2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
フォト

ウェブページ

無料ブログはココログ

« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »

2010年1月

2010年1月31日 (日)

まぁ、キャラが可愛いからいいんだけどね。『なのは The movie 1st』と比較検証してみる。―『魔法少女リリカルなのは vivid』

魔法少女リリカルなのはViVid(1)

じつはこれ、劇場版みた当日に買いました。だらだらしているうちに、感想がこんなに遅れてしまった(笑)

結論から言うと。全体的にはおもしろかったです。出てくるおんなのこたちの姿はみんなかわいいし、キャラの立ちも十分だと思います。

前作までのさくひんを知らない人がどれくらい楽しめるのかは分からないけど。前作まで一通り見た人なら十分楽しめる仕上がりになっております。

ちょっと書き込みが過剰かな、と思う部分はあるのですが。これはエース系の作品の色だからしょうがない気もします。

ほかにもいろいろ楽しめる作品だからファンの人には是非見てほしい作品だとはおもいます。ですが、個人的に気になる部分がいくつかあることも事実です。

けっして、批難とかいうつもりではありません(まぁ、やってくれたらうれしいけど)。

それが何かというと、一つは『ユーノの不在』です。

うん。あきらかにユーノがいないんですね。

見落としているのかもしれないんですけど。一話の『お世話になった人たち』のシーンにすら登場しないとは如何なものなんでしょう?高町家の人々ですら出ているのに(笑)

あくまで私的な思いを言えば、「ユーノはどこいったぁ!」「なのはとの関係は進展してるのかぁ?というか、しててよっ」という思いはあるんですね。

ただそこらへんの感想を差し引いても、ちょぉっと、出てきてなさすぎです。2巻以降にでるのかもしれないのですが、すくなくとも、1巻に関しては「ユーノがいない」と言ってもかまわないでしょう。

で、わたしとしてはこれは、わざとかなという気もしているんです。

どういうことかというと。劇場版の『なのは』を思い出してもらえればわかるかと思います(見てない人はすみません。ネタばれはしないんで、基本的には)。劇場の感想を見ても『ユーノが空気』という発言はちょこちょこ見られます。しょうじき『空気』は言いすぎな気もするんですが、それでも、テレビ版に比べれば活躍をしていないのは事実でしょう。

もちろん、尺の都合、というものもあるでしょう。「なのは」と「フェイト」の物語をやるので精いっぱいだった。それもあるのかもしれません。

ただ、それを考慮しても、ユーノの行動は割愛されています。具体的にいうと、テレビ版にあった「なのは」とのフラグが立てられていない。そう、見ることができるんですね。

こういう「誤差」とも言えない「誤差」。しかし、見方によってはとても大きい「誤差」が『劇場版』と『テレビ版』に横たわっていると思います。

これがどういうことか?ちょっと紙面(?)を割いてみましょう。

まず「フラグ」というものを考えてみればいいでしょう。有名な死亡フラグに「おれ、この戦争が終わったら彼女と結婚するんだ」というものがあります。また「登場初回は『いやな奴』だった異性がどんどん気になっていく」という、『彼氏彼女の事情』『姫ちゃんのリボン』タイプの恋愛フラグというものもあります。

ここで、重要なのは、「フラグ」とは実現されなくてもいいものである。ということです。もちろんそれが作品のテーマにかかわるフラグであるならば、実現するなり、へし折るなり、何らかの回答を出さなくてはいけません。そうしなければ話が進まないのだから仕方がありません。

しかし、「匂わせる」だけで終わるタイプのフラグというものも確かに存在します。主人公の脇役のフラグなどは好例の一つです。「脇役とわき役がくっつく」というのは、マンガ、テレビ問わずにちょこちょこ見ることではないかと思います。小説でもあるでしょう。

そしてその、多くの場合、彼らの恋愛は描かれないんですね(とくに主人公キャラをおう作品だと)。ふとしたポイントで「おれ、君が傷ついていないか。心配で」とか「ばかっ!なんて、あぶないことをするんだ」などといった「フラグ」をだして。「あいつらくっつくんじゃないのか?」という思いを読者に抱かせる。

しかし、その後描かれるのは主人公たちの物語のみ。場合によってはまったく描かれません。

そして、エピローグあたりで「くっついている二人」をだす。こういうタイプが「実現されなくてもいいフラグ」の一つです(いや、実現はしているけど、ラストまでにちょいと回収すればいい。過程を描かなくていいフラグとも言える)。

とはいえ、これは「くっつく」ということは作品で提示されるんですね。しかしそれをさらに突き進め。「作品中でくっつかなくてもいい」フラグというのが確かにあります。

それが「年齢」です。

「幼い恋のものがたり」みたいな感じで、読者が「あの子たち大きくなったら一緒になるんだろうな~」と思うように作るということです。(ちょっとわたしは見ていないんですが)「北の国から」もそんな感じではないでしょうか(紆余曲折はあるけど)。

この場合。物語終了時までに「子どもが大人になる」ことはあまりありません。だから、「くっつくとは思う」けど「くっつくところは出ない」というパターンになるわけですね。

で、このことを延々と語ってなにが言いたいかというと。

これ、なのはテレビ版も同様だよね。ということを言いたいんですね。

もちろん「ちがーうっ!「なのは」は「フェイト」とくっつくんだー」とか「「なのは」は誰とも一緒にならないっ!」という意見もあるでしょう。

しかし、フラグ的に見れば、1期と2期のかんじでは「ユーノとなのは」はそのパターンにはまっているとは言えるんです。

しかし、3期、4期と行くごとにユーノは登場しなくなってくる。たいして「なのは」の横には「フェイト」が登場してくるんですね。歪んだ見方をすると、フェイトは「男性役」を兼ねているという見方もできるんじゃないかと思います(すくなくとも同人誌のかんじからすると、そう見ている人は相当数いるのではないか)。

とにかく。ここで言いたいのは、「フラグ」は「描かれない未来を規定する」(あくまで仮ではあるけど)。そのさいに重要なのは「フラグが立つ」ということ、そのものである。そういうことなんです。

テレビ版を見る限りでは「「なのは」と「ユーノ」はくっつく」(少なくともそうなってもおかしくないほどの信頼関係、つながりがあることを示す)そういうフラグが立っています。しかし映画版ではそれが「ない」んですね。

もちろん物語的にはそれほど重要ではありません。あくまで「映画」の中では。

しかし、物語のそとの「未来」を見てみるとそれは一変します。

「なのは」の「ユーノ」とくっつくという物語は、白紙になってしまっているんですね。

これが、ある意味での、「大きな誤差」です。

一人のキャラの未来が一変してしまっているんですね。しかもこの場合は主人公です。これが小さいはずはありません。

この影響は「未来」に響きます。そうです。3期と4期に響きうるんです。

テレビ版の「未来」なら、「「なのは」と「ユーノ」はくっつく確率が高い」。たいして劇場版の「未来」なら、「どうなるかわからない」んです。

わたしは、これを原作者の都築さんが意図的にやった可能性があると思っています。

なのはテレビ版の時ですら「ネットの反響を見ながら物語のさきを決めていた」方です。いまの「なのは」と「フェイト」のカップリングの反応を見て、「はじまり」を作り変えた可能性はあるのではないかという気はするんですね。

「同じ」だけど「違う」。すると、そういう物語を作ったのではないかという、そんな邪推ができるんですね(笑)

追記

それにしても4期の感想では、なかったようなぁ・・・

2010年1月30日 (土)

まてまてまてまてまて!

『Landreaal』の作者、おがきちかさんがジャンプSQでインタビュー受けてることをさっき知りました。

えっ?ZERO-SUMの作品だよねっ!?

ジャンプの連載じゃないよねぇ!

いやね。まだおがきちかさんのインタビューならわかるんですよ。しかし、けっこう、『Landreaal』中心で取り上げています。

しょうじき、かなり驚きました。

twitterでも

まてまてまてまて!ジャンプスクエアのサイトで、なぜ!おがきちかさんが。「Landreaal」のインタビュー受けてるのさっ!

