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2009年6月

2009年6月30日 (火)

またテスト

明日はまたテストだ。しかもまた第二外国語。……先生、二週連続は勘弁してください。

ってことで、今日はここまで。テスト勉強しなきゃ。

本当はもう一冊読み終えていたのだけれど、その感想は明日にする。可能ならば昼までには書けるかもしれない。……なにせ、テストは明日の一限からだからね。

残念だ

……残念だ。白夢の感想をさっと書いた直後に本屋に行ってきた。

10時締切だから結構走った。通常歩いて12分程度だから軽い小走りだけど。

「スクランブルウィザード4」が欲しかったのだけどまだ仕入れていなかった。……これが地方都市の限界か……

仕方ないのでキャロット100%ジュースを買ってきた。やけ呑みでもしよう。

白夢 読了

Img025 そこまで面白くないわけじゃあないんだけど、気になるところがいっぱいある作品だった。吉兆さんが言うようになんか光るとこはあるんだけどね。

個人的には最後の崖を上るあたりなんかいいなと思った。一巻全部が大きな物語の序章なのかな~とか思って読んでいた。実際あの学園内で延々物語進めたら途中で打ち切りとかがありそうでちょっと怖い。この作者はもっと広い世界を書くほうが似合っている気がする(別の作品読んだことないけど……)。

それにしても世界観の書き込みが少々足りない気がする。例えば、5年前に急に≪はぐれ≫が出るようになったという設定はいいけど、それを生徒だけで対処するようになったとかはちょっと……少なくとも国に秘密とかはあり得ないんじゃないかな~とかちょっと思った。そうするならそれなりに根拠ある設定が必要だと思う。

でも人間描写の書き方とかすごく興味を引く書き方をしている。これからどんな展開になるんだろう?もう少し読んでからこの作品を判断していきたいと思う。

参考URL

やっと書き込める

帰ってから書きこもうと思ったら、@niftyがココログのアップデート?みたいなのやっていて書けなかった。これから書く。

2009年6月29日 (月)

……部屋が片づかねぇ

部屋が片付かない。特に本棚を買ったことによって出た余分なフリーラックが邪魔。

粗大ゴミ捨ての日はかなり先だし、ホントどうしよう。

他にも本とかの純粋な物量が問題……

車怖えぇ

今日初めて教習所で車の運転した。めんどいのなんのって…

クラッチとかアクセルの踏みがこえぇよ。ちょっと踏み込みが変わるだけグンとスピード変わるんだもん。一定のスピードに保つのムズいよ。正直あれでちゃんと運転できるようになるか心配。

……おもしろかったのは確かだけど……

「恋のはなしを、しようか」 読み終わりました

Img024よく行くサイトの方が大絶賛していたので買ってしまった一冊です。

物語はある予備校で始まります。偶然の出来事。そして「恋の話を、使用か」。そんな日常からちょっとずれたところから始まり、日常になって。絆を育んでいく。とても温かな物語でした。

私はもともとラブストーリー系の作品は読まないんですよね。読んでいて切ないというか、痛々しい感じがして嫌なんですよ。しかも「こんないろいろ劇的な事態は起きねぇよ!」って突っ込みを入れたくなるほど事件が起きるので読書熱が覚めてしまいます。

しかしこの作品は好きですね。文体のせいかストーリーのせいなのかはわかりませんけど、すごく読みやすかったです。

なんていうのか、すごく何気ない日常の積み重ねがあんな温かな4人の関係を作り上げたんだな~、というのがよくわかる話だった。それぞれの人間の思いがひっそりと描かれていたのが印象的でした。

とは言ってもいくらか欠点も目につきましたけどね。例えば若葉とか。彼女の気持ちの変化でわからない部分がちょこちょこあった。これは基本的に“ミツル”の視点から見ての物語だからというのが理由なんでしょうが、それにしても記述が少なすぎる気がします。若葉だけが、4人の相関関係を作るための道具的キャラクターになっている気がします。その点が正直残念。本当に“ドラマ”のために用意されているようで目についた。

でも全体的に見れば致命的欠点ではないですね。総合的にみるとかなり面白い話です。

それにしてもお父さんは最後でいい場面をごっそり奪っていきましたね。典型的だけど(典型的だから)いい感じです。これがあったから最後に感じなくなった胃の痛みに説得力が生まれました。

作者の自然な文体でどこにでもある日常を描く力は抜群です。この作者の別の作品は読んだことがないんだけど、今度読んでみよう。

参考URL

2009年6月28日 (日)

バナー追加しました

「終りのクロニクル」イメージサントラへのリンクつきバナーをつけました。視聴もできるので聞いたことのない人は跳んで聞いてみてください。

いま考えていること

いま本の読み方についてどのように勉強しようか悩んでいます。

例えば一つの本を読むのでも違いますよね。小説として読むのか、啓蒙書として読むのか、評論として読むのかとかね。そして読む本によって読み方を変えたりする必要があるよな~とか考えています。

小説ひとつでも、それを楽しむための物語として読むのか、現代を戯画化した物語として読むのか、読者に感じ取ってほしいものがあるのかなどいろいろあります。その読み方の勉強をどのようにやろうか(どのようにすればいいのか)考えています。

……ホント別の人はどうやっているんだろう?まずは映画の読み方のようにメソッドのあるものから進めてみようかな?

ん~、まぁいいか

せっかくだから信州プレ医ゼミの講演内容を紹介しておきましょうかね。

興味のある人は下のURLから跳んでみてください。

医ゼミの説明http://uzumoreta-nitijyou.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-125b.html(このブログの過去ログ)

信州プレ医ゼミ感想http://yaplog.jp/yamanashiizemi/archive/23

ってか載せていいのかチョイ悩んだんですけどね。まぁまだこのブログを見てくれている人もそんなに多くないからいいかな、と。ちなみに(読んでくれる人は)注意して感想を読んでくださいね。これは“私”というバイアス(偏向)がかかっていますので。(それにしてもプロフィールの某の意味がなくなったな~)

ちょっと寝ていた

帰ってきてからトイレで使うために通販で買った文庫本棚の組み立てしたら疲れたのかちょっと寝てた。

ちなみに本は読み終えていない。偽物語下巻はそう簡単に読み終わらない。現在三分の一が読み終わりました。すごく読みやすいんだけど本が厚いからな~。

それにしても八九寺のメタ発言は何なんでしょう。物語の中間にぽっかりあいた穴のようです。物語とそれ以外の境界があいまいすぎ。いや、それを言うならメタ発言についていける(どころか補足できる)主人公は何なんでしょうね。

まぁのんびり読もう。

今帰りの途中

今信州から帰っている途中です。今回のプレ医ゼミは楽しかったです。いろいろな知り合いが出来た。

ちなみに途中カエル祭りに寄ってきました。川で遊んでいる人たちがいたりして雰囲気が良かった。昼に食べたそばとおやつのアイスたい焼きが乙でした。機会があったら一度食してください。

ではまた帰ったら更新しよう。移動中に未読の本を読まねば。

2009年6月27日 (土)

約束通り

約束通り私の脳死(というか死かな?)についての一意見。

正直私自身はあまり脳死を法律で定めるのは賛成していません。これは私一人が言っていることではないのですが、ここから先は人の死です!とスパッと区切れるものなのかな?ということが一つありますね。(まぁその意味では現在の通常の死亡判定も多少怪しい部分はありますけどね)

遺族の感情(例えば肉親が亡くなったと判定された瞬間にその亡くなった人をどのようにとらえるか。即座にその人を”死体”ととらえるべきなのかとか)を考えてみてもそうですね。

あと、遺族の感情を差し引いたとしても、即座にその“死んだ”と判定した人を”死体”と扱っていいか、とかね。これは柳田邦男さんの「脳革命治療の朝」という本にある話なんですけど、ある事故ですでに瀕死、もう意識もなく普通なら死んでしまうだろう人(後にある治療で助かる)が、実は外界の情報を把握していたという話があります。実は人間って徐々に死んでいくんですよね。だから、医師が“お亡くなりになりました”といっても死んでるとは限らない。低い確率ではあるけどもしかしたら生き返る可能性はまだ存在しているし、もし生き返らないとしても“死んだ人”に意識がないとは限らない。確実なのは“その人は自身の外界に意識を表現することがない”だけとも言える。もしかしたら死んでからも意識が残っていて私たちの話を聞いているとかね。もちろん脳細胞とかの大半が死んでしまえば意識もないだろうと予測できるけど、それは死んでからそこそこの時間がたってからですよ。

だから“死んだ”からといって即座にその人を”死体”(=生きていない)として扱うのか?やっていいのか?とか疑問は残ります。そういう考えだと人は“徐々に死んで行く“んですよね。

それに反対する理由はまだ別にあります。

それは”死の境界が変化”しているからです。これも「脳革命治療の朝」での話(というかメイン)なのですが、今までなら”脳死”と判定せざる終えなかった方たちを現実の社会で生きれるレベルまで戻すことが可能になってきました。あと世界では(私の知る限り数件ですが)脳死判定された人間が生き還っています(脳死判定に間違えがあったとかの可能性は常にあるけど)。だからここで社会に”脳死=人の死”という認識を定着させてはヤバいのではないかなと思います。まだ世の中に上記のような事例がなかったならば、仕方ないとも思わざる終えない(部分もある)のですが、今言ったように”脳死≠人の死”の可能性が提示されている以上そこに議論を当てて、少なくとも大半の人間が“妥当”と判断できる部分を見つけないと人の死を議論できないのではないかと思います。あとで“ごめん!実は僕ら生きてる人間から心臓とか抜き取ってたよ!”ってのはしゃれにもなりません。そしてその“死”を規定したのは法律、ひいてはその法律を定めた議員、議員を選んだ我々ということになります。ひどい言い方をすれば我々は“罪のない人から生きたまま(しかも麻酔も使わず)臓器を抜き取って殺し“た“超残虐な殺人者”ともとれる状態になります。そして場合によってはそれはわれわれ自身を苛みかねない。

そんな訳で私は反対側にあります。

ちなみにどこかのブログが来年度のWHOの指針の原文を紹介していたけど、本文中には移植のための海外渡航禁止の文言はないそうです。もちろん海外の移植待ちの人の席を取ってしまうのは問題です。でも、もし本当に明確な違反でないなら、「WHOが来年にでも禁止する」といった趣旨は見当はずれなところからせっついていることになる。もっと問題に対して的確な問いが必要ということになるんじゃなかろうか?とかおもった。

