2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
フォト

ウェブページ

無料ブログはココログ

« 西田幾多郎 | トップページ | 四方世界の王 »

2011年8月18日 (木)

ポテトとアスラーダやレイジングハート

ぼくは物語中の動物が好きです。どうように無機物も大好きです。喋らない、言葉が通じないと最高だと思っています。
ものがたりのなかで共にあることが最高です。
なんでこんなことを思うのか、それはぼくがカオスを志向しているからでしょう。
どういうことだろうか。
ことばの項で語りますが、真のせかいそれ自体はきっとカオスでしょう。それを分割して分割して分割していくことでぼくたちは今の世界をてにいれました。これを切り取ったものは何でしょう。まずことばがあります。そうすることで死と生も分けられたでしょう。四方世界の王の項でそのことについては話したいですね。
このようにして切り取ったものを「世界」としてぼくたちは見ている。でもそれは「世界」の一部でしか無い。それに気づいたとき僕たちは「西洋」「東洋」とわけていった。どんどんせかいと世界の間隙は大きくなっていく。よけいなものが挟まってく(カオス志向からすると)。
だからこそポテトなどは最高の存在となりえます。
ポテトとは名作ゲームAIRのなかにでてくるいぬ(?)です。その形状はいぬと言われればそうとも見えなくはないが、いぬに見えぬと言われればそうだろうとうなずく形状。なきごえは「ピコピコ」であり、二本足で歩いたりする。一般的にはUMAかなんかでなかろうかという生物である。
かれは「なにものでもない」
だからこそ なにものにもなれる
物語をみるときぼくたちは、おおかれすくなかれ、自分を投影して世界を見つめます。わけが分かる存在というのは、分かるように切り取られて閉まっているのでしょう。間隙が多く、言葉に出来ない部分を切り捨てられてしまう。
その点ポテトは喋らない(コミュニケーションできているとは限らない)、いぬかどうかすら怪しい。つーか既存の生物なのだろうか?といった存在である。
そこに自己を投影したときに得られるのは「ありとあらゆる可能性」である。ことばとは存在を定義する。他者からわかる外見をしていれば同様に規定される。そこが曖昧だからこそ、なにものでもない(なにものでもある)自分を見ることが出来る。
この点はアスラーダやレイジングハートにも似た点がある。かれらは機械の枠を半歩超えでた存在であるため、領域があいまいな部分が存在している。
レイジングハートには異なる理由もあるので割愛するが、アスラーダの場合、周囲のマシンとアスラーダが違いすぎるために機械から半歩踏み越えている存在だろうという思いを抱かせてくれる。
TV版のアスラーダの変化と、SAGAの「ぉぉっと!」は最高でした。アスラーダさんは大好きです。

AIR

新品価格
¥4,100から
(2011/8/18 04:33時点)

新世紀GPXサイバーフォーミュラ DVD ALL ROUNDS COLLECTION~TV Period~

新品価格
¥26,647から
(2011/8/18 04:34時点)

« 西田幾多郎 | トップページ | 四方世界の王 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1226196/41257222

この記事へのトラックバック一覧です: ポテトとアスラーダやレイジングハート:

« 西田幾多郎 | トップページ | 四方世界の王 »

カウンター

カテゴリー

楽天アニメ

楽天コミック

ブログパーツ

  • いいねボタン