2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
フォト

ウェブページ

無料ブログはココログ

« ……買えなかった | トップページ | 『サマーウォーズ』見てきた »

2009年8月17日 (月)

ふと思った

「命を繋ぎ止める(救う)ことはできても患者さんを治すことはできない?」

今日k-booksでラノベを探しているときに、ふとそんな風に思った。どうしてそんなことを思ったかは私はわからない。多分いつもの思いつきなのだろう。まぁ、後付けの解説でも加えてみよう。

私は基本的に「病気を治すのは患者さん」というスタンスをとろうと思っている(なにか自分の考えが変わる出来事があれば、別のものに変わる可能性は否定しないが……たぶん変わらない気がする)。かぎかっこの後半の部分はここに該当する。

これは東洋漢方などのかんがえかたなどを意識すると当然のことのように思う。もちろん抗がん剤などのように積極的に病変を叩くものもあるが、基本は患者さんの体力・治癒力だと思うからだ。

あと、自身への戒めの意味も込めている。数多くの患者さんに接しているうちに「自分は患者を治している」という考えになっているかもしれない。自分がこうなることで患者さんとの「対話」などが困難になる可能性を軽減させたいからやっていること(のように思う←そこまで強力に意識しては行ってないからこのように領域を持った表現をとらせてもらう)。

これに対して前半部分はどういうことだろう?

……これはそのままの意味である。例えば映画などを考えてみよう。ハリウッドムービーの中には、今にも敵に殺されそうな仲間(ヒロイン)を主人公が助け出すシーンがある(もちろん逆のパターンもあるが)。このとき殺されかけた相手はまぎれもなく「命を救われた」といえるだろう。

医療の場合も同じである。

このままでは確実に死んでしまう患者さん。例えば交通事故で脳を始めとして多くの重大な損傷を受けたもの、鉄パイプなどが眼球や腹部の重大な部分に刺さってしまったもの。これはどんなに応急処置をしたところで自己治癒では治りきらない部分が多いのではないかと思う。これを手術などによって「救う」。脳手術や、鉄パイプを抜く開腹手術、それを可能にする薬。これらをもって患者さんの命を現在の時間につなぎ止めたならそれは「命を救った」といえるのではないだろうか?(※1)

ある意味これは当たり前の感覚ではないかと思う。日常社会において医療者とは(いい悪いは別として)患者さんを治す存在と(一般には)認識されている。

しかし、先ほどかぎかっこの後半に関して言及したように「患者さんの治癒力を前提」として「治す」というのは日常的に見られることのように思う。大半の薬は患者さんの病状を「抑える」ものであり、それだけをもって治すということはないだろう。あくまで患者さんの自己治癒機能を考慮に入れながら複合的に用いていくものだと感じている。どちらかといえば、「主」は自己治癒であり、薬などは「従」である(もちろん数多くの例外はある。このように自己治癒が主眼に来れる患者さんは比較的重篤ではない病気の方々が中心となる印象が私にはある。しかし、患者さんの大半は入院などの(一般的に重病と感じられる)状態にならないことを考えるとそれほど軽視していい出来事ではないように思う)。

では何故医療者は患者さんを「治す」と思われるのか?そして医療者の中に「自分は患者を治してやっているんだ」という財前 五郎(※2)的医師が出てくるのか?

それは患者さんの「命を救う」ことと「病気を治す」ことを混同しているものが多いからではないかと思う。これらはにているようでいて、決して同一のものではない。「応急処置」で「ほっておけば死ぬ」状態を改善してもそれがイコール「病気が治った」ことと同等ではない。

これも先ほどの映画の例でいうと。戦場で殺されそうな仲間を救ったところ(=手術)で、状況が先延ばしになっただけにすぎない。本当に安全な地帯を求めるなら少なくとも戦場から抜け出さなくてはならない(=病気を治す)だろう。

両者は密接に結びついてしかし別物である。

我々(医療者医療関係職を目指す者のみならず全員)はこのことを少し意識したほうがいいのだろうか。

……などということをふと思いました。(※3)

※1ここでいう「命」とは狭義の意味の命である。人生や生活ではなく、生命活動的なもの限定で用いている。

※2財前五郎が本当にこんな考えを抱いていたかは……覚えてない。「傲慢」なイメージの通りが良くなるかと思って用いたにすぎない。

※3あくまで思いつきです。見当はずれかもしれません。基本的に自分に問いかけて確認してもらえると助かります。具体的なデータもないので、「可能性」の一端です。

※4この文章では断定的表現は極力避けた。それは、この私の意見を支える客観データがないからに他ならない(専門も勉強してないから、詳細で理解できてない部分が数多くあるし)。そのため曖昧な表現が多いのは勘弁してほしい。繰り返し言うが、「思いつき」です。

« ……買えなかった | トップページ | 『サマーウォーズ』見てきた »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ふと思った:

« ……買えなかった | トップページ | 『サマーウォーズ』見てきた »

カウンター

カテゴリー

楽天アニメ

楽天コミック

ブログパーツ

  • いいねボタン