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2010年2月

2010年2月26日 (金)

報告

有機化学の追試受かったどぉぉぉぉっっ!

前期・後期2回分の追試(つまり2回受けた)だったので不安だったのですが、化学はセーフでした。

・・・あとは、分子細胞生物学だけだぜ。。。フフフ、めっちゃ不安。

2010年2月24日 (水)

PSYRENの構造がおもしろい。

PSYREN?サイレン? (1)
410円

 今日の夜のラジオのためにマンガ喫茶でPSYREN(週刊少年ジャンプ連載中 現在9巻まででている)を読んできた。面白いのだが、これが週刊連載(特にジャンプ)向けかと言うと、正直う~んと唸るような内容である。個人的には雑誌連載より単行本でまとめて読んだ方が面白いのではないかと感じた。それはこの作品がそれなりにややこしい構造を内包しているからだ。これを分解していくとおおまかに2つの要素に分けられる。(じっさいには不可分なまでに結び付いているので明確に2つとはいえないのだが……)
 一つは異世界設定である。類型としては『マブラブ・オルタ』*1や『時空のクロスロード』*2を思い起こしてもらえればよい(じつはてれびんはマブラブをやったことはないのだが)。突然異世界(荒廃した世界)に飛ばされてしまった主人公たちがの物語だ。
 もう一つがタイムワープ。主人公たちの行っていた荒廃した世界がじつは未来だったことがのちに明かされる。それをどうにかできたら主人公たちの物語は完結する。未来の危機を救う物語(予知された絶望の回避)としては、CLAMPの『聖伝』や『カードキャプタ―さくら』『X』*3が思い起こされる。(じつはもうひとつ思い当たるものはあるのだが、タイトルと内容を微妙に思い起こせないため書けなかった)
 物語の序盤(1巻から2巻)主人公たちはわけのわからない怪物の跋扈する世界に飛ばされる。どのような世界かもほとんど分からない中で、手探りで進んでいく物語は『漂流教室』や『コープスパーティ』*4を思わせる。容赦なく人が死んでいく中で主人公たちは元の世界に戻るために全力を尽くす。
 その内容がシフトするのは、その世界がじつは未来の日本であることが明かされてからである。未来の日本が荒廃することを知った主人公たちは、物語の目的が徐々にシフトしていく。つまり元々の目的「わけのわからない世界に飛ばされるゲームをクリアする」から「未来の荒廃を食い止める」に変化する。そうすることで物語の舞台が『異世界』から『現代』と『未来(異世界)』へと変化する*5。個人的にはこのシフト(正確には、10週打ち切りを免れられたから、当初予定の物語に戻したのではないかと予測している)がじつに興味深かった。
 わたしはこの世界がじつにゲーム的(とくにPCのノベルゲーム的)であると感じた。その一因の一つにこの『現代』と『未来』の相互干渉という要素がある。これがどういう事かと言うと、この世界はらせん構造を備えているということだ。このような要素は扱いが難しいのでマンガよりゲームなどで見受けられる(あくまで印象だが)。
 最初現代にいた少年は『未来A』へと飛ばされる。そこで得た情報をもとに『現代を改変』、同時に彼らは『未来B』へと行くこととなる。この構図が螺旋的に連なりあって『荒廃した未来』を『危機が訪れなかった未来』へとたどり着くように作られている。(このような相互干渉の要素もゲーム的な要素であることを思わせる)
 しょうじき、このような作品がジャンプで連載しているとは思わなかった。
 自分としてはもうそろそろ物語後半に差し掛かってきたような気もする。とにかく、きっちり物語を構成していることにひどく好感を持てる作品だった。

