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2011年7月10日 (日)

さて、どう考えようか~シンフォニックレインを終了しました~

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お久しぶりです。2ヶ月・・・いや4ヶ月ぶりでしょうか。

なーんとなくブログ更新をサボり続けて時間が経ちました、てれびんです。

ちなみにブログを休んでいた間いろいろなことがありました・・・(ような無いような)

日々大学に通っていました。

海燕さんさらって西に行ってきました。

ぐーたらしていました。

・・・・・・

(閑話休題)

とにかく、先月something orangeの海燕さんを連れて西に行ってきたんですね。滅多に合わない人達と会ったり、1週間ほどの旅行でした。

その旅の途中で敷居の先住民の敷居さんのお宅(通称 敷居亭)に伺ってきました。そこでCさん(はじめてのC はじCさん)に勧められたのが上記の作品『シンフォニックレイン』です。

で、昨日にはじめて今日に完結したので久しぶりのブログ更新です。

シンフォニックレインとは

詳しくははじCさんのブログ、もしくは公式サイトを見ていただきたい。単純にいえば

止まない雨の降る街での物語。音楽学校の卒業のためにパートナーを探す主人公の周囲でのであいと始まりが描いてある。

とでもいえばいいでしょうか。

感想

一応ネタバレ対策として下にしまいます。ネタバレについて考慮する気はないので、あしからず。(※感想だよ、解釈じゃないよ)

ぼくの攻略順は

ファル→リセ→トルタ→al fine→グランド→回収し忘れのバッドエンド

の順でクリアしました。

個人的な好みで言うならばファルシータ編が好きですね。

ファル編について

彼女についてどう考えるのかは結論の出ないところですが、まぁどちらでもいいっちゃいいです。

ただ、da capoでもai fineでも「フォルテールの音の源泉は引き手の感情にある」という趣旨は話されているので、ファルについては「そのまま」とるのも「良い方に考える」のもどちらでもいいっちゃいい気もします。

個人的には「そのまま」とるのが好きではあるんですが、それにしては「抜けている」気がするというのもあります。偽悪的行動をとったのか、そうでないのか。むしろ二者択一ではなくて、どちらとも真実であるのか。

まぁ、僕自身にとっては「そうであるかもしれない」というだけで十分っちゃ十分です。

(蛇足な補足)

わざわざぼやかして書いているのでもうちょいはっきり書きましょう。

ファル編のラストで描かれる「ファルシータは自らが幸せになるために他人を利用し、蹴落し、自分を有効に活用し、表面上の笑顔をもって相手に接する」といった行動について「ウソ」ではない(つーか本当だろう)けれど、真実ではないのかもしれないといったことです。

ラストの展開が急であるということもあり、ぼくはゲームのさなか抱いた「いままでうまくやっていたのになんでこんなに手際の悪いばらし方をしたのだろう」という感想に対するひとつの回答として「主人公の音楽を維持するため」という話。

これは「主人公のため」であるかもしれないし「自分のため」であるかもしれない。どちらに比重の重きを置かれているのか、それは気になることであるけれどもどうでもいいっちゃいいことであるという話。

結果として主人公は素晴らしいフォルテール奏者のままであるし、止まない雨が止もうが彼には薄汚れた美しい翼が用意され、かれの音は素晴らしい物になったのだろうと思われるから。

完全に人のために行動できる者は稀だし、完全に自分の為に行動できる者は稀だ。意識するにせよしないにせよ人は矛盾を抱えて生きているんじゃないかと思えたからOKです。

リセ編について

ああ~、ラストひどかったねぇ。予想はしていたけれど。

世界に奇跡はなくて。神様はいても見守ってくれるだけ。

まぁ、それはそれでいいとは思うんだけれどね(この作品でそれは期待していなかったし)

でも、この話のラストはシンフォニックレイン、少なくとも僕が見ていたシンフォニックレインというものを形として、如実に表してくれたものだった

ファル編は「醜くてとても美しい」と感じたのに対してこれは「みじめで悲惨でありのままでそれでいい」とでも述べておきます。

ここに奇跡は起きないし事実がありのままにある。(まぁそう感じた)

僕の中ではこれはそのままシンフォニックレインの印象ですね。

これについてはグランドシナリオについてのところでちょいと書きましょう。

トルタ編について

よくがんばったねぇ。マル。

 

 

・・・?

言葉が足りないかな。

いやね。だってね。だいたいal fineみればいかなーって思いまして。

それにあれで別れたっちゃ別れたんで仕方ないじゃないですか。

もっとうまくやることもできるし、できたんだろうけれども、それを見るのはこの作品でなくてもいいじゃないと思うので別に見たいとは思わないんです

あれはあれですっきりしているじゃないですか。

後悔も悲しみもなくてただそれだけ。

おつかれさまとしか言いようがありません。

al fineについて

だいたいトルタ編で言った気がする。気になるセリフとしては

アルの振りをしてクリスのところに行こうとしたトルタに対してばあちゃんが言うセリフ

(アルは事故で3年前から意識不明で、クレスはそんな彼女に毎週手紙を書いていた。トルタはアルの振りをしてクレスに3年間手紙を書き続けていた。クレスに対して『ウソ』を付き続けていくトルタ。わたしに気づいて欲しい、気づいてほしくない。葛藤にもえる彼女は「アルのふりをして」クレスのところに向かう「わたしに気づいて」と)ってシーンでの話です。はい。

