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2009年6月12日 (金)

「あまえる」ということについて、を読んで

Img010 これは赤木かんこさんという児童文学の評論家さんが編集した『日本語ということば』に収められた一編である。著者は中村咲紀さん、当時小学校二年生の人が書いた作品だ。第47回(1998年)全国小・中学校作文コンクールの優秀作品である。

これは全部で5章に分けられている。一つ一つの章立てに明確な意味がある。順に読んでいくことで読者を説得していく構成は作文というより、論文に近い。彼女の主張(思想)は彼女の現実に根ざしている。長く生きていることは思想の成熟具合とは明確に比例しない。たとえ我々の何分の一しか生きていないものであっても、人生に真摯に取り組んでいるものはことばに出来ない(かけがえのない唯一の)価値あるものを手に入れる、それを証明している内容だった。このような文章、人間に出会うたびに人間は年齢(権威とも言いかえられる)などでは測り切れないという当然のように言われることが実感として感じられる。

以下はこの文章の(私なりの)解説を加えていきたい。もしこの作文を手元に所持しておりまだ読んでいない方がいるなら、私の解説(のようなもの)を見る前に本文を一読はすることをお勧めする。なぜなら、これを読んで自分がどう感じたか、それを自分の人生にどう生かしていこうとするかという“読み手の意思”が重要であると私は信じているからである。(その意味では前文で私が自分の感想を書いてしまったのはちょっとはやまったかな?とも思う。)

文章は『セロ弾きのゴーシュ』の読み解きから始まる。ゴーシュのもとに動物たちが来た理由、それが与えた作用、そしてその結果ゴーシュは如何な心理状態に至ったかが独自の解釈を加えながら読み解かれている。しかしそれだけではない。6年前に初めて私はこの文章を読んだ。そして虜にされた。その理由は彼女のその発想の豊かさ(みごとさ)にあった。彼女は1章の最後に2つの新機軸の発想を打ち立てていた。それは『ゴーシュに起こった奇跡とは、ゴーシュのセロ弾きが上手くなったことではなく、彼のもとに動物がやってきたこと』と『実はゴーシュはセロ弾きが下手ではなかった』ということである。しかもその理由が明確な根拠を伴って描かれている。私がこの作品は作文ではなくむしろ論文だと考える根拠はこの点に寄るところも大きい。

2章では書き手の幼稚園時代のつらい体験が描かれる。それを小学2年生現在の状況から俯瞰的に捉えて描き切っている。ここにこの子の非凡さが垣間見える。そして最後に「自分はゴーシュと同じ」で「じぶんじしんもまわりの人も、何もかもちゃあんと見ることができなかった」とかつての状況を分析しなおす。

3章では彼女の「脱皮」が述べられる。幼稚園卒業から小学校で友達を作るまでの過程を順に描く中で、「本当のじぶんをちゃあんと見」ることを身につける。これは大人にも容易にできることではない。中には、「そんなことが子どもにできるわけない!」という人もいるかもしれない。確かにそうかもしれない。その意見には聞くべきところはあると思う。しかし自分自身を見つめようと意識する。そういうことができない・意識しようとしない人間もいる中、自分でそのような決意をしたことはやはりすごいことなのではないかと私は思う。その第一歩ですら自分で踏み出せない人間はかなりいるのだろうから。

4章では今までの流れが一つにまとまっていき、「あまえる」ということはどういうことかという本題に突入してくる。「あまえる」ということは悪いことだと感じていた彼女が、母親との会話、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」との出会いによって変化していくさまが書きあげられる。

そして5章で結論が描かれる。ここは決意表明の章ともとらえられる。ここで彼女は「じぶんのしごと」は「大きくなるために、がんばっていろんなことを学ぶこと」であると宣言する。これはこれから先のさまざまな物事にこれからも真摯に当たることを彼女なりに宣言したように感じられた。さいごに彼女は自説の理想(哲学)を簡単にまとめている。それは以下のようなものだ「人は、みんな、心と心をくっつけあって、生きていくのです。でも、くっつけすぎには気をつけて、みんな元気な時ははなれて、自分のことをちゃあんとするのがいいと思います。  わたしは、がんばって大きくなります。」

これを高校生の時、図書室で読んだ私はすさまじい衝撃を受けたことを覚えている。ホントに心から尊敬できる文章・内容に出会えて喜びを覚えたものだ。それからいろいろあって6年間この本を探していた(内容は覚えていたけど本の題名は覚えていなかった。私はインターネットも使ってなかった時代なので検索するという手段も思いつかなかった)。

そしてこの間やっと見つけ出し、再度読み直し始めた。あの感動は気のせいだったのかもしれない、そんな思いを頭の片隅に持っていた。しかし読み終えてそれは杞憂に終わった。私の中での最高の一冊の一つは確かにこの作文だった。

再びこの文章に出会えたことに感謝を。(……何に対してかはわからないけどね。そんな気持だった)

ちなみに本作文はそんなに長くありません。40ページほどです。ひらがなが多いことを考えると想像以上に短いです。ただ“私にとって“は最高の文章。そんな作品です。

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