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2012年3月17日 (土)

ぼくの見たネギま!を語ってみるよ~―「誰」に「なに」を届けたいのか

LDさんのネギま!最終回漫研ラジオに参加させてもらいました。みんな色々な考えがあって、聞いてて楽しかったw

さて、みんなのはなしを聞きながら考えていたことがあるのでちょっと書き起こしてみようと思います。ポイントとしては前回の記事の延長にあるので、それを再度取り上げながら話すと

  1. ネギま!のエンディングは「魔法エンド」なのではないか
  2. 「魔法エンド」になってしまったのは「子ども」に「未来を信じてもらいたいから」ではないか
  3. これはネギま!の「限界点」ではなく、「選択」だったのではないか
  4. ただ「猫箱に閉ざされた真の世界」というのがあるので、それの暗示として「ナギ」が「独り」でいるのではないか。かれは「世界から半歩はみ出た」存在なのではないか

ということですね。

これらはどこまで言ってもぼくの「妄想」にしかならない話です。でも、「誰に」「何を」伝えたいのか、ということからの類推でもあります。

ちなみに上記のようなことを自分でかってに直観してしまったため、最終回のCAST以降は超フラットな感情で読んでしまいました。「あー、この箱の中ではこういう論理的結末を備えているのか。すげぇなぁ」みたいな感じ。もちろん感動したんだけれど、情動としての感動はナギとネギのやり取り(前回の記事)がMAXでしたね。

「なんでこの親子はこんなに異なる空気でいるんだ?」と

これは、ボクの勝手な表現で言うと、

未来を語る子どもとそれを見守る大人

という構図に見えるんですよね。

どちらにでも感情移入できるように、両者の対比があるんじゃないかな。

で、上記の列挙を用いて、再度説明しなおしましょうか。

まず2「「魔法エンド」になってしまったのは「子ども」に「未来を信じてもらいたいから」ではないか」これは「誰を対象」に「何を伝えたいのか」ということですね。

この作品のグランドテーマとして「少年の成長」というのがあるので、そこから

対象:子ども

テーマ:成長(未来は自分で作れる)

という話に移行したんだろうと思います。

別の記事で「成長」(モチベーション)ということを題材に書いていたんですが、そのなかで「どうやって成長させるのか」という問いに対してぼくは「一つのことを信じさせる」のが良いのではないか、と書いたことがあります。

これは「未来を信じられない」から「眼の前のことをみていく」という考えなんですよね。いまのみんなは先を見るので「ああ、この道は行き止まりだ」といって「足を止めてしまう」

昔なら「でも未来はある」といって進めたんだけれど、いまはそれが信じられないから、対応策として「一歩前を見る」ということを書いたんですよ。一歩一歩進んでいって気づいたら「あれ、壁を超えていた!?」これがいいんじゃないかな、というつもりで書いていました。

でも赤松さんのネギま!は38巻という壮大な物語を用いて「いや、未来は信じられるんだ」「きみたちが自分で世界は変えられるんだ」という壮大な騙しをかけているんじゃないかと言いたいんです。

ここで騙しといっているんですが、これは悪いことではない。

このブログを読んでくださっている方はそれなりの年齢の方が多いんじゃないかなと思うんですが、そういう方々が同意してくれるだろうと思うのは

大人は子どもとそんなに違うものではないよ

ということ。

完璧ではない。

人並みに欠点もあれば、コンプレックスもあるし、ぼくたちが子供の頃イメージした「大人」とはかけ離れているんじゃないかな?

でも、じゃあ大人と子どものなにが違うのかというと、勿論異論は認めるんですが、子どもの前で格好良く在ることなのではないかと。

あるいは別の言い方をすると

子どもの未来を守ること

それは「苦しみがすくない社会」「自分たちの負債を残さない」とかいろいろあるけれど、その根本は「大人になることに希望を与えていく」ということなんじゃないかな、とは思います。(ちなみに子どもには子どもの一個の人格があるので「守る」という表現は好きではないのですが、これは大人の「自負」の問題だとおもいます)

で、この「大人になることに希望を与えていく」というのは要約してしまうと「子どもの前で格好をつける」ってことなんですよ、おそらく。

ドラえもんとかクレヨンしんちゃんなどで「父ちゃんすげー」ってのは、あるいは様々な物語で「大人が格好いい」のは未来のための「幻想」だった。

ただ、今の社会は相対化されてしまってそういう幻想にコミットしづらくなってきてしまったんだと思うんですよ。残ったのは「師弟関係」とか「かつての幻想を追い求める」という小さなものしかなくなっていた。

