サイバーフォーミュラSIN(ブリード加賀篇)
現在2話を視聴終了。うわーこれはすばらしいなぁ。
以前サイバーフォーミュラではアスラーダさんを取り上げた。こんかいはブリード加賀さんを取り上げてみよう。
TV版では登場回数の少なかった彼(トーナメントに参加し始めるまで彼は5回しか登場していない)は、その真価をTV終盤そしてOVA版で徐々に表していくこととなる。
この物語の主人公、風見ハヤトは不完全なにんげんである。だからこそ迷いくるしみ成長していく。それはみているぼくらに快感と共感をあたえるだろう。
たいしてブリード加賀はハヤトより大人である。加賀はハヤトより前をあるき、TV、11(ダブルワン)では彼の導き手たる役割をはたす。ハヤトがブリード加賀に相対するにはOVA第2弾ZEROまで待たなくてはならない。ここにおいてハヤトははじめて加賀の領域、ZEROの領域へとあしを踏みいれていく。
結果としてハヤトは加賀を追い抜いていくことになる。OVA第3弾のSAGAではブリード加賀も勝つことをあきらめるかとおもわれた怪物アルザードを、伝説のチャンプ風見ハヤトが打ち負かしていくものがたりとして構成される。ZEROでハヤトは加賀の「疾さ」に追いついた。そしてSAGAでは加賀の「強さ」に追いついた。
SINはブリード加賀のちょうせんである。
いままでブリード加賀は前にいた。たとえチャンプを取られようと、疾さでおいつかれようと加賀はオンリーワンだった。かれの牙城をくずしたのは風見ハヤトである。
手のかかるかわいい弟分。ともにいてバカをやれる親友。それが最強のライバルへと成長していった。サイバーフォーミュラという物語はそういう意味では、風見ハヤトがブリード加賀に追いつき追い越していく物語だとも言えるのだ。
ブリード加賀はだれがチャンプであろうと構わない。疾いもの。真につよいものが自分であると知っているからだ。知っていたからだ。
ブリード加賀ほどじぶんにたいして誠実なものはいない。かれは自分をごまかさない。目を逸らすことはない。風見ハヤトがじぶんに並ぶものとなったとき、みずからの頂に迫ってきているとき、その事実に目をつむることはできない。かれはだれがチャンプになろうと構わない。自分がさいきょうであるならば。
こうしてみるとブリード加賀はサイバーフォーミュラの孤独の王だ。だれよりも先にあり独りで在る。
RPGでいうラスボス。魔王である。
最強にして最端。かれは進化の極地にある。
そのかれが勇者風見ハヤトに逆襲するためにSAGAにおけるラスボス南雲からオリジナルアルザードを受け取ったことは感慨深い。
ある文明において「進歩」があらわれるときその要因は「進化」か「異端」によるものが考えられる。進化とは歴史のつぎのステップである。人が4本足から2本足に、いどうを効率化するために自転車や自動車が作られる。これは進化である。一方異端とは異常な一歩である。進化の奇形といってもいい。2本足4本足自転車といった次にテレポートが出来るようになったようなものだ。
こういった人類が進歩するきっかけを描いた作品として『消閑の挑戦者』という作品がある。それは人類の進歩を促すのは「異端者たる魔王」か「進化の系譜にある勇者」かをきめる物語である。
ブリード加賀はまぎれもなく「異端」である。かれは進化の先端にある。そしてオリジナルアルザードもまた「異端」なのだ。「成長する機械」アスラーダにたいしてアルザードは「完成した機械」である。その生まれから完全である異形は異常だ。
完結した個と個がうみだすものはいったい何であろう。
ハヤトとアスラーダは2人で完結している。人馬一体。比翼の鳥、連理の枝だ。
加賀とアルザードは違う。
かれらは完成している。混じり合うことはない。
ぼくはこういったものを見ると心が踊る。
カオスとコスモスのはなしを思い出して欲しい。ぼくの思想の根本には「人は完全なものである」という思いがあるに違いない。いや、完全といえば誤解を産んでしまう。言い直そう。
ぼくは「ひとのなかにはあらゆるものが詰まっているかもしれない」と信じているのだ。
ひとは善も悪ももっているだろう。地獄を生み出すこともあれば天国を生み出すこともあるかもしれない。かれらは肉の牢獄の中にあらゆる種を潜ませている。
肉体を持っているということで必然的に限界を生んでいることはわかっている。ひとに無限の可能性があるなどとは言わない。
しかし欠けてしまったなにかを潜ませていながら、だからこそ個として他と混じり合うことなく、それでいてカオスへの扉を有しうる。
人間をそんな存在だと思っているのだろう。
アスラーダとハヤトは素晴らしい。かれらは欠けたところを補いあってああして在る。それは進化の正統な系譜といえる。欠けたところを補いあって前へすすむかれらは「王者」なのだ。
ブリード加賀はそうではない。別の可能性を提示してくれているように思える。かれはまえへ進もうとしているのではない。ただ独りで先端にあろうとしているのだ。
かれは欠けたところがあるまま完全なのだ。真なる玉がひび割れたところでそれが真なる玉であることに変わりはない。
その世界にあってはひび割れたかたちが真なる玉の真の姿であるのだろう(言っていることがわからないだろうことは理解している。敢えて言うならば、これは論理ではなくおそらく信念なのだ。イデアが信念であるように、これも信念なのだろう。)。
これと同じような感動をぼくはゴーストハントのラストに感じる。
「ひとりだって 恋はできるから」
そういう彼女はひとりで完結している
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