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じぶんという人間を理解するために

ちょいと自己紹介欄とリンクでもさせようかと思っている記事です。

自分がなにを考え、どういうことに興味を持っているのかを把握する(してもらう)のに使えればいいなと思っています。

可能なら過去記事もリンクさせていきたいけれど2011年8月18日現在では思いついた分9つだけ記事を用意しました。

 

前提として-「冷たい社会」と「熱い社会」

-楢山節考

-キリンヤガ

自分の志向する方向とそれを説明する概念-カオスとコスモス

-祭り

-西田幾多郎

-ポテトとアスラーダやレイジングハート

-四方世界の王

-ことば

-イジメについて

2012年1月30日 (月)

今日ツイッターで流れてきた気になる奴ら~とくに、ゼルダの格好でヴァイオリン弾くすがたがすごくいい!!~

怖いアニメ1

 

どうやら麻薬って怖いよね、ってことを伝えるためにロシアで作られたものらしい。

これみるとニコニコのこいつ思い出す。

怖いアニメ2

おお~ これめっちゃいいわぁ ゼルダの格好した女の子がヴァイオリン弾いて駆け回る姿が素晴らしい!

めっちゃゼルダしたくなる!神々のトライフォースはいまでも記憶に残るよ。

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PS3もっているからWii無いのだけれど、唯一マリオとゼルダができないのだけが・・・(この動画見ると欲しくなるわ)

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・・・これはっ!!ちょっと中身見てみたい・・・

たまには医療に関わるはなし

医療関係でつぶやかれる「コ・メディカル」という言葉についていま微妙に盛り上がっているらしい(いや、ぼく自身知らんかったし。伝聞系になっても仕方ないよね)。

日本癌治療学会が「コ・メディカル」という用語の自粛をはじめたことが話題のきっかけ(なのかな?)

「コ・メディカル」という言葉は,一般的には医師以外の医療専門職(看護師,薬剤師,検査技師等)の方を意味する用語として現在広く使用されていますが,この用語には,(1)意味する職種の範囲が不明確である,(2)Comedy「喜劇」の形容詞(comedical)と解釈される場合があり和製英語としても不適切である,(3)「医師とそれ以外」といった上下関係を暗示させすべての医療人が対等に参画することが原則のチーム医療の精神に反する等の問題点が兼ねてより指摘されています。

この点に鑑み,本会においても理事会で本用語使用の是非について慎重に審議を重ねて参りました。また,本会会員の皆様からもパブリックコメントを公募致しました。

その結果,今後,本会での発表や学会関連の出版物では,この用語の使用を原則として自粛することが本年度の代議員総会で決定されました。

以上の方針は,平成24年の第50回学術集会から施行されます。つきましては,平成24年の第50回学術集会からは,本会の発表では本用語の使用は原則として自粛するよう会員の皆様にお願い申し上げます。

「コ・メディカル」という用語は使用せずに,薬剤師,看護師,検査技師,放射線技師等といった医療専門職の名称を積極的に使用することが望まれます。

日本癌治療学会の声明

・・・(2)のコメディーとの混同って誰がしたのかが気になります(ああ、英語に喜劇的な、って意味があるのね でもそれは日本で独自に設定したなら外国の方には説明するとか向こうの表現に従えばいいんじゃないのかな・・・)。べつに1と3で納得するよ。ぼくたちは。

ちなみにコメディカルの命名の由来ってのも流れてきて、どうやら元々はパラメディカルだったんだけれど、パラは「従属する」という意味でひどいだろ、ってことで出来たらしいね。

・・・せんせい。上記の理由3って理念と反するんじゃ・・・

全く成長していない

一年ぶりくらいにまともな記事書いた。結果的に評価は低くなったけれど、幼い少年少女が小さな世界で歪んでいく物語『校舎のうらには天使が埋められている』感想の記事といじめについて描かれたおはなしたちについて

…優 ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん優 俺、『あっちがわ』には絶対行きたくない…

(校舎のうらには天使が埋められている 1巻123ページ)

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評価 (もうちょい詳しく言うなら2.4くらいかな)

個人的評価 (2.8くらい)

『校舎のうらには天使が埋められている』の感想です。お久しぶり てれびんです。この本はこの土日に東京に行ったついでに買った本のひとつですね。メロンブックスで平積みされていたから気になってかいました。

後堂理花(うしろどうりか)は赤々瀬小学校4年2組に転校してきたおんなのこ。引っ込み思案で前の学校でのたった一人の親友からは新しい学校ではたくさん友達を作りなと言われて、新しい学校ではともだちをいっぱいつくろうとします。はじめはうまく行かなかったけれどクラスの中の美しい少女蜂屋あいと仲良くなってこれから変わるぞというところで…