  *1マブラブ・オルタ=アダルトゲームメーカーageのアドベンチャーゲーム『マブラブオルタネイティブ』のこと。並列世界をタイムループしていく構造。http://ja.wikipedia.org/wiki/マブラヴ_オルタネイティヴ
*2時空のクロスロード=自称雑家の鷹見一幸のデビュー作。現代に生きる少年たちが並行世界の未来に飛ばされ、将来起こることが予測される世界崩壊の危機を救う物語。http://ja.wikipedia.org/wiki/時空のクロス・ロード
*3『カードキャプタ―さくら』では、クロウリード。『聖伝』『X』では夢見と呼ばれる夢を通して未来視する者たちが描かれる。『X』が完結していないから確定的なことは言えないが、これらの作品では『運命は変えられない』『いや変えられる』というテーマが物語の両方の手綱を握っている。ちなみに『さくら』と『聖伝』では『未来は変えられる』という結論に至っている。(『さくら』ではギミックとして用いられているだけなので、このテーマを背負っているのはむしろ『聖伝』や『X』ではないかと思われる。『X』では『未来は決まっている』というセリフが出ているが、現在連載が中止になっているので保留せざる負えない)
*4『コープスパーティ』=夜の学校に忍び込んだ少年少女たちが魑魅魍魎が跋扈する荒廃した学校に巻き込まれてしまうPC用のホラーRPG。現在リメイクされている。
*5このようなシフト変化が行われるため、雑誌には向かない題材なのではないかと思ったというのもある。シフト変化についていけない読者(シフト変化に気付かないため「急に面白くなくなった」と感じるものが出るなど)や、後から入ってくるのがつらい読者がいるのではないかと感じたため。

放送URL:http://std1.ladio.net:8010/mangaRadio.m3u

2010年2月23日 (火)

告知

24日(水)の夜、22:00頃から『今何処』の管理人LDさんと、『kande-takumaの別所』のかんでさんとネットラジオをします。お題は『黒子のバスケ』です。具体的なURLは『今何処』のサイトで紹介されますので、良ければ聞いてみてください。

2010年2月19日 (金)

マリはやはりエヴァの異分子だった(エヴァ:破)

こんかいは、『continue』vol.50の鶴巻和哉監督インタビューを読んでの記事となります。

記事を書くにあたって、改めて自分のエヴァ:破の記事(エヴァンゲリオン新劇場版:破 の感想もう一回エヴァ破見てきた)を読み返してみました。・・・しょうじき、読みにくいですね。自分でも、「なんでこんなこと書いているんだ?」とかいう描写もあるんですけど、それでも「間違ってないかな」という印象の部分もちょこちょこ見受けられます。まぁ、今回のはなしはその辺のところをちゃっちゃっと書いていきましょう(時間がないからね(焦り)。いそいで書きます。理由は↓)

(ちなみに、毎回恒例(したくはないんだけどね)の近況を書いておきます。昨日分子細胞生物学の追試が終了しました。とにかく、書けるだけ書いたんですけど、不安です。

もちろん解放感もあるんですけどね。・・・・・・ええ。知ってますよ。もちろん。

この解放感が幻想だということを。

そして次の追試は月曜日です。土日に東京に出て入江さんの宅にお邪魔(『神さまのいない日曜日』おもしろいよ。と、ちょっと宣伝してみる)するので、いまがんばってるさ中です。

・・・・・・あれ、もしかして。余裕なくない。じぶん。(オロオロ←不安にうろたえるさま)

さぁ、これで残りの追試は2つだ!(ブログを更新してない間に、化学がもう一個増えたんだよぉ(泣))

ただ、この記事を書く前に言っておくことが一つ。ぼくは『フリクリ』も見てなければ、『トップ2』も全部は見ていません(キッパリ)。いやぁ、見たいんだけどね。いずみのさんや周りの人たちもみてるしさぁ(見ようよっても言われてるけどさぁ)、まぁ、上述の理由で、まだ無理。とくに『フリクリ』。テスト終わったら見るよ。できれば、ミャンマー行く前後にでも。

さて、本題に入りますか。

この記事をよんでみて、マリについて自分でも明確に言語化できていない部分が、もう少し詳細に詰められました。それは、マリに関する『新しいテイスト』ですね。

これは、以前のエヴァ:破の感想でもかいたことです。わたしは、マリというキャラクターが旧エヴァから逸脱しているキャラだと認識しているんですね。ポイントだけ語ると、『旧エヴァ』はキャラクターが庵野監督のアバターとして構成されていて、『新劇エヴァ』のマリはそうではないという印象を抱いているんですね。

んで、(たぶん)それがそれほど間違っていないことがわかりました(笑)

詳しくはコンティニューのvol.50を見てもらえばいいとして。そこから自分が何を感じたのかをもう少し語っておきましょう。

p30ではマリのとらえ方に対する庵野監督と鶴巻監督の違いというものが書いてあります。庵野監督はマリを『加持の女性版』として描きたくて、鶴巻監督はそこに対して『マズイ』と感じている話が載っています。