見つけた→社会学と生命倫理の迷い道http://d.hatena.ne.jp/minajump/20090524

ヒカルの碁 完全版を読んで

9784087822144 ヒカルの碁完全版も既刊はだいたい読み終わりました。それにしても、改めて読み直すとやっぱりヒカルの碁は面白いですね。

徐々にではあるが、第一部の最後に近づいています。

結局のところ佐為はほとんど夢物語の代表なんですよね。ヒカルを通してはじめて現実に干渉できるところが面白い。物語における佐為の役割はかなりアクロバティックです。夢物語だけど儚くない。消えてしまうけど現実に確かな爪痕を残す夢。そんな感じでしょうか。

佐為は、まず最初に読者をマンガに引きずり込むためのファクターとして用意され(何せ最初のほうではヒカルが弱いため佐為がいないと打ち切りになっていたかも……)、次にヒカルの急激な成長の下地役、またヒカル=現実に対した佐為=夢という構図の一角、そして物語の最強の存在(塔矢名人)を高みから引きづりおろし絶対的強者のいない“ヒカルたち”の物語へと移行させる。

ちょっと簡単に思いつくものを書いてみました。最初からすべて狙ったわけではなだろうけど、こうしてみると佐為ってのはすごい存在なんですね。ヒカルの碁におけるフィクションの代表。第2部でヒカルの戦いは第1部よりよっぽどシビア(下の者が上の者に勝つことがない)になっているけど、佐為との決別が物語に影響している気がします。

完全版9巻の伊角さんに対するほったさんのコメントをみてそんなことをおもった。

今頃は……

今頃私は信州にいることでしょう(これは日時指定を利用して書いてあります)。

今回の目的は信州のプレ医ゼミに参加すること(医ゼミについては次のURLを参照http://www.izemi.com/)。

要は全国の医療系学生の集会(お泊まりあり)ですね。別に医学部(医学科・看護学科)だけでなく、工学部や教育学部の人とかも来る。本当に“医療に関係のある”人の集まる場所。実際この世の中で医療に全く関係しない学部の人って逆に少ないんじゃないかな。それは他の学部もおなじ。

例えば今話題になっている脳死一つを取ったって、法律・教育・文学それに科学といった他分野に関連しているしね。新しい脳死法案は従来とは異なって”法律”で人の死を規定しようとしている点を考えてみるとそれはより顕著なんじゃないかなと思う。で、新しい概念が人に根付いてしまえば教育・文学を筆頭とした文化なども変わってくるだろうし……

んで、要は2日ほどこのブログに書き込みできるかわかりません。そのため、いくつかこんな感じで時間指定の感想を書いておきます。もちろん書き込みできる時間あればやるけどね、って話。

ちなみに法律で脳死を規定していいか興味のわいた人は下のものも見てみてください。ちょっと調べてみて、(意見に同意できるかは別にして)面白そうなのを載せてみました。

私の考えも(ちょっとだけ)あとで載せます。具体的には土曜の夜頃に出るようにしておこうかな。

今日はいろいろ忙しい

昼ごろにここに載るだろうけど、今日はちょっといろいろ忙しい。書き込みとかできるかわからないですね。

ホントにやれる暇あればいいんだけど。

あいてる時間はあるけど、パソコンを使ってアクセスできるかがわからないので書いておく。せめて微妙にあいてる時間はラノベに充てようかな。

2009年6月26日 (金)

ここ2日で買った本

  • ヒカルの碁 完全版 3~9巻 ≪集英社≫
  • ゼロの使い魔 17 ≪MF文庫≫
  • 聖剣の刀鍛冶 6 ≪〃≫
  • 一年生になっちゃったら 四巻 ≪マンがタイム≫
  • 魔法少女を忘れない ≪スーパーダッシュ文庫≫
  • 恋の話を、しようか ≪ガガガ文庫≫

結構気になる本が出てた。マブラブもラストを迎えたみたいだし今度まとめて買って読むかな。

L 3 詐欺師フラットランドのおそらくは華麗なる伝説 読了しました。

Img023 この世を滅ぼせる危険なアイテム≪罪人竜の息吹≫を身の内にひそませることになった詐欺師バーンと彼が恋する相手ドラグジーンの少女アーティアの物語の3巻です。

ちょっと停滞期なんでしょうかね?けっして面白くないわけではないのですが、ちょっと響いてくるものが少ない気がします。具体的に言うと展開が早い。できるならばもう少しキャラクターの掘り下げをしてほしかったな。まぁ、今回は情報量が結構多かったから仕方がない気もするんですけどね。その意味で言うならば、あれだけさまざまな情報や物語を組み合わせることでそこそこ違和感のない作品にできているこの作者の力量は優れていると思います。

全体の感想はこれくらいにして、ちょっと細部の感想を少し。

そういやこの作品って結構残酷な現実を土台にした物語でしたね。チェルシーの最後は私たち(と物語の参加者)にそれを思い出させるためのものだったのではないかと思います。安易な夢物語を許さない。急にすべてを解決する名案は現実には(ほとんど)都合よく存在しない。最後のルパートとチェルシーの会話はせめてもの救い(と物語の締め)のために存在したように見えます。

それにしてもこの怒涛の情報量……次にでも打ち切りになりそうなジャンプ作品とかを思い出させます。売れ行き良くないのかな?関数が進むともしかしたら化けるかもしれない気がする作品なのだが……

勇者と探偵のゲーム 読了

Img_75804082_s<日本の問題>を現実の怪獣や殺人として表し、それを勇者や探偵が退治・解決することによって世の中を善い方に改変する装置が生まれてしまった世界。そんな“世界”に生じてしまった“ただの事故”。それを巡る物語の“記録”。

ん~何でしょうね。正直誉めていいのか貶していいのか判断に苦しむ物語です。最後のオチは半ば予測できていた部分もあるから、ミステリーとしてはあまり称賛できないんですよね。でも中身としてはなかなかおもしろかった。個人的にはもう少し戯画的な内容を縮小して、現実に近づけてもよいのではないかなという感じなんですけどね。

この小説は読者の思考を混乱させようとしているのかな、とも思います。“物語”をいろいろ切り取りやすいようにしてあるような印象です。、“現代を象徴するかのような無機的物語”だったり”どこからが現実でどこからが虚構化のわからない物語”のように読者が“物語を読み解きやすいよう”にこのように設定したのかもしれないと感じています。

つまり”わけのわからなさ”が面白さにつながるようにしたかったのかな、と(エヴァンゲリオンの類型だと判断します)。

この作品を読んで思うのはQ.E.Dの『人は証明を必要せずに現実と夢を区別できます』といった言葉は正しい気がするということですね。

参考URL

レポート終わったー!

やっと物理のレポートが終わりました。これで多少は本を読む時間が作れる(また水曜日テストだけどね)。さっきも一冊読み終えた。もう遅いから感想は明日にする。終わってよかったー。

2009年6月25日 (木)

はじめての甲子園 6巻 の感想

519xhxruogl__sl500_aa240_ 野球部部員数5人。人:犬の割合がおよそ3:2という土高で繰り広げられる野球部コメディも6巻に突入しました。

今回はそこまで本編のギャグが多くはありませんでした。どちらかというとシリアス(?)な要素が大きかったですね。本編主人公二屋君の従弟であり、現在大東海にいる新道くんに新しいパートナー(キャッチャー)が出来る話がメインでした。

それにしても、ギャグ要素が目立つはじめての~ですが、さりげなくストーリー展開はきちんとを行っているんですよね。登場人物が少ないのは気になりますが、それはベースがギャグだから仕方のないことではないかとも思います。

それにしても“本編”のギャグは多くはなかったけど、”外伝”のギャグは切れていました。これでこそはじめての~でしょう。“ピチピチ””の高校生たる竜くん、混ざってしまうマンガ原稿、変わってしまった原稿の内容、一つ一つは典型的な要素ですがその組み合わせの妙が素晴らしい。まだまだギャグの切れは健在です。続きを楽しみに待ちましょう。

……それにしても編集の人めちゃくちゃマンガ原稿にのめりこんでいたな~。あれだけ人をのめりこませるなら、あれはあれですぐれた漫画なんじゃないのか?、とふと思いました。

2009年6月24日 (水)

デュアンサークⅡ ⑫ 導くもの、導かざるもの〈中〉 の感想

04867845 長かったデュアンの物語も残すところあとわずかになりました。どのようにしてデュアンサークは伝説となっていったのかの物語ですが、長いようで短かったような気がします。

最初はデュアンが右往左往するだけの物語だったのに本当に多くの人間が「生きる」物語になったと思います。これも彼がつないでいった人の絆の結果なのだと思うと実に感慨深いものがあります。この小説はキャラクター小説としてもすぐれているのですが、それと同じくらいに「物語」としても優れています。デュアンやその周囲を眺めていてもそれなりに楽しいのですが、デュアンを中心とした(ほんとに莫大な数の)様々な人間の織りなす物語だと考えるととても楽しい小説だと思います。ここに書かれていない人間たちもデュアン達に関連している物語を解決しようと協力しているのでしょう。実に様々な想像が容易な作品で、深沢さんの作家としての素晴らしさが際立っております。これは小説の技術というより、作家さんの人間性から来るものでしょう。あとがきを読んでいる内にそのように感じました。

あとがきといえば深沢さんの仰ることはある意味もっともなことではないかと思います。別に昔が正しかったというわけではないのですが、現在はおかしなところも多いと思います。(ファミレスなどの全メニューを食べつくすなどというのもそうです。)確かに必要としている以上の贅沢が世の中に溢れている気もします。しかしこういう(ある種)新しい試みが視聴者を楽しませているのは確かなんですよね。実際私も似たような番組を楽しんで見た記憶がありますし。

深沢さんの感じた何か狂っているというのは正しい感想なのでしょう。でも何かが狂っていなければ、少なくとも現代の社会においては、何かを楽しめないものなのかもしれません。私なんかはタバコを吸わないのですが、私の友達にはタバコを吸うものもいます。私はタバコの何が楽しいのか分からないのですが、友達にとってはとても楽しいもののひとつなのでしょう。

