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2010年9月11日 (土)

補足 アリエッティはなぜすばらしいのか?3

前回のつづきです。そして、あと一つで終わるかどうか、ふあんです(たぶんむり)

補足 アリエッティはなぜすばらしいのか?1
補足 アリエッティはなぜすばらしいのか?2

 SWAN SONGというゲームを知っているだろうか。雪の降る夜、地震が起こった。火事が起こり人が死ぬ。風が吹いて冷たい、人が死ぬ。文明という文明は死に絶え、崩壊した街の中で主人公司と知的障害児のあろえは出会う。静かに雪の降る中。死が結び付ける出会い。
 瀬戸口廉也というシナリオライターの描く傑作である。
 文明という虚飾を剥ぎとったせかいで主人公たちは生き抜いていく。この作品を通すことで、人間の生の感情というものを見ていくこととしよう。崩壊した世界というファクターは前回の「純度を高める」という部分に連なる。
 この作品には複数人の重要なキャラクターが登場する。一人が主人公の司。かつては天才ピアニストの名をほしいままにしていたが、事故で手が動かなくなり、それでもピアノを続けている元天才。ひとりはあろえ。雪の降る災害の夜に司とであった少女。知能は三歳の子どもと大差がなく、コミュニケーションを満足にすることもできない。ひとりは柚香。かつてピアノをやっており、その道をあきらめた。そうして最後は鍬形(クワガタ)。柚香にあこがれる卑屈なひきこもり系なオタク。かれは崩壊した世界の中で、指導者のような立ち位置をとるようになっていく。
 ほかにも多様な人間があらわれては消えていく。しかし、ここでの話ではこの四人を軸に話をしていこう。
 このゲームを続けていくと所々理解できないセリフやシーンが出てくる。代表的なところでは

「醜くても、愚かでも、誰だって人間は素晴らしいです。幸福じゃなくっても、間違いだらけだとしても、人の一生は素晴らしいです」

「クワガタさんは、とても汚くて、みじめだから、大好き」

がある。このあたりの解説は海燕さんのSomething orangeで十分にやっているのだから、細かくは説明しない。今回の論を説明するにあたって必要なところだけを抽出して話していければと思う。

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 この作品のテーマの一つに「弱いものはどうするのか」という問題が絡んでいる。代表的なキャラは、司とあろえであろう。腕を満足に使えない元天才ピアニスト、知的障害児で自閉症のあろえ。かれらは社会的にみれば「弱者」である。正確に言うと、司は「強者」から「弱者」へ転落したキャラである。
 神すらねじ伏せるような音楽をすることのできた司。その彼が、腕を失った。この瞬間からかれは「弱者」へと転落した。父親も周りも「音楽をやめろ」という。「以前のような音楽は出来ないのだから意味はないじゃないか」とそう言う。それでも、彼はやめない。これは何のためなのか。
 あなたにはわかるだろうか。

 その理解を助けるために、ここでもう一人のキャラクター柚香を登場させてみよう。
 柚香は物語中で司の恋人となる。そして、司の最大の敵の一人である。
 彼女は以前ピアノをしていた。才能はそこそこあったのだろう。出来ないものができるようになり、彼女のコミュニケーションとは、ピアノであった。ピアノでもって喜びを知り、悲しみを知っていた。あらゆる感情はピアノを通じてもたらされた。たしかにそのような時期が、あった。そして、絶望もまたピアノによってもたらされる。
 彼女は司に出会った。作品中の、弱者となり果てた、司ではない。過去の司だ。圧倒的強者の司だ。がんばってがんばって、才能の足りない部分は努力で埋めてみせると奮起している時期に、努力では届くことのない高みを見せられてしまうのだ。

 余談だが、わたしはこの話を聞くと、「天才」というものの残酷を思い出す。「天才」とは圧倒的な強者であり、無類の屍の上に立っている。SWAN SONGをやってない人は『ピアノの森』の雨宮修平。『さくら荘のペットな彼女』(特に最新三巻)の真白を見てみればわかる。前者は柚香であり、後者は過去の司だ。

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 そうして彼女は諦める。膝を屈してしまう。ピアノは彼女にすべてを与えたのだ。希望から、絶望までのすべてを。
 柚香とは「絶望した」キャラである。司と同じ、現実の困難にぶつかってしまった過去を持つ。
 しかし面白いことに、彼女は司の敵である。本来なら強力な味方となってもおかしくないのに。もちろん作品中で明確に対立するわけではない。しかし、読み込んでいくと彼女と司は天秤の両翼に載っているとしか思えない。
 その彼女は司を評して次のように言う。

「久しぶりに出会った尼子さんは、昔とあまり変わっていませんでした。一目見ただけで、もしかしたらと、思い出してしまったほどです。本人は多分、自分はすっかり変貌してしまったと思っているのでしょうが、それは、全然違います。」
「確かに、演奏は変わってしまいました。彼が聴かせてくれた、それは凄く上手な演奏でしたが、でも何かが足りません。上手なだけの普通の演奏です。片手で弾いてくれたのも、形だけは昔のようでしたが、やっぱりどこか違うのです。子供の時聴いたのがあの演奏だったら、きっと私はピアノをやめてはいかなかったでしょう」。
「でも、それでもいまの尼子さんは、全体としては昔とちっとも変わっていないのです。昔と同じ、よくわからなくて、怖い人のままです。」

