ=悪、Z=正義という構図で行くのかなと思いながらみていました。気にしていたのは、仮にそうだとするなら、その先を目指すならどういう形で描こうとするのかなということでした。必ず善悪の形を乗り越えようとすると思ってたので)

今のところこの話のメインテーマはルフィがわがままを貫き通していくところに在るんじゃないかと思います。ルフィは最新の世界のフロンティア(最前線)を駆け抜けている(駆け登っている)キャラで、かれの中では「新世界を救うこと<帽子を取り返すこと」という不等式が成り立っている。かれにとってはマクロな物語には全く興味がないんだと思います。やりたいことをやっているだけ。

そういうやりたいことをやっている彼だから、結果的に善悪の彼岸を超えたところがサブテーマっぽく描かれているのかなぁという印象。

ルフィにとっては個人としての「海賊王になる」という夢が最優先事項で、海賊が悪だから世界がどうなるんだとかは興味が無い。アラバスタ編などでもそうだけれど、「やりたいことをやった」結果で物事がマクロのレベルで好転していることはあるが、それもあくまでも結果論なのかと。

このへんの考え方はルフィが最後の戦いに赴くときに少年が「おれヒーローになりたいんだ。海賊と大将どっちがいいかな!?」という質問や「(ヒーロー=)かっこいいじゃん!」ってセリフとシンクロする部分だと思います。

この物語のラストで青キジが言う「泣くな!男が一本筋を通したんだ。かっこいいじゃねぇか!」というのは、最後にわがままを貫いたZへの肯定であり、「気がすんだ」というセリフもわがままを貫くことへの自己肯定があるのだろうな、と。

そのあたりは神山健治「サイボーグ009」へのスタンスとはまるきり逆なんだと思います。

ルフィやZというのは、東のエデンの滝沢朗が嫌悪を抱きかねないキャラであると思います。それこそ「わがままな大衆」と同じシステムで動いている。彼らが、大衆と異なるのは「ヒーロー」であるか否かという小さな差でしかないのかな。

ひとまず最後に

2時までみていると眠いので寝る前に、所感、雑感を書かせてもらいました。

しかし、こんな映画で青キジのその後が描かれたり、伏線っぽい話を絡めてくるのをみるとほぼ準公式(正道)だよなぁと思ったりしてました。たぶんこの映画ですばらしい爽快感を得るのは難しいかと思います。ちょっとみんながどんな感想を抱くのか、楽しみです

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2012年12月14日 (金)

最近読んだ本とかの雑感

ひとはよくもわるくも変わっていく生きものである。

先日海燕さんとニコ生をしたときに「サイボーグ009 RE:CYBORG」を題材に話したときのテーマです。

考えてみるとここ最近こういうテーマの作品をれんぞくで見かけています。それが神山健治の「サイボーグ009」であり石田衣良の「北斗」であり吉田秋生の「海街Diary5 群青」であります。最近読んだものではないのですが、大崎善生の「将棋の子」もそこに含まれるでしょう。

「サイボーグ009」は歴史や環境によって変わっていかざるおえないサイボーグたちの哀しみや怒りを描いている。「群青」は変化していくこころに向き合いしずかに受け止める。

「将棋の子」は望もうとも望んだ位置に立てないものの軌跡を深い愛情をもって描いています。

これらのはなしは共通して外界の暴風に曝される者達を取り上げている。

石田衣良の「北斗」もその一端にある作品であるように思う。

この作品はある青年の殺人とひとつの結末を描いたものである。物語はある不幸な少年がこころを破壊されていくさまから始まっている。

かれは生まれた時から愛の言葉をかけてもらうことなく生きてきた。理不尽な暴力にさらされてきた。鞭打たれることを愛の証と受け入れありがとうございますと感謝を覚えさせられる毎日を送っていた。

かれを虐待したのは父であり母である。かれらは息子を傷つけ暗い喜びを覚え同時にそれが世間に暴露されるのを怯える小心なものたちだった。物語のなかでは北斗を虐待する父も元々はそういう人間ではなかった記述が読んで取れる。

このものがたりに明確な悪は存在せず、誰も彼もが被害者であり同時に加害者でもありえる。

これはひとりの人間が巻き起こす殺人という犯罪であり。それが様々な偶然と奇跡とあやふやな意志によって引き起こされたことを描いている。

このものがたりで北斗少年は絶望から開始する。そして救われ、その救いがかれを殺人という罪へと導いていく。

そういえば今日発売したヤングアニマルに連載されている「3月のライオン」で学年主任の先生がいじめの首謀者たる少女にイジメをしてはいけない理由について語っている(本当にそうだったか記憶があやふやで心配であるが(笑))。

彼の言葉は真摯な態度に導かれたものであり、答えではないのだが同時に答えとなるものとなっている。ひとは自分の外界にさまざまな要因を持っていてそれらの相互作用によってどのような立場ですら取り得る。

もちろんそこには自分の意志が介在し、望まぬ結末を回避することも出来得ればその逆もありえる。

ぼくたち自身がどのように曖昧な領域に立っているのか。それはいったいどういう現実の上に成り立っているのか。これらの作品はそれぞれの立場からそれぞれの視点でもってこの世界を描き出している。