ここで、そのように感じた理由を鶴巻監督は以下のように語っています

―『破』のプロットをもう1回確認しましょう、っていうときに、庵野さんが『マリをもう少し重いキャラにしたい』といいだした。(中略)

―うーん、当初、庵野さんの中にどれだけマリのイメージがあったかというとそれはちょっとわからないです。ただ話の中心に突っ込んでいこうとすると、どうしてもマリのキャラクターを作っていかざるおえなくなる。そこで庵野さんから出てきたマリというのは、僕の印象だと、加持の女性版みたいなイメージだったんです。(中略)庵野さんが当初描いていたマリは、それと同様に、秘密を知っているぶん余裕があるキャラだったわけです。(中略)知っているがゆえに、物語をコントロールしようとするキャラクターというか。(中略)でも、そのあたりには同じようなキャラがいっぱいいるわけですよ。(中略)そうすると結局、一番知っているヤツが一番強い!みたいなことになっちゃうんじゃないか、と(笑)

―それはマズイなぁと思っていた。庵野さんは、そのキャラクターの全てを理解したうえで表現しようとするんです。でも、僕は「ここから先は僕にもわからないし、決めてかないし、描かない」って状態で表現できると思っている。

わたしが鶴巻監督に期待している部分はまさにこういう部分なんですね。つまり、『キャラクターのすべてを理解しよう』とする庵野監督は、すごいんだけど、同時にそこに限界がある。そういうことです。

庵野監督のキャラクターは、いわば、庵野監督のアバターなんですね。だから底に流れるテイストは同じだし、ゆえに魅力があります。このテイストは『ナディア』とかをみていてもわかるんじゃないかと思います。しかし、裏を返すと、これは庵野監督が理解できていないと奇跡的な事象は起こりえないことも示しているんですね。前門の虎、後門の狼的な状態で『打つ手がない』と製作者が感じた瞬間に、その壁を乗り越えることができないってことではないかと思うんです。

たいして、鶴巻監督の手法の場合、わざと『理解できない(しない)』キャラクターを描くんですね。そうすることで、ロジカルな手法では解決し得なかった部分にも突破口が開ける。製作者にはわからないけど、それでも『壁を突破しうる』キャラクターが描けるということではないかと思うんです。

鶴巻監督は、インタビューの中で、『小説で例えるなら、僕が一人称で書くタイプで、庵野さんは第三者的なというか、神の視点に近いところから描くわけです』と言っているんですね。

それはたしかにそういうところがあるんじゃないかと思うんです。

ただ、わたしが読んでの印象で言うと、鶴巻監督の方が庵野監督よりキャラクターを『突き放している』かんじがあります。『ぼくの認知するものと、キャラクターの認知するものは違うよね』って視点をつよく意識しているともいえるんですかね。

だから同時に、『ぼくは分からないけど、こいつは困難を突破できた』というものが描ける。(これを書いていて、ふと、『ネギま』のナギと造物主のはなしを思いだした。『勝てないはず』なのに『何故か勝ってしまった』と語るラカンのシーン。あのラカンの立ち位置が、鶴巻監督の立ち位置に近いのではないかと思う)

この辺のところが、むかし記事で描いた、マリの異なるテイストの部分なんですね。

で、以前、マリと加持を比べて、マリに期待って言った理由もそこから説明がつきます。

まあ。今回はそんな話ですね。(ちなみに、わたしとしては、鶴巻監督のスタンスは好きです。作り手が理解しなければ、限界を突破できないってのは、つらいんじゃないかと思うんですよ。作り手も、見る方もどちらも。全てがロジカルな裏があって、爽快感が感じられない気がするんです。あくまでも偏見が入っていますけどね。)

エヴァ破の予約がもう始まってますね。5月26日発売だ。

2010年2月14日 (日)

ここ数日ブログが滞っているわけ

「追試に引っかかったよぉぉぉぉ!やべぇぇぇぇぇぇ!どぉぅしよぅ!」

ってな感じで追試に引っかかりました。はい。

正直、かなり追いつめられております。そのため記事を更新したいけれど出来ていないというのが実情です。

気分転換にちょこっとマンガを読むくらいは出来るんですけどねぇ~。(ハァ)

現時点で引っかかっているのは、「有機化学」と「分子細胞生物」です。化学に関しては、前期の点が悪かったので後期のこの時期に追試ということははっきりしていました。いま、懸命にやっている途中です。