どうして試す必要があるんだい?きちんと自分で会いに行って、それで話をしてきなさい。

そうしたら、クレスに会いに行っていいよというセリフ。

・・・いいよね。

このセリフ好きです。

こういうのに気づくのにしても時間がかかるよ。で、自分で気づいたときには取り返しがつかなかったりする(なんとかなるかもしれないけれど、諦める人多いと思う)

でもここで「自分できづく」なんて出来ないよね

やっぱこういうのは第3者、それも年を経た誰かがいってあげなくちゃいけないと思う。

とてもリアルな印象を抱きました。

あと、それ以外だとねー

・・・ま、いいか。

わたしって醜い人間なのかな~

も書こうかと思ったけれど、一言触れたら満足したのでいいです。そうだよねー、と思うだけ。

グランドフィナーレについて

うん。

ここがどう考えようか、一番考えるところですね。

普及版インストールしたのにサイドストーリー集入れてないという間抜けなことをした(と思う)ので、具体的にはなんとも言い切れないところ。

ただ、個人的な印象としては

奇跡がない

というのは、そうなんじゃないかと

これはリセ編と通じる感覚です。

うみねこのなく頃に、とか、ひぐらしのなく頃に、とかでも感じる感覚です。

これはホントじゃないんだよ。やさしいやさしい、醜い幻想だよ。

ってな印象を抱く。

まぁ、うみねことかひぐらしだとちょいと違うんですが・・・

(うみねこ、ひぐらしもそのへんの話はしながら「幻想を選ぶ」が出来るしそれでもいいよというモノなんだけれど、シンフォニックレインは「選びたくない」というのが正確な感じでしょうか。あくまで印象です、すいません)

ラストの解釈については、ぼくはあまり気になっていないのですが

とにかくあれが「幻想」なんじゃないかな~という思いはあります。

このへんについてはサイドストーリー集みないとなんとも言えないことなんじゃないかと思うんですけれどね

で、その原因のひとつはリセにある。

彼女は「壊されて」しまうし、救いが(どこに救いを見出すかによってはあるという意見もあるかもしれないが、それでも)ないだろう。

ん~、なんて言っていいのか

即物的な救い

ってのはこの世界には(少なくとも主人公の周りには)ないんじゃないかなー、と思います。

OPの歌詞で

それぞれのかなしみが あって イエナイナミダがある

In the rain
見えるものと 見えぬもの 静かに瞳を凝らして
帰る場所はどこにある?
心は迷子のまま それぞれのかなしみが あって
イエナイナミダがある
いつか雲間から降りそそぐ 光はあるだろうか
Even in the rain
どれが本当 どれが嘘 そんなことにも迷う
信じる それとも疑う 心は振子のよう
それぞれの行く先が あって ココロに秘密の場所
だれも知らぬ朝 降りそそぐ 光は来るだろうか
Even in the rain
それぞれに幸せがあるの ココロはそこへ向かう
きっと この胸に降りそそぐ 光はあると思う
In the rain In the rain

それぞれのかなしみがあって~

それぞれに幸せがあるの~

というようにですね。

まぁ、それでもこの世界に神様はいるんじゃないかな。そうぼくは思いますよ。死にそうなとき手を差し伸べてはくれないし、悲しみをぬぐってはくれない。

貧困はなくさない、暴力もなくさない、希望を差し出さない。

それでもいるんじゃないですかね。

それを「いない」と言えば「いない」んだけれど、それでもいるんじゃないかなと思う。

見ているだけ

いるだけ

そんな神様がいるのかもしれないとは思う。

だから、

それだからあのラストは「幻想」かな~という印象があるんですね

たぶんあの世界で「リセが救われる」ことはないし、同様にファルが清廉潔白になることもない。

トルタは悲しみを抱えるし、きっとアルは生きられない。

理屈ではなく、なんとなくそんなふうに思います。(ここまでのは全部おもいつきですよ、うん)

まぁ、それでも幸せにはあれると思うのですが、それはこれとは別の話なので。

泥を食みながらでも世界と共にあるものなのかな~

なんて印象。

うん、楽しかったですね。

半日あれば出来るのはいいな。

希望がない世界かもしれない。悲しみの多い世界かもしれない。それでも不幸ではないし、歩くことの出来る世界だと、そんなふうに感じました。

(注 ここまでは思いつきで書いているよ~)

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まぁ、上述で言いました

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これについては海燕さんと西からの帰りにいろいろ話した。

たしか関連したことが記事になっているからそれをみてみるといいかもしれない。

ぼくはこの作品に特別に感銘を受けはしなかった。いい作品だとは思う。

でも、「そうだね」といって終わってしまった。

これは受け取り手に依るとおもう。

よければ読んでみるといい。損はしないと思う。

ぼくはこの作品を見て思うのは上記ネギまで超が語るセリフ(具体的なセリフは忘れたので記憶から適当に造っているけれど、こんな意味)

わたしの不幸を知りたければテレビのニュースや新聞の記事を見ればいい。何処にだってありふれている出来事だ

を思い出す。

『ネギま』で超は語らず、『ぼくらの』は語った。

世界の真実を語りきってはいないかもしれない。でも、一端は語っているだろう。

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