いやぁひどい話ですね。僕個人はこういうはなしはきらいじゃないんですが、評価は5段階のうちの2くらいですかね(あ、今回から点数評価入れることにしました個人的な好みの点数も入れてみようかと お試しなので今後がどうなるかわからないけれど試してみます)

冒頭のセリフはクラス内カーストで最下位『ソラ』にされてしまった主人公を助けようとした少年少女の片方が叫んだセリフです。なかなかに衝撃的なシーンなのでこういう閉鎖空間で歪んでいく物語の経験がない人は一度は見てみてもいいシーンかと思います。こんなかんじでぼく個人の印象は「まぁまぁかな」って本作なのですがその評価はです。

これはねー、べつにこの作品が悪いってわけではなくて比較対象にあげられる作品がすごすぎて結果低くなってしまったんですよ。このブログを見てくださってた方(一年間くらい休止していたので過去形です。いまでも見てくれている人がいたらありがとう)や、ぼく個人の知り合いの方なら知っているかもしれませんが、こういういわゆるイジメのはなしでぼくがさいこうかなと思うのが、いまはなき瀬戸口廉也さんが残された『CARNIVAL』(あ、ゆっておきますが死んでませんからね現在ゲーム業界から文筆業に移られています。このあいだ星海社から発表された『死体泥棒

あいしたこいびとのなきがらをぬすんでともにくらすせいねんのものがたり

はすばらしくかんどうしました。

とても、いいはなしなので興味のある方はぜひお買い求め下さい。濃厚な文章に耐えた先で得られるカタルシスは大きいです。個人的評価では4くらいになりますね!(ならこっちのレビューしろよと、言われそうな気がするがなんかテストだなんだかんだで機会逸してしまってね。いつか機会があれば書きます))

死体泥棒 (星海社FICTIONS)

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それに乙一の傑作『死にぞこないの青』があります。これはとても感動的なはなしなのですよ。

CARNIVALはアマゾンなどでは手に入らないと思いますがDMMでダウンロード販売をしているので、やってないひとはぜひともやってほしいけっさくですね。

CARNIVAL 

CARNIVAL ダウンロード料金 2800円

両者はじつは似たところのある物語でして 『どうしようもならないクソッタレなセカイ』 のおはなしです。ある意味救いのあるのは『死にぞこないの青』なのですが、本質的に人間の深さを魅せつけてくれるのは『CARNIVAL』ですね。

CARNIVALはそのはじまりから衝撃的で、殺人犯として捕まっている主人公が逃げ出すところからスタートします。そこで???となっているわれわれプレイヤーはかれの、そしてかれのまわりのにんげんの過去と現在を透して『どうしようもなくそうならざるおえなかったセカイ』を目撃しそういう現実たいしてただひとりで立っていくにんげんを見ることができます。ここで主人公がだしていく決意にたいしてうつくしいとか、すばらしいとかいうことはできるのですが、そうするとどうやったって大事な何かが零れおちていく気がします。敢えていうならにんげんの精神の極限のひとつ、すなわち生身の人間自身をさらけ出してもらったというかんじですね。

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たいして『死にぞこないの青』も『構造的にどうしても虐げられざるえない小世界』が題材となっています。さきほど『CARNIVAL』と『死にぞこないの青』がにているというはなしをしたように、これらの物語はこういうふうになったらそりゃこうならざるえないよねというところが際立った作品です。ちなみに個人評価だとCARNIVAL(あるいはそれ以上)死にぞこないの青は4(そうとう5にちかい4)となっています。

そこで『校舎のうらには天使が埋められている』に戻りましょうかいままで挙げた2作品に比べるとこの作品は「どうしようもなくそうならざる得ない」という点がたりないかな、と思うんですね。

たとえばCARNIVALや死にぞこないの青では主人公たちの精神が刻命に描かれているので学校という空間から「逃げられない」あるいは「逃げるわけがない」ということがよくわかるんですね。でもこの作品では少女が引っ込み思案だから親とかには言えないんだろうなぁ、という想像はできるのですがそれは想像の範疇であって、仮にそうであったとしても「ほんとうにいわないかな?」「逃げないのかな?」という一抹の疑問が残ってしまう(思わされてしまう)。