ただ問題が「分子細胞生物」と後期の「有機化学」です。

前述したとおりに、「分子細胞生物」はもう追試が決定しています。「有機化学」は結果待ちです。ただね、前期の化学を理解しきれていない自分が後期の化学を通れるか・・・・・・じつに、不安です。ってことで、そちらの準備もしていなければなりません。

そんなわけで、最近ブログの更新が滞っています。アア。

まだ書いておこうと思っているのがいくつかあるんだけど。

レンタルマギカの最新刊とかさ…。いくつかあるんですよね。

ではでは。また。(追試合格しなくては!がんばるっ)

 

 

(もしかしたら、気分転換にブログの更新するかも)

2010年2月11日 (木)

ひとこと

いま、ソウルブレイブのフィアードライブというフリーソフトをやっています。(テスト中にねっ!ちなみに昨日の分子細胞生は不安でいっぱいの出来でした。ナントカナルヨネ、タブン)この作品の物語の作り方とかに引っかかりをおぼえるんですよね。

徐々に、徐々に壊れていく話の展開が何かを思わせるんだけど形になりません。

2010年2月10日 (水)

作品のレベルを高める要素(1):『アクセルワールド』4巻感想

やっぱりレベルが高いですね。この作品は。

何がこの作品のレベルを支えているのかは分からないのですが。うん、おもしろかった。

ただ「わからない」というのもなんです。せっかくなのでこの「レベルを支えるもの」をもう少し考えてみましょう。

この作品を見ていて思うのは、ひどく「王道」な道筋をたどっている作品だということ。いじめられっ子の少年の成長物語。マイナスからプラスへの旅路と言ってもかまわないでしょう。

わたしは恩師の先生に「小説ってのは変化を追うものだ」と教えられて国語という科目を解いていました(あくまで大学受験という枠組みではなんですがね)。これがどういうことか。ちょっと具体的に話をしてみましょう。物語において2人の人間が出たとしますね。すると物語の結末ではこの2人が「仲良くなるか、別れてしまうか」のどちらかになるということなんです。もちろん例外はあるんですが、「王道」と呼ばれる作品はこの形式に乗っていることが多いのは確かでしょう。いわゆる、ボーイミーツガールものは「仲良くなる」形式です。仮に小説を「情景・人物の行動などを通して登場人物の心の変化を追うもの」と定義するならば、この作品は「少年の成長物語」として見ることができます。

『アクセルワールド』の場合は、「主人公のこころの変化がマイナスからプラスへ転化する」作品でしょう。さまざまな人や出来事、考え方、それら多くの物を経験して主人公の内面が成長する(たぶん外見は変わらないと思うんで)。その結果なにをなすかを楽しむ作品と言えます。(あくまでこの作品の楽しみ方の王道の一つとして)

言い方を変えれば、「主人公の成長の結果が『何かをなしたという事象』のあらわれ」として物語を読めます。マイナスからスタートした主人公(レベル1)は、成長してプラスになりました(レベル10)。という見方です。

さて(閑話休題)。ここから何が言いたいのか。

それはこの作品がそういう「変化」の要素を多々含んでいるということです。それも一つ一つの要素がそれなりに「深く」描かれているんですね。心の傷というのを物語のギミックに組み込んでいるせいで、各個人の物語が比較的描かれやすいようになっています。そして「バトル」という要素を盛り込むことで「個人」の物語で完結しないようにもしているんですね。

先ほどの変化のはなしに戻ると。一人には一人の変化、二人には二人の変化、多数なら多数の変化があります。2人の人がいればそこには三通りの変化を見ることができます。すなわち「Aの心の変化」「Bの心の変化」「AとBの関係の変化」です。人が増えれば「関係」も増えるので、いろいろな「変化」が増えるということです。「心の傷」が可視化するので、よりコアな関係の物語を書くことができます。それが物語の「深み」に一役をかっているのでしょう。というはなし。

とりあえず中途ですが、時間の都合で今日の記事はここまでにします。(だって、4巻の感想まだ書いてないしね。「お前ならもしかして…」とかのはなしの思いつきを書くつもり。)

アクセル・ワールド(4) 蒼空への飛翔 590円 (税込 620 円) 送料無料

2010年2月 9日 (火)

