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2010年3月 1日 (月)

回復不可能という視点から見た『涼宮ハルヒの消失』

前回の記事で書いたように『消失』の感想です。(上の画像は『消失』ガイドブックへのリンク)

この『消失』のおもしろさを探るのに役にたつのは、海燕さんたちとした話、『回復不可能な物語』という観点からみるとわかりやすいのではないかと思う。

ではこの『回復不可能な物語』とは何なのか?2/27(土)夜のSomething Orange(さむ☆おれ)のニコ生で海燕さん、かんでサンとともにした話だ。簡単に概略を説明すると以下のようになる。

僕たちが物語を見るときに物語が「すすむ」とは何を前提にしているのだろうか?もちろん物語は、ストーリーを持っている以上すすまないということはない。しかしそのような作品の中にも「巻数が積み重なっても話が進んでいるように思えない」物語があることも事実である。それは状況が『違う』とか、出てくる人間が『違う』から解消されるわけでもない。『水戸黄門』などはいい例だ。あの作品は、主要キャラ以外出てくる人間は毎回『違う』。状況もやはり『違う』。しかし同じような(というか同じ)物語が毎回展開される。各期ごとに『水戸黄門』には「大きな」目的が設定されている(○○へ行く、誰誰を届ける)が、それが『差』を生むことはない。

その理由の一端が「どうせこうなるんでしょっ」という意識、コンセンサスである。状況やギミックが違おうが、起こる出来事の質や解決法が『同じ』であれば、見ているものたちにとってはやはり『同じ』物語として映る。このような物語を指して『回復可能な物語』と評しよう。つまり質的に同じようなポイントまで戻ってこれてしまう物語のことだ。

そのように『戻ってこれる』ことが物語に停滞感を与えるならば、逆もまた同様である。すなわち。物語を「すすめる」ときに重要なのは『もう戻ってこれない』という感覚である。

無限にある選択肢が万に、千に、百になることを示して『物語がすすむ』と評することができる。その繰り返しが行われ、最後に一になることで物語は『完結』する。

他の可能性の否定が逆説的に物語に『ベクトル』を生み出す*1。

ニコ生ではこのようなことを、例を交えながらはなしをした*2。

さて。以上のようなことを踏まえて『消失』の感想に入ろう。

結論から言うと、この消失が物語の一大転換点になりうる理由は『キョンの決断』にある。この行為そのものが『回復不能な物語』を指し示している。いままでシニカルに「俺とあいつらは違う」というスタンスをとっていたキョンが『決断』し、『ハルヒのいる世界を選ぶ』。この能動的行為が物語が「すすむ」感覚をわたしたちに与える。作中でもキョンの独白がそのことを良く示している。「もう選んでしまったら、選ぶ前には戻れない」「当事者になってしまった」*3。ここで言うように「選んでしまったら選ぶ前には戻れない」。とくに、このハルヒの世界におけるこの『決断』は、「やっぱやーめた」ということが起こり得ないように描かれている。*4

これが「物語がすすんだ」感覚を与える。前半のキョンが独り空転しているような物語に対して、後半が違うのはそのような理由もあるのではないかと思う。

また、別の要素が物語のおもしろさを支えている*5。

その一つがテレビ版からの積み重ねである。エンドレスエイト*6などはいい例だろう。同じ夏休みを一万五千回も繰り返す経験を筆頭とした、さまざまな事例が下地にある*7。そのような「表に出てはこない裏付けが支えるおもしろさ」も今回の映画にはあったことだと思う。このようなおもしろさは世界の奥深さを見ているものたちに感じさせる点で優秀である。人間は眼でみて、音で聴くものだけで物語をみているわけではない。言語にならない領域でも無意識に物語を判断、検証しているのではないかと感じる(あくまで所感だが)。言葉の端々、描かれ方、そのような些細な部分からでもわかることはかなりあるはずである*8。

映画版独自の要素ということならば、最後の、鏡面のキョンとの対峙というのが挙げられるだろう。あのような『もう一人の自分』からの問いかけというのは、存外物語に説得力をうむ。とくにアニメやマンガのような画を前提とした作品では効果的であろう。あのシーンがあるからこそ、キョンの『決断』により強い説得性が生まれたのだろう。同時に動きが加味されることから、動的な決断を表現できていたようで見ていてとても楽しかった。

原作つきの作品の場合、『映像でなければ表しえないこと』が必要であるとわたしは考えている。わざわざ別の媒体で表する以上、『原作の完全な焼き直し』では見ていて興がさめてしまう。なざなら、原作がライトノベルならば、映像のような『音と動き』を前提に物語は書かれていない。マンガであるなら『音や連続的な動き』がそうである*9。

その点今回は『映像では無ければ表現しえない世界』を十分に描いていたと思う。音楽や映像手法などもそうである。(個人的には、最後の朝倉さんのくるくるのあたりが好き。間の取り方とか描写の仕方とか)そういう意味でも個人的には良くできた作品だと思った。見に行ってきてよかったですね。

*1これは『自身の物語の肯定』=『他の物語の否定』という図式になっている。そのため物語上で主人公が「これでいいんだっ」ということも同じ作用を生みだすと思われる。ちなみに否定の連続の物語と、肯定の連続の物語にどのような違いがあるかないかは検証していない。

*2ニコ生で出した例としては、コードギアス、三月のライオン、ヴィンランド・サガなどがある。ほかにも、「すすんでない」感覚の物語の一例として『ナルト』が挙げられた。

*3記憶を元に書いているのでまんまの台詞かは保証できない。

*4ここの感覚を与える要素の一部としては『長門の世界の否定』『物語上のテーマ』『ラブ要素』(?)などがあげられる。『一つの世界の否定』(とそれにともなったキョンの苦悩)が、見ている我々に「もう戻ってこれないほど重要な決断をした」と認識させる側面もあるだろう。物語上で「人が死ぬ」ことが感動を生む理由に「死んだら人は生き返らない」という「回復不可能な物語」を描けるところにある(ニコ生より)が、「一つの世界の否定」もまた同様の感覚を有するような気がする。

*5『回復不可能な物語』だけが、「おもしろさ」を支えるわけではない。あくまで重要な一要素に過ぎない。そうでなければ、ドラゴンボール有する『ドラゴンボール』の世界が「おもしろくない」という結論に陥ってしまいかねない。そうではなく、いくつもの要素のうちの『重要』な部分の一つとして認識してほしい。

*6てれびんはエンドレスエイトを見ていません。(というか一期の途中でハルヒを見るのとまってます)友人から説明を聞いただけ。

*7キョンの言うとおり『長門が疲れた』から世界を改編したのかどうかは、証明がないので何とも言えない。ただ、エンドレスエイトのような『膨大な積み重ねのうちのなにか』が今回の事態を引き起こしたことは想像に難くない。そういう意味で下地になっているといえる。

*8ようは『ハンター×ハンター』で王がネテロの戦闘の『クセ』を読むようなことを、わたしたちは多かれ少なかれやっているということ。

*9意識していないとまでは言えないかもしれないとは思うが、媒体が違う以上用いる手法に差は確実に出るだろうということ。その差の補てんなり、修正を行わなければ、原作に比べて「何かが足りない」作品と評されてしまいうるのではないか。

↑オリジナルサントラ

↑原作のダウンロード販売

↑『消失』原作ラノベ

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