でもそれって先細りになるとぼくは思っていて、ここを打破するのは「物語」「虚構の力だ!」とは思っていたんだけれど(以前コクリコ坂とかの記事で書いてます)、「じゃあ実際それをするにはどれほどの力量が必要なの?」って疑問が湧いてくることになると思うんですよね。

これは書いてないんだけれど、そこをフォローするのがビオトープの管理者:キュレイターの役割なんだと思っていました。超超末席とはいえ、ぼくも「自分の視点で見たものを伝える」という役割を背負ったからには気づいたと思ったことは「書いて」「伝わる」(伝えられる)ようにしなくてはいけない(まあ、いま明確に自覚したんですがw)

でも赤松先生はそこを自力で乗り越えようとしたんじゃないか、と思うんですよ。

自分の作り出せる物語の能力すべてを用いて、それこそ「世界を変えるため」に物語を書いた。

これはあくまでぼくの妄想なんですけれどね、そう考えると胸が熱くなって来ませんか?

それこそ「ネギが未来を変えていったように、赤松先生も物語ひとつで世界を変えようとしたんだ」、と

超が言っているじゃないですか

今日一日せめて明日一日 憎しみも悲しみもなく 世界が平和でありますように

それめっちゃ、感動だよ!これ、赤松健先生のメッセージじゃね!?って思うよ!ボクが勝手に言っていることかもしれないけれどさ、そう考えたいんだよね。

ぼくの忘れられない趣旨のセリフに(何の作品かは忘れたんですが、ガンダムとかルルーシュだったとは思うんだが)

永遠でなくてもいい、短くてもいいから「戦争がなかった」という世代を作りたいんだ。

というセリフがあります。

これはぼくなりの解釈で言うと「戦争がなかったという世代の記憶は受け継がれていくんだ。それが世界を変えるんだ」ということだと。

戦争がなくなるなんてことはない。絶望が消えることはない。

でも夢をもって叶うと信じて行動したから何かが変わったんだと思うんですよ

こういうメッセージを込めて赤松先生はネギま!を作ったんじゃないか、なんて思います。

そこでそう考えると 1「ネギま!のエンディングは「魔法エンド」なのではないか」 というのは意図して選択されたのかもしれない、と思うんですよ。

つまり 3「これはネギま!の「限界点」ではなく、「選択」だったのではないか」ということです。

ボクが言いたいのは、「ネギま!」はハーレム構造が重点にされたから「限界」を迎えたということではなく、伝えたい相手に伝えるために「選択」したんじゃないかとおもうんですよね。

(ただこの「限界」はハーレム構造のものとは、重なるけれど別の限界かな、と。ただ「誰もが納得しうるエンド」を得るために選ばれた結果「重複」を得たのではないか、なんておもうけれど・・・ハーレム構造についてちゃんと理解しているか自信がないところもあるから不安wまったく別物だったらすみません

この主張の補足として「ネギま!読者がどんどん低年齢化した」らしい、という話をきいたのも理由です。

でも、ネギま!の読書は子どもだけではありません、そういう相手のために最終回で「ナギ」を出したのではないか。

つまり 4「ただ「猫箱に閉ざされた真の世界」というのがあるので、それの暗示として「ナギ」が「独り」でいるのではないか。かれは「世界から半歩はみ出た」存在なのではないか

ということ。

もしかしたら「大人」の見た真実は「絶望」なのかもしれない。でもそれをみて子どもが屈してしまっては、「立ち上がることができなくなってしまうかも」「世界を変えることができないかもしれない」「未来に夢を持てないかもしれない」

だから大人はそれを「猫箱に隠した」

これがぼくのいう魔法エンドの真実です

この大人(隠居するものたち)の比喩が「ナギ」で子ども(未来を作っていく)ものの比喩が「ネギ」

最終回のナギはそういう「サービス」が含まれてたんじゃないかなぁ、ってぼくなんかは「妄想する」

こんな意見に証拠なんて無いんですよ。

それこそこれも「猫箱に隠された真実」だから。

だから「どういう意図があるのか、猫箱の中から選ぶ」のも僕たち自身の「選択」だと思います!

さて、ラジオの感想に絡んだ記事の補足はここで終了~

(ラジオでは「ネギとアスナに一夜の過ちがあって子どもができたんですよ!」とか言ってた男が、んなこと書いていいのかw とか思うんだけれど、まあ、いいや~)

ネギま!は傑作なので、みんな一気に読んでみるといいよ。マジで!

 

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