ってな感じで驚いています。

うっわぁっ、ふりーだむぅ。

http://jumpsq.shueisha.co.jp/contents/topic-ogaki/index.html

ここが記事の場所ね。

Landreaall(15) 552円 (税込 580 円) 送料無料

下2つはまとめ買いセットへのリンクが貼ってあります)

後半まで読まないと意味がわからない部分があるから、出来ればまとめて読むのがおススメ。

ついに出たか

出るだろうとは思っていたけど、予想以上に早かったですね。iPadのはなしです。

関連記事http://www.rbbtoday.com/news/20100128/65281.html

将来的に出てくるとは思っていたんですけどね。友人に言われたよりも、少々早い登場のような気がします。

以前のことです。わたしは電車で予備校に毎日通っていました。移動中は毎日読書です。時折、勉強。しばしば音楽を聴いて過ごしていました。

それでですね。本っておもいんですよ。一日5冊平均で持ち歩いていると、授業用の参考書などと合わせて相当な邪魔です。ただ、これを減らすわけにはいかない。

そこで思いついたのが「データにして持ち運ぶ」ということです。そうすれば、軽いし、楽なのでいいかなと思ったんですね。そこで、コンピュータ関連の企業に就職した友人に聞いてみたわけですよ。「ノートぐらいの大きさと、薄さで、鞄に入れられるような液晶端末ってない?」って。

友人の答えは明瞭です。「ない」のひとこと。少なくともわたしの需要を満たすアイテムは知らないとのこと。

で、泣く泣く毎日相当な本を持ち歩いく日々が続きましたよ。

日本上陸がいつかはわからないけど、まだしばらくはi-phoneなどが隆盛を占めるでしょうね。

将来的には文庫本タイプの、折り曲げられるタイプの液晶端末も出るのかな?超薄型の、巻物タイプのディスプレイ(曲げられる)はテレビで見たことがあるから、技術的には可能だと思うんだよね。

追記

ノートパソコン&電子書籍類vs iPad

iPhone vs Android

ではないかという指摘を受けた。勉強不足なことに、わたしは、Androidを知らなかったのだが。なるほど。調べてみれば確かにその通りだと思う。説明をうけてさらに納得。

こちらの方が、対立構造のモデルとしてふさわしいわ。

ひ~

なんかいつもよりアクセス数が多いなと思っていたら、いずみのさんが記事を取り上げていてくれたから驚き(汗)

記事は思いつきで書いているから、予想外のことでちょっとドキドキです。

ともかく、いずみのさんの記事は面白い意見だと思うので。考える余地があるな。http://d.hatena.ne.jp/izumino/20100129

ちなみに個人的意見としては、『Fate』はちょっとだけ2よりの3で、『なのは』は2かな。

『Fate』が珍しい形になっているのは、テレビ版という前提を踏まえての意見だからです。テレビ版が絡めば、映画単体で情報の補完ができるのではないかという予測があるので。

そのことに関してはhttp://uzumoreta-nitijyou.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/fate-999d.htmlここに書いてあると思います。

言葉でしか表現しえないもの

入江さんの新作『神さまのいない日曜日』と同時に発売された、『夏海紗音と不思議な世界①』を読了しました。

うん。おもしろかったですよ。

ちょっと変わった世界と奇想天外な女の子。紙一重の現実と、もしかしたらありえるかもしれないと思わせる世界観。ひと夏のボーイミーツガールという、典型的だけど、心にくるストーリーが良かったです。

まぁ、本の感想はちょいと後にしましょう。

ここで書きたいと思ったのはタイトルにあるように『言葉でしか表現しえないもの』のことについてです。

これは別にこの本限定のことではありません。たまたまこの本を読んでいるときに感じたことであり、おそらく別の本でも同様の現象は起こっているに違いありません。

この違いを端的に表現すると『動画と言葉のちがい』とでもいうべきかもしれません。比較対象としても、比較材料としても一番適しているのはやはり、動画です。

これがどういうことかというと、言葉は『省略』を内部に含んでいる表現形式だということなんです。これだけでは伝わりづらいから、もう少し言葉を連ねてみましょう。

たとえば「てれびんは銃弾をよけた」という文章があったとします(・・・・・・いや、どんな状況だよソレ)。文章だとこの一文で「銃弾をよける」という所作は全て終了してしまいます。頭をひねってよけたのか、体全体をずらしてよけたのか。はたまた、灘神影流の奥義『たま滑り』のようにしてよけたのかもしれませんw

言葉だけでは「どのように」よけたのかということは表せないんですね。それを表現するには、体勢なり動作なり、場所なりの新たな言葉を要します。

このような『省略』の特性を持つため、『文章はむずかしい』などということも言われるのでしょうね。

しかしこれは、けっして、わるいことばかりではありません。

たしかに状況をつぶさに表現するには言葉を連ねることが求められます。ときとしてそれは、読み手に苦痛を強います。だけどそれは「全て」を「詳細」に描写しようとしたために起こってしまった、不幸な事故と言えます。

動画と小説を見くらべてみてください。動画には膨大なまでの情報が込められています。そこには、小説としては、いらない情報までもがあることが分かるでしょう。砂の質感、太陽の強さ。何気ない日常のシーンであろうと、それを微に入り細にいり語る必要は求められません。ここを語る時に読者は「だらだらとなげぇ」などという感想を抱きがちです(ちなみに、こういうところを語るおもしろさもありえることは付記しておきます)。

このことは「小説と動画の面白さは異なる」ことの一端を表していると思います。同様のことはわたしの以前の記事『見なくてもいい「Fate劇場版」。・・・』http://uzumoreta-nitijyou.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/fate-999d.htmlでも言及しました(『メディアの違いを理解せよ』http://uzumoreta-nitijyou.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/by-0717.htmlでもすこし話していますね)。この場合は「ゲームと映画」の差なので、完全に同一の事柄ではありませんが、質的には同一のことも語っています。

そこで、言葉の『省略』という特性はけっしてわるいものではないという話に戻りましょう。

ここで感じるのは『省略』が故に生まれる「おもしろさ」についてです。

ここも多少具体例を用いてみましょう。さきほどの『てれびんは銃弾をよけた』というシーン。これを変更し『てれびんは降り注ぐ銃声の嵐から逃げ惑った』にしてみましょう(いや、だからどんな状況だろう、ソレ)。物語にもよるんですが、これを動画で表現してもおそらく面白くないでしょう。なぜなら、てれびんは、当然のことながら、映画のヒーローではありません。こんな銃撃現場にいても情けなく逃げ惑うか、おろおろしているのが関の山に違いありませんw

このような映像を見せられてもそれほど面白くはないでしょう。しかも、このシーンがクライマックスならなおさらです。物語の盛り上がりに水を差す主人公。あり得ませんね。

この、おそらく動画で見ればかったるいシーン。しかし、これが文章だったらどうでしょうか。

『てれびんは降り注ぐ銃声の嵐から逃げ惑った』

この一文ですべて。完了してしまいます。

ここの文章に「どう」逃げ惑ったのかや「どれほど」情けないのかは描写されえません。ただの「事実」としてあるだけなんですね。

情報が『省略』され、物語は保たれる。これが『省略』が故に生まれる「おもしろさ」の欠片だと思います。

これは物語が書きこまれるほど強くなる側面があるでしょう。たとえば、この、『夏海紗音と不思議な世界①』でも同様です。

未読の方がいるだろうから、ネタばれはしませんが、この物語の主人公はそれなりに情けない。いわゆる普通の少年です。その彼が最後の方で出くわす乱戦。これは、動画で描写すると面白くないと思うんですよ。すくなくとも主人公をクローズアップしてはいけない。

なぜなら主人公は、ここではかなり情けない闘いを繰り広げているはずなんです。銃を撃ったことがない。撃っても当たらない。こんなことを繰り返すやつの闘いがクライマックスでは盛り上がるとは思えません。

しかし、小説では『逃げ出した』『応戦した』という一言で片づけてしまっています。もちろん所々では主人公の情けないエピソードが盛り込まれているのですが、その場合は会話形式(もしくは一人語り)になっていて、会話の面白さというものに転換されているんですね。

そして、こういう面白さは『言葉でしか表現しえない』かもしれない。そんなことを思ったんですよ。

まぁ、そんなかんやのことが語ってみたかった(・・・・・・わぁお。なんて尻すぼみな文章だ)。

追記

夏海紗音と不思議な世界①』とあるけど②はでるのだろうか?