 彼女にとって司とは「変わっていない」のだ。司は彼女にとって「よくわからなくて、怖い人」なのだ。
 これではまだわからない。彼の何が「変わっていない」と思わせるのか。
そこで、最後の一人クワガタを登場させよう。
クワガタとは圧倒的「弱者」である。それは最初の説明からも分かるのではないだろう。いつも気が弱くておどおどしている。言いたいことは言えないし、偏向した(と見える)趣味を持っている。一概に言う「キモくて暗いオタク」である。
かれの変遷をたどるのは大変だ。だから詳細は省いて概観を説明していくとしよう。気になるならゲームをやってください。たぶん、後悔はしない。
かれは最初はたしかに圧倒的弱者であった。でも、物語中で徐々に変化していく。それは強がりであったかもしれないし、別の何かに突き動かされたからかもしれない。そうして弱い自分にベールをかけていくことで、かれはグループの指導者となる。行き過ぎた面もあることは否めない。それでも、かれは「自分を強くした」。
 しかしある出来事を通じてかれは「元に戻る」。じつは、これを行ったのが柚香なのだが、説明は後に譲ろう。
 これにたいして司はクワガタを説得する。しかし、それは成功しない。
 地震でクワガタは死んでしまう。説得を遂げることなく、もう少しで、というところでかれは死ぬ。

 「くそ」
 「馬鹿にしやがる」

 ここで司の感情が見える。
 結論から言うと、かれはクワガタの死に怒ったのではないクワガタを絶望に追いやった「なにか」に対して怒っているのだ。かれが感情をあらわにするのはここしかない。そして、此処こそが「かれを変わっていない」と評させる所以である。

 これを読んでいる人は、なぜこんな話を延々とするのだろう思っているのかもしれない。こんなのがアリエッティにつながるのだろうかと、そう思うかもしれない。
 でもつながる。徐々に、徐々にではあるが近づいている。
 繰り返すが、ここで言いたいのは「弱者とはどうすればいいのか」というテーマである。其れに答えているのが、司であり、あろえであり、一時期の鍬形でありえた。
 このテーマはアリエッティの理解につながるだろう。そう思ったから延々と書いている。
 司のはなしに戻ろう。

 此処まででてきた情報を統合すると、司は「弱者」であるが絶望することを拒むもの。という側面が見えてくる。
 そう。「絶望することを拒む」という一点で、司は柚香とは異なる。
 もう少し丁寧に説明しよう。司と柚香では「ピアノを弾けなくなる」という点で似たような絶望を抱えている。一方は事故、一方は挫折ではあるが大きな障害が眼前に立ちふさがるという点では同じだ。ただ、彼らの異なる点はそこからである。柚香は音楽を「止めた」が司は「止めなかった」。
 此処に両者の違いがある。
 SWAN SONGとはこの両者の対立が物語の裏にある作品である。同じく「弱い」ものが「対立」する話であるといってもいい。(※1)
 眼前の巨大な障害(※2)を前にして「あきらめないもの」と「屈してしまったもの」の陣取り合戦である。先ほど、クワガタを「元に戻した」のが柚香であると語った。それはこの両者の対立の真ん中にいたのがクワガタであり、彼らは互いにかれを自分の陣営に引き入れようとしていたのだ。
 ここをみていくと、弱者に残された最後の権利のようなものが見えてくる。
 すなわち「あきらめる」と「あきらめない」という二択だ。
 司はそこで「あきらめない」という選択肢を選ぶ。

 さて、そろそろSWAN SONGの話を終わりにしよう。このゲームでは人間には二つの選択肢があることを提示している。そして、一種類の人間しかいないのだ、と(これは※1で書いている)
 ゲームでは結論が描かれない。あくまで問題提起。そして、そこからの希望の萌芽が描かれているにすぎない(その話は、機会があればこれの第二部の話題でする)
 では、ここから得る一つの結論から、次に行こう。

 虚飾を剥いでしまえば、人間はみんな弱者である。

 SWAN SONGの根底にはこういう思想があり、それはおそらく事実である(運命とか神とかそういう強大な存在の前ではみな強者ではいられない)
 ではそういう観点に立った時にわたしたちには次のような問が立ちふさがってくる。

 「同じ弱者が、別の弱者の運命を決定することに対する可否」

 この問に対して今回は、それを決定することに正当な理由などは存在しえない、という結論にたどり着く。
 その理由そしてどうあることが好ましいだろうかを、『ネギま』を題材にして話していくこととしよう

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※1 この思想の裏には「万人は弱いものである」という気がする。極限状態を演出することで、ホントは「強者」などいなくてみんな「弱者」なんだという事を描いている
※2 補足すると、この眼前の障害とは乗り越えられない「運命」とかそういうものである

(つづく)

SWAN SONGの内容書きすぎて、収拾が微妙になっている。反省(汗)

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