キュレーションの時代についての覚書
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キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書) 新品価格 |
いまさらな記事ですが、先日佐々木俊尚さんの『キュレーションの時代』を読み終えました。
実に示唆に富んだ話の数々で、読み込むほどに宝石が見つかるであろう本となっています。個人的にも「まだまだ読まないとなぁ」という部分もあるのですが、せっかくの機会ですので今ちょいと書けることだけでも記事にしてしまおうかと思います。
キュレーションとは何なのか
『キュレーションの時代』という本についてちょっとだけ説明してみます。
「キュレーション」とは何なのか?
おそらくこの本のタイトルを見た人の多くはこの疑問を抱くに違いないでしょう。日本人にはなじみのない言葉です。
ただそんな人の中にも「キュレーター」という言葉は聞きおぼえがあるかもしれません。博物館や美術館の「学芸員」のことを指す言葉です。
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「ギャラリーフェイク」(細野不二彦 著)を知っている人なら、主人公藤田は元ニューヨークメトロポリタン美術館のキュレーターという設定でした。
この本の中ではキュレーターとは「人に視座をもたらす人」という定義がなされています。
視座とは「新しい視点と見方」と言い換えてもいいでしょう。
要は「今までとは異なる世界/見え方を提供してくれる人」のことです。
キュレーションとはキュレーターの行う「視座の提供」です。
身近な例をあげてみるなら、「Aというマンガを面白くは感じていなかった。でもBというブログでなされている説明を聞いて、その漫画の楽しみ方が分かった」などは「キュレーション」を受けたということになります。
あるいはニコニコ動画もその系統かもしれません。「この動画は俺たちがもっと面白くしてやるよ!」というのは、コメントの書き手と読み手がキュレーションとそれによるインスパイアの連鎖をしているのだという見方もできるかもしれません。
本書は、このキュレーターが現代で重要な役割を示すようになってきていることを説明する本であり、その背景としての日本・インターネットの歴史や現在が示されています。
mixi、facebook、twitterわれわれは広大なインターネット世界で小さな小さなまとまりを作って生きていくようになってしまっています。そのまとまりを仲介するのがキュレーターなのです。映画好きの人が映画音楽を介して音楽に興味を持つようになったり、原作の本を読むようになったりする。そこから異なるまとまりにアクセスするようになる。
そのまとまりの仲介をするものをキュレーターと呼びます。
補記
つながりの時代と断絶の時代
上述で説明したように「キュレーションの時代」というのは、副題にあるように、「つながり」をテーマにした話です。そのつながりは視座の提供によってなされています。
この「つながり」が重要なのは、人々が小さなまとまりをつくっているからです。アニメ好きの輪の中で手に入るのは基本的にアニメの情報です。政治経済の専門的内容や、医学の最新情報はそうそう入ってきません。
この世界でひとは様々なまとまりに所属し、そのまとまりですら内部で分節化しています。
このような世界では、神ならぬ人の身ではすべてを把握できません。
だからこそ「つながり」が重要になってきているのでしょう。
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ちなみにわたしは「キュレーションの時代」と同時に「無縁化社会」という本を買いました。NHKで何回かに分けられ放送され、話題になったので知っている人も多いかもしれません。
インターネットによる「つながりの時代」と同時に社会には「断絶の時代」が訪れている。身寄りもなく(いても連絡を取っていない)、孤独にひとりで死んでいく。隣近所とはほとんど交流もなく、亡くなってもだれに知られることもない。そういう現状を綴った本でした。
同じ時代の、ある意味真逆の現象。両者に関連があるかもしれない気がしているのですが、どうもピンっとくるものがありません。
もし何かつながるようなものが見つかれば、つなげてみたいです。
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