追記2

作品自体は、「ボーイ・ミーツ・ガール」の典型として面白かったよ。ただ大絶賛とまではいけないのが残念。もう少し面白さを詰め込んでもいいかな、とは思うんです。まとまりとしてはいいし、キャラも受けるとは思うので、それなりに多くの人が楽しめると思います。そういう意味では、ライトノベルとして優秀な作品だとは思うし、お勧めはできます。

2010年1月29日 (金)

一杯の紅茶に、おいしいスコーン。そして安らぎを。

一杯のお茶のおともにふさわしい一冊だ。タイトルの通り『お茶が運ばれてくるまでに』、ちょっといい。

オープンテラスのカフェに、おいしい紅茶。ホイップクリームを添えた焼きたてのスコーンを待ちながら、静かに、この本を読むのも乙だろう。

一本一本の短編は長くなく。本を読みなれていない人でもさらりと読めるに違いない。

まるでおとぎ話のような、ファンタジーのような、説話の、寓話のようなお話がいっぱい詰まっている。何度でも読めるし、誰でも読める。

あさに読んでも、ひるに読んでも、よるに読むのもいい。その時その時の気分、天気、一緒にいるひと。すこぉし、条件が異なるだけで違う読みができるだろう。

あなたはこの本をどう読むだろう?

ファンタジーだろうか。童話だろうか。寓話だろうか。警句だろうか。

くすりと笑い。おだやかにぞっ、として。少しだけ考え込む。

18編の小さな掌編があなたをまっている。

おいしい紅茶に焼きたてのスコーン。ジャムにホイップのある、午後のひと時。

そこに、ちょっといつもと違う、アクセントを加えてみるのはどうだろうか。本のあるひと時も、わるくはない。

2010年1月28日 (木)

「神さまのいない日曜日」ラジオ 録音データアップされています

第19回Something Orangeラジオ (1264362622).mp3 直

Something Orangeのラジオで入江君人「神さまのいない日曜日」のラジオデータを海燕さんがアップしてくれました。ここでも公開しておきます。一週間くらいであげるのやめるはずなので注意してくださいねー。

けっこうな裏話が盛り込まれているので、今のうちのダウンロードしておくのが吉ですよ。おそらくここでしか聞けない話がちょこちょこあります。メンバーは『Something Orange』の海燕さん、『敷居の先住民』の敷居さん、『kande-takumaの別所』のかんでさんに『神さまのいない日曜日』作者の入江君人さんです。そしてゲストが『平和の温故知新』の平和さん。ちなみに、1時間45分あたりからてれびんもゲストとしてちょいと混じらせてもらっています。

たのしかったぁ。みんな聴いてみてね。

ネタばれを膨大にしているので、『神さまのいない日曜日』と『ドラゴンマガジン3月号』のなかの短編『死体人形』は読んでいたほうがいいですよ。

2010年1月26日 (火)

メディアの違いを理解せよっ by さくらのくりむ

刀語 第1話
1,029円

刀語のアニメ第一話があまり面白くないですね。

ただあまり面白くないといってもそれで片付けてしまっては芸がありません。ちょうど手元に原作一巻があります。すこし見直してみましょう。

・・・・・・ふむふむ。

西尾さんの本は地の文が面白いですね。作者の個性ともいうべきものがあります。

たいしてアニメはそういうのがないですね。それが原因の一つなのではないかという気もします。

しかしそれじゃあ物足りません。もう少し考えてみましょう。昨日の『Fate劇場版』の記事を関連して考えてみます。http://uzumoreta-nitijyou.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/fate-999d.html

記事の中でわたしは「アニメにはアニメの、別の媒体には別のメソッドが求められる。たとえ同じ情報を表現するにも異なる媒体で表現するためには異なる表現方式が必要」という趣旨の発言を書きました。

これはこの刀語でも同じことが言えると思うんですよね。

小説の面白さは地の文のおもしろさとキャラクターの立ちが際立っていることにあります。たいしてアニメでは、表現できてもキャラ立ちしか表現できません。地の文の面白さに変わる要素が必要なんじゃないだろうか?

そんなことをふと、思ってアニメを見ていました。

追記

これは言いかえると、「アニメならではの面白さを用意しなければならないだろう」って意見なんですね。表現媒体が違うからこそ伝えられる面白さを用意しなければ、新しく見る価値が減じてしまう。すくなくとも幅広いユーザーを獲得しづらいのではないかという感想です。「原作の既読者がたのしめる」だけではダメで、「原作を見ていない人がたのしめる」だけでもダメなんです。両方の人たちが、それぞれ楽しめる。重層的な楽しさが求められるのではないかと思います。

たとえばアニメのAirはその点が十分配慮して作ってあります。「ゲーム」を知っている人はその細かい描写に注目できます。また知らない人はその作品の映像の美しさに目を持っていかれる。「アニメだから表現できる映像の華麗さ」や「描写の丁寧さ(シナリオに関するものも含む)」は「新しい価値」としてひとを取り込む要素となっています。

AIR memorial
2005年放映珠玉の名作AIRの魅力をまるごとパッケージ版権イラスト/設定資料メインスタッフ/各話スタッフリスト完全掲載

2,000円

TVアニメーションAIR
TVアニメーションAIR
2,500円

追記

ネットの感想はそんな悪いものではないらしい。・・・う~ん。見方間違えているのかなぁ。もう一度機会があれば見直してみよう。

2010年1月25日 (月)

twitterでつぶやくだけでハイチに募金できる。しかも手数料ゼロ!

http://www.dff.jp/

http://www.dff.jp/twit_haiti/

緊急企画とやらで、ツイッターでつぶやけば一円ハイチに募金が送られるらしいです。こちらからの手数料はかからない。一日一回しかやれないけど、なかなかに面白い企画ですね。twitter多用してる人はやってもいいと思うよ。

見なくてもいい『Fate劇場版』。みてほしい『なのは劇場版』

※ネタばれあります(と言っても、ネタばれ恐れるような作品じゃないけどなー両方とも。fateゲームやってるか『なのは』テレビ版見てればストーリーだだわかりだし)

【予約】 劇場版 Fate/stay night UNLIMITED BLADE WORKS 公式ガイドブック  1,600円 (税込 1,680 円) 送料無料

(CD)タイナカサチ/劇場版「Fate/stay night UNLIMITED BLADE WORKS」主題歌::Voice ~辿りつく場所~

…いやまぁ。『見なくていい』とは思うけど、見て満足は出来ましたよ。というか、かなり楽しめました。

しかしこの『Fate stay night 劇場版 Unimited blade works』を見て思うのは。この作品が「ゲームのアニメ化」を忠実に果たしているのではないかということです。

これがどういうことかと言うと。『ゲームのFate stay night』をその内容の流れのままアニメ化したということです。たとえば映画を見た人は、この作品がいくつかのプロセスを大幅に省略していることに気づくでしょう。それは衛宮史郎がどういう過去を持っているかということであったり、セイバーがどのような英霊なのかということ全般全てまで含みます。つまり。映画単品としてみては明らかに『不完全』な内容なんです。

もちろんこの『不完全』さ加減がシナリオに影響を及ぼさないわけがありません。登場したキャラクターの心理、行動が、この映画を見ただけでは(おそらく)わからないようになっています。

しかし。しかし、です。この作品は、物語としての形をぎりぎり保っています。破たんしていません。それは、見ている側に事前情報がある。脳内補完できる。そのようなことも理由の一端にあげられるかも知れません。ただ、それなら『Air』『clannad』の劇場版とかも同様なはずなんですよ(クラナド劇場版は物語は破たんしていないが、満足感とかではフェイトに劣ると思う)。それが何故か考えると、『Fateテレビ版』が理由の一端にあるんじゃないかと思うんですよね。

ちょっと考えてください。多少流れは異なるとはいえ、『Fateテレビ版』はいわば『ゲームのFate stay night』の第一話の焼き直しなんです。で、今回の映画が『ゲームのFate stay night』第二話にあたります。

ここに比較の対象があるのではないでしょうか?