これが好きなんです:『戦闘城砦マスラヲ』『レイセン』

前回からまたしばらく記事があいてしまいましたね。今回は林トモアキ特集です。(とはいえ、前回の記事通りテスト中なのでそんなには書けませんが・・・。ついでに近況をここにちょろりと書いておくと「テスト期間中だってのに電撃の新刊買っちまってるぅぅぅぅっ!」lってところでしょうか。・・・フフフ、ヨユウハナイヨ)

わたしは林トモアキさんが好きというよりも、この「マスラヲ」がすごい好きなんですね。この作品の概要を簡単に説明すると「二ートの青年が電子の精霊(といえば聞こえはいいけどようは意思を持つウイルス)と出会って、ある秘密都市でバトルロイヤルを繰り広げるコメディ」です。この世界では勇者、妖怪、悪魔などといった「人外」のものが裏にいる設定の物語です。そんな世界に足を踏み入れてしまった(マジでなんの能力もない)引きこもり二ートの川村ヒデオ。かれはさまざまな偶然、はったり、勘違いを駆使して裏の世界を駆け抜けていく。

言っておきますが、「社会の不適合者は別の世界ではヒーロー」だった。とか、そういう話ではありません。(注意:あくまで表現方法として「不適合者」という用語を用いているだけです。他意はありませんよ)「ダメな自分のままで。運よく。たまたま。ありとあらゆる偶然、はったりがかれを「推し進めていく」」類の物語です。そうやって進んでいく中で「ほんのすこし」『望んだ自分に近づいていく』。そういう物語なんです。

『レイセン』というのはそんな『マスラヲ』の先の物語です。

端から見れば『マスラヲ』も『レイセン』も「コメディ」というひと要素でくくられるでしょう。「なんの力もない青年が、偶然の見方もあり、おもしろおかしく勝ち進んでいく」ありふれた物語です。

しかしそうやって『どこかで見たことある』はずなのに面白い。というのがこの作品の特徴ではないかと思います。そういう意味で、この作品はひどく『ライトノベル』的な作品です。『ライトノベル』というのは文字通り『ライト(軽く)に読めるノベル(小説)』です。そこには、新本格や最近のラノベなどのように『予想もつかない驚き』というのはなくてもいいはずなんですね。なぜなら『簡単に読めておもしろ』ければいいんです。『ありふれたアプローチ』であろうと、『どこかで見たような展開』であろうがお構いなしです。

そういう意味ではこの作品は、ひどく『ライトノベル』的だと思うんですね。(この『わかっていてもおもしろい』というのは、あらゆるジャンルで重要な要素ではないかと思う。落語などでもそうだが、『ストーリー(未来)を知っている』ことと『おもしろい』ことは必ずしも同一ではない。ライトノベルは文学作品とかとは異なり『娯楽』であるため、そのような要素は特に重要であろう。)

また作者の林トモアキさんが『レイセン』のあとがきで「『マスラヲ』が最高傑作」と言っているように、この作品はストーリーラインがしっかりしています。基本コメディですけど、一つ一つの事柄が少しずつヒデオのなかにたまっていくのがわかるように書かれているんですね。これは言いかえると『必然性』を作り出す。という作業だといってもいいと思うんです。「これがあるからラストの物語に説得力がでる」。そういう物語構成になっています。

個人的には「じつにいいバランスで作られた小説」であると考えています。

『レイセン』とマンガ版『マスラヲ』が、けっこう楽しかったんで、書いた記事でした。

補記

ドンキホーテを例にとるように『コメディ』は、裏を返すとすごく『シリアス』な物語にもなります。そう考えていくと、コメディの物語の中にヒデオを「ほんのすこし」成長させる要素が散りばめられているのがわかる気がします。

追記

・・・あれ、これでは感想じゃないよねぇ。『レイセン』の感想を箇条書きでいくつか書いておこう。

  • いやぁ、ノアレかわいいね。
  • 睡蓮もいいね。
  • ほむらとの絡みがかっこういいなぁ。成長が見える。
  • 『まわりに力のあるモノをひきつける』ちからも力だよね
  • 微妙に絡む非コメディ要素は物語のいい刺激。それにしてもこういうシビアなところは(いまの主流の)ファンタジー(というかラノベ)的ではないね。(あくまで印象だけど)ただ、こういう要素が物語に適度な『現実感』を与えている気がする

2010年2月 7日 (日)