(ちなみに視点を変えると「でも虐められている子ってのはあなたたちが『そんなこと?』って思うこともできないで耐えてしまうんだよ実際はこんなものなんだよ」って意見も勿論あると思いますしリアルに近いのはこちらで正しいと思います。さきの2作品はともに主人公の精神が『尊すぎる』ので… だから繰り返して言いますが評価は2ですが、いい作品だと思いますよ。

個人的には『3月のライオン』と比較しながら見るのがおすすめです。

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いじめという現実に「屈してしまう」校舎の主人公「立ち向かってしまった」3月のひなちゃんの対比は、ぼくたち一般人のリアルに近いでしょう。(虐げられても屈したくない 屈せられない思いを抱くこともあれば、そういう思いを持っても屈してしまう精神というのは、まさにぼくたちリアルなにんげんだと思います)

ちなみにいじめに対して立ち向かえとかてれびんは言いませんよ。正直そういう状況になったら「逃げる」のがいいかなぁと思います。少なくともアドバイスを求められたら「逃げろ」といいます。それはラヴァーズ・キスで、母親のくるった精神に立ち向かえない少年にたいして先輩が「逃げろそれでいいんだ別に立ち向かうことはない」というのとおなじです。

ラヴァーズ・キス (小学館文庫)

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じぶんにとっての毒に打ち勝つものは賞賛されるべきかもしれませんがそれは逃げて、べつのところで生きる選択肢を非難するものではないでしょうからね。たとえば乙武洋匡さんに関連する問題というのはそこに関連することなのでしょう(わかっているだろうけれどこれは「乙武さんの問題では『ない』」(関連しているけれど)ということは強調しておきます))

だからあえて作品として『評価』するなら「すごいもの」が描いてある前2作品の評価が高くなって、相対的に低くなってしまっただけなのですよ。

ちょっと取っ散らかっちゃったのですが結論

絵も綺麗ですしミニチュアな狭い世界が描いてあるという点では見る価値のある作品だと思います。ここで挙げた『CARNIVAL』『死にぞこないの青』『3月のライオン』に比べれば凄みは少ないですしそれを見ている人からすれば物足りない部分もある作品ですが、はっとさせられるところはある作品でしょう。個人的には2巻かそこらで綺麗におわるとちょうどいい印象ですね。

追記

えっと、ここで挙げ忘れたのですが荻上チキさん著『ネットいじめ』や内藤朝雄さん著『いじめの構造』はこういういじめというものを分析するうえでいろいろヒントとなる作品だと思います。

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また『どうしようにもぬけ出せない輪廻』というのは現実に在るものでして。それを実感するには鬼頭莫広さん著の『ぼくらの』やケン・ローチ監督作品『この自由な世界で』というのがおすすめです。ぼく個人で言うなら後者のほうがコンパクトでいいなという印象ですね。どちらにしてもレベルが高い作品なのでこれらは一見の価値くらいはあります。

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2011年9月 7日 (水)

コクリコ坂からがわからなかった世代に見てもらいたい「昭和元禄 落語心中」について(殴り書き)

これはホントに素晴らしい作品ですね。別のところで、コクリコ坂が上からの物語で、これが下からの物語だってかいたんだけれど、これは一人の人間が一人前になっていく物語なんですね。

これの素晴らしさは昭和のノスタルジーをうまく利用しながら、動機の調達や真摯に目の前の物事に向き合うということを、やれている点にあるんじゃないかと思います。

もちろんキャラクターが魅力的であるのは勿論ではある。しかしそれだけではなくて、昭和という時代を反映させた、今の時代に足りないところをきちんと示してくれているのだろうなと思うんですよね。

個人的にはコクリコ坂からと、これは同時に見てほしい作品。

コクリコ坂からという作品は、登場人物がみんな大人だったんですね。みんながみんな自分の足でたって、相対する人に敬意をもって接している。

尊敬スべき大人がいて、導いてやろうと思えるくらいに自立したこどもがいる。べつにできないことは恥ではないけれど、彼らには彼らなりの矜持があって、そういうプライドを保ちながら前へ進んでいる。

ぼくはコクリコ坂からの話題をする時に、年令によって差が出るのですよ、という話をするんですが、個人的な感覚からすると20代前半がコクリコ坂からを理解出来ない世代だったりするように想えます。