ゲームの方を思い返してください。最初の共通ルートはスキップです。おなじ説明はほとんど、最低限しか要りません(なぜなら一話でした内容の繰り返しだから)。

さぁ。アニメのほうと見比べてください。似ていませんか?

最初のセイバー登場までの省略といい。キャラの説明のされなさといい。さまざまなものが『不十分』で、それでいて、(最低限)『十分』です。『単品』としては破たんしていても、『全体』の流れの中では破たんしていません。

だから思うんです。この作品の勝因は、「テレビ版」をやったことであると。

以前このことに近いことは『オリジナルの価値―2次創作の課題を考える、エヴァンゲリオンとドラえもんを例に―』http://uzumoreta-nitijyou.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-909a.htmlという記事でも書きました。

このことに近いことをここでやっているんだと思うんです。最初に「キャラクタ」や「世界」が提示されたため、次の「せかい」ではその情報はいわゆる記号の一つとして圧縮されているんだと思うんですよ。アニメ世界にはアニメ世界の「情報」があるはずなんです。たとえ「私たち」が「ゲームの情報」を知っていても。それは。互換性が十分に効くものではないはずなんです。だって、『文字世界』の情報と『動画世界』の情報では異なる誤差があるはずでしょう。

その点この『Fate』ではテレビ版というバックグラウンドで情報の下地を作ったから誤差を、違和感をあまり抱かせないように感じました。

ちょっとtwitter記事から文章を持ってきましょう。

書いていて、同じ『情報』でも、『文字情報』の世界と『動画情報』の世界では下地が違うのではないかと思う。だからアニメは成功して、マンガはダメ。ゲームはいいけど、アニメはねって感想が出るのかな。

だから『アニメのノベライズ化』に違和感を抱いたり、『ゲームのアニメ化』に違和感も出る。扱っている情報が同じはずなのに、差が出るというのは如何なことだろうか。これはアニメにはアニメの、マンガにはマンガの下地を個別に用意すべきということにつながるのではないだろうか。

つまりこの下地作りを「テレビ版」がやったのが、クラナドとかとの大きな違いだと思うんです。「テレビ版を前提にした映画」と「ゲームを前提にした映画」ではやはり大きな違いがあるんです。

それは情報が「変換された」か「されていないか」の違いであることを感じます。

そこで、テレビ版を前提にしてみると。物語の流れがゲームとアニメで同じなんですよ。ストーリーがということではなく。『ゲームをしている我々』と『アニメを見ている我々』という存在のたどるルートがです。はたから見るとおなじ道をたどっているんです。違うのは情報が『変換』される前か後かということなんです。

まぁ、そんなことを考えましたね。見終えて。

あと、史郎の決意やアーチャーの思い、考えの違いとかはしっかり表わされていました。ゲームであった「きも」の部分は伝わる内容です。

しかしそこまで良くテーマが伝わる内容でも、その内容は「ゲームの変換」なんですね。だから「ゲームで言っていること」を「アニメで伝えている」にすぎません。簡単にいってセンス・オブ・ワンダーはないのではないかと思います(ゲームユーザーにとっては)。もちろん「アニメしか見ていない」ひとにとってはある気がしますが。

だからゲームでセンス・オブ・ワンダーを得た人にとっては「見る必要ありません」。

とはいえ、映画内の戦闘はすさまじいです。描写も美しいし、「かっこいい」闘いがうなるほどあります。

そのため。「テーマの再確認」もしくは「ゲームのセンス・オブ・ワンダーの確認」、そしてものすごい戦闘の数々を見れたため、個人的には満足です。1500円の甲斐はありましたね。片道150km運転した価値もありましたよ。高速で随分とばしました。そして、一時くるまが五速から戻らなくてビビりましたww

追記

統計取っているわけではないから何とも言えないが、テレビ版を見ないで(?)映画観た人の評価が比較的わるい気がする。たいして、ゲームしてなくてもアニメを見てれば楽しめたという意見も・・・。う~ん、このネタは上述の話と絡めてちょっと考えてみるのもありかな~

劇場版Fate/stay night UNLIMITED BLADE WORKS [DVD]

新品価格
¥4,389から
(2010/9/20 07:26時点)

魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st Original Sound Track

それで『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』ですが。これは、イイッ!正直かなりのおススメですね。テレビ版見たことある人、見たことない人ともにマストな作品でしょう。機会さえあれば何度か見に行ってもいいくらいです。

てれびんが大絶賛します。

この感想もtwitterから持ってきましょう

ストーリーの大筋は変わってないけど、いろいろな言葉の意味が通りやすいように再構成されてた。見に来たかいがあった。

あと、物語の複製とか再構成は個人的に気になった。『なのは』個体でなく、在り方とかが。

さて、前半についてはそのままの意味です。フェイトの過去を所々出すことで物語の『必然性』が高まっているようになっていましたね。リニスなどのキャラが出てくることで、『フェイトの物語』の完成度が高まっています。この部分に関しては後に語りましょう。

また後半です。このあたりのことについても別にtwitterで書いているので紹介しましょう。うまく言葉になっていないので、この形の方がしょうかいしやすいのです。

あと『なのは』を見ていて、「物語の複製」に思うところがあった。

『同じ』物語なのに『違う』ことが起こる不思議。たどるルートは同じなのに、その過程の『差異』。

「見たことがあるはず」なのに「初見」。「起こることは知っている」のに「どう描写されるのかがわからない」。

しかも「別世界」「並行世界」とかではない。あくまで違いは「テレビ版」か「劇場版」かということだけなんです。つまり、おなじ道に同時に二人の人たちがいて、同じ目的地、ルートをたどる。でも『違う』。足の出し方、手の振り幅などの微妙な差異があるように、両者は『違う』不思議。

つまりね、劇場版とテレビ版は「見ている我々」からすれば「別」なんです。しかしこの劇場版が「テレビ版の焼き直し」である以上「劇場版とテレビ版は『おなじ』もの」という保証がなされているはずなんです。『同じ』なのに『違う』。ルートは同じなのに、描写が異なる。『別の角度』から取っているのではなく、明らかに『違う』ことをやっている(戦闘のこととか)。この『差異』がなんか気になったんですよ。

しかし、「どう」気になっているのか問いが立てられない以上問題が提起できません。故に解決もできません。この話はここまでとして物語の感想に戻りましょう。

じゃあ、また別のツイートを紹介しましょう。

フェイトの決意、ともだちのなりかた、こういうのがすきなんだ。まっすぐでいいよね。まっすぐって重要な気がする。

これはさっきの『フェイトの物語』のはなしにつながるんですが。明らかに『必然性』が高まるんです。それがどういう必然性かと言うと、フェイトの「私たちはまだ始まっていなかったんだ」という言葉の重みと「はじめる」という決意に対する必然性とかなんです。テレビ版では確かにフェイトの台詞と決意は気になるんだけど、わかりづらいんですよ。なにが彼女にそこまで強い思いを抱かせたのか、要素が足りないんです。でも今回その「少し」足りないところがたされているんですね。だからホントーに、以前にも増してフェイトの決意に感動できるんです。

そして「まっすぐ」です。これは『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』で特に強調されうる部分のように感じたんです。この言葉はラストの方に出てくるんですが、いくつかのことを考えさせられましたね。私はここにセンス・オブ・ワンダーを感じました。