現代は多様な立ち位置に立てる社会になりました。隣り合っている人間でも全く異なる次元に立っているのかもしれません。深沢さんは「水などが満足に使えない環境」などを考慮してあのような感想を抱きました。しかし「視聴者を一人でも多く集める」というTV局側の視点に立てば食べ物を無駄にしているような番組でも、それで視聴者が集められるのであれば深沢さんとは逆の意見になるのかもしれません(あるいは視聴者を集めないと自分たちの生活が成り立たないとかもあるでしょうし。)見ている我々視聴者側でも「普段では見られないもの」が見たいから番組を見るのでしょう。これはある意味当然の思考なのかもしれません。立ち位置によって「当然」なものが「異常」になる。これが顕著になったのが今の世の中なのかもしれません。

もちろん深沢さんの考えは正しいと思いますし、それは愛すべき正しさだと思います。しかしこのような側面もあるのかなと考えたので書きました。そしてそれを引き起こしたのは人間社会の発達が一因を担っているのでしょう。

(良いにしろ悪いにしろ)発展・発達を志向するのは人間という種全体の性なのかもしれませんね。実際深沢さんのシリーズ『フォーチュンクエスト』とこの『デュアンサーク』でも文化や道具などの発達が描かれています。これらの作品世界も時代が進めば進むほど深沢さんのいう「おかしさ」が生じてくるのかもしれません。

そんなことをふと思いました。

……さて、暗い話もここで終わりにして簡単に本編の感想を述べましょう。

やっとのことでゲイリー・サークの登場です。ずーっとどこにいるんだろうと思っていた人物もこの終盤でかなりのページ数を割いて活躍(?)していますね。それにしても子守は彼の宿命なのでしょうね。デュアンといいキーファ王子といい、彼に関しては誰かの子守話しか見たことない気がします。現在デュアンはテレポートの修行中ですが、最終巻でバジリスクに翻弄(もしくは追いかけられている)彼らをテレポートで颯爽と助けてその流れでロンザ国の王様達の元にバジリスクを連れていくのでしょうか。

そして敵になってしまったルルフェ。彼女を無事に助けてほしいですね。グレンラガンのような結末はやめてほしいです(私はあのエンディングそんなに好きではないんですよ。あれでないと話は締まらないとわかっていても、無茶も通せば道理を引っ込ませる感じで終わらしてほしかった。陳腐でもシモンと幸せになって笑顔で子どもといるシーンとかを見たかった。もちろんあのエンドはエンドでハッピーエンドなんですけどね。)最後まで全員揃ってのデュアンサークであってほしいです。陳腐なハッピーエンドこそがデュアンサークには似合っているような気がします(なんせ正統派ファンタジーだし)。

さて長くなってしまったけどそろそろ終わりにしましょう(テストが次の時間に迫っているし……)。

デュアンサーク最終巻待ち遠しいです。

2009年6月23日 (火)

お悔やみ申し上げます。

作家の中里融司さんが亡くなられたことを先ほど知った。正直早すぎる死だ。

この間栗本さんが亡くなられ、そのあとを追うかのようなタイミングで亡くなられた。まだまだ多くの作品を残してほしい作家さんだった。

私がまともに読んだ彼の作品は冒険商人アムラフィと狂科学ハンターREIだけである。しかしこれらの作品は私のライトノベル人生の最初期を構成したもの(他には小説版ドラゴンクエスト5などがある)であり、狂科学ハンターREIなどは何回も読み直した。5巻の後にいつ続編が出るのか楽しみにしていた。あの続きがもう見れないのだと思うと残念でならない。

お通夜は昨日あったそうだ。ご冥福をお祈りします。

(追)以下にこのことに関するサイトをいくつか載せておく。作家仲間のブログなどが多い。

2か月かかりました。

最近やっと光TVを導入しました。じつは申し込み自体は3月の終盤にしていたんですよね。最初につないでから2ヶ月間は無料のキャンペーンなので、5月の頭につなぐつもりだったのですが存在自体を忘れていました(笑)

思い出したのが一週間ほど前なのでこの間いろいろ準備(インターネットハブとか)してやっと見られるようにしました。

私はTVをパソコンで見ているのでこれを書いている途中もアニマックスとかをつけています(書き終えたら食事とテスト勉強だけど……)。銀河鉄道999のアニメ版ってじっくり見たことなかったけど結構面白い。

ヒカルの碁 完全版 1巻 を読み終わりました。

51gqiyp8tal__sl500_aa240_ ちょっと車の教習やら大学のテストやらで忙しいので小説が読み終わっていません。そこで、マンガの感想でお茶をにごしておきます。

といっても最近ようやく生活環境が整ってきただけなので、集めようと思っていたヒカルの碁完全版シリーズを買い求めただけなのですけどね。

個人的にはサイが消えてしまう前後からが好きなのであまりこの辺には思い入れがないんですよね。あえていうならば表紙の美麗なイラストとかがめっちゃキレイだな~、とかなんですよね。

それにしても小畑さんが現在連載しているバクマンと並行してみると面白い読み方ができるかもしれない。だってジャンプに囲碁マンガを導入したのはたぶんこの作品が最初なんだから、その意味でいえばジャンプに本格推理物という新ジャンルを導入しようとしているバクマンとはかぶる部分があるかもしれない。見比べていくと楽しいかも。

今度バクマンも買ってこよう(ヒカルの碁の続きと一緒に)。

とんでもない形で寝てた。

まさか偽物語の感想を書いている途中で寝てしまうとは思わなかった。気づいたらほぼ四分の一日以上寝ていた。おかげで書こうとしていた内容も忘れてしまった。

これからまた寝る。授業もあるし。

……どんだけ寝るんだよ自分。

偽物語[上] 読了

51aev6rbctl__sl500_aa240_ 下巻が出るまで読むのを待とうと考えていたためにいまさら読み終わりました。偽物語の上巻です。

楽しく読ませてもらいました。この作品は本当に徹底的なまでのキャラ小説ですね。化物語の後日譚として描かれた本作ですが、化物語・傷物語を下地にしているため今まで以上にキャラクターが生き生きとしています。

……それにしても、これだけ感想が書きづらいとは思わなかった。物語全体を見てみても語るべきことがほとんどありません。物語のためにキャラクターが用意されているのではなく、キャラクターのために物語が用意されています。語るべき感想はほとんどキャラクターの感想に終始してしまいます。そういう意味では西尾維新は確かに現代の小説の最前線を突っ走っています。

ところで本物のような偽物と偽物のような本物ですか……

これは結局は本人の主観というか満足に依るものなんじゃないかと思います。どこに立ち位置を作るかによって答えが変わります。無作為に並べて“どう思う?”と聞かれても答えようのないものというか。西尾さんはそれを理解して意図的に偽物のような本物と本物のような偽物を両立させている気がします。

(追記)久しぶりに八九寺が見れて嬉しかった。それにしてもとんでもないセクハラをするなよ主人公。それも小学生相手に。

2009年6月22日 (月)

ラッキーチャンス! 5の感想

Img022 日本一不運の高校生外神雅人と彼のもとにやってきた福の神キチの物語の5巻です。今回は曜日ごとを描いた話です。こうやってみると彼らの日常は波乱に満ちていますね~。

物語全体の感想は“そこそこ楽しかった”になります。物語の三分の二は“めっちゃ楽しかった”のですが、最後の二之宮兄の話はちょっとついていけなかったもので全体の印象にマイナス補正が入りました。

だって、二之宮兄の変貌が微妙なんですよ。ギャグとホラーが一緒になっているので、笑えばいいのか怯えればいいのかわかりずらいんですよ。(ギャグとしてもあれで私は笑えないな。二之宮兄が気味悪すぎるからかもしれない。)

だけど最初のほうはすばらしい出来でした。キャラクターが生き生きしていて本当に見ていて楽しかったです。物語を読み進めるうちに各キャラの掘り下げが自動になされる感じがします。

ところで“最高の霊能者”ですか。多分あの人ですよね。北ということは無事に第一志望に合格したようで結構なことです。その内雅人と共演しないかな~と楽しみにしています。彼のパーソナリティー・転機に最高の影響を与えられる人物だと思うので。(彼の過去に関する“黒い”部分を一掃させてくれそう)

だけど読んでると、やっと前半の最初の山に突入しようとしているような気がします。これから大きな事件が起こりそうな予感がします。楽しみです。

2009年6月21日 (日)

テストだ~ 他

明後日第二外国語のテストです。ヤバい。何も準備していないよ。今日はこれから“テスト勉強”です。

そんな訳で本を読むスピードが落ちそうです。トホホ……

うみねこのなく頃に Episode1 3巻感想

Img020夏海さんは半端ないほど怖い書き方をしますね。絵羽夫婦の死体の書き方がめちゃくちゃ怖かったです。あのシーンをテレビで完全再現すると、確実に放送コードに触れます。幼いお子さんには見せないようにしましょう、と勧告されそうです。

この人が前書いていたお好み焼きの漫画(名前忘れた)を書いている時も思ったことだけど、見せ場の書き方がすごくうまいです。うみねこのように多くの見せ場のある作品ではこの人の妙が光ります。

Episode1も残す所僅かになりました。最後まで突っ走ってほしいです。

(補足)あとがきに推理を聞かせてほしいと書いてあったので少し。

まぁ、推理というよりも直感なのですが、Episode1では楼座さんが怪しいと思っています。この時点ではまだ赤字が用いられていないので入れ替わりのトリックは否定されていませんですしね。ただ別のEpisodeでは楼座さんでは(少なくとも1人では)難しいような気がします。もしかしたら各Episode毎に犯人は違うのかもしれないのかもと、妄想しています。ある”現象”に遭遇したがために”誰か”が事件の“犯人”になったとか。そしてその”現象”を準備した人物が“真犯人”とか?“犯人”が現れた時点で事件は自動的に進行し、そこに“真犯人”は必要ないのかもしれないのかな、とかが私の予想の一つですね。

で、重要なのはその”現象”を見出すことかな?