もちろんそれも生まれ育った環境とか地域によって差異が出るので、一概に言えることではないけれど。

ぼくの周辺で言わせてもらうと、その傾向が如実に現れていた。

この話については、海燕さんといろいろしたのですが、語っていいかわからないところもあるのでちょいと割愛。

ただ、なんでコクリコ坂からがわからないかというと、それは登場人物が「大人すぎる」ところにあるのではないかと思う部分が大きいです。

この辺については「踊るピングドラム」がいいともうのですが、あそこで出てくることばに

「きっと 何者にもなれないおまえたちに告げる」

というセリフがある。

これはホントに現代の状態を現しているのではないかと思っていて、コクリコ坂からでは「何者かになれる」のだけれど、そういう相手にたいして「何者にもなれない」ものたちは理解が及ばないんだと思います。

ここで海燕さんの「ブレイクスルー」を話題に出してみる。あそこでは主人公たる少年は「きみはエヴァに乗りますか?」という問をつきつけられるんですね。

昔だったら「当たり前じゃん。のるよっ」となるんですが、それが時代が下って行くのに連れて、「乗らなきゃいけないけれど、乗りたくない」とか「ノリません」とかになっていく。現代の30ちょい前の世代だとそれは「自分がエヴァにのるなんて話が来るとは思ってもみない」という世代で、おそらく20に行くかどうかという世代は「エヴァ?なにそれ」という世代なのかな、という印象があります。

現代というのは非常に鋭敏で、選択肢の多い時代なのですが、それゆえに迷いや停滞が多くなってしまう。(じつはそんなに多くはないと思うのだけれど、出だしはめちゃくちゃ多いのである一定のラインまでたどり着きヅライ)

ぼくはこれをイメージするときは、崖の上の町にある塔に登っていくイメージがあります。

むかしはその崖を登る手段が限られていたんだけれど、(まあ良くてはしごくらいかな)、現代はそれこそ無数にある。道が整備されているかもしれないし、電車があるかもしれない、ヘリやエレベータもあるかもしれない。

で、多少頭のいい僕らっていうのは、どれが効率的かじっくり考えようとするんですよ。

それがね、少なければそれでもいい。でも、現代はその選択肢が多すぎるんじゃないかと。

だからどのルートを選べばいいか考え始めた時点でもうタイムロス何ですよ。本当は早く崖を登り切って、町の中にある限られた(数本かなぁ)塔に登り始めないといけない。

そうして初めて「何者かになれる」

でも大半の人間は考え続けて、崖すら登れなくて終わるんじゃないかな。

ぼくが「ピングドラム」で素晴らしいと感じたのは。その言葉に「きっと」というワードがあることです。

「きっと」何者にもなれないかもしれない、というのは、何者かになれるかもしれないということの裏返しではある。

で、何者可になるためには何でもいいから、さっさと崖を登り始めないといけない。遠回りでもいいから始めないと到達できないんじゃないかと。

ここで「動機」がなければ、「なんで登らなければいけないの?」とか訳のわからないことを言い始めるので、動機の調達がポイントになると思うのですが、今回の話題は底にはないから省略。

で、繰り返していくと、コクリコ坂からを分かるためには「何者可になる」資格を持っていないとわからないんじゃないかと思います。そういう意味ではコクリコ坂からはスタート時点で「大人過ぎた」。

ただ、ノスタルジーを利用できるようにしたのは素晴らしいことで、それは、かれらが過去の幻想に守られて現代のわれわれの泥のついた手に汚されづらいからです。(ま、そのへんも機会があったら書きたいかな)

で、かれらはスタート時点で「大人過ぎた」ので現代の若者には受け入れられづらいのではないか。

そこでこの「昭和元禄 落語心中」という作品は、ノスタルジーの中にあって、立派なオトナに導かれて成長していく若者の物語をやっている。

これがほんとうに素晴らしいことで、もしコクリコ坂からがわからないならば、これを読むべきじゃないかと思います。

この作品の主役は22歳のダメな子どもです。元ヤクザだったり、頭も使えない、愛嬌だけのあるダメな子ども。簡単にいうならばてんで「子ども」なんですね。

でも彼が成長していくと、コクリコ坂の彼らに近い次元を通り過ぎていくのだろうと思います(矜持の問題があるから完全に同じとは言えないけれどね)

そう考えるとこの話っていうのは現代の若者に対してとても良い教科書になり得る作品じゃないかと期待しているんですよね。

追記

さっき読んだ「将国のアルタイル」もこの流れで受け入れられやすいと思うのだけれどね

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これはできれば8巻まで読んでもらいたい。(せめて5巻)

昭和元禄落語心中がいいね

という話を読んでいるんだけれど、これが結構いい感じです(いま1話の途中)。

さっきまで動機とかあこがれということについて話をしていて、今の時代はそれが難しいからコクリコ坂からとかのノスタルジーを感じさせる物語が出張ってきたのだろうという話をしていたんですが、ここに出てくる主役の兄ちゃん見ていると、まさに昭和な感じで気持ちがいいですね。