どういうことかと言うと、この「まっすぐ」はいくつも考えられるんですね。一つは「曲がった」眼で母親から見られてきたフェイトが、対等に、「まっすぐ」見てくれたのが、なのはだった。なんの利害関係もなく「友達に。なりたいんだ」と言われることが、アイデンティティを崩壊させられそうになった彼女にどれほどの救いを与えるのか。これは自己を承認されることの喜びが描かれているともみれます。ここに関連しているのが、なのはが、最後の方でフェイトに語る「友達になるためには。まず。名前を呼べばいいんだよ」ということですね。これは他者を同定するものが名前であり、その名前を呼ぶことであいてに「わたしはあなたをあなたとして見ていますよ」という意思表示をすることを言っているんですね。そうした「まっすぐ」見て見られる関係というのはやはり重要なもので、互いの承認のしあいこそが「友達」を表すことを意味します。だからその場面までフェイトはなのはを名前で呼ぶことはなく、なのはだけが一方的に名前を呼ぶんですね。それらの流れのうえでフェイトが「なのは」と呼ぶシーンは涙なくして見れません。この物語は「出会い」の物語で、「承認」の物語なんです。その結果の結実が「友達」なんですね。また二つ目はキャラクターの行動です。この作品の登場キャラは全員「まっすぐ」行動しているんですよ。主人公なのはは当然ですが。フェイトも「母の望みをかなえるため」、その母親も「アリシアをよみがえらせて失われた過去と未来を取り返す」という「まっすぐ」な思いを抱いているんですね。ただこの「まっすぐ」にも違いがあって、最終的に意味を持つのは歪んでいない、なのはのものなんです。フェイトはなのはから「まっすぐ」な気持ちを受け取り、崩壊した自己を回復し、自分の「まっすぐ」な気持ちを母親に伝えるんです。で、死んでしまう(?)けど母は「わたしはいつも気づくのが遅い」とかつての「まっすぐ」な気持ちをとりもどし、去っていく。そのように「まっすぐ」が伝染する。そういう風にも見れます。また、「まっすぐ」は『なのは』と言う作品の特徴もあるのでは、とも考えたのですが時間の都合上割愛します。

まだ他にも語れることがあるんですが、そろそろやめておきましょう。

魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st<初回限定版> [DVD]

新品価格
¥5,771から
(2010/9/20 07:27時点)

最後にべつのツイートを紹介して終わりにしましょう。

とにかくレイジングハートが大活躍で嬉しい。わたしは『あるじに忠実につかえる無機物』に萌えることが判明。自分で自分のあるじを育てる、見いだすタイプのやつ。もぅ、もぅって言いたくなるほど大好きです。

自意識を持つ無機物の誇りとか忠誠ってすばらしいよね。

追記

戦闘の迫力はんぱない。スターライトブレイカ―では「鬼かっ!」ってつっこみが・・・

追記2

レイトショーだったから帰りは普通道を150kmはしって帰ったさ

追記3

レイジングハートが喋るたびに、その言葉根のあたたかさに涙が出そうになる。バルディッシュもなー。最後のフェイトを支えてさ、もう素晴らしいよ

2010年1月24日 (日)

公開初日に『なのは劇場版』と『Fate劇場版』を見てきた!

はい。わざわざ見てきました。片道150km、往復300kmかけてさいたま新都心まで行ってみてきましたよ。

個人的には大満足な一日でした。たとえ帰ってきたのが翌日の2時過ぎであろうと、帰ってきてお家がめちゃくちゃ冷えていようと、満足した一日でした。

で、感想ですが今回はネタばれなしの方向で行きます。ネタばれありの感想はもう少ししてから(具体的にはひと眠りして気が向いたら)書きます。

個人的には両方けっこう満足しました。たぶんどちらもDVD買うでしょう。しかしそれとおススメ出来るかどうかは別です。

簡単にいって、『Fate』は見なくてもいいけど、『なのは』は見てください。

『Fate』いいんですけどね、物語としては不完全な部分が多いんですよね。でも映像はキレイだし、戦闘の数々は素晴らしいので、「おれは格好いい闘いが見たいんだ!」「アーチャーや、ランサー、おまけに史郎の雄姿が見たいんじゃー」って方は行っても損はないでしょう。

出来としては『そこそこ』だけど、突出してる部分もあるのでそこを評価するかどうかで感想は別れるのではないかという気がします。

次に『なのは』です。これはいいですよ!物語の再構成もしっかりしているし、テーマもはっきりしてます。テレビ版の単なる焼き直しでは済まないようになっていますね。戦闘もパワーアップしています。『Fate』と『なのは』のどちらをみるか悩むなら『なのは』を見る方を、断然、お勧めします。これはいい出来だわ―。

2010年1月20日 (水)

みんな、よめよめ!―『神さまのいない日曜日』

本日1月20日に入江さんの新作『神さまのいない日曜日』が発売されました。

そして現在1月20日22:50に無事読み終りました。

よかった!おもしろかった!!

うん。これは面白いね。

おすすめできる。みんな、よめよめ!

おれの脳はっ…

A4ec1_2

遊ぶか、休むしかないようです。・・・あれっ、べんきょうは?

ちなみに本名の方では嘘が前頭葉を支配してました。ちょっと人生考え直そうかなぁ。

ちなみに、てれびんの十年を見てみるとA4ec

放浪しかしないそうです…。

なんて自分らしい運命。

ちなみに本名の方もびみょうでしたとさ。

2010年1月16日 (土)

amazonnから自立しよう!

お題目はかっこういい(?)ことを言っているけど、つい一週間前にamazonを大活用してドミニオンを買ったてれびんです。みなさん如何お過ごしでしょうか?

いやね。日々アマゾン君に頼っている自分が言うことじゃないんですが、みんなアマゾンに頼りすぎていませんか?この世の中に物品の購入手段や基準はアマゾン以外にも数多くありますよ。最近おさいふからお金がなくなりがちなアナタ、電子決済をしすぎて毎月のカードなどの支払いが予想以上におおきいと叫んでいるアナタ(てれびんも人のことは言えませんが…なにしろ先週の本代が10…、ゲホン、ゴホン!)、あなたたちは無駄な出費をしていませんか?

あ、ちなみに、何かの広告ではありませんよ。ただの記事ですから、ご安心を。変な商品を紹介する予定はいまのところ、ありません。

なんでこんな記事を書いているかと言うと、先日あるネットラジオを聴いていて経験したことが元になっています。

そのなかでね、パーソナリティの方が『道化師と神』というSFの批評本を紹介してくださったんですよ。一度聞いてみればわかると思うんですが、その説明がおもしろくてねー。読みたくなるんですよその本を。しかもわたしなんかは業が深いから、出来れば手にいれたくなっちゃうんですよ(悪いくせだ)。で、やっぱり同じような人がいるわけです。聴きながらネットを検索して、ポチッ、と押してしてしまう人がいるんです。これがね。

ただ問題が一つあった。

『絶版です』、の一文字。

残念です。ひじょーに残念です。もう再販はされてないそうなんです。とっくの昔に本が刷り上がることはなくなってんです。

だから僕たちが新品のほんを手に入れることは出来なくなってるんですね。

しかし、さすがは天下のアマゾンです。抜かりがない。

新品がないとなれば、中古商品を紹介してくれます。安心できますね。

そこで値段を見てみると……最低金額が、四〇〇〇円。たけぇよ。

ちなみにもともとの本の定価は1260円だそうです。

絶版がプレミアをつくって、値段が上がっているそうです。

これでは少し買うのがためらわれてしまいます。だって3倍以上の値段になってるんだから当然です。

なかにはここで迷わず商品を買ってしまう猛者もいます。でも世の中のお父さんたちのお小遣いが減らされている、昨今。それが出来ない人もいるのではないでしょうか?あるいは私みたいに月に大量のほんを買う人間は、その行動ではすぐに首が回らなくなってしまいます。

そこで「じゃあ、買うしかないよ」というアナタ。決断が良すぎます。

逆に、「じゃあ、買えないなぁ」。あきらめが良すぎますよ。人生もう少しねばりましょう。

ここでやるべきことは、情報収集。これしかありません。

たとえばブックオフは調べましたか?楽天は?他の中小のオークションはどうですか?もしかしたら、より安い商品が、質のいい商品があるかもしれません。

疑い尽くし、比較し続けてください。

これが「評価の基準はひとつではない」ということです。あるところではとても高価でも、場所によってはクズ以下かもしれません。それを見定めることも必要です。

じっさい今回では、『日本の古本屋』という古書店の自治組合みたいな中には、よりやすい本がありました。

その値段、800円。

送料に代引き手数料を加えても、定価とさほど差はありません。

さぁ、よく考えて。amazonで買うのが妥当か否かを。

これがわたしの今日のネタ(もうねみぃ、現在朝の5時になるところ)。

では、おやすみなさい。

2010年1月13日 (水)

近況

お久しぶりです。てれびんです。

3連休を持ってドミニオンやってたり、なべ作ったり、煮物を作っていました。(注 なべ”料理”をつくっていました)

