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2010年1月31日 (日)

まぁ、キャラが可愛いからいいんだけどね。『なのは The movie 1st』と比較検証してみる。―『魔法少女リリカルなのは vivid』

魔法少女リリカルなのはViVid(1)

じつはこれ、劇場版みた当日に買いました。だらだらしているうちに、感想がこんなに遅れてしまった(笑)

結論から言うと。全体的にはおもしろかったです。出てくるおんなのこたちの姿はみんなかわいいし、キャラの立ちも十分だと思います。

前作までのさくひんを知らない人がどれくらい楽しめるのかは分からないけど。前作まで一通り見た人なら十分楽しめる仕上がりになっております。

ちょっと書き込みが過剰かな、と思う部分はあるのですが。これはエース系の作品の色だからしょうがない気もします。

ほかにもいろいろ楽しめる作品だからファンの人には是非見てほしい作品だとはおもいます。ですが、個人的に気になる部分がいくつかあることも事実です。

けっして、批難とかいうつもりではありません(まぁ、やってくれたらうれしいけど)。

それが何かというと、一つは『ユーノの不在』です。

うん。あきらかにユーノがいないんですね。

見落としているのかもしれないんですけど。一話の『お世話になった人たち』のシーンにすら登場しないとは如何なものなんでしょう?高町家の人々ですら出ているのに(笑)

あくまで私的な思いを言えば、「ユーノはどこいったぁ!」「なのはとの関係は進展してるのかぁ?というか、しててよっ」という思いはあるんですね。

ただそこらへんの感想を差し引いても、ちょぉっと、出てきてなさすぎです。2巻以降にでるのかもしれないのですが、すくなくとも、1巻に関しては「ユーノがいない」と言ってもかまわないでしょう。

で、わたしとしてはこれは、わざとかなという気もしているんです。

どういうことかというと。劇場版の『なのは』を思い出してもらえればわかるかと思います(見てない人はすみません。ネタばれはしないんで、基本的には)。劇場の感想を見ても『ユーノが空気』という発言はちょこちょこ見られます。しょうじき『空気』は言いすぎな気もするんですが、それでも、テレビ版に比べれば活躍をしていないのは事実でしょう。

もちろん、尺の都合、というものもあるでしょう。「なのは」と「フェイト」の物語をやるので精いっぱいだった。それもあるのかもしれません。

ただ、それを考慮しても、ユーノの行動は割愛されています。具体的にいうと、テレビ版にあった「なのは」とのフラグが立てられていない。そう、見ることができるんですね。

こういう「誤差」とも言えない「誤差」。しかし、見方によってはとても大きい「誤差」が『劇場版』と『テレビ版』に横たわっていると思います。

これがどういうことか?ちょっと紙面(?)を割いてみましょう。

まず「フラグ」というものを考えてみればいいでしょう。有名な死亡フラグに「おれ、この戦争が終わったら彼女と結婚するんだ」というものがあります。また「登場初回は『いやな奴』だった異性がどんどん気になっていく」という、『彼氏彼女の事情』『姫ちゃんのリボン』タイプの恋愛フラグというものもあります。

ここで、重要なのは、「フラグ」とは実現されなくてもいいものである。ということです。もちろんそれが作品のテーマにかかわるフラグであるならば、実現するなり、へし折るなり、何らかの回答を出さなくてはいけません。そうしなければ話が進まないのだから仕方がありません。

しかし、「匂わせる」だけで終わるタイプのフラグというものも確かに存在します。主人公の脇役のフラグなどは好例の一つです。「脇役とわき役がくっつく」というのは、マンガ、テレビ問わずにちょこちょこ見ることではないかと思います。小説でもあるでしょう。

そしてその、多くの場合、彼らの恋愛は描かれないんですね(とくに主人公キャラをおう作品だと)。ふとしたポイントで「おれ、君が傷ついていないか。心配で」とか「ばかっ!なんて、あぶないことをするんだ」などといった「フラグ」をだして。「あいつらくっつくんじゃないのか?」という思いを読者に抱かせる。

しかし、その後描かれるのは主人公たちの物語のみ。場合によってはまったく描かれません。

そして、エピローグあたりで「くっついている二人」をだす。こういうタイプが「実現されなくてもいいフラグ」の一つです(いや、実現はしているけど、ラストまでにちょいと回収すればいい。過程を描かなくていいフラグとも言える)。

とはいえ、これは「くっつく」ということは作品で提示されるんですね。しかしそれをさらに突き進め。「作品中でくっつかなくてもいい」フラグというのが確かにあります。

それが「年齢」です。

「幼い恋のものがたり」みたいな感じで、読者が「あの子たち大きくなったら一緒になるんだろうな~」と思うように作るということです。(ちょっとわたしは見ていないんですが)「北の国から」もそんな感じではないでしょうか(紆余曲折はあるけど)。

この場合。物語終了時までに「子どもが大人になる」ことはあまりありません。だから、「くっつくとは思う」けど「くっつくところは出ない」というパターンになるわけですね。

で、このことを延々と語ってなにが言いたいかというと。

これ、なのはテレビ版も同様だよね。ということを言いたいんですね。

もちろん「ちがーうっ!「なのは」は「フェイト」とくっつくんだー」とか「「なのは」は誰とも一緒にならないっ!」という意見もあるでしょう。

しかし、フラグ的に見れば、1期と2期のかんじでは「ユーノとなのは」はそのパターンにはまっているとは言えるんです。

しかし、3期、4期と行くごとにユーノは登場しなくなってくる。たいして「なのは」の横には「フェイト」が登場してくるんですね。歪んだ見方をすると、フェイトは「男性役」を兼ねているという見方もできるんじゃないかと思います(すくなくとも同人誌のかんじからすると、そう見ている人は相当数いるのではないか)。

とにかく。ここで言いたいのは、「フラグ」は「描かれない未来を規定する」(あくまで仮ではあるけど)。そのさいに重要なのは「フラグが立つ」ということ、そのものである。そういうことなんです。

テレビ版を見る限りでは「「なのは」と「ユーノ」はくっつく」(少なくともそうなってもおかしくないほどの信頼関係、つながりがあることを示す)そういうフラグが立っています。しかし映画版ではそれが「ない」んですね。

もちろん物語的にはそれほど重要ではありません。あくまで「映画」の中では。

しかし、物語のそとの「未来」を見てみるとそれは一変します。

「なのは」の「ユーノ」とくっつくという物語は、白紙になってしまっているんですね。

これが、ある意味での、「大きな誤差」です。

一人のキャラの未来が一変してしまっているんですね。しかもこの場合は主人公です。これが小さいはずはありません。

この影響は「未来」に響きます。そうです。3期と4期に響きうるんです。

テレビ版の「未来」なら、「「なのは」と「ユーノ」はくっつく確率が高い」。たいして劇場版の「未来」なら、「どうなるかわからない」んです。

わたしは、これを原作者の都築さんが意図的にやった可能性があると思っています。

なのはテレビ版の時ですら「ネットの反響を見ながら物語のさきを決めていた」方です。いまの「なのは」と「フェイト」のカップリングの反応を見て、「はじまり」を作り変えた可能性はあるのではないかという気はするんですね。

「同じ」だけど「違う」。すると、そういう物語を作ったのではないかという、そんな邪推ができるんですね(笑)

追記

それにしても4期の感想では、なかったようなぁ・・・

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