この話は主役の兄ちゃんの出所から始まっていて、なぜか彼は収監されていたんですね。


で、かれが出所してから一番先に向かったのは友達でも家族のところでもなく、寄席。落語の寄席に向かいます。

どうやら彼はそこで講演している落語家さんの弟子になりたいということで、後に支障になる人を出待ちをするんですね。

ここで彼が言っているセリフが印象的で

「ほう するってぇと お前さん 監獄帰りかい?」
「おうッ そうだよ!! 本日、出たてだいッ」
「それにしちゃあ随分 楽しげだね 呆れた男だよ」
「出てきたら いままで見た いちばん偉ぇ人についてこうって決めてたんだ  それがアンタなんだよ」「オイラ落語だって大好きなんだ もう弟子んなるしか道がねぇだろ なぁ 大先生」

このやり取りがとても好きです。

出てきたらいままで見た 一番偉い人についていこうって決める。だから弟子になるしか無い。

コクリコ坂は上からの話だったけれど、これは下からの話じゃないかな、なんて思って。すごくいいです。

かれがついていこうと決める動機のシンプルさとか、そういうのは、うん、すばらしいですね。まだ1話も読み切っていないけれど、この勢いで話が続いていくなら傑作になるんじゃないかな。ちょっと楽しみな作品が増えてきました。

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サイバーフォーミュラSIN(3話終了時点)のすばらしさ(ついでにバクマンとの対比)について

まあ、前回SINが素晴らしいと語ったけれど、どこがすばらしいかいい忘れていた。
サイバーフォーミュラシリーズで好きなのは何かと問われるならば、SINと11をぼくはあげるだろう。もちろん個別にすごく好きなものは各シリーズに存在している。しかし全体を通してみるとこの2つ、とくにSINは素晴らしい。
ぼくはサイバーフォーミュラシリーズとは、ダウンアップの歴史だと思っている。
TVシリーズからSAGAまでその歴史は下げて元の位置より高く上がるを繰り返してきたと言っていい。
TV版のハヤト、新条。ZERO、SAGAのシリーズ前半(約3,4話)のハヤト(あるいは新条)。これらは例外なくダメになっていく過程を描いている。
11(ダブルワン)は比較的下げ方がちいさいのだが、それでも1話目で多少下げて戻している。11ではその後ナイトシューマッハというライバルが登場するため、上がり続けていくのではあるが。
その点SINではキャラクターの恪が下がらないまま続いている。(4話見た時点で書き足し まあ京子さんはギリギリ下がってないでしょう)
これは上昇を続けていく物語をみているようなもので、絶え間なく高揚していくさまを眺めることが出来る。この点がSINのすばらしさのひとつである。
もうひとつSINの、というよりもサイバーフォーミュラのすばらしさについて話しておこう。
それはキャラクターの扱いである。
とても大事にされている。
たとえばTV版で出てきた場末の整備士のおっちゃん。かれがSINで登場するとは思わなかった。
それに南雲さんがいる。
ぼくはSAGA時点からかなり好きなキャラである。なぜならかれはその格をSAGAのなかでほとんど下げなかったからだ。最後の最後だけちょっと下がったかな、という思いはあるが、それ以外は見事なまでに恪を下げなかった。かれはかれなりの理屈で戦い、破れていった。かれは自らのルールで戦っておりそれを崩すことはなかった。
南雲はバクマンでいう七峰くんを思い起こさせる。
現時点8月22日時点では七峰は見事である。自身で金を用意して会社を立ち上げ、作家が面白い漫画を掛けるシステムを供給している。その漫画家が実力を発揮できるすばらしいシステムを構築している。
ただかれは失敗するだろう。
それはバクマンを見ている者にとっては自明な物語だと思う。彼のやっていることは、シュージンが原作者で絵はサイコーが書くということと、基本なんら変わりはない。しかし負けるのだ。
これは七峰自身に問題のあることではなく、バクマンというマンガの抱える致命的な傷のようなものである。
ぼくの予想では七峰は最初は成功する。しかしなにか些細な失敗をするだろう。その結果、何か悪いことが起こる。たとえば金の供給がされなくなるとかどうだろう。そのとき彼は暴走を始めるに違いない。手持ちの漫画家にヒットをだすように醜く汚く罵り格を下げていくことだろう。その結果人は離れ、会社は潰れ。サイコーたちに説教をされてしまうかもしれない。

