神のみぞ知るセカイが予想以上に面白かった
あまりにあざと過ぎる気がして手を出していなかったんですが、物語三昧の紹介で『神のみぞ知るセカイ』を読んでみました。で、それが予想外に面白かった。
これは「完全」な存在である桂木桂馬が他者と「すれちがう」物語なのかなと思って読んでいました。この間のsomething orange緊急ラジヲでも似たような話題が出ました。ランドリオールのDXは完全で、それゆえ小さくまとまっている、のような話だったと思います。
『神のみぞ知るセカイ』もやっぱり同様で、彼は「完全」なんですよね。元々の枠が広いからそれなりに破綻はきたさないで物語を解決していける。しかしそれだけでは彼の枠に収まりきらない事態も必ず生じてくる。これは当然DXにも当てはまることで、それが「手に余るもの」なのでしょう。十巻以降の東方編で出会ったリドの兄なんかはその一例で、彼等と相対してリドを助けるには今までの彼のやり方ではどうにもならなかった。
今までの自分のやり方で限界までやってどうにもならず、最後の最後で絞り取れてきたのが教官から与えられた「剣の型」と「自分の肩書(ティ・ティのことば)」でした。「すれちがう」ことが彼に新たな選択を与える。「すれちがい」が存在しなければ彼はこの選択を出来な買ったでしょうね。。このシーンを見た時はホントに感動でしたね。彼の今までの経験の一つの集約ではないでしょうか。欠けたピースがはまり込んでいくような爽快感を覚えました。
『神のみぞ知るセカイ』の桂馬も同様ですね。一巻の時点では確かに彼の予定通りの結末を迎えています。しかし巻が進むごとにその誤差は確実に大きくなっています。(物語の引き延ばしとかがなければ)破綻はもうすぐ起ることでしょう。彼の枠に収まりきらない、対処しきれない事態が生じたときかれは今までの「すれちがい」から何を生み出すのか?注目したいですね。
ちなみに彼の「誤差」のわかりやすいシーンには4巻の「ちひろ編」のラストや6巻の「勉強会」の最後の「気のせいだ」というセリフとかでしょうか。彼のセカイと周囲のセカイが徐々に影響しあっていっています。
「すれちがい」とは相互の干渉です。「完全」ではなくなる代わりに「新たな選択」などが与えられるものです。虚構という「理想」では何ともできない現実に出会った時彼はどういう選択をひねり出していくのか。それがこの物語のテーマにあるのではないか、とか思いながら読んでいました。
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