(近況)ヤバいです。明後日からテストですよ。

もうタイトルが全てを表していますよね。追い詰められているような気もしますよ。ホントどうしようぅぅぅぅぅぅ(いや、勉強しろよって話なんですがね)。

明後日が遺伝学のテストで、明々後日がドイツ語のテスト×2に分子細胞生物のテストです。ハッハッハッ、なにもやっていねぇ。

さらにピンチなのが金曜が苦手な科学のテスト。いや、わかんねぇだよ。前期のテストがダメだから、そこから理解し直さなきゃならないしさぁ(前期を理解していないから後期をわからないという意見もある)。

・・・・・・しかたない。こうなったらアレしかないな。

「なんとかなるなる(開き直り)」

はい。そんな近況でした。

もう少し余裕があれば、スニーカーの新作の感想とか書きたいなぁ。もしかしたら、気分転換に書くかも。

2010年2月 6日 (土)

『魔法戦記リリカルなのは Force』と『サマーウォーズ』2巻の(かんたんな)感想

両方読みました。

個人的には結構好きな両者です。『魔法戦記』のほうは物語初の男性主人公とのことですが・・・・・・インパクト自体は少ないかな(好きなんですけどねこういう作品)。ただ、どうしても『RPG』みたいなイメージをもって見てしまいます。『スターオーシャン』とか『ワイルドアームズ』の雰囲気です。とはいえまだまだ一巻にすぎません。ここから、さまざまな思惑がうごめきだし。一つの物語が展開されていくでしょう。それに今作は『魔法戦記』ということなのでね。今までよりも、もう少しだけワイド視点(キャラクターの内面に寄り添わない視点)で描かれているのかもしれないのかな、なんて印象をつらつら感じてみたり。それにしても『vivid』と見比べてみると物語の描かれ方の違いがはっきりしていて面白いですね。縦(れきし)のつながりと横(せかい)の広がりや、狭い地域でキャラクターの関係を見るもの(ナロービュー)と広い地域でキャラクターの連動をみるもの(ワイドビュー)の違いとかが見て取れます。

つぎに『サマーウォーズ(2)』。

これはマンガとして再構成してあって面白いですね。映画版では群像劇、主役のいない物語という様相もありました。たいして今回は『主人公の成長物語』として描かれ直しています。「栄ばあちゃん」が主人公になにを残して逝ったのか。補足がなされています。他のキャラ達も健二君の行動に言及しており、『ケンジ始点のサマーウォーズ』が確立していますね。これだけで十分わかるようになっています。『映画版は好きではないけどマンガ版は好きだ』という人もいると思います(逆もありそうだけど)。さてさて、次で完結だそうです。どのようにまとめてくれるのかが楽しみですね。

追記

それにしても。以前も書いたが、翔太の行動には怒りしか感じられん。かれにはかれの理屈があって行動しているのはわかるのだが・・・・・・それでも、軽挙にすぎるとしかとらえられないよ。それが何故かというと。彼の行動が年少三人組の行動とかぶるから。キング・カズマの最初の敗北の一因である『子どもの邪魔』とラブマシーン封じ込め計画の破たん原因『翔太の邪魔』が同じように見えるんですね(そういう風に作られているのかもしれないけど)。うん。だから、彼のことはあまり好きになれませんね。残念ながら。

2010年2月 4日 (木)

『読み方』のHow to 講座

とはいえ大した話ではありません。おそらくこのブログを読んでいる方には、その人なりの『読み方』があるでしょう。ここで言うことが、正しいわけではありません。ただ『読んで』ください。と言われても「どう読めばいいかわからないっ!」という場合もあるので、その一助になればと思い書いています。(実際的なやり方のはなしはLecture 3だけしかやりません)

cf.さいきん学校の授業で「この映画を親子というテーマで読み解いてください」という課題が出ました。そこで途方に暮れていた友人に語ったことをそのまま記事にしてみました。課題を解く手がかりが思いつかないと嘆いていたので、「ああ。そういう人もいるんだな」というのが記事を書く一つの理由にあります。

Lecture 1

まず言いたいことは『絶対』に正しい読み方はおそらくないだろう。ということです。

もちろん間違った読み方というのはあります。それは論理矛盾をきたしている場合ですね。わたしの場合もちょこちょこあるような気がします(検証してないからなぁ。注意しよっ)。そこで『論理矛盾』とはなにか?これを適当に説明してみたいと思います。

