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2011年5月

2011年5月23日 (月)

「カッコーの巣の上で」にどうして興味が持てなかったのか納得してきた

twitterで以下のようなことをつぶやいていました

これを読んで思ったのは、「作品単体で見て(自分の中で)『意味ある』」ものと、「別の物事とつなげることで『意味ある』」ものは別じゃないかな、ということ。

べつに普遍化する気は無いんですけれど、あくまで「自分」としてはそういう方向性がある。

ここの感想のラストにもあるのですけれど、それこそ「倫理学」の授業なんかでみたらぼくは異なる発想を抱いたかもしれません。

つまりこの作品は「現在」ぼくにとって「道具」だけれど「使いどころのない道具」だということなのではないかな、と

「将来『何か』を説明するときには使うかもしれないけれど、それまでは「眠る」。いまはまだ役に立たない道具なんだろう」

ということです。

これは自分の中で納得した。

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<あらすじ>

ある男が精神病院に収監された。かれは決して狂っているとは言いがたい男なのかもしれない。むしろ正常なのかもしれない。

かれの精神は粗野で、下卑ているのかもしれない。

だけれど自由だ。

男はかつて収監されていた。わかりやすい牢獄に閉じ込められていた。

彼にはある嫌疑がかかっている。

狂っているのではなかろうか。

それは彼に選択を与える。

肉の牢獄と精神の牢獄。

かれは後者を選ぶ。当然だ。だってそちらには入ったことがないのだから。

そして、彼は囚われる。

たばこは吸えない。野球は見れない。自由に外にも出れないし、対話すらままならない。

彼の選んだ道は束縛の道だった。

しかし彼は自分の道を突き進む。

賭けをしてはなりません。

じゃあしよう。

日々のルーティーンは守られなければなりません。

じゃあやぶろう。

逃げ出してはいけません。

さぁ逃げ出そう。

彼の行動は周囲にも波及する。

その収容所では変化が起きる。

かれは、かれだった。

かれはきけんだった。

そうして、かれは最後の賭けに出る。

脱走だっ

2011年5月22日 (日)

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』のEDCDが超満足!!(おまけに本編で見たいものを概説)

うわー、うわー

超満足

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先日このCDを買ったのですが、限定版についてきたDVDに超満足している自分がいます。

おまけDVDには

  • ノンクレジットエンディングver.A
  • ノンクレジットエンディングver.B
  • 第一弾トレーラー
  • 第二弾トレーラー
  • 審査SPOT(6つ)

が入ってきている。

自分はノンクレジットエンディングver.Bが好きですね。

これは6月に発売のOPのCDがも買わないといけないなぁ

青い栞

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アニメの曲で「欲しいなぁ」と感じたのは久しぶりです。

さて、ついでなので『あの花』についてちょっとだけ話を書いておきましょう。

詳しくは記事にしてしまうつもりなのですが、触りだけでも。

わたしが(出来れば)『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』で見たいのは

  • 残されていく喜び
  • 巡り巡って還されるもの

という側面があります。

前者はめんま、後者はポッポを注目している。

それに加えて最近気になるのはジンタンたちですね。

まだ5話以降を観ていないのでなんとも言えないのですが、かれらを通して(出来れば)見たいのは

  • 抗う力

それは人によっては回帰と呼ぶかもしれないし、再生と言ってもいいかもしれない。あるいは復帰。

呼び方はなんでもいいのだけれど、「人は生きている以上格好悪くなるのだけれど、でも死ぬ瞬間って最高にかっこ悪いの?」

そうとも言い切れないだろっ

って部分に関わる話。

ただ、これが見れなかったからと言って「あの花」が傑作なのは、た・し・か、です。

このあたりは「Airは傑作だけれど、ぼくはその先を見たかった」という部分と似ている事象です。

十分満足ではあるのだけれど、それと自分が「出来れば見たかった」ものは一致してないところもあるという話。

・・・いやぁ、それにしても満足してる

BD買おう。

あ、これ↑DVDに入ってました(ホクホク)

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2011年5月19日 (木)

さぁ、久しぶりの更新だっ!!(でも扱う内容なネガティブなので注意)

お久しぶりです。

ホントに、お久しぶりです。

てれびんです。

1ヶ月もの間ブログの更新をサボっていました。

サボっている間は「あの花」観たり、「星を追う子ども」をLDさんたちと観たり、東洋医学の勉強したり論文読んだりしていました(英語は苦手ですっ)。

「あの花」に関しては書いておきたいこともあるのですが、記事は中途で止めたままです。まぁ、そう遠くないうちに書ききれたらいいかなと思います。

(閑話休題)

と、いうわけでリハビリがてらに記事を徒然なるままに書いてみようかなと思います。

内容は結構ネガティブです。

現在この記事を書きながら見ている「NHKスペシャル~虐待カウンセリング~作家柳美里 500日の記録」が話のテーマです。

芥川賞作家の柳美里さんの子どもに対する虐待カウンセリングです。

親から受けた虐待は子どもに連鎖していく。柳美里さん視点のため「親から虐待を受け、子に虐待をするもの」という視点のためバイアスはかかっているでしょう。それを考慮しても面白い番組です。