「ぼくとおまえたちのなにがちがうんだっ! おまえだって原作者がいるじゃないか。ぼくはそれを数人のプロにやらせただけだっ。 この世は金と知恵だろう!!」
そう叫ぶ七峰。かれは地面にヘたりこみ立ち上がることすらできない。しかしサイコーたちを見上げる目だけは爛々と輝いている。
それにたいしてサイコーは応える。シュージンは横にいて、サイコーに力をあたえてくれる。
「ぼくたちはお前とはちがうっ!! おもしろいものを人に見てもらいたい。喜んでもらいたいと思っている。なんでもかんでも金と知恵で何とかできるなんておもうなよっ!!! 」

まあこんな展開になるんじゃないかとこころの底で思っている。どうだろう。
友人にはなしをしたら「ありそうだ」なんて2人で笑ってしまった。
七峰は負けるだろう。でもこれは七峰が悪いわけではない。
七峰は七峰が悪いから潰れたのではなく、現実世界から「勝ってはいけない」といわれるから潰れるのだ。
かれは、七峰くんは、かれ本来の個性をせかいの創造主に潰されこわされ、いいように操られて潰れていくのだろう。
ぼくはこれ(自分の妄想)を観ていて「しびとを見ているようだ」なんてつぶやいてしまった。
これは物語の項で語ろうと思うが、この物語の中でのにんげんは「生きている」のだ。それを見るという点において、現実とほんのなかに違いはない。
本には作者はいるかも知れない。人間にも作者はいるかも知れない。どちらでも、ぼくからしてみればおなじことだ。
物語のなかでいきいきと生きているキャラクターと作者は無関係ではない。しかし無関係といえば無関係である。
前回のはなしを思い出して欲しい。カオスのはなしでもいい。
物語のなかで生きているキャラクターとは作者の分身であると同時に、読み手の分身なのだ。作者は自分の一部をさくひんに投入したかもしれない。しかしそれを読むものたちは、そのキャラクターに自分の中にあるものを見るのだ。
「生きている」キャラクターは「生きている」人間と変わりはない。それはどちらもぼくたちをみているからだろう。
それでも生きているという意味がわかりづらいかもしれない。ならばこう考えてみればいい。

「その存在がその存在らしい行動を取るとき、ぼくはそれをいきてるというのだ」

ということだ。
ちなみに人間とキャラクターに大きな違いはない。ある意味では。
しかしそれでも大きな違いは存在する。
それは情報量である。
ひとはその存在そのものが膨大な情報集積体である。ぼくなりにいうならカオスな存在である。だからこそ目の前で誰かが裸になろうと、踊りだそうとあり得ないこととは言い切れない。
しかしキャラクターは情報が限られる。目の前にある紙に書かれたこと。それだけが情報である。ある意味コスモス的である。
だからその情報から判断できること。一般的に言うならば「そのひとらしい行動」をとれていなければ「生きていない」となる。
これが大きな違いである。
その点からいうなら、七峰は「らしくない」失敗をしている。かれはもっと狡猾だ。鋭敏だ。失敗してもその先を考えている。マイナスをプラスに転じる策くらい在るに決まっている。
しかしそれをしなかった。
創造主にいいように操られたと感じられてしまった。それをもって生きているけれど死んでいる。リビングデッドなキャラクターと感じられてしまった。
その点南雲さんは見事だった。かれは七峰くんと同じくらい狡猾で優秀だ。鋭敏で結果を出す。そして大人なのだ。
かれは理性の人である。理性を保ちながら狂える逸材である。
SAGAのラストでかれはその一線を、ギリギリ保った。そう感じられた。
南雲さんは「生きている」。
七峰くんは「生きているけれど死んでもいる」。
あくまでもそんな主観ですが、サイバーフォーミュラは特にキャラクターが大事にされているように感じます。

(追記)
とはいえバクマンは独自のすばらしさ。ユニークポイントをもっている。これはこれでひとがまねできるものでないように思える。技術とかものすごいよね。

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サイバーフォーミュラSIN(ブリード加賀篇)