うん。

結構遊んでたんです。たのしかったです。

そして、明日は課題のプレ発表です。

実技です。

内容はピアノですよ。

練習していません。

…どうしよう。

ピンチを迎えています。のこり数時間なんで、ひと眠りして練習します。

補足

片手でも満足に弾き切っていないので、冷汗ダラダラものです。時間がないのが痛い!(地道に練習していればよかっただろって話なんですがね)

2010年1月10日 (日)

ドミニオン合宿

いずみのさんたちとやったドミニオンがかなり面白かったので、昨日スタンダードデッキと陰謀デッキを購入して、友人とドミニオン合宿中。

周囲にドミニオンを普及しているさなかです。

2010年1月 9日 (土)

ラジオをやります

本日1月9日(土)の夜九時から海燕さん、かんでさん、揚羽さんとラジオをやります。

内容は雑談に近いものになるでしょう。詳しくはsomething orangeなどで告知しています。

始まりましたhttp://std2.ladio.net:8130/kaien2988.m3u

2010年1月 7日 (木)

私はずっとあなたに支えられていた―『花とゆめ』チムアポートレビュー

花とゆめが発売して2日になるので、そろそろチムアポートのレビューでもしてみようかと思います。(チムアポートを読んだ人は下の文をザーッと読み飛ばしてください。かなり下の方にレビューがあります)

舞台は戦争が絶えやまないある邦(くに)での世界。この邦には人間とチムア、という人間とは異なる生き物が暮らしている。人間はチムア=人間とは異なるものを、不思議な力が使えるということで迫害していた。この物語の主人公は2人、一人はポートというチムアの薬師、その姿はウサギの、愛らしい姿をしている。もう一人はジャバ・ウー。ザーザ村の戦士で、徴兵されて戦場にいる。ポートの親友であり、よき理解者。

今回の物語は、北の郡へ難民救済のため出兵されたジャバ・ウーが主人を失ったチムアのピノと出会うことから物語が始まる。幼いころから『力』が使えたピノは、ずっと迫害されていた。それを救ったのが、彼女の(名目上の)主人となるジニー・ウォン。ジニーはピノを我が子のように愛し、育てた。しかしその彼女もよる年並みに勝てず他界してしまう。そしてピノはまた一人ぼっちとなってしまい、迫害されてたところをジャバ・ウーに救われる。そしてピノをこのままにしておけないジャバ・ウーはピノをポートのいる村、ザーザ村に送り届ける決意をする。ただ一度しか使えない『恩賞』を用いて、ピノとジャバ・ウーのポートへの旅路が始まる。

大まかなあらすじはこんなところ。ジャバ・ウーとピノの旅には多くの困難が待ち構えている。「チムアはダメ」「チムアがいるからより多く払え」など、チムアというせいで旅の為に必要な物資が手に入らなかったりする。

そんな中、人間に憎しみを抱いているピノはジャバ・ウーとともに旅を続ける。そして徐々にジャバ・ウーを知っていく。

彼女はこの旅の中で大きな2つの出会いをする。一つはジャバ・ウーとの出会い。供にあるうち、チムアだから、人間だからという狭い垣根で相手をみないジャバ・ウーを大切に思うようになる。

もうひとつがポートとの出会い。しかし、このたびにおいて、ポートとピノが直接出会うのは最後だけである。ポートはピノのことを知らない、しかしピノはポートのことを知っている。ピノがポートを知るのは、ジャバ・ウーを守る『念』を感じ取ったときからだ。ジャバ・ウーはポートによりある石を持たされている。それはポートが『念』を込めた石で、ジャバ・ウーを守っている。この石の念をピノは何度となく感じ取る。ポートは石を通してジャバ・ウーに何度となく語りかける。「ジャバ・ウーくん、どぉしたの?」「だいじょおぶ?」と。

それらの思いをピノは感じ取り、その思いの清らかさをチムア特有のちからで知っていく。

そうして、ピノは徐々に、徐々に暖かな感情をとりもどしていく。

物語の終盤において、ピノとジャバ・ウーはオオカミに襲われる。そのオオカミはチムア同様に人間に迫害されていた者たちだった。憎しみのままにジャバ・ウーを襲おうとするオオカミたち。

そこにピノは炎を投げかけながら語りかける。「捕食者のあなたたちが獲物を捕まえて喰らうのは自然の摂理!!」「でも、憎しみだけでこの人を喰らうのはダメ!!」

「この人は、ダメ!!」

と。

そして、さらに語りかける。「私たちはここを通りたいだけだ」と。

そのとき、オオカミたちに『念』が伝わる。純粋で、キレイな念がオオカミたちに届く。それを感じてオオカミたちは去っていく。

ピノは涙を流しながらジャバ・ウーに伝える。「あなたを守っている『念』が純粋でキレイだからオオカミたちは受け入れてくれた」「あたしの『念』ではダメなの!あたしの念は汚れているから、一歩間違えると、彼らの憎しみと交わってしまう」

そして、胸の思いを吐露していく。「ちからを隠していけと、みんなは言う!しかし、あなたは歩くことを隠す?喋ることを隠す?私にとってはこれがふつうなのにっ!」「人間は、ちからを、魔術と言うっ」「人間の方がひどいのにっ!」

そしてちからを暴走させ、悲しみを振りまくピノを抱きしめながらジャバ・ウーは問いかける。「人間が嫌いか?」それにたいしてピノはそっと答える「そんな虚しい思い、とうに失せたわ」

それを聴いて、ジャバ・ウーは悟る。ピノの『念』は汚れているのではなく、「絶望」しているのだ、ということに。

同時期、ポートはピノの悲しみの念に当てられていた。吹き飛ばされ、痛い思いをしながらも、ポートは石の向こうの相手に念を送り続ける。

そして、ピノは、ジャバ・ウーとポートの念の2人に抱きしめられる。

全ての感情を吐露し、あるがままの思いになったピノ。彼女はそうなってはじめて、せかいの温かさを感じる。

このしばらくのち、ピノとジャバ・ウーは別れることとなる。ジャバ・ウーがピノを送り届けるために手に入れた時間は5日間。残る行程をわずかに残したまま期限切れになってしまう。

ジャバ・ウーは別れ際、自身の恩賞の章(しるし)をピノに渡す。大切なものではないかと戸惑うピノにジャバ・ウーは、この中のチップが、おまえが俺の元にいると証明してくれると告げる。つまり、恩賞が、ピノの身柄はジャバ・ウーのものであることを保証する旨を告げる。

だが、そうジャバ・ウーは言葉を続ける「だがお前は俺の物じゃ、ない」「一人のチムアだ」「これはお前を束縛するものではなく、おまえを守ってくれるものだ」

このとき、ピノはなぜポートと言うチムアがこれほどまでの強い思いをジャバ・ウーにこめるか理解する。

そしてジャバ・ウーをつよく、つよく抱きしめながらピノはジャバ・ウーに告げる

「ジャバ・ウーさん、しなないでね」

「それは、運命に任せる」柔らかく微笑みながらこたえるジャバ・ウー。

ときを同じくしてポートは、ジャバ・ウーの石に新たな「思い」が宿ったことを感じ取る。

赤く、鮮やかな思いを感じ取る。

そしてぽつりとつぶやく。「なんて崇高な、紫紺の気(aura)」

ピノは自身の呪縛を解く。「汚れた」『念』を自分で浄化していくこととなる。

具体的なことはじぶんで読んでもらえるとうれしい。

そして最後にピノはポートのところにたどり着く。

緑の美しさ、花のあでやかさ、リスのあたたかさ、自然の見事さを感じながらピノはポートの元へと向かう。

そして出会う、ピノとポート。誰だかわからないポートに飛びつきながらピノはポートに告げる

「わたしの名前はピノ」

「あなたは私を知らなくても」

「私は、ずっとあなたに支えられていた」

そしてラストページ。最後の一文は

今、ザーザ村には、二匹のチムアがいる

 

…アレ?気づいたら、本編の内容の多くをタイプしてしまってた。

まぁ、それでも本編の感動は伝えきれないんだけどね。できればマンガを読んでもらいたいな。羅川さんの新作がいつ出るかわからない以上、この話がいつ単行本化するかわからないしね。