たとえばあなたがある物語を『読んだ』とします。そうですね。ファンタジーの王道「魔王を勇者が倒す話」を題材にしてみましょう。あなたは「この勇者は王女のことが好きだから魔王を倒しに向かった」という風に読んだとします。しかし、別の場所で「勇者は別のおんなのこと恋仲にある」描写があればどうでしょうか?あるいは「うらで勇者と魔王が結託していた」などという展開だったらどうでしょうか?あなたの論理の正当性を訴えるには「別のおんなのこと恋仲にあろう」と「うらで魔王と結託」してようと。「勇者は王女が好き」という根拠を示さなくてはなりません。そのロジックエラーの回避が『読み』と『妄想』をわける一因でしょう。

※これは要するに「あいてに『そうかこういう言い方もできるね』といわせなければならない」とも言えます。この先が、相手を説得できるほどのレベルとも言えるでしょう。(自分で言っていて、思い当たる節が多すぎw言ってて胸が痛い(笑))

Lecture 2

物語の読みには少なくとも2種類の『読み』があることを意識する。

一つは『物語自体の解釈』。もうひとつが『物語の内容を加工した解釈』。

この区分は曖昧な領域もある。しかし、おおまかにいうと、前者は『キャラクターのことばや身振りの「わからない」部分の解釈』ということもできる。一般的な『読み』はこちらが該当することが多いのではないだろうか。なぜなら我々が学校で経験した「この時のキャラクターの心情・行動の意味を答えなさい」の延長にあるからだ。学校と違うのは「複数の答えが存在しうる」ことや「物語の外部(外伝・作者の性格・インタビューetc)を用いて考えてもいい」ことなどが挙げられる。

たいして後者は『物語を通じて自分の言いたいことを言う。現実にフィードバックする』。前者は(自分の主観が入るとはいえ)「キャラクター・作者の在りよう」にたいする言及だといえる。あくまで主は「作品」にある。しかし後者はそれが逆転する。「自分の言いたいことを作品のなかから見出す」タイプである。主は「じぶん」にあり、作品はそれの補助とも言える。この場合は、現実に対するフィードバック率がそれなりに高いように思える。

このことをもう少し具体的に書いてみるとしよう。ドラえもんを取り上げてみよう。

いつもどおり「のび太」はジャイアンたちにいじめられた。そこでドラえもんに助けを求めたけど、ドラえもんは道具を貸さない。自分のちからで何とかしなさいという。

このような話を前者、後者の両方の『読み』で見てみることとする。

前者の場合「ドラえもんはのび太に自分のちからで困難に乗り越えられる人間になってほしくてこう言った。なぜならドラえもんの目的は・・・」や「ドラえもんはのび太の行動に嫌気がさしているからこういったのだ。なぜなら毎回毎回・・・」という形になる。

後者の場合「ここでドラえもんは『こうする必要がある』からこう言ったんだよ。だってここでのび太を甘やかしてもいいことないもん。前の回で・・・。だからここでドラえもんはこうしなければならなかった。」とかの形になる。あるいは『ドラえもんのこの行動に自分は凄く感動した!なぜなら・・・』というのもこのタイプである。

『作品』を主にするか、『自分』を主にするかで作品の読みの形は変わってくる。ただし、感想などを書かれる際は両者がクロスオーバーしていることが多い。

つまり。「~の理由でAはこういうことをした(前者)。それは感動するポイントなんですよ。なぜなら~(後者)」という形式になるからだ。

前者で「物語」をどう「見たか」を提示することと、後者でそこから自分が「何を」感じたかは実は別のことなのだ。

Lecture 3

ではどのように『読む』という行為に取りかかるのか?

その一つの方法は「引っかかるところを見つける」です。「感情」に訴えてくるところに注目をすればいいんです。これはLecture 2の後者を始点に考えるタイプの考え方です。

人間というのは「個別の経験」を備えています。これはその人たち独自のもので、似たような経験をしていてもまったく別の形として精神に宿るものです。それが「個性」や「興味」の違いを生むのです。「感情」も同様です。

「感情」につよく訴えかけたところというのは、あなたが「興味」を抱いたところです。「大切にしているもの」や「弱点」だったりします。そこを深く考えていき「自分はなぜここに、これほどきになったのか?」という思考の流れをたどることです。

