『専門家(権威者)の言うことなんていい加減だよ』という言説をたまに聞くが、じゃあ何を信じればいいんだろう?ってはなし(覚書)
※今回書くことは自戒や自制の意味も込めて書いてみることです。実際できたらいいよなぁ、って成分が多分に含まれています。そうそう思うとおりには動けないのが実際。テレビでやってたら「そうかなぁ」くらい思っちゃうよ。ホント
「専門家なんていい加減なことを言っているんだよ」
そういう意見を聞く(※1)。
そのたびに「じゃあ、何を信じるの?」と思う(※2)。
テレビだろうか、みのもんただろうか、書籍なのかブログなのか2chの意見なのか(※3)。それとも「自分」?
もちろん専門家が信じられない、そういうときはあるだろう。(※4)
しかし専門家ってのはそれを専門にしているからこそ専門家でありその専門家より信頼できる意見を放てる人間はやはり専門家なのだろう(※5)
信じられない専門家はいるかも知れないけどそれは専門家を信じることができないことにはならない
そうか嘘つきをより分ければいいんだ(※6)
※1 別に多くないよ。知り合いでも一人か二人。そんな意見がそれほど多いとは思ってない(一部の集団における「世論」として「専門家は嘘ばっか」というのはあるかもしれない。専門家は専門家でまとめられてしまうのも数の魔術(※5))
※2 何方かというと「俺は何を信じるの?」みたいに内向の方向に向かいます。まぁ、主張するからには理由がほしいという場合もある。説明責任は存在するだろう(思い込みで話してしまう自分は反省しないといけない)
※3 別にすべてがウソでもなく、すべてがホントとも限らない。
※4 言っていることと違うじゃないかとなればそりゃあ信じられない時もあるだろう。ただ、なんだかんだで専門家は専門家だからね(※5に続く)
※5 「信頼できる中間業者」という可能性は常にある。信じられる専門家か、信じられる専門家を見つけられる信じられる人を見つけられればいいのだ。
※6 わたしが習ったことでは「権威者の言う事」ってのは信頼度が低い。そりゃあ、人間だからね何がどうなって「ウソをつかれる」かわからない。意図的かもしれないし、そうでないかもしれない。
ちなみに、「じゃあどうやって嘘つきを見つけるの?」って意見はあるだろう。
そのためにはいくつかあるだろうが、ひとつには「専門家の言うことを集める」というのは良い手段だろう。ただ、その時に注意しないといけないのは「偏りが出ないように注意する」こと。数字ってのは扱い方でまったく逆の意見を作ることができる。原発擁護側の専門家の意見を集めれば「原発擁護」になるだろうし、反対側なら「原発反対」の意見となってしまうだろう。その意見の主張者がどういう背景を備えているかなどといった情報はとても重要だ。
また場合によっては「関係ないところ」から持ってくるのも重要だろう。世の中には時流というのがある。ある方向に世論が偏っているときは、そうでない意見が見つけにくくなるときはあるかもしれない。場合によっては「それ以外の意見が言いづらい」事になるかもしれない。
そういうときは「時間」や「場所」を移すせばそういう偏りを避けることもできるだろう。
しかし「時間」を移すときは「それが過去である」という補正が常にかかってしまう。
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ちなみに、これは朝の勉強会で読んでいる本です。「数字」は「ホント」ではないよってことを平易にまとめた本です。出版が1960年代だけど、いまだ地道に読み継がれている。
なーんでこんなことを書いたのだろう?と理由を探ってみるとこれがきっかけだった気がする。« シュタゲの小説買ってきた! | トップページ | 魔法少女まどか☆マギカ 最終話感想~物語に真摯に向き合うということ~(ネタバレ有り) »
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