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2010年2月19日 (金)

マリはやはりエヴァの異分子だった(エヴァ:破)

こんかいは、『continue』vol.50の鶴巻和哉監督インタビューを読んでの記事となります。

記事を書くにあたって、改めて自分のエヴァ:破の記事(エヴァンゲリオン新劇場版:破 の感想もう一回エヴァ破見てきた)を読み返してみました。・・・しょうじき、読みにくいですね。自分でも、「なんでこんなこと書いているんだ?」とかいう描写もあるんですけど、それでも「間違ってないかな」という印象の部分もちょこちょこ見受けられます。まぁ、今回のはなしはその辺のところをちゃっちゃっと書いていきましょう(時間がないからね(焦り)。いそいで書きます。理由は↓)

(ちなみに、毎回恒例(したくはないんだけどね)の近況を書いておきます。昨日分子細胞生物学の追試が終了しました。とにかく、書けるだけ書いたんですけど、不安です。

もちろん解放感もあるんですけどね。・・・・・・ええ。知ってますよ。もちろん。

この解放感が幻想だということを。

そして次の追試は月曜日です。土日に東京に出て入江さんの宅にお邪魔(『神さまのいない日曜日』おもしろいよ。と、ちょっと宣伝してみる)するので、いまがんばってるさ中です。

・・・・・・あれ、もしかして。余裕なくない。じぶん。(オロオロ←不安にうろたえるさま)

さぁ、これで残りの追試は2つだ!(ブログを更新してない間に、化学がもう一個増えたんだよぉ(泣))

ただ、この記事を書く前に言っておくことが一つ。ぼくは『フリクリ』も見てなければ、『トップ2』も全部は見ていません(キッパリ)。いやぁ、見たいんだけどね。いずみのさんや周りの人たちもみてるしさぁ(見ようよっても言われてるけどさぁ)、まぁ、上述の理由で、まだ無理。とくに『フリクリ』。テスト終わったら見るよ。できれば、ミャンマー行く前後にでも。

さて、本題に入りますか。

この記事をよんでみて、マリについて自分でも明確に言語化できていない部分が、もう少し詳細に詰められました。それは、マリに関する『新しいテイスト』ですね。

これは、以前のエヴァ:破の感想でもかいたことです。わたしは、マリというキャラクターが旧エヴァから逸脱しているキャラだと認識しているんですね。ポイントだけ語ると、『旧エヴァ』はキャラクターが庵野監督のアバターとして構成されていて、『新劇エヴァ』のマリはそうではないという印象を抱いているんですね。

んで、(たぶん)それがそれほど間違っていないことがわかりました(笑)

詳しくはコンティニューのvol.50を見てもらえばいいとして。そこから自分が何を感じたのかをもう少し語っておきましょう。

p30ではマリのとらえ方に対する庵野監督と鶴巻監督の違いというものが書いてあります。庵野監督はマリを『加持の女性版』として描きたくて、鶴巻監督はそこに対して『マズイ』と感じている話が載っています。

ここで、そのように感じた理由を鶴巻監督は以下のように語っています

―『破』のプロットをもう1回確認しましょう、っていうときに、庵野さんが『マリをもう少し重いキャラにしたい』といいだした。(中略)

―うーん、当初、庵野さんの中にどれだけマリのイメージがあったかというとそれはちょっとわからないです。ただ話の中心に突っ込んでいこうとすると、どうしてもマリのキャラクターを作っていかざるおえなくなる。そこで庵野さんから出てきたマリというのは、僕の印象だと、加持の女性版みたいなイメージだったんです。(中略)庵野さんが当初描いていたマリは、それと同様に、秘密を知っているぶん余裕があるキャラだったわけです。(中略)知っているがゆえに、物語をコントロールしようとするキャラクターというか。(中略)でも、そのあたりには同じようなキャラがいっぱいいるわけですよ。(中略)そうすると結局、一番知っているヤツが一番強い!みたいなことになっちゃうんじゃないか、と(笑)

―それはマズイなぁと思っていた。庵野さんは、そのキャラクターの全てを理解したうえで表現しようとするんです。でも、僕は「ここから先は僕にもわからないし、決めてかないし、描かない」って状態で表現できると思っている。

わたしが鶴巻監督に期待している部分はまさにこういう部分なんですね。つまり、『キャラクターのすべてを理解しよう』とする庵野監督は、すごいんだけど、同時にそこに限界がある。そういうことです。

庵野監督のキャラクターは、いわば、庵野監督のアバターなんですね。だから底に流れるテイストは同じだし、ゆえに魅力があります。このテイストは『ナディア』とかをみていてもわかるんじゃないかと思います。しかし、裏を返すと、これは庵野監督が理解できていないと奇跡的な事象は起こりえないことも示しているんですね。前門の虎、後門の狼的な状態で『打つ手がない』と製作者が感じた瞬間に、その壁を乗り越えることができないってことではないかと思うんです。

たいして、鶴巻監督の手法の場合、わざと『理解できない(しない)』キャラクターを描くんですね。そうすることで、ロジカルな手法では解決し得なかった部分にも突破口が開ける。製作者にはわからないけど、それでも『壁を突破しうる』キャラクターが描けるということではないかと思うんです。

鶴巻監督は、インタビューの中で、『小説で例えるなら、僕が一人称で書くタイプで、庵野さんは第三者的なというか、神の視点に近いところから描くわけです』と言っているんですね。

それはたしかにそういうところがあるんじゃないかと思うんです。

ただ、わたしが読んでの印象で言うと、鶴巻監督の方が庵野監督よりキャラクターを『突き放している』かんじがあります。『ぼくの認知するものと、キャラクターの認知するものは違うよね』って視点をつよく意識しているともいえるんですかね。

だから同時に、『ぼくは分からないけど、こいつは困難を突破できた』というものが描ける。(これを書いていて、ふと、『ネギま』のナギと造物主のはなしを思いだした。『勝てないはず』なのに『何故か勝ってしまった』と語るラカンのシーン。あのラカンの立ち位置が、鶴巻監督の立ち位置に近いのではないかと思う)

この辺のところが、むかし記事で描いた、マリの異なるテイストの部分なんですね。

で、以前、マリと加持を比べて、マリに期待って言った理由もそこから説明がつきます。

まあ。今回はそんな話ですね。(ちなみに、わたしとしては、鶴巻監督のスタンスは好きです。作り手が理解しなければ、限界を突破できないってのは、つらいんじゃないかと思うんですよ。作り手も、見る方もどちらも。全てがロジカルな裏があって、爽快感が感じられない気がするんです。あくまでも偏見が入っていますけどね。)

エヴァ破の予約がもう始まってますね。5月26日発売だ。

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