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2010年9月12日 (日)

補足 アリエッティはなぜすばらしいのか?4

「小さな、だけど大きな奇跡の物語」―借り暮らしのアリエッティをみて―
補足 アリエッティはなぜすばらしいのか?1
補足 アリエッティはなぜすばらしいのか?2
補足 アリエッティはなぜすばらしいのか?3

前回からの続きです。むしろここからのほうが分かるかもしれない、という気がする。


 前回までの流れを一度まとめておこう。
 サンデル教授に端を発した問題とは「親が子どもの性とかそういうものを決めてもかまわないのだろうか」という問いである。これは、「強権者が他者に対して一方的決断をしてよいのか」ということである。その問題に対してSWAN SONGの司を通して、「いいや。よくないよ」という結論を述べた。これは倫理的価値観であるが、その一つの補強として、「実は誰もが同じ立ち位置にあるから、序列がつくような関係はダメだろう」という補足がある(これは価値観の問題だから論理の飛躍があることは否めない)。つづいて今回ではネギまを通して人が人に決断を下していくという事はどういう事なのかを見ていく。

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 さて、ずいぶんと長くなってしまったので、ネギまの話はいいかげん短くやっていこう。
 ここで注目していきたいのは、ネギまの物語で取り扱われている「悪」の概念についてである。これはエヴァンジェリンというネギの師匠がネギに何度となく言う言葉であり、超というネギの最大の敵の一人がかれに伝えた事柄の一つである。このあたりの詳しい話は、『ネギま』の学園祭編(十一巻~二十数巻)でやっているので見てもらいたい。
 エヴァはネギに次のように言う

「わたしはわたしの大好きなゲームで言うならば、倒すべきラスボスだか中ボスだよ」

と。
また、超と敵対するネギは「自分が正義をなせない」存在であることを知る。
 ジャンプのような少年マンガの御約束では「なんだかんだいって主人公は正義」という側面がある。だからこそ無茶もできるし、それが許容される。
 しかしネギまでは「自分が正義でない」ということがクローズアップされる。
 ネタばれをするなら、超とは「未来人」である。百年だかそこら先の未来からやってきた。その世界で彼女は何か大きな苦難(描かれない)に巻き込まれており、それを何とかするためには過去から隠されている「魔法」という力を衆目にさらさなければならない。
 ここで、なぜ「魔法」を衆目にさらさなければいけないかというと、「大々的に使う」ためである。魔法使いサリーちゃんなどの「魔法モノ」では、「魔法は隠されて当然」の存在として扱われる。だから人目があるならば「使えない」。
 大なり小なり魔法モノではこの問題が眼前に立ちふさがる。困っている親友に手をかせるのに「かせない」。目の前で死にそうなネコを助けることが「できない」。
 ネギまではこの話がさらに世界に広がって語られる。魔法の力を使えば、はやく確実に飢えている子どもを救えるかもしれない。しかし「できない」。それは「注目を集めてしまうから」。
 さて、あなたならばどうだろうか。
 目の前で死にそうな人がいる。それをどうにかする力が自分には「ある」。でも「使えない」。
 これは「いいこと」だろうか。
 こういう問がネギまには立ちふさがる。
 ネギはこの問題に対して「魔法を世界に公表しない」という立ち位置をとる。それはさまざまな理由があるが、そうしなければ「自身の日常が崩れるから」だ。
 ここで補足を入れておく。ネギまで超は「魔法を世界に示す」立場をとる。でもそれは彼女の「不幸」を根源にしている。別に彼女が魔法を世界に公表しなくとも「世界は滅びない」。(※1)
 この点において、ネギと超は「エゴ」をぶつけ合っている。
 彼女は「自分の不幸を回避するため」で、ネギは「自分と周囲の日常を守るため」。
 この戦いのなかでエヴァは一人で語る。

「わたしたちは悪を為して生きている。でもそれを実感するのは難しい。特にあの坊や(ネギ)のようなやつにはな。超は優秀な教師だったよ。」(意訳)

 わたしたちが「悪を為していく」とはそういうことである。わたしたちは「生きているだけで他者を踏みつけにして生きている」言いかえるなら「自分の都合を押し付けて生きている」。
 さぁ、わたしたちは「ただしいことをなせるのだろうか」


 これを理解したうえでもう一度最初の問題に戻ろう。
 
「親が子どもの性(その他)を決定することはただしいだろうか」

 わたしはそれを、正しくないとこたえる。
 将来子どもが人生を有利に生きていく性、そういう可能性はたしかに「ある」
 頭を良くして、いい大学に入り、いい企業に入る。順風満帆な人生を送る可能性。そういうものも、たしかに「ある」

 しかしそれとこれとは「関係ない」

 わたしが「良い」と思ったことを相手に押しつけてしまう事には「変わりがない」
 わたしがこの問題でもっとも語りたかった部分はここである。

 わたしたちは他者を踏みつけにして、泥を食わせ、自分勝手な都合を押し付けて生きている

 ネギまはそれを理解したうえで、「自分たちは悪だ」という認識をしたうえで、それでも悪を為すという立ち位置をとった。
 何かを為すという事は、その認識に立脚したうえでなければならない。そのうえで、親ならば「子どものため」を思って行動することが必要なのではないか、とそういう事が言いたかった。
 
 わたしたちは自分の都合を他者に押しつけて生きている(※2)

 その認識の上で、アリエッティの話に移ろう。

※1 「世界は滅びない」けど、「無数の苦しんでいる人を救う可能性」が超の側にはある。その代わりネギとネギの周りの日常は「崩れ去る」
※2 この話は「紫色のクオリア問題」という、いずみのさんの話している話題につながっている。今回は紙面の都合上省いているが、紫色のクオリアとは「自分のエゴを他者に徹底的に突きつけた結果(しかも良いことをしていると思って)、その相手に叱られる話」である。傑作だから読んでみてほしい。

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(つづく)

次で終わります

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