ちなみに番組は現在、柳さんが父のルーツを知るために父と長谷川さんというカウンセラーと父の母国の韓国に行くところです。

「知る」ということは「明かりを照らす」と例えることも出来る行為です。見えるようになった反面、見えない部分も出てくるかもしれません。それでも、「ここはわかった」と確定できます。それは「想像の幅を狭めてくれます」(※1)。

現在(書いている間も番組は進行)この番組は父の兄嫁が「父の父(要は祖父)も子どもを叩いたり、刃物で刺したりしていた」ことが語られています。そうして父もそれに怯えていた。

そうすることで柳さんのなかでの「むやみに怖かった父親」(もしかすると完璧に近い存在と捉えていたのかもしれない)を、「自分と同じ弱い人間」とすることが出来る。

こういう積み重ねが「無限の恐怖への直視」、その「乗り越え」を可能としているということなのでしょう。

番組は柳美里さんが「一歩前へ進んだ」ところで番組が終わっています。

こういう積み重ねがあって虐待という連鎖は封じられていくというお話でみていました。

番組自体については「面白かった」というに留めておきましょう。本人たちも望んでいることなので、虐待という連鎖は是非乗り越えて頂きたいものです。

さて、ここからはわたし個人の思いをちょっとだけ話してみることとしましょう。

わたしはこういう番組や物語を見ると、物語で語られる次のような趣旨のセリフが頭をよぎります

苦しみを乗り越えたものは、乗り越えた分だけより良くなれる

これの類型として「より優しくなれる」とか「より強くなれる」とかいろいろあります。

ジャンプによくある「危機を乗り越えるとより強くなる」というのもその類型かもしれません。

わたしはこの意見に(そこそこ)賛成はします。

苦労したならその分何かを得るのでしょうから。

ただ、そこから安易に「マイナスを乗り越えてプラスにすること」のみを取り上げるのには疑問があるのも確かです。

これの極論の一つとしては「恵まれているものは恵まれていないものには及ばない」というものです。

さて、本当にそうなのだろうか?

違うと思います。

「恵まれているから強い」とか「恵まれているから優しい」というのもあるでしょう。

もちろん「苦しみを乗り越えたから得られる物」もあって、それは上記のものと優劣を競うものであるとは思えません。

こんなのは「当たり前」っちゃ当たり前の話だとおもいます。

「恵まれていていけない」なんてことはない。(まぁ、恵まれているからこそどこかを踏みつけにしているってのは当然ありえるので、その点から一概にいいとは言えないのも確かなのだけれどね)

まぁ、たまにはこんな話もしてみようかという今日の雑談。

(補足~一応ね~)

苦しみを乗り越えたものは、乗り越えた分だけより良くなれる

この言葉は「恵まれている」とか「恵まれていない」とか関係ないよね、という指摘が出た人そのとおりです

この言葉は「恵まれているものには恵まれているものなりの苦しみが存在し、そうでないものにはそうでないものなりの苦しみが生まれる」という前提でも成り立ちます(というか、ソッチの方が自然だろう)

もうひとつ言うならば、「優しさ」や「強さ」などを比べる際に(名前が同じでも)「同じ質」のものを比べているのか(同列に並べていいのか)というのも正しい指摘だと思います。

今回のわたしの話には突込みどころは相当にあります。書き終えてから読むと、自分でも「う~ん」となるところは絶対あります。

それでもこう言うことを書いたのは「恵まれていないものが努力して得たものは恵まれているもののものより尊い(同じ深みに到達しない)」という言説を耳にすることがあるからです。

そういうのがポーンと、軽く、語られるたびに「う~ん?」となるのもあってこんな話をしてみました。

ちなみにわたしが「苦しみ~(云々)」と「恵まれた~(云々)」というものを関連付けたイメージを持っているかというと、おそらく持っているのではないかと思います。(つまりわたし自身がバイアスを持ってこの文章/意見を語っているということ)

理由の一端にフィクションがあるでしょうね(あと親の影響)。

フィクションで出てくる際に「おれはどん底からはいあがってきたからあいつに勝る」とか「~を知らないからああいう行動を取るんだ」という風に描写されるため、「恵まれているアイツと恵まれていないオレ」という構図が出来上がります。これは理由の一端に「強さの理屈付け」というのがあるのでしょう。ボクシングを題材にしたときに「練習もしないけれど体格がいいから強い」なんてキャラを主人公にするのは、ちょいと難しい。

だから「恵まれていない体でもこれだけのマイナスを乗り越えてプラスを手に入れた」という描写が生まれているのかもしれない。

恋愛ものならば「貧乏な彼のほうが心がやさしい」とかも類例でしょう。

こういうふうに「比べられない物を比べる」(スポーツなら勝敗、恋愛でも恋の勝負とかね)のを見ているうちに、自分で変なバイパスを作っている可能性は十分あります。

そういう意味では、これは「自分と同じような相手」に向けた話とも言えるでしょう

※1 「夜の闇が妖怪を生んで、都会の光がその生息の幅を狭めた」みたいな理屈と同じこと。わからないところがわかれば、そこに対して「こうかもしれない」なんて夢想は起こりづらいだろう

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