SH@PPLE 6巻読み終わりました

Img019 双子の姉弟の学校入れ替えラブコメディ6巻です。今回は物語のヒロインの一人胡蝶の宮こと蝶間林典子さんの縁談話が主軸の話です。

この作品は面白いのですが、どこがどう面白いかというと説明しづらいです。あえて言うならば作品の持つ雰囲気でしょうか。それぞれのキャラクターのバランスがちょうどよい感じにあるから、作品全体にほのぼのした気配が濃厚に漂っています。私はそれが好きですね。

それにしてもいいですね芝目くん。全体を俯瞰して眺める立場に今回あります。もともとの活動(内容は微妙ですが……)がそんなスタンスだからなのかもしれないけど、今回それが妙にかっこよく感じてしまった。

雪国くんのほうもよかった。説得のシーンがぐっときました。誠意には誠意をもって返す彼のありかたはとても愛おしいあり方だと思います。次巻以降も苦難が降りかかってくるようですが、『うそつき』の自分を乗り越えて幸せになってほしいですね。

参考URL 萌えレビュhttp://www.moe-review.com/?p=2289#trackback

2009年6月20日 (土)

帰ってきた―!

40時間ぶりに部屋に帰ってきた。久しぶりに東京に行ってきたよ。秋葉原とかも変わりないなーとか思いながら買い物も楽しんだ。

今日買ったもの

富士見ファンタジア

  • SH@PPLE ←読了
  • 白夢(スノーミスト)
  • 花守の竜の抒情詩
  • L3

一迅社文庫

  • 勇者と探偵のゲーム

マンガ

  • 花とゆめ(雑誌) ←読了
  • うみねこのなく頃に Episode1 3巻 ←読了

あと村上春樹の1Q84を買ってみました。あんま話題だから気になった。

それにしても花とゆめは現在ちょっとビミョー。しゃにむにGo!が終わってから面白いと思える作品が少ない。『スキップビート』や『俺様ティーチャ―』その他少々以外に面白い作品増えないかな~。

東京への移動中に読んだ本などの感想はしばらく休んでから明日書こう。

2009年6月19日 (金)

星図詠みのリーナ 読了

Img018 とても面白かったです。地図を愛する王女と傭兵の青年の織りなす正統派ファンタジーの後継者的な作品です。

この物語はこれから先の続編も考えているのでしょうか?作者のあとがきを読むとここまでで終わりのような気もします。しかしまだまだ物語の広がりがあるようなエンディングですよね。続編が出ることを希望します。

この作品を読んでいて特徴的だと思ったのは作品全体の作風です。物語の語り手たる作者と物語の演じ手たる登場キャラクターの距離が離れています。キャラ読みで読むとキャラクターに感情移入できない作りになっている気がしました。しかしこの作品にはこの書き方が適しています。この作品は”キャラクターそのもの”を読んでいくというよりはどちらかというと、俯瞰的に見てその“関係性”などといった全体を眺める作品のような気がします。人間同士の思惑が絡まって一つの物語が構成されているのがよくわかる作品です。

ダールの秘密が暴かれる部分もそういった距離感があったからこそ巧く表現されているという感じがします。もしこの作品がもっとキャラクターに焦点を当てた作品だったら、秘密の部分では大きな違和感が残っていたことと思います。

なぜなら、客観的立場から作品を眺めるのと、キャラクターに自身を投入して読んでいくキャラクター小説では自ずから書き方が変わってしまうからです。自分≒主人公(主要キャラ)という読み方では秘密の内容を暗示させる明確な描写や過去の出来事の回想シーンが必要となります。そうでなければ自分の知らない(予測できない)秘密(今回はダールのもの)が明かされたときに直前まで維持されていた自分≒キャラクターという関係が切断されて、自分≠キャラクターとなってしまう。その結果読者は物語中の自分の立ち位置が分からなくなり『物語から醒めて』しまう。そうして途端に物語が「わけのわからないもの」に感じられてしまう。

対して今回の書き方ならば、(今まで多少の伏線はあるにしても)突然明かされた秘密に読者の立つ土台が崩されることはありません。

次にリーナについて書きましょうか。彼女の場合その「マッピング」が素晴らしいと思います。本文中でたびたび出てきた「いたずら書きのような地図」これが素晴らしいですね。私は勝手にこれは鳥瞰図の一種(鳥瞰図画像http://images.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4SKPB_jaJP328JP329&um=1&q=%E9%B3%A5%E7%9E%B0%E5%9B%B3&sa=N&start=0&ndsp=20)だと考えているのですが、これはこの作品をよく表しています(前述の内容より)。そして同時にリーナの性質もよく表しているように思います。出会った人や出来事を中心に全体を俯瞰して眺める(地図を愛する・書く)さまがそれを思わせました(こんな感じの書き方をした鳥瞰図がどこかにあったような……)。

最後にダール。彼は本当に幼い子供のようでした。自分が今まで生きてきた世界の狭さを知り、より広大な世界に思いを馳せる。その過程がとても印象的でした。

彼らのこれからの成長などを知りたいのでぜひ続編を出してほしいですね。

2009年6月18日 (木)

BGMを増やしました

WAVEつながりでcrankyさんが運営するRave-SLaveより2曲ほどBGMにさせてもらいました。BGMということを考慮してあまり激しい曲は選んでいません。名前の欄からRave-SLaveへとべます。興味のある方は視聴できるのでよってみてください。

……告白すると、WAVEさん達の曲などでBGMに指定したいのは別にあります(私の好みに完全合致する曲は別なのですよ)。しかし著作権や流せる尺の都合(ものによってはクロスフェード・曲の途中までとかなので)によって、次善の策としてこのようにいくつかBGMを指定して聞けるようにしました。

ニコニコ動画やyou tubeでWAVEさんたちの曲のいくつかを聞けると思うので、興味のある方は探してみてください(で、気に入ったら買うなどしてください)。

Q.E.D 33巻 読みました

Img017 正直、めっちゃ面白かった。私はこの作品が好きなんだな~と再確認させられた。

何が面白いかというと、この作品に出てくる登場人物にはあまり背景が存在しないんですよね。それは燈馬や可奈もそうですし、それ以外の人物はより顕著にあります。しかもより面白いと感じるのは、そんな登場人物(特別特徴があるようでもない人物でも)が一定の存在感を持っていることです。この2重性がこの作品を形作っているような印象があります。

この作品では、多くの人物が論理的に描かれます。感情的行動ですら数学的な記号に還元されます。感情ある人間がそのような状態にまとめられているのに、それに違和感がないのは偏にキャラクターのバックがブランクだからなのだと思います。人間が人間たる要素として不可欠なバックグラウンドが白紙な状態であるため登場キャラクターの行動は論理的要素を中心で構成されます。これがこの作品の独特な空気を読者に容認させるのではないかと読んでいます。

この巻におさめられている話はそれらが特徴的に表れていると思います。特にパラドックスの部屋では感情的要素ですら推理の一条件としての利用のため数学的記号に還元されています。

またこの話を読んでて気づいたことは、この話の被害者はあまりに記号的パーソナリティーを軸に構成されていることです。その記号を基点として事件を解決するストーリーなのだから当たり前なのかもしれない。しかしその記号化を推し進めていった結果、この話の最後に残された疑問に行き着いたのではないだろうか。私はこれが現代社会につながる警告のように見えた。記号化が現実に侵食して現実の人間が薄まってしまう状態。この物語や話はこれの1歩先にあり、この疑問のように「……○○って、どんな人間だった?」にたどり着いてしまうのではないかという未来への恐怖を私は感じ取った。

私は最後のセリフを「怖い」と感じた。それはこのような理由のためだったのかと、今書きながら気づいた。

2009年6月17日 (水)

レンタルフルムーン 第一訓 恋愛は読みものです 読了です

Img016 ……う~ん、この作品は正直好みではないです。もう少し言うと物語に入り込めなかったから楽しめなかったというのが正確ですかね。

いくつかレビューを見た中に次のような感想がありました。『この作品はシュールな作品で、クスリと笑えれば勝ち』といった趣旨でした。それは確かに正解で、私には波長が合わなかった(クスリと笑えなかった)のが多分私がこの作品を楽しめなかった敗因です。これはたまに私に起こる現象で、「お・り・が・み 天の門(1巻)」でも似た経験があります。物語のキャラクターが「非人間的」に感じられ、作者に意図的に動かされているようにように感じられてしまうんですよね(正確に言うとその部分が凄く目に付く)。これは時間を置くとまた逆の印象を抱くこともあるから、現時点の感想が将来的にも続くとは限らないのでけど、良い機会だからこのような視点からの感想を書いてみたいと思います。(ちなみに「お・り・が・み」の2巻以降は、かなり時間を置いてからまとめて読んだら楽しめました。1巻は結局読み返していない。)

一番気になったことは最初に述べた(ある意味)無機的に感じられるキャラクターです。次に気になるのはキャラクターの特殊性などがいきなり語られることですね(観察者だとか、神様だとか、天使だとか)。もちろん段階的流れは踏んでいるのだけど、あれでは(私が)この物語の世界観に入り込むには不十分のような気がしました。人間が今までとは異なる常識を受け入れるにはあの程度の経験では不十分ではないかなと。同様のことは主人公の恋愛感情にも言えます。せっかく主人公の一人称で物語が進んでいるから、もう少し内面に踏み込んだ形でもいいかなと感じました。(その意味では今巻のテーマである「恋愛は読みものか否か」を語るには十分な情報かどうかも怪しい)

……でも、だからと言ってそれで終わらしていい物語かというとそうではない気がする。これはふと思ったことだが、この物語を読み解くには私には今はまだない新しい概念が必要なのかもしれない。今とは異なる文脈、物語の切り口の導入が求められているのかも。今の状態ではなんかすっきりしないんだよな。

まぁ私の勘違いの可能性もあるけどね。もう少し続きを見ながら考察してみる。

2009年6月16日 (火)

アクセル・ワールド2 紅の暴風姫 読み終わりました。

Img015 人間と電脳がより密接になった近未来。リアルとヴァーチャルの境が薄くなってしまった世界に生きる若者。彼らがに参加するゲームの≪加速世界.≫で唯一の飛行アビリティをもつ少年ハルユキの物語の2巻です。

今回はニコこと至高の七席の一つ赤の王が登場です(ついでに黄の王も)。

実際出てくるキャラクターの大半はどこかで見たことあるタイプのキャラで構成されているアクセル・ワールドシリーズですが、そこに違和感を感じさせないように物語に溶け込ませている作者の技量が見事な作品です。実際意識して読まないとキャラクターの記号的性質はあまり意識されることはありません。読んでいるときはそんなことに気付かず、読み終わったときに物語を頭の中で整理して初めて気付いた人もいるのではないかと思います(実際私はその口です)。

