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2010年1月30日 (土)

言葉でしか表現しえないもの

入江さんの新作『神さまのいない日曜日』と同時に発売された、『夏海紗音と不思議な世界①』を読了しました。

うん。おもしろかったですよ。

ちょっと変わった世界と奇想天外な女の子。紙一重の現実と、もしかしたらありえるかもしれないと思わせる世界観。ひと夏のボーイミーツガールという、典型的だけど、心にくるストーリーが良かったです。

まぁ、本の感想はちょいと後にしましょう。

ここで書きたいと思ったのはタイトルにあるように『言葉でしか表現しえないもの』のことについてです。

これは別にこの本限定のことではありません。たまたまこの本を読んでいるときに感じたことであり、おそらく別の本でも同様の現象は起こっているに違いありません。

この違いを端的に表現すると『動画と言葉のちがい』とでもいうべきかもしれません。比較対象としても、比較材料としても一番適しているのはやはり、動画です。

これがどういうことかというと、言葉は『省略』を内部に含んでいる表現形式だということなんです。これだけでは伝わりづらいから、もう少し言葉を連ねてみましょう。

たとえば「てれびんは銃弾をよけた」という文章があったとします(・・・・・・いや、どんな状況だよソレ)。文章だとこの一文で「銃弾をよける」という所作は全て終了してしまいます。頭をひねってよけたのか、体全体をずらしてよけたのか。はたまた、灘神影流の奥義『たま滑り』のようにしてよけたのかもしれませんw

言葉だけでは「どのように」よけたのかということは表せないんですね。それを表現するには、体勢なり動作なり、場所なりの新たな言葉を要します。

このような『省略』の特性を持つため、『文章はむずかしい』などということも言われるのでしょうね。

しかしこれは、けっして、わるいことばかりではありません。

たしかに状況をつぶさに表現するには言葉を連ねることが求められます。ときとしてそれは、読み手に苦痛を強います。だけどそれは「全て」を「詳細」に描写しようとしたために起こってしまった、不幸な事故と言えます。

動画と小説を見くらべてみてください。動画には膨大なまでの情報が込められています。そこには、小説としては、いらない情報までもがあることが分かるでしょう。砂の質感、太陽の強さ。何気ない日常のシーンであろうと、それを微に入り細にいり語る必要は求められません。ここを語る時に読者は「だらだらとなげぇ」などという感想を抱きがちです(ちなみに、こういうところを語るおもしろさもありえることは付記しておきます)。

このことは「小説と動画の面白さは異なる」ことの一端を表していると思います。同様のことはわたしの以前の記事『見なくてもいい「Fate劇場版」。・・・』http://uzumoreta-nitijyou.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/fate-999d.htmlでも言及しました(『メディアの違いを理解せよ』http://uzumoreta-nitijyou.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/by-0717.htmlでもすこし話していますね)。この場合は「ゲームと映画」の差なので、完全に同一の事柄ではありませんが、質的には同一のことも語っています。

そこで、言葉の『省略』という特性はけっしてわるいものではないという話に戻りましょう。

ここで感じるのは『省略』が故に生まれる「おもしろさ」についてです。

ここも多少具体例を用いてみましょう。さきほどの『てれびんは銃弾をよけた』というシーン。これを変更し『てれびんは降り注ぐ銃声の嵐から逃げ惑った』にしてみましょう(いや、だからどんな状況だろう、ソレ)。物語にもよるんですが、これを動画で表現してもおそらく面白くないでしょう。なぜなら、てれびんは、当然のことながら、映画のヒーローではありません。こんな銃撃現場にいても情けなく逃げ惑うか、おろおろしているのが関の山に違いありませんw

このような映像を見せられてもそれほど面白くはないでしょう。しかも、このシーンがクライマックスならなおさらです。物語の盛り上がりに水を差す主人公。あり得ませんね。

この、おそらく動画で見ればかったるいシーン。しかし、これが文章だったらどうでしょうか。

『てれびんは降り注ぐ銃声の嵐から逃げ惑った』

この一文ですべて。完了してしまいます。

ここの文章に「どう」逃げ惑ったのかや「どれほど」情けないのかは描写されえません。ただの「事実」としてあるだけなんですね。

情報が『省略』され、物語は保たれる。これが『省略』が故に生まれる「おもしろさ」の欠片だと思います。

これは物語が書きこまれるほど強くなる側面があるでしょう。たとえば、この、『夏海紗音と不思議な世界①』でも同様です。

未読の方がいるだろうから、ネタばれはしませんが、この物語の主人公はそれなりに情けない。いわゆる普通の少年です。その彼が最後の方で出くわす乱戦。これは、動画で描写すると面白くないと思うんですよ。すくなくとも主人公をクローズアップしてはいけない。

なぜなら主人公は、ここではかなり情けない闘いを繰り広げているはずなんです。銃を撃ったことがない。撃っても当たらない。こんなことを繰り返すやつの闘いがクライマックスでは盛り上がるとは思えません。

しかし、小説では『逃げ出した』『応戦した』という一言で片づけてしまっています。もちろん所々では主人公の情けないエピソードが盛り込まれているのですが、その場合は会話形式(もしくは一人語り)になっていて、会話の面白さというものに転換されているんですね。

そして、こういう面白さは『言葉でしか表現しえない』かもしれない。そんなことを思ったんですよ。

まぁ、そんなかんやのことが語ってみたかった(・・・・・・わぁお。なんて尻すぼみな文章だ)。

追記

夏海紗音と不思議な世界①』とあるけど②はでるのだろうか?

追記2

作品自体は、「ボーイ・ミーツ・ガール」の典型として面白かったよ。ただ大絶賛とまではいけないのが残念。もう少し面白さを詰め込んでもいいかな、とは思うんです。まとまりとしてはいいし、キャラも受けるとは思うので、それなりに多くの人が楽しめると思います。そういう意味では、ライトノベルとして優秀な作品だとは思うし、お勧めはできます。

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