現在2話を視聴終了。うわーこれはすばらしいなぁ。
以前サイバーフォーミュラではアスラーダさんを取り上げた。こんかいはブリード加賀さんを取り上げてみよう。
TV版では登場回数の少なかった彼(トーナメントに参加し始めるまで彼は5回しか登場していない)は、その真価をTV終盤そしてOVA版で徐々に表していくこととなる。
この物語の主人公、風見ハヤトは不完全なにんげんである。だからこそ迷いくるしみ成長していく。それはみているぼくらに快感と共感をあたえるだろう。
たいしてブリード加賀はハヤトより大人である。加賀はハヤトより前をあるき、TV、11(ダブルワン)では彼の導き手たる役割をはたす。ハヤトがブリード加賀に相対するにはOVA第2弾ZEROまで待たなくてはならない。ここにおいてハヤトははじめて加賀の領域、ZEROの領域へとあしを踏みいれていく。
結果としてハヤトは加賀を追い抜いていくことになる。OVA第3弾のSAGAではブリード加賀も勝つことをあきらめるかとおもわれた怪物アルザードを、伝説のチャンプ風見ハヤトが打ち負かしていくものがたりとして構成される。ZEROでハヤトは加賀の「疾さ」に追いついた。そしてSAGAでは加賀の「強さ」に追いついた。
SINはブリード加賀のちょうせんである。
いままでブリード加賀は前にいた。たとえチャンプを取られようと、疾さでおいつかれようと加賀はオンリーワンだった。かれの牙城をくずしたのは風見ハヤトである。
手のかかるかわいい弟分。ともにいてバカをやれる親友。それが最強のライバルへと成長していった。サイバーフォーミュラという物語はそういう意味では、風見ハヤトがブリード加賀に追いつき追い越していく物語だとも言えるのだ。
ブリード加賀はだれがチャンプであろうと構わない。疾いもの。真につよいものが自分であると知っているからだ。知っていたからだ。
ブリード加賀ほどじぶんにたいして誠実なものはいない。かれは自分をごまかさない。目を逸らすことはない。風見ハヤトがじぶんに並ぶものとなったとき、みずからの頂に迫ってきているとき、その事実に目をつむることはできない。かれはだれがチャンプになろうと構わない。自分がさいきょうであるならば。
こうしてみるとブリード加賀はサイバーフォーミュラの孤独の王だ。だれよりも先にあり独りで在る。
RPGでいうラスボス。魔王である。
最強にして最端。かれは進化の極地にある。
そのかれが勇者風見ハヤトに逆襲するためにSAGAにおけるラスボス南雲からオリジナルアルザードを受け取ったことは感慨深い。
ある文明において「進歩」があらわれるときその要因は「進化」か「異端」によるものが考えられる。進化とは歴史のつぎのステップである。人が4本足から2本足に、いどうを効率化するために自転車や自動車が作られる。これは進化である。一方異端とは異常な一歩である。進化の奇形といってもいい。2本足4本足自転車といった次にテレポートが出来るようになったようなものだ。
こういった人類が進歩するきっかけを描いた作品として『消閑の挑戦者』という作品がある。それは人類の進歩を促すのは「異端者たる魔王」か「進化の系譜にある勇者」かをきめる物語である。
ブリード加賀はまぎれもなく「異端」である。かれは進化の先端にある。そしてオリジナルアルザードもまた「異端」なのだ。「成長する機械」アスラーダにたいしてアルザードは「完成した機械」である。その生まれから完全である異形は異常だ。
完結した個と個がうみだすものはいったい何であろう。
ハヤトとアスラーダは2人で完結している。人馬一体。比翼の鳥、連理の枝だ。
加賀とアルザードは違う。
かれらは完成している。混じり合うことはない。
ぼくはこういったものを見ると心が踊る。
カオスとコスモスのはなしを思い出して欲しい。ぼくの思想の根本には「人は完全なものである」という思いがあるに違いない。いや、完全といえば誤解を産んでしまう。言い直そう。
ぼくは「ひとのなかにはあらゆるものが詰まっているかもしれない」と信じているのだ。
ひとは善も悪ももっているだろう。地獄を生み出すこともあれば天国を生み出すこともあるかもしれない。かれらは肉の牢獄の中にあらゆる種を潜ませている。
肉体を持っているということで必然的に限界を生んでいることはわかっている。ひとに無限の可能性があるなどとは言わない。
しかし欠けてしまったなにかを潜ませていながら、だからこそ個として他と混じり合うことなく、それでいてカオスへの扉を有しうる。
人間をそんな存在だと思っているのだろう。
アスラーダとハヤトは素晴らしい。かれらは欠けたところを補いあってああして在る。それは進化の正統な系譜といえる。欠けたところを補いあって前へすすむかれらは「王者」なのだ。
ブリード加賀はそうではない。別の可能性を提示してくれているように思える。かれはまえへ進もうとしているのではない。ただ独りで先端にあろうとしているのだ。
かれは欠けたところがあるまま完全なのだ。真なる玉がひび割れたところでそれが真なる玉であることに変わりはない。
その世界にあってはひび割れたかたちが真なる玉の真の姿であるのだろう(言っていることがわからないだろうことは理解している。敢えて言うならば、これは論理ではなくおそらく信念なのだ。イデアが信念であるように、これも信念なのだろう。)。
これと同じような感動をぼくはゴーストハントのラストに感じる。
「ひとりだって 恋はできるから」
そういう彼女はひとりで完結している