それにしても1巻の初めの時はハルユキのライトノベルの主人公らしからぬ姿(状態)に違和感を覚えたものですが、物語の概要が定まってみると「この物語の主人公はこれしかない!」という形に収まっています(主人公などを基点として物語を構成しているのだろうから当然っちゃ当然なんですけどね)。

では2巻のちゃんとした感想に入ることとします。

正直この巻を読んでいて登場人物のニコや黒雪姫をかわいそうに感じながら読んでいました。確かに彼らはブレインバースト世界における最上位の七人の中の一人で、ある意味この小説内では他者よりも優位にあるかもしれません。しかしだからこそ私は読んでいて彼らがかわいそうだと思ったのです。それは彼らが(状況的に見れば)孤独だからではありません。それはおそらく彼らがブレインバーストというゲームを誰よりもこなし、≪加速世界≫に誰よりも長くいるからです。

今回の物語の中で長時間加速世界の中にいることの危険性が訴えられています。それは、長時間中にいると現実世界では人間が変わってしまう(変わらざる終えない)ことです。

これをよんでやっと、なぜ黒雪姫やニコが実年齢よりも大人びて見えるように書かれているのかが多少わかった気がしました。ここで、「子どもなのに精神だけ大人のようになってしまってかわいそう」とはいいません。そうではなくて、私が彼らのかわいそうだと思った部分はその「アンバランスさ」です。補足を加えるのならば、肉体という「リアル」と意識という「リアルとヴァーチャルの両極にまたがるもの」が生み出す「ずれ」の存在にかわいそうだと思いました。人間の成長とは本来「意識」のみでするものでも「肉体」のみでするものでもありません。両者がそれぞれに作用しあって生じていくものです。その過程の中で経験等が積み重ねられていくのです。ちなみに片方だけに偏ってのみ成長をするにはそのものの中に独自の(私たちの言う)アイデンティティーが形成されなければならないはずでしす。しかし、私たちが読んでいる限りではハルユキ達のアイデンティティーは私達のものと違いはありません。それを考えた時、現実の状況を置いて一部の意識だけが「大人」になってしまった彼らは現実の肉体、「リアルな存在」とどのように折り合いをつけていかなければいけないのかを考えるとそれほど幸福なことのようには思えません。(ちなみに、ここで私が一部という言葉を使ったのは、仮想世界はあくまでゲームと呼んでよい制限の中に成立しているからである。仮想世界の中では食事もなければSEXもない、排泄もなければ(おそらく)睡眠も必要としない。この意味でひどくゲーム的と言えるのではないだろうか。あくまでこれは格闘ゲームのくくりをそれほど逸脱していない。私はこの小説を読んでいて、うえお久光のシフトを思い出した。シフトはこの小説とは異なり排泄以外は(確か)すべて可能だ。その点では対照的な作品に見える。しかし意識と肉体という観点から見れば、程度の差はあれ、同じ構造の物語と捉えられるのではないかと思う。)

そう考えるとハルユキが黒雪姫とニコの抱き合って眠る姿を何度も思い返す場面や最後の場面でクッキーを噛みしめて現実の味だと泣く場面はひどく象徴的な場面なのではないかという印象を抱く。

こんなことを本を読みながら思った。

ちなみに黒雪姫が過去の映像を見せられてから立ち直るまでの流れはご都合主義に過ぎるのではないだろうかと批判的意見を抱いたことを付記する。

いずれにせよ次巻が楽しみだ。

リンクを貼りました

WAVEさんへのリンクを貼りました。左上の曲も含めて様々な曲が視聴できます。どうかお気軽に覗いてみてください。

2009年6月15日 (月)

ほうかご百物語5 読み終わりました

51vf7v5rebl__sl500_aa240_ 純真な妖怪イタチさんとイタチさんの可愛さに参っている暴走特急真一くんの不思議ラブコメディもついに5巻に突入しました。

今回は鶴の恩返し蛇バージョンの麟さんなどの新キャラが登場しています。

とかくこの作者さんはキャラクターのバランスが際立って見事です。物語が緩やかコメディという方向性のせいもあると思うのですが、キャラクターの精神状態が一様に中庸です。こういうキャラクターたちが生き生きと動いている物語を見るととても心が和みます。

さらに2巻以降読んでいて感じることなのですが、こういう特に事件らしい事件(世界が危機に瀕するとか)がほとんどない物語を飽きさせずに書くことこの作者さんの“巧さ”に感服します。こういう印象を抱くのは我が家のお稲荷様を読んでいた時以来です(力量は我が家のお稲荷様の作者さんの方があるような感じはありますが)。

最後の方に妖怪が増え続けると起こりうる事態が描かれていますが、次巻以降の分かりやすい伏線ですね。どんな物語が描かれるのか楽しみです。

……それにしても稲葉先生……非常識さに脱帽しました。

『記号的』ということについて

吉兆さんが運営するブログ『積ん読を重ねる日々』のコメント欄において『記号的』ということについての定義を尋ねてみた。吉兆さん曰く、『ここで使用している「記号」とは、オタク的エンターテインメント(ライトノベル、アニメ、ゲーム)的な文脈に属する戯画化された個性という意味合いです。』とのことであった。具体的な事例を示してわかりやすく解説してくださってありがたいことだった。詳細については以下のリンクからとんで、http://kiicho.txt-nifty.com/tundoku/2009/06/02-6e9b.html#commentsを見ていただければ幸いかと思う。

ここでもう少し『記号的』ということについて考えてみたい。うまくまとまるかもわからないが試してみることとする。おそらく格別新しい考えは出せないとは思うが、誰かがこのことに意識を向けるきっかけになり得れば幸いと思い書く。

ここで『記号的人間』とは『人間たる無限の可能性をはぎ取られ、1つないし複数の要素に焦点を当てて戯画的にキャラクタライズされた人間』としてみよう。この前提が完全に狂っていれば的外れな考察になるが、おそらくそこまでずれたものではないと思っている。その根拠は吉兆さんの答えと私が今まで読んできた本(東浩紀著『動物化するポストモダン』ほか)にある。

現代日本のオタク社会において”キャラが立っている”ことと『記号的人間』であることには密接な関係があると私は考えている。様々な人間の可能性をはぎ取られ、カテゴライズ化された存在にひどく強い“リアル”を感じるようになってきている。(ex.ツインテール+金髪=ツンデレ系)これは上記のようなキャラクターが作品内で典型的な行動(最初は気が強いなど)をとることで「生き生きとしている」などと感じる(私を含めた)読者を見ればそう否定できないことであると思う。もちろんこの関係は=ではなく≒ではある。しかし、我々がそのように「人間たる要素をはぎ取られた人間」に「リアル」を感じるようになってきているのは恐らく事実である。

私はこの現象がこれからどのようにヒトの意識に絡んでいくのかに興味がある。もちろん「現実は現実、虚構は虚構」という状態が維持されるかもしれない。しかし、社会に深く浸透することで「現実と虚構が一部交差して」しまう可能性もあるのではないかと考える。

その場合それらがこの「社会」にどのような影響を与えるのだろうか?「人間たる可能性をはぎ取られた人間」≒「リアルな人間」を感じるようになっていくならば、「本来の可能性に満ちた人間」≒「ノンリアルな人間」たる方向性につながっていきはしないだろうか?もちろんこんな風に単純化はできないだろう(しかも論理的根拠もない)。これはあくまで“妄想”の領域である。

ただ現在の社会、特に揺れ動いている「生死」の概念を考慮するとき、ヒトは「新しい生死」に「リアル」を感じられるだろうか考えるときにこれらが絡んでくるのではないだろうかと「直観」した。(明確な根拠はない。ただ両者の発生時期が近く、ヒトの新たな概念に踏み込みうるからそう観じた。)

……ああ、結局何が言いたいのかも分からなくなってきた。もっとじっくり考えて、ことばに出来るようならまた書こう。

BGMが流れるようにしました

BGMが流れるようにしました。音楽が流れるのが嫌いな方もいらっしゃるかと思って任意で流せるようにしました。左上のBGM欄から再生してください。ちなみに楽曲はWAVEさんの 虹色な風鈴、九つです。穏やかな曲なのでBGMにはよいかと思います。数日中にWAVEさんのリンクを用意しておきます。興味がわいたらお立ちよりください。

2009年6月14日 (日)

乃木坂春香の秘密⑩ 読了しました

Img013 オタクなお嬢様乃木坂春香と(一応)普通(という設定)の綾瀬裕人のドタバタコメディの10巻です。今回は椎名さんのお泊まりとか乃木坂美夏ちゃんが通う中等部のラクロス部のお手伝いとか京都で潜入工作まがいなこどをしたりで、相変わらずのドタバタ加減が見ていて飽きない作品です。

ところで裕人君のスケコマシスキルがいかんなく発揮された今巻ですが、彼の引き起こす災害はどこまで広がるのでしょう?最終ターゲットは決定しているのにどんどん増えるサブヒロイン。仮にこれが恋愛シュミレーションゲームならば最終的に攻略キャラは何人になるのか?そんなことを思ってしまうほどに膨大な数の女の子が登場してますね。

ここまでいくと、アナザーストーリーの各キャラエンドの本を読んでみたいと思うのは私だけでしょうか?本編終了後に、各ヒロインごとのエンディング本を見てみたいとか思う昨今です。美夏編で2・3冊、椎名編で2冊、それぞれ各キャラのエンドで1冊ずつ(登場頻度の少ないキャラは2・3人で1冊)。なんか報われないキャラが多いとこういう救済措置を期待してしまいます。

基本的に出てくるキャラクターがゲーム的だからこういう感想が浮かぶんですけどね。出てくるキャラ出てくるキャラみんな主人公に心を向けるんですもの、見ていて痛々しいほどです。その意味ではこの作品に出てくるキャラクターはひどく”記号的”という感じです。“キャラは立って“いるのですが、元々定められた行動をとっているので行動に幅がありません。(㊟今回”記号的”とはゲームのように、自分の自由意思で動いているように見えるが、あくまで定められた範囲でのみでしか動けていないことを意味しています。この作品で言うならば、出てくるキャラが主人公に好意をもつという前提に立っているところにすでに選択の幅が狭められた選択肢しか出ていないためそのように表現しました。その意味で言うならば、主人公の姉と教師は多少”記号的”な制限を免れているとも言えます。しかし彼らも“酒のみ”という制限をかけられているために完全に束縛からまぬがれえていません。)