物語にメッセージを盛り込む者もいれば、排除しようとするものもいる。怒りを抱くものもいれば受け入れるものもいる。これらの作品はさまざまな作家がひとつのテーマを土台(のひとつ)として、異なるものを描き出している。

時間があるならば、一読してみるといいと思う。

2012年12月 3日 (月)

イジメ番組ってマジメだねぇ

いやー、東京から帰って来ました。

帰ってくるときに中央道のトンネルの崩落があったので、電車で帰って来ました。まだ救出作業が続いていますが、無事だといいんですけれどねぇ。

ちょっとタイミングが違えば、ぼくが同じ立場に立っててもおかしくないですからね。

まぁ、そんなこんなで夕方に帰ってきて家でのんびりしていましたら、NHKのDEEP PURPLEで「緊急特集 いじめ」が取り上げられていたので、何の気なしに見ていました。

えっと、ボク個人の感想で言うならば「けっこう、当たり前のことを重要な事実のように語っているなぁ」ということでした。

前半だからなのかもしれませんが、現状を認識する話が延々と述べられていて「じゃあ、どうしたらいいのか/どうしたら回避する可能性があるのか」ということが、ほとんど述べられていなかった。

ここにはメリットとデメリットがあると思いながら聞いていたんですが、ちょっとそれについて書いてみましょう。

まずメリットについて。これは「前提条件を設定する」「現況を報告する」という役割。

みている人たち全員が全員、登場人物たちのいうことを聞いて「ああ、あたりまえだなぁ」と思うだろうか。

なかにはそこに今まで聞き手が知らなかった情報があるかもしれない。それは情報を広めるというメリットがある。

一方、デメリットとしては「それを聞いて現状が変わるのだろうか」ということでした。

現時点でイジメがリアルタイムで起こっていないならば、そういうゆっくりした話も有効かもしれません。しかしリアルタイムに進行形のイジメへの対策としての特番であるならば、2週連続で段階を踏む構成は「遅い]と思います。

これは番組のコンセプトを知らないので、コレ以上のコメントをできないことですが、てれびんはそう思いました。

あと、別のデメリットとしては、正直「おもしろくない」

これを聞いて「人が死んでる重大事をはなししているんだよ!それを「面白くない」なんて!」と怒るひともいるでしょう。

それは、そうなんですけれどね。たしかに重要な話を題材にしていると思います。でも、それとコレはちょっと違うという感覚があります。

たぶんこの番組を見る人っていうのは「いじめについて話を知らなくて勉強したい人」「現時点でリアルタイムにいじめに関わっているひと」「どういう理由にせよ、いじめの話題に興味のある何者か」といった人達だと思います。

この人達の「面白い」「興味深い」と感じるポイントはどこにあるのだろうか。そういうポイントを掴むことで、こういう人たちに「番組を見続けさせる」ことが出来るようになっているんじゃないだろうか

ちなみに、こういう話題を「面白く」エンターテイメントへと偏らせたのは、ドラマにもなった「鈴木先生」とか、乙一の「死にぞこないの青」「Carnival」でしょう。

ただ、これは仮にも「教育番組」であるので、もうちょっと別の方向性で面白さがほしい。

ぼくはそれを「目新しい視点」や「解決方法」であると思う。

だれもが知っている「あたりまえの情報」なんて、正直おもしろくもなんともない。もうちょっと毒のある言い方をすれば、「それ(=あたりまえのこと)でどうにもならなかった」から緊急特番を組むことになったのだろう。

とはいえ、それもコンセプトによる。ここで、もういちど番組のコンセプトの話題に戻る。

もし番組の製作者が「みんながイジメについての現状を知らなかったから、何らかの状態となって、イジメが止められないのだ」と思っているのならば、延々と現状を述べる意味も無くはない(とはいえ、より多くのひとに知らせるために『興味を引く努力』がなされてもいいとは思うが)

だが、そこに「目新しさ」や「興味を引く」何かがなければ、番組をただ流しているだけです。新しい層に「伝える」ことにならない。

こういう「伝える」のがコンセプトの番組であるならば、ぼくとしては、おそらく番組後半で伝えるであろう内容を関根勤さんにあっけらかんと事ある事に行って欲しかったな。

番組の端々から「学校を辞めてもこういうルートがあるから大丈夫さ!」とか「いざとなったらこういう選択肢が取れるよ」ということを、ある種無責任に、事あるごとに言いながら作られているほうが良かった。

番組でも言っているけれど、いじめって構造的に「マジメ」なひとがダメージを食らいやすいシステムだと思うので、みているひとが「ああ、まじめに取り組まなきゃっ」って気負うような「マジメ」な番組なんて作らなくてもいいんじゃないかなぁと思いました。

最期に番組見ながらおもってたことなんですが、ここで取り上げられている「離れた瞬間に何を言われているかわからない」出来事って、べつに特別なことではなくて、世の中のあらゆるところで起こっていることだと思います。

だから、この番組で殊更にそこをフィーチャーしないでもいいと思います。むしろ「それは特別なことではない」と伝えるとかのほうが、よっぽど益になることのような気がする。

まぁ、そんな感じのツラっとおもった出来事でした、

あ!?へうげもの始まってるので、見まーす

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