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2011年9月 6日 (火)

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2011年8月23日 (火)

サイバーフォーミュラSINの感想 (400字)

最高だった!!史上最強のチャンプとなったハヤトに挑んでいく加賀の物語があまりに美しい。物語の最後に加賀のいうセリフ「ブリードじゃねえ 城太郎だ」ここを契機にして途切れてしまうこの結末は ある意味サイバーフォーミュラの裏の主人公がブリード加賀であったことを暗示させる。全編を通してみるとハヤトと加賀がいかなる関係でもってこの世界を構成したのかよくわかる。サイバーフォーミュラとはハヤトが加賀に追いつき追い越す物語であり、同時に加賀が自分に追いつき追い越す物語でもあった。ZERO SAGAを通して加賀に追いつき追い越し誰でもない自分を手に入れたハヤト。SINとは加賀城太郎がブリード加賀を追い越していく物語であった。物語の表面上でハヤトは加賀の最大の敵であったが、そうではない。ハヤトは既にブリード加賀の先にありそれは象徴だ。その意味でシリーズにおける主人公にして最大の敵はブリード加賀であったのだろう

バンダイチャンネルの感想で書いたコメント。

これは面白かったからバンダイチャンネルで見るといいと思うよ。

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2011年8月18日 (木)

ことば

ことばとは世界を分断する最高の道具のひとつである。生を定義したら死が定義される。このようにしてせかいというのは分割されていく。これは四方世界の王でもはなしをした。
でも裏を返すと、言葉に出来ない部分は切り捨てているのです。
アカギは死を選ぶときに生に対して3%未練があると言っている。でも死ぬ、と。
ことばも、何かを定義することでことば以外のなにかを切り捨てることになるだろう。でもそこを切り捨てても前へ前へ駆動してきたのが現在の世界である。
ちなみに切って切って切りすぎてもったいないから、未練が強い部分が多いので、曖昧な領域から更に切り分けて取り込み直す。西洋の概念に東洋の概念を組み込みなおすなどは、その一例だろう。
ある種のリサイクルです。

四方世界の王

これは個人的に傑作ではないかと思う。それは未分化な状態の世界をわかりやすく描いている点にある。そしてそれが分化していく分岐点を描いているところもとても好きだ。
この世界では生と死の領域が曖昧だと明言されている。それを胞体といった超常の力を用いてわかりやすく現している。この世界ではせかいは未分化だ。だからこそあるひとつのせかいの王になることで四方世界(すべての世界)の王になることが出来る。そういうさいごの時代を描いている。
この物語は何人か主人公格の人間がいる(まあ、主人公はひとりだが)。以下偏見を交えて紹介する。
まず主人公の少年。かれは境界の存在である。こどもで、ちからも無い。持ちうるのは許容の広さ。これは見方によってはカオスの程度が深いともみえる(穿ち過ぎかもしれないが)。なにものにでもなれるし、なにものにもなれないかもしれない曖昧な存在。
つぎは傭兵王。ありとあらゆる存在を、それが超常のものであっても、もちいて四方世界(全世界)の王を目指すもの。カオスからコスモスを取り込んでいくことを想像させる。
そのつぎは暴虐の王。世界のほとんどを手にしているが、てに入れ切れないもの。手に入れられないものをすべて消滅させることで自らがせかいを手にしようとしている。切り取られたものには曖昧な領域が存在する。ことばで切り取られたならば、ことばで(未だ)表せない部分である。そこは消滅させざる負えない。必然を思わせる。
最後に人間の王。少女にしか見えない、超常の力などを要せず、「人間の力」で前へすすむまさに「人の子」の化身たる存在。せかいを切り開いて世界にしたのは、こういう存在たちだったのだろう。

(補記1)
生と死が曖昧というのはじつに面白い。この物語では、だからこそ生と死の両方を統べられる最後の王になれる可能性が描かれている。これは人間の王と神話の王の両方になれると解釈することも出来る(思いつきで話してます)。
まあ、生と死が曖昧なくらいなのだから、相当未分化な世界なのだろうと想像できる点が素晴らしいと思います。
死を思わなくてはならない楢山節考と対比しても面白そうです。

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