逆に前者を中心とした見方としては「わからないところ」をみつける。という方法があります。ことばや行動の意味が「わからない」。ここを「なぜわからないのか。どう考えたらわかるようになるのか」ということが思考の端点です。そのヒントをさまざまなところから持ってきて「意味が通るようにする」というのがこのやり方です。こういう疑問の抱き方をするマンガでは『Landreaal』とかが筆頭に挙げられますね。前後の文脈を用いると意味が通る部分が浮かび上がってくる、そういう作品です(なにも考えず読んでもおもしろいけどね)。

ほかに後者のタイプの考え方に「自分の特技などを始点にする」という方法もあります。自分は「ピアノ」をしていたから「音」をポイントにしてコレを見てみよう。「政治」に興味があるから、社会構造を中心に見てみよう。などという考え方もできます。

「自分にしかできない見方」は後者よりで、「誰にでもできる(?)もしくは条件をそろえれば解ける。パズル的な見方」は前者よりです(繰り返すけど、両者の境界はけっこうあいまいです。だから一義的にはこういえない。あくまで「そういう感じがある」)。

こうしていくと『どう読むか』という一助になりえるのではないかと思う。

前者の勉強になりえるタイプの作品

前者と後者の両方のタイプに勉強になりそうな作品

※ふぅ、自分でもできていない自信があります。ちなみに友人に語ったのは「お前は音楽をやっているから『音』を題材に見ていくという手もある。大事なのは『お前でなければ見えない見方』だよ」といって伝えた。映画のタイプが「パズル」的ではなく、ヒントがほとんどないタイプの作品なんです。しょうじきどう読んでも『妄想』と『読み』の差がつきづらい(ように感じる)作品。「根拠」が見いだせないタイプの映画です。だから後者タイプの方法を教えた。

2010年2月 2日 (火)

帰ってこれたぁぁぁぁ!

山形県黒川地方の伝統行事「黒川能」を見に行ってくるたび。かえってきました。

1月31日の夜に出発し、1日朝に蔵王到着。

共同浴場で汗を流したあとに、ロープウェイで樹氷を見てきましたよ。なにやらテレビも樹氷を撮影しにきていたらしく、タレントの草野さん(?)(不思議発見の人)とかがいました。

わたしたちの前のロープウェイで山頂に向かっていましたね。

ただ困ったことに、山頂は大吹雪。一歩前すら見えない有様です。テレビスタッフもあきらめたらしく、すぐさま下に引き返していました。

逆にわたしたちは別に急ぐたびでもないのでね。のんびり、休憩所でお茶でもしながら晴れるのを待ちました。

20分もすると、サッと晴れたので樹氷を楽しみ、下に降りました。

ちなみにテレビスタッフとは下に降りる直前にすれ違いました。きっと頂上がはれたと聞いて、急ぎで戻ってきたのでしょう。そのころにはまた天気が悪くなっています。残念。

そして昼にジンギスカン、クルミ餅にずんだ餅を食い。お土産を買い。今度は黒川に出発です。

お能に関しては割愛。

あの雰囲気を口で伝えるのは大変なので、機会があれば行ってみてくださいな。

ただ、「黒川能」といっても地元の人にとっては、ただの「地域の祭り」なんですね。「神楽」の代わりに「能」を奉納するだけってだけで。だから踊り手もそこらへんの近所の人たち。子どもも踊れば、じいちゃん、兄ちゃんも舞います。ほとんど身内の祭りと変わりません。

だから観能中は、飲み食い自由だし小声なら会話もできます。

ああいうラフな空気の中で能を見るってのも、個人的には好きですね。その辺の近所のじいちゃんたちと世間話をし、酒を酌み交わし、干し柿をもらってとかなりのびのびしてきました。

予定があるから途中で抜けてきたけど、今度機会があれば最後までいてみたいかもしれない。行ってきて、けっこう、楽しかったですよ。

ぐだぐだ、だらだらできるのが(私にとっての)素敵なポイントです。

私の場合。生まれが雪国なので、雪は苦ではなかったですしね。

2010年2月 1日 (月)

ちょいと山形まで

おそらくこの記事がアップされる頃、てれびんは山形にいます。

もくてきは「黒川能」を見ること。テスト期間直前だけど行ってきます。まぁ、なんとかなるって。

2/1~2/1夜通し能と狂言を繰り返しやるんだぜぇ!

この機会に楽しんできます。

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