で、ここで特に語りたかったことは「あなたは私を知らなくても」「私は、ずっとあなたに支えられていた」というセリフ。

このことばがホントに良くってね~。涙が出そうになっちゃう。

どうしてこれほど感動したかのか考えてみると、これはこの物語に限ったことではないんですね。

自分の身近なものを考えてみればそういうものはありふれているよねってはなし。

たとえば物語なんかもそうです。

「一冊の本が人生を変える」

よく聞くはなしだけど、多かれ少なかれ現実にある話です。

小説にせよ、自伝にせよ、評論にせよ、本の書き手はその本を読む多くの読み手のことを知りません。しかし、その人がそこで書いたこと、どこかで言ったこと、やったことに支えられている人はいるんです。

それは有名人に限った事ではありません。あなたが悲しい目に会った時、やさしい言葉をかけてくれた友人の言葉は、その人が、どこかで出会った言葉のリアレンジかもしれません。それは親の言葉だったり、友人の言葉だったり、もしかしたらテレビのバラエティ番組やドラマでみた言葉かもしれません。

同様に自分のいった何気ない一言が自分にめぐってきて、じぶんを助けてくれるかもしれない。

「あなたが知らなくても、わたしはあなたに支えられていた」という言葉は、そういうつながりを感じさせてくれる、とても素晴らしい言葉ですね。

そんな今日のはなし。

2010年1月 6日 (水)

新作短編のすすめ

ちょっと本屋で立ち読みしてたら、自分的にかなり好きな短編があった。

ジャンプSQの新作で「魔物は歌わない」

という作品。

魔物がいる世界で、村が魔物に滅ぼされてしまった少女のはなし。絵の調子と世界観が合致していてかなりいい作品ですね。

もし本屋などで見かけたら立ち読みしてやってください。

ファンタジーの王道な物語で、うつくしい作品です。

もうひとつが羅川真里茂さんの新作短編「チムアポート」

以前やった短編の続きですが、それを知らなくても全然読めます。さすがの大御所で、見せどころがわかっていますね。

この世界観は、人間と「チムア」という生き物がいる世界。チムアとは「人間でないもの」という意味で、奴隷、もしくは家畜のような扱いを受けています(言葉は通じる)。彼らの姿はウサギだったり、猫だったりでかなりキュートに描かれています。人間たちは戦争をしてばかり。そんな中でチムア達は不遇の暮らしを強いられている。しかしそんな中でも温かなものは失われていない。そんなお話ですね。

「花とゆめ」で載ってますので機会があればご一読ください。(これは買ってる)

追記

チムアは人間には使えない魔法のようなものを使える設定がある。それを知っていた方が作品は読みやすいですね。

オリジナルの価値―2次創作の課題を考える、エヴァンゲリオンとドラえもんを例に―

http://micron02syun.web.fc2.com/COMIC/dora-frame2.html

偶然このサイトを見つけた時に思ったことですね。

このサイトの内容を簡単にいうと、「ドラえもん」の2次創作です。

高校生になったのび太は倉庫の整理中に覚えのない写真を見つける。それは小学校五年生のときの写真。のび太、すね夫、ジャイアン、しずかちゃん、……そしてみたことのない青い、タヌキのような円い生物(?)。その写真を見つめるうちにのび太は気づく「自分はなにか大事なことを忘れているんではないか」と。明らかになっていく記憶の欠落。自分はなぜジャイアンたちと別れてしまったのか。しずかちゃんとは疎遠になってしまった。これはなぜなんだろう、原因の見つからないことに驚きを覚える。深まる謎。そしてのび太は過去をとりもどすために動き出す。

ってはなしなんですがね。

この「おもしろさ」はどこにあるんだろうって考えたんですよ。描かれ方、ドラえもんのいなくなった世界という発想、成長したのび太たち…etc。いろいろあるんです。でもこの話の「おもしろさ」の大前提には「オリジナル」があるんですね。これはre-takeとかにも通じるはなしです。テーマ、話の構成ともにre-takeはいい作品なんですが、その面白さの前提に「オリジナル」が横たわっているのはある程度確かなことでしょう(そうとも言い切れない部分はあるけど、そのはなしは後半でします)。

そこで今回の「課題」のはなし。

最初に言っておくけど、これは2次創作の「欠点」の話につながります。しかしそれは、ある視点からながめた場合の話です。だからその視点にたたなければ、これからの指摘は、むしろ、「長所」ともいえるものなのではないかと思います。

そこでどのような「欠点」の話かというと、それは「2次創作の生産性」です。端的にいえば「2次創作には生産性」がない。これはさまざまな異論はあると思います。「同人誌をつくる時点で生産しているじゃないか!」そういう指摘もあるでしょうし、わたしもそこには同意をします。

これは先ほどの話と同じですが、「視点」が変われば「生産性がなくなる」、そういうはなしです。

ではどのような視点に立てば「生産性」がなくなるのか?

それは「集客」を問題にしたときです。

具体的にいうと、「外部から人を呼び込めない」。

ライトノベル、マンガ業界も相当なものだと思いますが、2次創作では人を呼び込むことはないんですね。まずコミケとかに参加する人口の一定数が存在し、そのなかでパイを分け合っているにすぎない。そういうことがあります。(2次創作を楽しむには「原作を知っていること」がある程度要求される。だから2次創作の対象者は基本的には「原作読者」なんです。その意味で読者の「枠」は決められています。たいして、「原作」はもう少し可能性があります。たとえばアニメ化、マンガ化、おもちゃ化、ドラマ化や雑誌で取り上げられるなど、普段読まない層にアプローチをかける手段があります。うまくいけば「新規読者」が増えるんですね。おなじ「新規読者」でも「2次創作」と「原作」では質が少し違う。元々の分母の中で分子を増やすか、分母自体を増やすかの違い)

その一つの原因に「オリジナル性の欠如」があげられるでしょう。もちろん各作家さんたちは、それぞれ自身のオリジナルを描いています。先ほどのre-takeの話をすれば、あれはやはり一つのオリジナルなんですね。では「オリジナルの欠如」とは一体何なのか?

それは「世界を一から構築していない」ということです。ここら辺の話は、LDさんの情報圧縮論などをみてもらえばわかるかと思います。

たとえばある作家さんに描きたい一つの世界があったとします。しかしその話はとても複雑なんです、もしやるとすれば何年もかかる(マンガ版エヴァとかを思ってもらえばいいと思います)、だって考えてみてください、一つのキャラクター達の心情、背景、それを取り巻く世界がしっかりして物語というのは(基本的に)なりたちます。

だから作家さんたちは描きたい世界をえがく前にその物語を構成する『場』を構築していきます。ただ、読者の方もその『場』を共有しないといけません(だってそうしないと話がしみ込んでこない)。それにはそれなりの時間が必要です。下手をすれば生涯をかける仕事になるかもしれません。

だから『既存のキャラクター』と『既存の世界観』を利用して「描きたい世界」をえがく。すると、読み手の中に一つの「幻想」を作る手間が省けるんです。そうすると、才能ある作家さんが10年かけてやったことを、半年かけないで終わらせられる場合もある。有限の人間としてはかなりのメリットです。

これができるから、情報圧縮は悪いものではないというのがLDさんの意見で、わたしもそこには同意できる部分が多いんです。

しかし「世界を構築していない」ということは、広めるうえですごいデメリットにもなりえます。それは少し考えればわかることでしょう。「著作権」がありますからね。

考えてみてください。どこか別の雑誌で、「ドラえもん」のエロパロディが連載されたとします。そして、それが大人気作になってしまった時のことを。原作側としては無視しようにも無視できないかもしれません。下手をすれば原作のイメージを逆に喰ってしまう可能性もあるわけです。そして「エロなドラえもん」というオリジナルが出来てしまう。