ちなみに話は変わりますが、信長君はどうしているのでしょう?彼のファンである私は彼の登場を願って止みません。

それと今回の京都編の最後の女将さんの仕掛け、あれ実はかなりあくどい内容でした。どこがあくどいかというと、人の気持ちを操り娘の本音を引き出そうとしたところですね。 彼女が出てくる直前に那波さんが、人の気持ちも考えないで自分勝手な行動をしたことを反省していたためにより際立っていました。娘が反省している内容と同じ趣旨のことを親がやっています。しかもそれが美談っぽく仕上げられています。……なんか釈然としないまま読んでいました。

次は修学旅行らしい。信長の登場を祈っています。

WLO-世界恋愛機構- アリサ編中途です

……終わりません。なんでこんなに長いんでしょうか。愛菜偏や蛍編に比べると抜群の情報量を誇っています。 まあ、その分おもしろいんですけどね。

でもこれを読むと、今までやってきたストーリーの粗が目立ちますね。愛菜や蛍では描かれていなかった過去などがこちらではきちんと描かれています。またストーリー展開にもきちんとした必然性が見えます。エースと呼ばれるようになった経緯や、滝田・ソラリス側の事情をふんだんに盛り込むことで、主人公とヒロインのみが焦点に当たらない展開になるのでマンネリ化も防げています。愛菜や蛍編では主人公とヒロインの2人の間で完結した物語だったのが、アリサ編では2人を中心とした様々な人間が絡む開かれた物語になっています。

とにかく、全てがこの出来ならあまり他のサイトで批判されないだろうにといった内容です。

2009年6月13日 (土)

ロウきゅーぶ!2  読み終わりました

51hqcqwnr8l__sl500_aa240_ 小学生5人組と彼女たち女子バスケットボールチームのコーチとなった主人公長谷川昴のほのぼのスポコンの第2巻です。

スポコンといっても頑張るのは小学生なのでそこはかとなくゆっるーい空気が流れている本作です。キャラ読みに実に適しています。今回の対戦相手は6-D。球技大会での勝利を目指して頑張っていくお話です。

物語の基本コンセプトは普通のスポーツ系青春小説と同じなんですよね。ただそれを小学生でやるというのが作者のすごいところです。ヒロインが小学生だけあってラブ要素はあまりないのですが、より大きな目標に向かって練習→勝利といったものを小学生でやるとどうなるのか。そんなところも読みどころのひとつです。

しかしそれにしても主人公側の情報がほとんど描かれなかった本作。主人公はちゃんとバスケをやっているのだろうかと心配です。もし順調に巻数を重ねられるのならば、主人公側のバスケも描いてほしいところです。別に学校に拘らなくてもストリートバスケもあるんだから、せっかくの才能豊かなバスケ少年という設定を活かさなくてどうする。高校生の(普通の)スポコンと小学生の(一風変わった)スポコンがコラボをなして、そのギャップを描くのも一つの道だと思います。

気軽にのんびり読むのに適した一冊です。緊迫した話が全くないのが魅力の一つでした。個人的には好きな一冊です。

ふらぐ//ON! 読み終わりました

Img012 気恥ずかしい!

私にとってとても読みずらい本でした。青春!って感じの本は読んでてなんでこんな恥ずかしいんでしょう。

ヒトの人生プロデュースしませんか!?ゲーム好きで将来ノベルゲームの書き手になりたい少年。アルバイトでゲームシナリオを書くことに。しかしその仕事は普通の仕事ではなかった!依頼人は「天国」。書くのは「人生のシナリオ」。対象はクラスメイトの女の子。自分の書いたとおりに彼女の人生は進んでいく。そして彼女の恋人役は……

こんな内容です。「人でありながら他人の人生を操作できる主人公」と「操作されるヒロイン」の2重構造が面白い作品でした。2巻以降では3重構造になっていく見たい。読むのは恥ずかしいけど、続きが出たらもう1冊ぐらい買ってみようかと思う作品でした。

これはゾンビですか?2 読了しました

Img011 この本の帯にも書いてあるんですけど、なぜ売れているんだろう?これ。

いや、面白いんですよ。面白いんだけど、デビュー2作目(もう初めからそうだったけど)でこのグタグタな感じとは……作者の将来に期待と不安がいっぱいです。

一つの家の中に異なる勢力の人間が暮らす。どっちかに偏ればどっちかが立たない。バカな話の中に結構重いテーマが隠れている気がする本作ですが、登場人物が増えた今作では状況がさらに混迷しています。よく話が破綻していないなと感心します。この話が崩壊せずに結末までもっていけるのか、楽しみです。

2009年6月12日 (金)

今日買ったもの+グチ

  • ロウきゅーぶ
  • 原点回帰ウォーカーズ2

どちらもアニメイトに売っていなかったもの。「売り切れです」とか店員さん言ってたけど怪しいもんだ。以前発売日当日の昼ににファミ通文庫を買いに行ったら、在庫(足下とかに明らかに搬入したばっかの箱を用意しておきながら)を欠片もチェックせずに「当日には搬入されないんですよ」とか言っていたし。友人といたからそれを指摘して店側の店員と険悪になるのは避けたけど(ちなみに歩いて十分の本屋とかにはあった。まだ棚には並んでなかったけど、尋ねたらちゃんと買えた。その数時間後に実はそのアニメイトにファミ通の新刊が並んでいたらしいと人から聞いた)。実はすべて同じ店員(女性)。東京(池袋)のアニメイト店員(女性の方)とは質が違いすぎる……

「あまえる」ということについて、を読んで

Img010 これは赤木かんこさんという児童文学の評論家さんが編集した『日本語ということば』に収められた一編である。著者は中村咲紀さん、当時小学校二年生の人が書いた作品だ。第47回(1998年)全国小・中学校作文コンクールの優秀作品である。

これは全部で5章に分けられている。一つ一つの章立てに明確な意味がある。順に読んでいくことで読者を説得していく構成は作文というより、論文に近い。彼女の主張(思想)は彼女の現実に根ざしている。長く生きていることは思想の成熟具合とは明確に比例しない。たとえ我々の何分の一しか生きていないものであっても、人生に真摯に取り組んでいるものはことばに出来ない(かけがえのない唯一の)価値あるものを手に入れる、それを証明している内容だった。このような文章、人間に出会うたびに人間は年齢(権威とも言いかえられる)などでは測り切れないという当然のように言われることが実感として感じられる。

以下はこの文章の(私なりの)解説を加えていきたい。もしこの作文を手元に所持しておりまだ読んでいない方がいるなら、私の解説(のようなもの)を見る前に本文を一読はすることをお勧めする。なぜなら、これを読んで自分がどう感じたか、それを自分の人生にどう生かしていこうとするかという“読み手の意思”が重要であると私は信じているからである。(その意味では前文で私が自分の感想を書いてしまったのはちょっとはやまったかな?とも思う。)

文章は『セロ弾きのゴーシュ』の読み解きから始まる。ゴーシュのもとに動物たちが来た理由、それが与えた作用、そしてその結果ゴーシュは如何な心理状態に至ったかが独自の解釈を加えながら読み解かれている。しかしそれだけではない。6年前に初めて私はこの文章を読んだ。そして虜にされた。その理由は彼女のその発想の豊かさ(みごとさ)にあった。彼女は1章の最後に2つの新機軸の発想を打ち立てていた。それは『ゴーシュに起こった奇跡とは、ゴーシュのセロ弾きが上手くなったことではなく、彼のもとに動物がやってきたこと』と『実はゴーシュはセロ弾きが下手ではなかった』ということである。しかもその理由が明確な根拠を伴って描かれている。私がこの作品は作文ではなくむしろ論文だと考える根拠はこの点に寄るところも大きい。

2章では書き手の幼稚園時代のつらい体験が描かれる。それを小学2年生現在の状況から俯瞰的に捉えて描き切っている。ここにこの子の非凡さが垣間見える。そして最後に「自分はゴーシュと同じ」で「じぶんじしんもまわりの人も、何もかもちゃあんと見ることができなかった」とかつての状況を分析しなおす。

3章では彼女の「脱皮」が述べられる。幼稚園卒業から小学校で友達を作るまでの過程を順に描く中で、「本当のじぶんをちゃあんと見」ることを身につける。これは大人にも容易にできることではない。中には、「そんなことが子どもにできるわけない!」という人もいるかもしれない。確かにそうかもしれない。その意見には聞くべきところはあると思う。しかし自分自身を見つめようと意識する。そういうことができない・意識しようとしない人間もいる中、自分でそのような決意をしたことはやはりすごいことなのではないかと私は思う。その第一歩ですら自分で踏み出せない人間はかなりいるのだろうから。

4章では今までの流れが一つにまとまっていき、「あまえる」ということはどういうことかという本題に突入してくる。「あまえる」ということは悪いことだと感じていた彼女が、母親との会話、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」との出会いによって変化していくさまが書きあげられる。

そして5章で結論が描かれる。ここは決意表明の章ともとらえられる。ここで彼女は「じぶんのしごと」は「大きくなるために、がんばっていろんなことを学ぶこと」であると宣言する。これはこれから先のさまざまな物事にこれからも真摯に当たることを彼女なりに宣言したように感じられた。さいごに彼女は自説の理想(哲学)を簡単にまとめている。それは以下のようなものだ「人は、みんな、心と心をくっつけあって、生きていくのです。でも、くっつけすぎには気をつけて、みんな元気な時ははなれて、自分のことをちゃあんとするのがいいと思います。  わたしは、がんばって大きくなります。」

これを高校生の時、図書室で読んだ私はすさまじい衝撃を受けたことを覚えている。ホントに心から尊敬できる文章・内容に出会えて喜びを覚えたものだ。それからいろいろあって6年間この本を探していた(内容は覚えていたけど本の題名は覚えていなかった。私はインターネットも使ってなかった時代なので検索するという手段も思いつかなかった)。

そしてこの間やっと見つけ出し、再度読み直し始めた。あの感動は気のせいだったのかもしれない、そんな思いを頭の片隅に持っていた。しかし読み終えてそれは杞憂に終わった。私の中での最高の一冊の一つは確かにこの作文だった。

再びこの文章に出会えたことに感謝を。(……何に対してかはわからないけどね。そんな気持だった)

ちなみに本作文はそんなに長くありません。40ページほどです。ひらがなが多いことを考えると想像以上に短いです。ただ“私にとって“は最高の文章。そんな作品です。

2009年6月11日 (木)

