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2009年8月11日 (火)

ちはやふる 1~5巻 読みました

51ldgvh4fl__sl500_aa240_ 『ちはやふる』読みました。表紙は若宮詩幌です。作中での圧倒的な存在感に感化されてついこの画像を選択してしまいました。

感想としては、「面白いです」というのが僕の中での正直なところです。それ以上に付け加える言葉がありません。

う~ん、上手く伝えられるかは分からないんですが、「感情の揺れ幅があまりなく」シンプルに「おもしろい」という感想なんです。そのため付け加える感想がほとんどないんです。

ちょっと説明してみることとします。

通常「おもしろい」というのは感情とリンクするものですよね。キャラクターのいる「世界」に取り込まれ、そこから自然と発露する感情の中から「おもしろい」という感想が出てくる。しかし、今回の場合は最初に「物語に取り込まれる(引き込まれる)」という作業が効率よく働かなかったんです。そのため「感情と直リンクしないおもしろい」という一見パラドックスな状態が存在してしまう。

……いや、どこが悪いというのは特にないんです。ホントに。非常にスピーディで読みやすいし、作品に登場するキャラクターも十分魅力的です。個人的には4巻からが一番好きです。……というか、4巻以降から感情とリンクするようになってきました。

これについて少し考えてみることにしました。するとわかってきたことがいくつかありました。

その中の一つにわたしは『ちはやふる』を「こわがって読んでいた」ということがあるんですね。これがどういうことかもう少し詳しく書くと、わたしは「『ちはやふる』のキャラクターたちがいつ恋愛状態を発動して物語を台無しにするか」を恐れながら作品を読んでいたということです。

この辺の内容については私が書くより下のリンク記事を見てもらう方が早いのではないかと思います。

わたしはこの記事で言うような「恋愛至上主義」の作用が働いて、『ちはやふる』の今まで(3巻まで)のストーリーすべてが「恋愛物語」のギミックにされることを恐れたんです。恋愛が悪いわけではありませんが、それが「すべて」ではありません。あくまで主は「ちはやの成長」とかであるべきで、恋愛はあくまで従です。そのスタンスが保たれながら話が進むのかどうかを恐れながら話を読んでいたんです。それでは物語に没入できるわけもありません(「物語のスタンス」を読むために意識の主体は常に物語の外にあったからではないかとわたしは想像している。)。

で、なんでそんな風に思ったかというと、このマンガが「少女マンガ」だからです。もちろん最近では少女マンガだからといって「恋愛」ばかりが物語の根幹をなすわけではありません。しかし、それでも依然と少女漫画では「恋愛」が重要なポジションを占め続けているのは確かです。そのため「……いつくるか……いつくるか……」と「恋愛」が物語の中心に跳びでてくる可能性を否定しきれず不安な状態で物語を読み進めていたのでした。それが原因でした。

だけど4巻以降はその不安は多少払拭された。そのためいままでより物語に没入できた。そういうことだと思います。

あとはスポーツ漫画張りの練習風景や若宮詩幌の存在感もよい方向に作用したのでしょう。

(もちろん不安は完全に払拭されたわけではないけど)次巻以降に期待しつつ続きを待つとします。

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