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2009年9月 4日 (金)

『いじめの構造』 読了

945 講談社現代新書の『いじめの構造』(内藤朝雄 著)を読みました。ずいぶん前に読んだんですが、やっと感想が書けます。

とりあえず本の感想を書く前に大まかな内容の解説を入れておくとします。ちなみに、かなり長いので読みとばしても構わないかとも思います。最後に書く本の感想を読んでいて「何これ?」って部分があったときに読み返すので十分でしょう。

解説開始

本書は『いじめ』を社会学的な構造を原因ととらえて書かれた本である。この本においていじめとは構造的に機械的に起こるものとして書かれている。群生秩序という概念がここに取り込まれて解説される。群生秩序とは、社会の中における法とは異なったある集団(今回の場合は学校)においてのみ生じるローカルな秩序のことである。これは法等といった私たちがよく知る秩序とはとは異なるルールを有している。これは大なり小なり似たようなものが世の中にあるのではないかと思う。たとえば外国に行けば日本とは全く異なるルールが厳然と生じることだろう。歩き食いをしてはいけないとか、肌を見せてはならない、写真を撮ってはならないなど法とは異なるその地域特有のルールがある。同様に卑近な例でいけば、大学や会社の飲み会などが一つの例としてあげられる。吐くまで飲まなければならない、先輩・上司から勧められたら(ほぼ)必ず飲まなくてはならない。もちろん断ることは可能だが、後から「あいつは付き合い(ノリ)が悪い」などといっていくらかの不利益を生じかねない。このような「ノリ」という言葉を肯定する、法とはまた異なったその集団独自なローカルな秩序のことを群生秩序として取り上げる。

この群生秩序の特色の一つは「いま・ここ」といった現在に強く依拠している点がある。「ノリ」ということばがあらわすように、その場の雰囲気に同調・呼応することが「正しい」選択であるのが群生秩序である。そしてその秩序は時として法や社会倫理を上回る場合がある。決して法律などの秩序が無効化されているのではなく、優先度が変化したのだろう。法といった大きな枠組みのルールよりも学校空間に形成された群生秩序が優先されるようになったと捉えられる。

この小社会の秩序は個人個人相互の関連から構成されており、結果、「学校のルール」といった一つのシステムを形成している。これを「場」と呼ぶとする。筆者はこの「場」の中に「ある情報」が入ることで「場」に参入している人間の内的モードが「友好的関係」→「いじめの関係」に移ると説明する。たとえば、ある段階では仲良くしていた集団が」あるとする。この集団が会話しているときにある一人がその時いない一人(仮にAとする)について「Aって○○(←悪口のようなもの)じゃね?」といったとする。そのとき「場」の「ノリ」を保つために別の人間が同調し、結果的にその集団の中ではAを悪く言う・低く見ることが「当然」となる。そして最終的に集団内で身分関係が形成されてAをいじめる構造が出来上がる。

このいじめの仕方についてもいくらかタイプがあり、筆者はそれを①破壊神と崩れ落ちる生贄②主人と奴婢③遊び戯れる神とその玩具、の3つに分類する。この3つが相互に組み合わさることによっていじめの仕方を説明できるという立場に立っている。

さらにいくらかの例と詳しい説明を用いながら『いじめの構造』をせつめいし、どのような理屈の結果「いじめ」という現象が起こるのかを解説する。

その結果この理屈を基にしてどのようなシステムにすれば学校でいじめが起こらないかを説明している。

解説終了

具体的にはこの本そのものを見ていただくのが一番いいと思う。それほどウソを書いたつもりはないが、この解説は本書を読んだ私というフィルターを通してのあらすじなので、筆者の意図とは異なる部分がある可能性を否定はできない。

感想

本書の内容は面白かった。いじめの起こる構造を社会システムを用いて理論的に説明しており、オートマティックに起こるものであると解説している。その視点は独特の物がある。文書自体もかなり平易に書かれていて、少しわかりにくいかと思われるところは図を用いて説明してあるため理解が容易になるようにしてある。なによりこのように「どのような」理屈の結果いじめが起こるのかを「若者の暴走」「社会構造のゆがみ」などといったあいまいな存在をもちいないで解説しているところに好感が持てた。

ただ同意できない部分ももちろんある。

一つはいじめは本当にシステムからの由来のみによるものだろうかという点である。筆者は最後に学校システムに代わるものを一つのプランとして提示しているが、これは学校におけるいじめそのものがすべて、ないしはほとんどが学校システムに由来するものであるという前提に成り立っている。その前提が確実に立証されているのかどうか、もし例外があるならそれはどのようなものなのかが不明である。

まずこの理論は演繹的に構成されている。そのためこの理論の例外がどの程度存在するかの確認には膨大な手数や時間が必要であろう。そこに注意して、あくまで『可能性』の一つというスタンスを保ちながらこの理論を眺めるのが良いように私は思う。

次に本書の後半に上げられている学校制度に代わる制度に対して疑問がある。私はこの制度があまり好きではない。この制度は本書における人間をいじめに駆り立てる理論を前提に作られている。この理論が正しいのかどうかについての疑問は先ほども述べたことだが、仮に正しかったとしても私はこの制度を受け入れたいとは思わない。なぜならその制度は人間の自由をシステムの点から抑制する制度だからだ。筆者は学びたいものが選択して学べるのでそれぞれの生活に合わせて「生きやすい社会」が出来るという。私はそうは思わない。確かに確実に機能するのであればある一部ではすごく生きやすい社会なのかもしれない。しかし環境を整備することによっていじめが起こらないようにした社会とは、人間の選択の可能性を意図的に制限したという点ですごく「不自由」な社会なのではないだろうか。あまりにシステマティックに構成したため遊び・余裕のない制度のような気がする。そのため私はこの制度に対してあまり希望を見ることができない。

また筆者が「いじめのある学校」を見すぎたために逆にバイアスがかかってないかどうかが気になる点である。

このようにいくらかの点で私は筆者に同意できないのだが、それでもこの本はそれなりに読む価値があると思う。まず理論立っているためにそこに対して考えをまとめやすいというのが一つの点である。さらにこの筆者の意見に同意するにせよ出来ないにせよ、それがなぜかを考えるのは自分の意見を確認するのに役立つだろう。そしてこの理論はユニークな言説である。この理論は正しくないかもしれないが、逆に正しい可能性も残されている。あるいはこの理論がいじめの構造のすべてを説明してなくても、一部は説明している可能性は残されている。少なくとも「いじめ」というものを分析する一つの手がかりになりえる。そのため私はこの本は一読の価値があるのではないかと感じた。

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