1コマ1コマの描きに躍動感があるー『さよなら群青』を読んでの覚書
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さよなら群青
評価 4 (4.0)
個人的評価 4 (4.5)
ぼくたちはさまざまな「壁」によって視界を奪われている。功名心、嫉妬、羞恥心、優越感、、、etc
これらはすべて、「ひと」との比較の中で生まれてくるものが多い
さよなら群青の主人公「グン」は、16年間「ひと」を知らなかった。女を知らず、父親以外のおとこを知らなかった。
かれは自然とともにあり、しがらみのない存在として描かれる。
かれの眼にうつるのは、「醜い」も「うつくしい」もみな等しく映る。どれもが「知らないもの」「知るべきもの」として等価に扱われる。
野生に生きたものが「社会」を知るという物語は、ガラスの仮面「オオカミ少女ジェーン」「奇跡の人」などをはじめとして、ちょこちょこ見ることができる。
「ピアノの森」の一ノ瀬海なども、タイプは違うがそこに分類することができるかもしれない。
こういう物語にはいくつかのメリットとデメリットがあると思う。
メリットは、「虚飾をはいだ人間」を描写しきることができること(本作ではここが強調できるだろう)、「ありのままの世界をみる」代弁者を用意できること(あくまで作者の想定するという前提の上ではあるが)などがあげられる。
デメリットは「差別をしることによる変化を描かれない」傾向が強い、ということだろうか。
後者のデメリットに関しては仕方がないところもある。物語中で主人公が特別である所以は「差別の少ない」ことにある(あえてないとは書かない)
かれがその特別性を失えば物語の魅力の一部が減じてしまうことになりかねない。仮にその変化を描くのを良しとしてもそれにはそれなりの時間がかかってしまう。
パターンとしては何十巻もかけて徐々に変化を描いていく。あるいは一気に数十年後にとばしてその変化の差をみる、などがある。
どちらにしても力量の問われる作りである。そもそも作者がそういう変化を書きたいのかどうかすらわからない。
あくまでここでデメリットとあげたのは、ぼく個人の感覚である。ただ、この主人公グンが、10年後、20年後にどういう人間になっていったのかは興味引かれることである。
「殺し屋イチ」という物語では、主人公は凡人になって終わる。かれの殺しの才能は青春の一衝動であり、多少の異端は東京という大都会ー平凡さーに呑みこまれてしまう。
グンがこれからどのような変化をたどるのかは、この物語では描かれていないからわからない。
物語のラストはありのままの自分で海を泳ぎまわる主人公たちが描かれる。それは「この一瞬」を切り取ったものなのか、それとも「これからの未来」を暗示させるものなのか。
愛する人を得て、社会に呑みこまれ、かれがどういう風に生きたのか。
島に残っていたらどうであろう。都会に出ていったらどうだっただろうか。
そういうことを想像しながら、この漫画を読んだ。
1コマ1コマに躍動感があるとても良い漫画だった。
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