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2010年11月15日 (月)

相互に補完し合う物語について

さて、先日の記事で2つの小説を紹介しました。

一つが『へヴィ・オブジェクト』

ヘヴィーオブジェクト 巨人達の影 (電撃文庫)

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もう一つが『ご主人様は山猫姫』

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この作品についての内容をもう一度説明することはありません。今回はこの間言おうと思っていってなかったことを説明してみようと思います。

面白い物語というのはどういうものでしょうか。話の組み立て、キャラの立ち方、文章の美しさ…それこそ無数の要因があるのではないかと思います。べつに一つの事柄ですべてが決まるわけでもない。まぁ、西尾維新さんみたいな『超一点突破』型のような方もいるわけですが(だからといって他が悪いかというとそういうわけでもなく、単純にキャラ立ちが強すぎるのだろう)。

ただ、その要素の中に『視点』というものもあるのではないかと思う。

『視点』というのは大別すると2種類ある。

読み手と書き手だ。

視点といって分かりにくければ『物の見方』といってもいい。わたしたちが日常で面白い人を見かけると「あいつの視点は面白い」「やつはどんな目で世界を見ているんだろうな」などという。

物語を読むということはその作り手の視線を、物の見方を見ていくという側面があるのだ。かんでさんが「入江さんの小説は面白いよ。だって本人が面白いもん」というのはこういう事柄に根ざしている一言であろう。

この言葉が表わすことは大きい。「作品は作者の鏡」であるというのはたしかにそうだ。それは「その作品から作者が演算できる」とかそういう話ではない。その物語を作る際の「作者の見え方、あるいは見せ方」のことを話している。

これでは分かりにくいかもしれない。そうだな、ちょっと例をあげてみる。

たとえば戦争だ。これを物語にするとき人は何を主眼にするだろうか。苛烈さだろうか悲惨さだろうか喜びだろうか陰謀だろうか。不幸に飢餓、暴漢強姦盗みにカッコよさ。兵器の機能美かもしれないし政治的主張かもしれない。裏返して平和の尊さ生きることの素晴らしさを語るかもしれない。ほかにももっともっとポイントはあるだろう。「戦争によって荒れた土地では作物が育ちやすいのか」なんてことに注目する者もいるかもしれない

ここでいいたいのは「戦争という事象一つとっても語ることは無数にあり、語り口も無数にある」ということだ。切り方によって世界はさまざまな色を為す。戦争中に悲惨なことがないと言えばウソだし、逆に笑いもないなどと言ったらそれもまたウソだ。

語るものの数だけ見える者は違う。

別の話をしてみると少女漫画というのもそうである。「恋愛」というキーワード一つでさまざまな物語を編んでいる。

恋愛の美しさ・楽しさを語るものもあれば、現実の過酷さを語るものもある。だましだまされる関係もあるかもしれない。近年完結した『っポイ!』なんかは多様な関係状況を並列に描くことで「世界は恋愛が行われているさなかも別の出来事が起こるのだ」ということを表している。主人公が好きな女の子のことで一喜一憂している脇で、それとはまったく関係ない出来事が当たり前のようにやってくる(クスリ問題や病気、受験など)

このように「物語を描くということは、作者の語る視点を読んでいく」という風にいいかえられる。

それは現実という調理されてない雑多な事象の中から「作者によってピックアップ」され新たに「再構成」された物語を読むということに他ならない。

そういう点で、わたしたちはどうしても「作者のフィルター」を通して見ざるおえない

そこで先ほどの2作だ。

わたしが何故この2作に注目したのか?それはこの両者が互いに互いを補完する物語となりうるからだ

ちょっとどういう事か説明しよう。

この2つの作品は異なるアプローチで世界が描かれている。それもかなり極端な形で。

『へヴィオブジェクト』の作者鎌池さんはひどく大きな事象で物語を語ることのできるひとだ。世界は主人公の望むように、思い通りにはならない。主人公というのは「与えられた試練」を乗り越えていく存在だ。そういう視点の上に、「世界」を主眼に物語を書く人といえる。

たいして『ご主人様は山猫姫』の作者鷹見さんは微小な視点から大きな物語を語ろうとする人だ。世界は主人公に関係なく動く。だが、世界のなかにはそれを構成している人間たちがいる。人間を通すことで見えてくる世界がある。

つまり両者は世界を表すのに国や世界そのものという大きな単位から描く手法とそれを構成している一個人から描くという手法を使っていることです。

これの何が面白いかというと、両者を同時に読むことで世界の把握がより深くできるということです。

国家が軍隊に命令を出すとき、その命令を出す人間は機械ではありません。自尊心とか信念、あるいは権威欲から利他の精神までさまざまです。

だけどそんな人間の感情をいちいち描いていては話が進みません。物語の中で「大きな出来事」が起こるほどその中の人間は描かれず、歴史的な英雄たちにカメラがうつります。

そうですね。単純化して語るならば、鎌池さんは「英雄」のような世界にとって「特別な人間」を描いていく人で、鷹見さんは「ふつうの人間」を描く人という認識でもいいかもしれません。

特別な人間はたったひとりで世界の行く末に関わることができます。現実の世界に当てはめれば米国大統領やヒトラーといった国家元首、孔子やキリストといった思想家や宗教家がそれにあたります。作品はかれらを追うだけで世界そのものをリアルタイムに感じることが可能になります。SLG「信長の野望」とかをイメージするとわかりやすいかもしれません。

ふつうの人間とは逆説的に特別ではない人間のことです。一般に生きる私たち。国家元首とかに比べるとカメラのあたりにくい、中堅企業の係長や吉野家のアルバイトさんたちのことを指します。かれらを一人一人おっていって世界をリアルに感じれるかというと難しいでしょう。RPGの村人たち、お城の兵士たちのイメージが分かりやすいかもしれません。

映画とかでは「英雄的な人間」が軍隊を指揮しとてつもない策や運用でもって敵を破ったりします、しかしその軍隊一つを的確に運用するにもさまざまな人間がかかわります。

大きな視点で書くとその人たちは(におわせることはできても)描かれることはありません。

……と、まぁこんな感じで両者を感じて読んでいました(止めどころが思いつかず、無理やり終わらしてみる)

一つの作品が他の作品の世界をより深めるというのは時折あることだと思います。もしそういう作品を見つけたなら、その作品たちは物語を楽しむ上での宝となるでしょう。

そういう経験を一つでも多くしたいものだなぁ

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