ファイナリストMの感想

2837071_2 ㊟以前も途中まで読んでから感想を書いたのですが、かなり感想が変わったのではないかと思います。

昨日読み終わりました。感想を書く前に寝てしまったのでこんな遅くになってしまいました。

物語のテーマは「引きこもりの少年の成長」かと思います。

細かい感想はとにかくとして、面白いか面白くないかでいえば面白い部類に入ります。ただ、期待はずれな感じも多くある作品でした。読み終えてから全体を捉えなおしてみると、予想以上にきれいにまとまっています。抽象的な印象ではあるのですが、デビュー作特有の『熱さ』があまり感じられない作品でした。あっさりした文体はとても読みやすかったのですが、700ページの分量を支え切るのに足る重厚さはあまりなかった。どちらかというと、長いサイドストーリーを読んだという印象です。しかし作品が面白かったのは文体とそのキャラクターが非常にマッチしたからではないかと思います。

作者はそのストーリー構成のうまさと人間描写・心理の描き出し方は目を見張るものがあります。それに反して、物語を異状にまで盛り上げる能力(読者を物語に引き込む能力)には欠けているように感じました。西尾維新さん、清涼院流水さんと決定的に異なる点はそこではないかと思います。両者とも場を盛り上げるのにキャラクターの個性、特異な発想といった違いはあるけれど、それをもって読者を物語の中に「引きずり込む」のです。対してこの作者さんは物語に「誘う」のです。その意味で「殺人事件」といった特殊な環境を描くのではなく、徹頭徹人と人の会話」といった世の中にありふれた状況を描くのがよかったのではないかと思います。前半のようにあくまですべてを「推理ゲーム」の形を用いて物語を構成したほうが作者のさっぱりした文体に合っていました。

この作品を「推理小説」と読むか「一人の人間の成長を描いた青年小説」と読むかで評価は分かれると思います。後者としてとらえるならばこの作品は後味の良い、青臭いけどすっきりした満足感あふれる作品でした(ただそうと捉えるとあの長さはいらない)。前者ならば、中途半端な印象があるから全面的に肯定はできないけど面白い部類に入る物語、といった感じです。

ちなみに私がこの間書いた感想は「推理小説」と「青春小説」の齟齬が生んだ印象の違いによるところが大きかったのではないかと思います。

有川夕菜の抵抗値読み終わりました

106dd0920ea057ce854c1210_l__aa240_ 発電体質(パラライザーと呼ばれる)のせいで過去につらい体験をしたせいで他人を遠ざけようとする主人公。彼女が過去を乗り越えて、人と再び交ろうとする物語ですね。

僕は基本的にキャラ読みしていくタイプなので、その視点からするとあまり面白いとは思わない作品です。でも別の視点から眺めてみると多少面白いかな、と感じる作品です。

この物語はとても王道的な作品です。過去に傷のある人間が周りの手を借りてそれを乗り越えようとする物語。そのように読み解ける物語です。

これだけみると感動的な作品です。ただ私はこの作者にはもう一歩踏み込んでこの作品を描いてほしかったです。気になった点は、この作品の根底に流れる「逃げてはいけない」という意識ですね。これは所々でこの作品にみられる部分です。ヒロインの意識、母親と先生の会話、生徒会長の立ち位置、そのすべては形に違いはあるもののスタンスは「過去の困難に立ち向かって打ち勝つことがよいことだ」にあります。これでは物語の帰着部分が容易に想定できてしまいます。しかしたとえそこに帰着するにしても、「逃げることは決して悪いことではない」という立場を表明してほしかったと思います。これは物語の根幹にかかわる部分であるので、多面的な側面で描いてほしかった、というのが僕の感想ですね。実際、この作品の場合時間をかければヒロインの体質は改善されると描かれています。再起不能なまでにボロボロになった人間などが出て、それでも尚「私は立ち向かう」とした方が作品の幅が広くなっただろうにと。この作品では「打ち勝てなかったらどうするのか」や「一度逃げる(ルートを変える)ことで生まれる新しい道筋など」は描かれていません。もちろん作品の中には立ち向かってほしい理由が描かれている部分は(多少・想像できる場合も)ありますが、これらの可能性が提示されていないため、根拠に乏しい理由で人が動いているように見えてしまいました。

さて、あまり批判的なものばかり書いていないで評価できる部分も書いてみたいと思います。それは「なぜ人を個別に見なければならないか」の一つの答えが提示されていることです。この作品では人を個別に見ないと「一人ずつの人間との距離感を間違えてしまうから誰かと誰かを同一視してはいけない」という答えが会話文中に示されています。多くの作品では「誰かを誰かの代わりにしてはいけない」とは描かれても、それが「なぜ」いけないのかはえがかれません。あえて想像するならば、「人は個別に価値があるから」という理由で思考が停止し、そこから思考を踏み入れることがないからではないからなのかもしれません。既存の領域から半歩足を踏み入れた点を私は評価をもってみました。

……なんかまとまりのない感想になってしまったような。

2009年6月10日 (水)

今日買ったもの

今日は電撃文庫の発売日なのでアニメイトに行ってきた。そこで買ったものは以下。

他に雑誌を少々…。

ってかいまラノベの杜で本を確認したところ、ロウきゅーぶを買ってないことが判明…明日買いに行かねば。…でもこちらの地域のアニメイトには置いてないかも。買い忘れがないように何回も確認したのに、棚に並んでなかったような…

結構新人が出てたみたいだけど、出来はどうなんだろう?今日買ったものを一通り読んだら買って読んでみようかな。あと、ウィザーズブレインは完結したら、まとめて買おうかなと熟考中。

ファイナリストMをよんでいます

ちょっと用事が長引き、帰ってくるのが遅れました。本当は今日中にファイナリストMを読みきり、感想を書こうと思ったのですが、明日になりそうです。

現在全体の三分の二程度を読了しました。ついでなので、いくらか感想を書いておきます。

この作品は、ひどくライトノベル的な部分と本格の要素で構成されているように感じた。西尾さんもそのような要素はあるのだが、それとはまた違う。西尾さんは、描かれるキャラクターと条件がライトノベル的(俗に言う『キャラが立っている』とも言える)であり、それは作品を終始支配し続ける。しかし、ファイナリストMはそれとは異なる。この作品は前半においてはひどくライトノベル的である。登場するキャラクターはキャラが立っており、環境は現実から遊離したように描かれる。そのため、キャラクターの存在感がリアリティーを醸し出すと同時に環境が現実から遊離しているという、一つの作品に奇妙なずれがある。これはある種ライトノベル的であると私は思う。しかし次の章ではそれがなりをひそめる。環境は現実に即し、キャラクターは徐々に独自性が失われていく。謎が前面に押し出され、本格の体をなしてくる。この作品は、一つの小説の中にライトノベルと本格が、たとえつながりはあっても、まじりあわずに重層的に配置されている作品と観じた。ライトノベル的な導入を利用して、あまり本格を読まない人間を作品に引き込む。そして徐々にライトノベル的要素を減じて、本格に移行させていく。

そのような作品といった印象をうけた。

2009年6月 8日 (月)

W.L.O. 世界恋愛機構 蛍ルート終了

昨日の間に蛍ルートまでは終了させました。

……正直、びみょー。けして面白くないわけじゃないんだけど、わざわざゲームにしてまで見たいほどの中身かというとあやしい。

愛奈編の時も思ったことだけど、過去編とかの掘り下げが足りないかな。一話か二話用いてヒロインの過去、心情を示すべきだと感じた。なんか主人公側の情報ばかりのせいで、物語に厚みがない。もうちょっと、ほかのところの人間はこうしていた、とか、その行動がどう影響したかなども表してほしかった。個人的には、あかね色に染まる坂のような構成で多角的な視点をもった話の方が面白いと感じた。

……ちなみに現在進めているアリサ・サラサルートは面白いと感じてます。躍動感がいい。

近況

現在大学の授業中。パソコンの使い方についての授業なので結構楽。予備校・高校にいたときとは段違いの生活。

ジャパンナレッジとかを用いて何かを検索をしようという授業らしい。

正直まだ読み終えていな本とかが多くてネタがありません。

2009年6月 7日 (日)

再発見に6年近くかかった。

イヤッフゥゥゥゥゥッゥ!

数年前読んだきりで、思い出せなかった本をやっと見つけました。昨日やっと断片的な情報を思い出した。アマゾンの特急便で頼んだから、遅くとも23日中にその本のレビューを書けると思います。

WLO-世界恋愛機構- 愛奈編終了しました。

ついにやり終わりました(1人だけだけど)。感想としては可もなく不可もなくって言ったところですね。個別ルートよりも共通ルートの主人公特訓編のほうが面白かったです。なんか自分に当てはまるところもあって考えさせられました。ところで、主人公のトラウマが明かされるシーンは展開早すぎない?って思ったのは私だけですかね。変な鬱ルートとかなさそうなので安心してできるのは、個人的に評価します。

Asrielの8thCD QUO VADIS を聞きました。

Img009 やっと聞けました。せっかくM3まで行って買ったのにまだ聞いていませんでした。画像はそこでもらったポストカードです。せっかくなのでのせてみました。

自分は、買うだけ買って聞くのは半年後、とかちょこちょこある人間なので感想が世の中と数テンポ遅れた内容になることがあります。

そこで、Asrielの八番目のCD「QUO VADIS」です。ホントに相変わらずの作りですよね。聞いていて楽しいんですけど、注意深く聞かないと(私には)曲の区別がつかなくなることがあります。Asrielはその点ちょっと感想の書きづらいところがあります。そのため今までよりじっくり聞く必要がありました。

……今回(改めてじっくり)聞いていて特に琴線に触れたのは結構あるんですが、上手く言葉にできないので総評だけ。

Asrielというバンドはすごく対象を絞りながら曲を作っている気がします。これは決して悪い意味で言っているわけではなく、そうすることで自分たちの音楽性を熟成させているように感じられるのです。ふと思ったことなのですが、、Asrielは二重の戦略で客層を獲得しているように思われます。1つは音楽に付随した世界観(イメージ)を聞き手に提供。これは、エンドレスに曲を聞き流す(作業音楽化する)ことを可能にします。聞き手は対象の音楽を精緻に聞くのではなく、その曲のアウトラインを楽しむ。曲から受けるイメージ(中核)は似ているから、聞き手はあまり曲の区別をしない。しかし、実際は違う曲だからエンドレスで曲を聴いても退屈に感じない。2つ目は曲の差別化です。先ほど書きましたが、一曲一曲は当然異なる曲です。じっくり聞くとその差はより際立ちます。詳細に聞きこむことのできるコア性。この、細と大の二重性が人気の一因なのではないかとふと思いました。