これは一つの可能性ですが、ありえないことではないですね。オリジナルがパロディを作るなら、オリジナルに影響を与えるパロディがあってもおかしくはないでしょう。

オリジナルの唯一性を保つにはパロディが別の枠から客をとってきてはいけないんです(ある意味)。

ただ、2次創作の中でも成功しているのはいくつかあります。その一つがエヴァです。

「碇シンジ育成計画」はエヴァを知らないけど、男の子を育成してみたい層にアプローチをかけ、「パチンコ エヴァンゲリオン」はパチンコユーザーを引き込んでいます。

ほかにもエヴァパロはいっぱいあります。これらは原作をもとにしていながら着実に分母を増やした2次創作です。(なぜなら、ゲームなどには、原作と同一で、原作がたどってない世界が描かれている)

2次創作の課題の一つは「新規ユーザーの分母を増やすこと」である。そうしないと、原作が縮小すれば、共倒れになる。それ一つで確固たる根を張れる2次創作も、これからの課題なのではないかと考える次第。

再生産、流通、作品同士の干渉、これらがキーワードかな~。

みたいなことを思いつきで書いてみた。

RE-TAKE ←成年版

RE-TAKE ←全年齢版

追記

現在の状態とだと「読者」は原作を知っているんですよね。

しかし、枠が広がると「原作を知らない2次創作読者が相当数になりうる」可能性が残される(←原作より強い2次創作が出てくることもありうる)

これもひとつの問題の種かも

ある意味いいことなんだけど、既存の秩序が壊れることになるんだよね

ちなみにわたしは、「原作を知らなくてもある程度2次創作を楽しめる」ことはあると思うんですね。要は「こういうキャラクターだ」ということさえ認識していればいいわけなんです。

帰ってきた

やっと帰ってきた。いや~、ここ1週間はあっちこっちに遊びに行ってました。ちょっとここらへんで簡単に記憶をたどってみます。

24日 男友達とクリスマスなのに鍋パーティ。楽しかったけど、「彼女は!?」とかの指摘はしないでほしい

30日 平和さんのラノベオフにでる。次の日うみねこを買うために都内にとどまるつもりだったので、宿をとってたのだが、入江さんが泊めてくれるとのことで泊めてもらう。

31日 うみねこEp6と少女病の新作などいろいろ買う。もちろんWAVEさんのも。その後新幹線で実家に帰る。

1日 寝てました。友人と会っただけ

2日 親の代わりに年始参りに行く。例年より数が増えただけ

3日 午前一時にでて、朝に東京に着く。この日も泊めてもらい、新年会にでる。いずみのさんたちと夜にドミニオンやる。

4日 なんだかんだでドミニオンの一日。

5日 午前一時に大学そばにつく。しかし家に帰る手段がない。友人の家に泊めてもらう。迷惑な奴です。しかも午前中を寝過す。何だろう自分。

そして現在かえった。

「落ち着けよ。いい年してるんだから」と諭される自分を発見。

2010年1月 3日 (日)

ひたすら共感しにくい、けど読めるんだよなぁ―『僕は友達が少ない』

いや読みにくかった!文体とがどうというのではなく、共感ポイントが少ないからこそ生じる読みにくさです。ただこれはわたし個人の問題であって中身自体はいつも通りの平坂読さんです。

前作の『ラノベ部』が非常に面白かったのに対して(わたし的に)微妙な『僕は友達が少ない』ですがその作品的対比はじつに面白いと思います。作者があとがきで言っているように前作『ラノベ部』と読みくらべてみるとその差がはっきりします。

僕は友達が少ない
学校で浮いている羽瀬川小鷹は、ある時いつも不機嫌そうな美少女の三日月夜空が一人で楽しげに喋っているのを目撃する。「もしかして幽霊とか見える人?」「友達と話していただけだ。エア友達と!」「(駄目だこいつ…)」小鷹は夜空とどうすれば友達が出来るか話し合うのだが、夜空は無駄な行動力で友達作りを目指す残念な部まで作ってしまう。しかも何を間違ったか続々と残念な美少女達が入部してきて?。みんなでギャルゲーをやったりプールに行ったり演劇をやったり色々と迷走気味な彼らは本当に友達を作れるのか?アレげだけどやけに楽しい残念系青春ラブコメディ誕生。
609円

作者さんが同一なので当たり前のことですが、この作品と『ラノベ部』はテイストが同じなんですね。文体、話の作りや構成、いわゆる骨子がおなじです。でもそれらの素材や組み合わせ方がおなじでもテーマやキャラクターでかなり違う話になっています。

作者曰く『自分にとってもっとも読みやすいスタイルで、もっとも書きやすいスタイルで、もっとも好きなキャラ造形で、もっとも面白いと思うノリで、もっとも心地よい物語を書きました』とのことです。でもこれはほとんどラノベ部も近いとは思うんですね。だけど『ラノベ部』の印象が違うのはキャラ造形やノリをいじっているからなのかな、と思うんですよね。この辺を意識しながら両者をみくらべるとラノベ部のほうが意図的な構成をかんじます。

まぁ、これから2巻を読んでいきます。

追記

  • マリア先生が出てこなくってかなしかった!
  • 子鳩がかわいいなぁ。とくに事件のない話ってのがとくにいいね。ほんとうに日常があるだけだから。
  • これで読みにくいと思うのは、やはり、平坂さんのキャラがもともと独特だからなんだなぁ。その点ラノベ部は意図的に変えていた部分があるように思う。
  • 主人公がやっぱりリア充な気はするなぁ
  • でも2巻から面白くなってきそうな気がして…

2010年1月 2日 (土)

途中経過―『うみねこのなく頃に』EP6

twitterで思いつき書いてます。根拠のないのとかいっぱいある。

でもこれは面白いよねー。それだけは保証できる。やる価値があるよ。

http://twitter.com/terebinn

twitterのせとこ

2010年1月 1日 (金)

極上ですね―『生徒会の七光』

はいみなさん改めまして、あけましておめでとうございます。新年開始1時間半でパソコンをクラッシュさせたてれびんです。現在予備用に持ってきたパソコンでブログを書いています。

もうね、新年一発目がこれだと逆に、今年はいい年になる気がします。

というわけで新年最初に読み終えたラノベの感想です。

じつは実家にかえる途中にも読んでいたものなので、2009最後に読んでたラノベにして、2010はじめに読んだラノベとなります。

そしてこの作品やはりに面白いですね。連作短編にして一つのつながりを持っているのでとても読みやすいんです。

基本はギャグなんだけど、絶妙に話をすすめる要素をくわえているから見ていてあきないんです。今回でいうならば、杉崎の妹の林檎ちゃんのはなしとか、この先のはなしとかですね。

もちろんそれだけではなく、キャラクターの掛け合いがやっぱり最高です。マテリアルゴーストのギャグ部分がほんとに好きでね、その流れからこの生徒会シリーズは大好きなんですよ。これをあえて短編集でやらず、長編(?)扱いにしたのは正解だったな~。微妙に見え隠れする短編とは一線をかくす要素が、もうっ、て感じでいいです。

ただこのおもしろさをわかってもらうにはやっぱり生徒会の一存を読んでもらわないと伝えきれない気がします。

これはうみねこでも感じるはなしで、ストーリーがいいとか目のつけどころやテーマがいいとか色々あるんだけどそれらを内包して作り上げられた『作品』がいい場合はやっぱり、読んでもらうしかない気がしますね。

それで合わなきゃ「勧めてごめんね」としかいえないわけでね。生徒会の一存シリーズはまず1巻読んでもらえばコンセプトは感じてもらえると思うんだけど、うみねこは、ゲームでしかも2話までやってもらって初めて、あうか合わないかがわかるものですね。

ちなみにこの巻で好きなのは≪定められた一言≫コーナーです。あれでひとを傷つけられるようストーリーを作成できるのがすごいよね。キャッチボールのはなしも好きだけどね。あの会長のことばがすべてひらがなで、句点の取り方があたえる無垢のイメージが大好きなんです。

新年明けましておめでとうございます

えー、新年明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

最近不定期なブログですが、まぁ、読んでるんですよ、マンガやラノベは…

とにかく読んだ時の感想を出来るだけここに載せていきたいですねー。ホント読んでいただいてありがとうございますね。ではよいお年を。

一年が幸せでありますように。

« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »

カウンター

カテゴリー

楽天アニメ

楽天コミック

ブログパーツ

  • いいねボタン