……もちろんそれぞれの曲がしっかりしてるからなのは当然だとは思いますけど。

2009年6月 6日 (土)

タイトルを変えました。

タイトルを変えました。前のは長かったので。

読みました

51iqrmwortl__sl160_火の国、風の国物語6.哀鴻遍野

二三日前に読みました。…なんというか評価の難しい作品です。確かに面白いんですけど(個人的には)インパクトが強い作品ではありません。そのような意味も含めてとても「正統派ファンタジー」的な作品ですね。

内容としては、前回の会談直後から。北の軍勢が侵略してきた。みんなどうする!?といった内容です。

今回アレスは最後以外あまり活躍していませんね。むしろ、今巻に限って言えば、主役は農夫のおっさんヴェリックな気がします。彼の視点から見た北の侵攻、それに対処するおっさん戦士団の奮闘記。とても良い作りでした。

ちなみに、最初にインパクトが強くないと書きましたが、それはこの作品の強みではないかと考えています。そして、この作品は徐々に面白みを増している作品なのではないでしょうか。作品を読んでいて思うのは、この作者さんは脇役を書くのが上手いということです。ライトノベルでは、主人公・ヒロイン(それに類する立ち位置の者)=キャラが立ちまくり、脇役=キャラが立っているもしくはチョイ立ち、というのをよく見かけます。しかしこの作品は登場キャラ(名前あり)が一様にキャラが立っている、もしくはチョイ立ちで構成されているように思います。これはあまりライトノベルでは見かけない手法です。

前者の手法だと、少人数で物語に起伏をつけることができます。たった数人の少年少女が世界や宇宙の命運を背負って戦えるのは、このような書き方も一因にあると考えています。逆に後者は少人数で物語に起伏をつけるのは難しいです。でも、多数の人間を出せば出すほど物語の深みが増します。いろいろな人間の思惑や願い、行動が絡み合った精緻な書き方が要求される手法です。これは、前者の手法では描くのが難しいと思います。なぜなら、あまりに個性の強すぎる主役たちに脇役が飲み込まれてしまうからです(もちろん例外はあります)。

その意味では、徐々に登場人物が増えてきているこの作品は今後に期待大です。

最後に、本を読んで、言葉にしきれなかった感想を箇条書きに記しておきます。

  • クラウディア王女すげー!なんかジェレイドさんの(知の側面での)天敵っぽくなっている。
  • 時折挿入される(ある種現実に即している)レイプ未遂シーンなどを見て作者を信用して良いのか悩む。ホントにクラウディア王女は他国に嫁いでしまうのか?現実的な手法を採るなら、アレスと別れて(付きあってもいないが)嫁いじゃうんだよな~。個人的にはアレスとくっついてほしいから、そういうラスト(もしくは一度他国に嫁いでから、紆余曲折の末アレスとくっつく)とかはちょっと見たくない。
  • 英雄ほとんど共闘してないよね!?(帯を見て)
  • なんかラストでミーアがアレスの弁護をしていたことに驚き。移動中に何かあったの?特に、アレスを庇うのを導くシーンってなかったような?次の巻で移動中の回想とかあるのかな?
  • なんかちょっと前の巻で言っていた、アレスに関する秘密って何?今回出てこなかった。それが絡んでクラウディア王女と結婚する(もしくは他国に嫁ぐなどという話がご破算になる)とかならいいのに。

2009年6月 5日 (金)

聞きました

Img008 書こう書こうと思っているうちに時間って過ぎるんですね。

当初の予定を3日過ぎての投稿となります。

聞きました。「feline groove ~春~」。とてもいいです。さすがの仕上がりですね。ちなみに現在も聞いています。

やっぱりMORRIGANさんは重厚な曲を作るのが上手いです。WAVEの作品を聞いていても思うんですが、彼の作る曲はゴシック・クラシックタイプの曲(インストゥル・ボイス付)とフュージョン系(ボイス付)が最高に私の肌に合います。

幼いころにクラシック音楽をかなり聞いたせいか(…その割には、まったく詳しくない。親の指令で行って聞いて、帰ってきただけだったからな…)、無意識に刷り込まれているのかもしれないですね。

…だけどこの音楽の感想を文章で表わすのは難しいですね。

以下、気に入った曲のどこが良かったかを羅列してみることにします。

トラック1 flowering~Main Theme~

 CDの1曲目。けして派手すぎず、地味すぎず。適度な重厚感を備えています。まるで時代劇のオープニング曲のようです。メロディーラインがかなりはっきりしているので、結構安心して聞けます。

トラック5 All the lights in the sky are stars

 何でしょう、今はじめて題名を見たんですが……グレンラガンをオマージュ?って思ってしまった自分は相当だめなんでしょうかね。いったいどんな意図でこの題名になったのでしょう?謎は尽きません。

 ……まぁ、いいです。気を取り直して、感想を書きます。まずとても落ち着いた曲ですね。で、じっくり聞いていると、確かに星の曲って印象を受けます。高音の曲が一音一音しっかりしているからでしょうか?順繰りに流れていく鍵盤の音が流れ星。その後ろで流れている曲が宇宙、という印象を受けました。

トラック7 Crocus 

 とてもゲームがやりたくなります。特にワイルドアームズのように荒野などを駆けるようなゲーム。なんか中ボスっぽい曲でした。さすがです、crankyさん。こういう曲好きです。

トラック8 Star SIbyl

  藤枝あかねさんのヴォーカル曲です。周りの声が絶妙に重なり合っています。WAVEでもよくとる、MORRIGANさんの定番の音の使い方ですね。声を声で重ねていくような曲調、一拍溜めることで声の印象を高める手法。ちなみにこれらは次のボーナストラックでも見られます。私は好きな音の使い方です。

こんなところですかね。今回のCDは初めてfeline groove 通販で取り寄せました。送られてきた小包の名前欄の後ろの猫がかっこいいです。

2009年6月 3日 (水)

あざのさんお疲れ様です!

51lrknuyo8l__sl160_ というわけで、最終巻『BLACK BLOOD BROTHERS 11 賢者転生』を読み終えました。

読んでからちょっと時間がたった作品なんですが、初めに取り上げるならこれかな、と決めてた作品なので。

まずはあざの耕平さんおつかれさまです!と言いたいですね。

よくあんなに膨大な情報量、人間関係(いや、吸血鬼関係か?)が入り乱れた作品をまとめきったな、と思います。ホントに一つの大きな歴史のうねりを眺めていたように感じられます。

この作品はいくつも大きなテーマを掲げていた作品なのではないかと思います。筆者があとがきで語っていた、「食べられる」というのもそうです。また、「吸血鬼と人間の物語」という形式をとったことで、必然的に「異文化(異種族)交流」や、それから生まれる「偏見・差別」も本書の重大なテーマになっているかと思います。

おもしろかったのは、この「偏見・差別」が人間・吸血鬼の陣営の至るところで行われていたことですね。人間→吸血鬼という流れで差別や偏見が生まれることもあれば、吸血鬼→人間という流れでも起こっています。それどころか、吸血鬼→吸血鬼ですら行われています。これは、半吸血鬼に対する他の反応、オールドブラッドとそうでないもの、カーサに対する扱いや対処、クーロンチャイルドに対する周囲の反応を見る限りそう的外れでもないと思います。

そしてその間に「カンパニー」を咬ませることでそれらの事態の描写、折衷案の提示などがなされる。読者たる私たちは、「コンプロマイザー」に近い視点に立って、ある程度俯瞰的に物事が眺めることができます。

ちなみに「コンプロマイザー」を考えれば考えるほどその存在は危ういものだということがよくわかります。立場、人間・吸血鬼との関係を考えてもそう思うのですがそれだけではありません。この本の中に描かれていた「コンプロマイザー」はある種、人格的に完成されていたように思います(もちろんそれ以外の面で成長中の人はたぶん大勢いますが)。これはひとえに陣内さんの功績が大きいのでしょう。そうでなければ、「コンプロマイザー」の中でもさまざまな争いなどが生まれていたのではないかと思います。「コンプロマイザー」はみな、ある程度ではありますが、(自分の内にある)「偏見・差別」に対応するスキルを持っていました。しかし、世の中ではそれを身につけることが難しく、実践はさらに難しい。そういう意味で、物語当初(あるいは物語開始前)に陣内さんは「コンプロマイザー」の支柱ともいう存在だったと思うのです。つまり、陣内という一人の人間に支えられた組織を考えるとき。または陣内のいない「カンパニー」で「コンプロマイザー」は「コンプロマイザー」たれるのかを考えたとき、危うい、と言わざる終えないと感じたのです。

少し話をテーマに戻しましょう。

あと、この作品の重要なテーマの一つに、(たしか)本文にあったように、望月ジローのパーソナリティということがあります。血の流れという大きな物の中では『ジロー個人』といったパーソナリティはあまり重要視されていません、しかし現在を生きる以上『ジロー個人』といったパーソナリティと無縁ではいられません。そして、時代の中にどう『ジロー個人』のパーソナリティを置くのか(あるいは歴史の中で個人のパーソナリティはどうあるものなのか)が重要な問題ではないかと思います。物語中では、ジローの内面中で「ジロー個人のパーソナリティと血の流れが規定したジローのパーソナリティ」が対立をしていました。どちらも『望月ジロー』の根幹をなす要素であり、捨て去ることはできません。その妥協点があのラストなのではないかな、という印象を抱きました。

……でも、そんなことに関係なく、BBBは文句なく最高に面白い作品でした!あざのさん、次の作品期待してます!(もちろんサリエルシリーズも!)

お疲れ様でした。

2009年6月 1日 (月)

はじめまして

はじめまして。これからブログを書かせてもらう、「てれびん」と申します。

何しろはじめてブログに手を出したので、慣れるまでずいぶん時間がかかるのではないかと思います。いろいろ不手際もあると思います(特にここの背景などについて)。訪れてくださった方々には、申し訳ないのですが、そんなわけで長い目で見守ってやってください。

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